8-16 命の対価
エバートソン中将からも電話が入っていた。
「大変だったな」と一言だけ留守電が残っていた。
短いが、そこには心は籠っていた。米軍は、仲間の救助のための訓練に全訓練の三分の一を費やすというからな。おかげで米軍の士気は高い。
心が弱っている時に、そういう気遣いもありがたかった。彼の心遣いに感謝し、メールではなくわざわざ電話にしたが、生憎な事に向こうも留守電だった。彼は偉い人で忙しい身の上なのだ。
とりあえず、急ぎヘリの支度を整えた。どうしても手に入れたい物があったのだ。それは、もうそろそろ日本に来ているはずなのだが。
今回あれが間に合えばよかったのに。そんな事は言っても始まらないのだが。それでも次回に備える事はできるのだから。
俺は県営名古屋空港の名古屋第三航空へ車で乗り付けて、事務所に挨拶をした。それから待機してくれているヘリに乗り込んだ。
「やあ、神野さん。いつも、いきなりですみません」
「いえいえ、オーナー。特別に人件費を出していただいておりますので、手は極力空けてありますから」
そう。俺はいつでもヘリが使えるように、一人分のパイロットの年棒を前払いしてあるのだ。二年契約で。必要なら半年前に更新する契約だ。
まるで営業物件の家賃のようなものだが、それは必要な事だ。日本でヘリのパイロットは貴重だ。国内免許は非常に金や時間がかかるから普通の人にはまず取れないし、日本の空に合わない海外免許を取って来たような人間を使う商業航空はまずあるまい。
二機のビジネスジェットの交代者を含んだパイロットチームや、スーパーヨットのクルーを大量に雇っているので、こんな事は今更なのだ。
魔王城から帰還したら、一度ヨットへ行こう。少しは心を休ませないと身が持たない。そのために、あんなでかいスーパーヨットをわざわざ日本に持ち込んでいるのだから。
それからゆっくりと岡崎方面の第20ダンジョンを一人で攻めよう。今はそれが何よりホッとするリハビリだ。
次は仲間と一緒にグニガムに行くのだ。その前に俺の心に決着をつけておかないと、また仲間を危険に晒してしまう事になる。今度は確実に俺のせいで。
それだけは絶対にやってはならないし、自分で自分が許せなくなる。仮に何かがあるとしても、それは俺自身がやるべき事をやって、あくまでその結果の事象でなくてはならないのだ。
「神野さん。今日の操縦訓練は無しにしてもらっていいですか」
「おやオーナー。何か元気がないですね。どうかしましたか」
ああ、わかっちまうんだろうな。表情は冴えないし、声のトーンも低いのが自分でもわかる。
「ええ、仲間が重症を負いましてね。向こうで待ち伏せの襲撃を食らって。幸い、命に別状はなく、快方に向かっていますが。回復魔法万歳っていうところなのでしょうか」
「そ、それはまた大変でしたね。よかったです、やられてしまわなくて」
「いや、まさにそれでしてねえ」
こんな風に向こうの事情を話せる人がいるのはいい事だ。心の鬱屈のような物がある時は、他の人、特に事情を汲んでくれる人と話すのに限る。
俺も前回少し心を病んだ経験があるので、そういう処理には気を使っているのだ。そういう事に免疫はできた気がするが、自分でない仲間の事は結構堪えるのだ。
こいつは慣れないだろう。とはいえ、代わりに俺がやられていたら全滅もありえたのだ。そこは大変に悩ましいところだ。
そして俺は、自分の心の底に蠢く、臆病の細波を恐れている。それは最初小さなコップの中の揺れでしかないのかもしれないが、油断すればそれは俺の中で大きく育ち、いつの間にか自分でも制する事のできない大海の嵐となるやもしれぬ。
俺は密かにそいつを恐れた。それは却って、俺の仲間の命を刈り取ろうとするかもしれないのだ。そしてまた、戦う事ができない弱い心の持ち主となり果て、世界が亡ぶのを見届ける事しかできないのかもしれないのだから。
だが、俺はそんな心をじわりと締め付ける感傷を振りほどき、窓の外を眺めた。まだ十分ほどしか飛行していないが、前方には海が見えてきた。
何か心を締め付けていた枷のような何かが少し緩んでいく気がした。俺って海は大好きでね。家族旅行のための家族会議では常に海を主張してきた歴史がある。
だから山方面も必ず海を擁する山か、最低でも道中が海沿いというコースになった。少々回り道しても海が見えるコースを主張し、押し通してきたのである。今でも全長八十八・五メートルにも達する巨大な船を所有するほどなのだ。
神野さんにもその事は話した事があるので、今日は海の上を多めに飛んでくれている。俺は心をその風景に溶け込ますように、ヘリの副操縦席から、ただただそれを眺めていた。そして、ヘリの無線が鳴った。
「はい、はい。はい、わかりました。ではそのようにいたします」
そして無線に出た神野さんから、俺に回線が回された。
「エバートソン中将からです」
「あれ、どうしたのかな」
ヘリに電話してくるなんて珍しいな。携帯の電波も届くのだが。
「ああ、今パイロット君には話したのだが、第5ダンジョンの方ではなく、横須賀の方へ直接来てくれたまえ」
俺の顔が一気に明るくなった。こういうのを心に太陽とでも称するのかね。そんな思いでいっぱいだった。
「それじゃあ、ついに!」
「ああ、遅くなってしまって本当に悪かったな。目玉商品は大きな物もあるので、本土から運ぶのに時間がかかったよ。何しろ重い。バラして航空機で運んでもよかったのだが、試射を済ませた状態のまま渡した方がよかろうと思ってな。
何しろ、正式配備すらされていないプロトタイプの兵器なのだからな。本来なら民間人の君に渡すようなものではないのだ。だが、大統領は無条件での引き渡しをと仰った。君の要望は一式、なんとか揃えたが、金だけはいただくぞ」
そいつが一番心配なんだよ。俺はちょっと、お道化た感じに訊いてみた。
「ひゅう、そいつは異世界の魔物よりもおっかないですね。それで、俺達の、これからの命の対価はいくらになるのでしたっけねえ」
そして、中将はそこでわざと少し溜めを作り、楽しそうに言ってくれた。
「まあ、日本円にして、きっかり八千億円といったところだな。これでも大安売りだぞ。こいつがただのビジネスだというのであれば、利益も大幅に上乗せで、ざっと三兆円はいただくところだ」
さすがに俺も絶句した。追加の装備はあれこれ込みなのだけれども、最初は四千億円を見込んでいたのだ。
「御冗談を~。さすがの俺もそこまで金はありませんよ。わかりました。全額物々交換で。前渡金四千億円の分まで引き取ってください。今回の品々と、あと残りは虎の子のミスリルで払わせてください。いやー、参ったなあ。ハイテク兵器は高いや」
「何を言うか。お前らは異世界の怪獣や魔法使いなんかと戦うのだから、米軍の超兵器くらいは担いでいくがいい。だがミスリルはありがたいな。研究開発の連中も喜ぶだろう。ちなみに、今日の装備にもミスリルはたっぷりと使われているぞ。おかげで、ほぼ在庫はすっからかんの状態だがな」
あれまあ。しかし、何だな。俺が米軍に売って金に換えたミスリルで作った武器を、俺がまたミスリルその他で買い取るのか。ま、まあいいんだけれどね。とりあえず俺達の、当座の命の対価は八千億円と決まった。




