8-2 手土産の儀式
かつて、杏が住み込みしていたアンジェリカさんの店の前にバスは乗りつけた。地球と同じような歩道、ただし、かなり高めに作られている。
地球でも、フランスなどがそうだと聞いているが、この世界も歩道乗り上げ事故が多かったりするのだろうか。
日本では、広い歩道の上に図々しくも車で乗り上げて知らん顔をしている馬鹿共が大勢いるが、この世界でやれるものならやってみるがいい。
その暁には、騎士団にひっ捕らえられて、たちまち牢屋行きだ。日本のやる気のない警官とは、まったく違う。
日本にいるのと同じように、文句を言って怒鳴り返したり迂闊に抵抗したりなどしようものなら、その場で首が宙を舞う。
まあ、アメリカなんかだったら、挙動不審な奴は警官にすぐ撃たれちゃうけどね。
あの国で身分証明書を出せと言われて、慌てて懐に手をやってパスポートを出そうとして、間違って撃たれちゃう観光客なんて数え切れないのだろう。撃った警官も、しばらくの間はデスクワークオンリーになってしまいそうだが。
生憎な事に、この世界で一番の大都会、この首都アレイラには、見たところそのような命知らずは一人もいないようだった。
車道と御揃いで広い歩道はあるのだが、馬車などが乗り上げているような事は一度も見た事がない。みんな、きちんと歩道寄りに馬車を止めている。法律は、かなり厳格に運用されているようだった。
音を聞きつけたのか、おばちゃんが外へ出てきてくれた。
「まあまあまあ、これは」
俺はバスのステップから降りて、おばちゃんに挨拶をする。
『こんにちは。ご無沙汰、おばちゃん』
『さては、あの子も一緒だね』
『ああ、ご名答。杏!』
あ、いけねえ。つい、杏なんて呼び捨てにしちまった。だが、向こうも気にしてはいないようで、ぴょんっとステップから子供のように飛び降りて、小走りに走り寄る。
『アンジェリカさーん』
『あらまあ、よくきてくれたわねえ、アン。あら、そちらの女性は』
『あ、うちの母です。お母さん、こちらがアンジェリカさんよ』
「こんにちは。うちの娘が御世話になりまして」
相手が異世界人と知り、念話を使ってくれたので、おばちゃんも日本語を理解した。
『いえいえ、無事に帰れてよかったこと』
にこやかな会話をしながら、お母さんは御土産を渡す。
『あら、嬉しいわね。ハジメがくれた食べ物も美味しかったけれど。異世界はいい所なのかしら』
『まあ、考え方にもよるよね。どこ行っても似たようなものだといえば、似たようなもんだし』
日本だって世知辛いのだ。このアレイラでうまくやれるのなら、その方がいいかもしれない。
「おばちゃん、あたしサリアだよ」
俺の隣を離れないサリアが日本語で挨拶をした。
相手が念話使いなのがわかるのだろう。どの道、この子はエルンスト大陸、特にアーダラ王国周辺の言葉しか話せない。
『おやおや、ハジメったら、これはまた可愛い子を連れているのね。そうかい、サリアちゃんかい』
俺が、こんな子供を連れているのだ。訳があるのに決まっている。そのあたりを察して、特に追求するのではなく、サリアを軽く両手で抱き締めてやっている。
さすがは、この人だ。そのあたりをさりげなくこなすし、サリアが少し寂しい生い立ちなのも、それとなく感じてくれているようだ。伊達に王太子の乳母などやっていない。
『今から、ジェイクのところに行くんだ、よかったら、おばちゃんも一緒にどう?』
俺の言葉から、なんとなく「一緒に来てほしい」というニュアンスを受け取ったものか、彼女も同意した。
やがて、通い慣れたエルスカイムの王宮へと辿り着いたバスは、俺が取り次いで、苦も無くその門を開いた。今日は客を乗せているので、ガイドの兵士を乗せて、いけるところまではバスで進む。
「はーい、ちょっとどいてねえ」
通じないのはわかっているのだが、佐藤が窓から手振りも混ぜて歩行者に声をかけながら、ゆっくりと進んでいく。簡単な単語は佐藤も喋る。
『危ないよ』
『道空けて』
『ありがとう』
といったあたりか。
何しろ、ここは王宮の中だ。しかし、天井は無いゾーンなのでバスも通る事はできた。屋内でも天井は十分な高さがあるのだが。
やがて、細い道に入ったので、バスを降りて収納し、徒歩に切り替える。
「そう長く歩くわけではありませんので」
「それは助かります。いつも、そうそう歩かないですから」
「お母さん、少しは歩いた方が健康にはいいわよ」
既に、ジェイクのところには一報が届いている事だろう。この国には通信技術があるのだから。
いつもとは違う、バス用の広めの通路周りからいったので、割とすぐに王族ゾーンに辿り着いた。ジェイクは、いつものラフだが優雅な王子様スタイルで待ってくれていた。
あまり畏まると、客人が緊張すると思ったのだろう。硬軟、状況に合わせて立ち居振る舞いは変えてこれる。このあたりは、この男の魅力なのかもしれない。
「やあ、エルクリット殿下におかれましては……」
『やめろ、お前にそんな風に言われると蕁麻疹が出るわ。して、そちらがアンの母親なのかな? お客人、はるばる異世界から、ようこそ』
いかにも貴公子といった感じに整えられたジェイクの精悍な顔立ちに、お母さんが顔を赤くしていた。
「ど、どうも。王太子様。娘が大変、御世話になりまして」
「お母さん、もう年甲斐もなく。お父さんに言いつけちゃうぞ~」
「こ、これ」
それを見て、豪放に笑うジェイク。
「あの、これ、つまらないものですが」
『ああ、これはどうも。しかし、日本語というものは、面白いものだな。相手に贈り物をする時に【つまらない物】といって渡すのか。そういう習慣なのだな?』
杏の母親から紙袋を受け取りながら、笑っているジェイク。まあ、その通りなのだが。
「まあ、不思議だけどね。外国人から言われないと、おかしいとは思わないほど自然に使う言い回し
だよ」
「ハジメー、つまらなくないよ。だって、銀座の空也のもなかと、銀座かずやの【かずやの煉 抹茶】なんだよお。予約しておかないと絶対に買えないんだからね!」
「おまえ、何時の間に、そんな知識を」
俺は呆れてサリアの必死な様子に目をやった。食い物には本当にチェックが厳しいな。
「わたし、一応東京在住ですけど、そんなの家で食べさせてもらった事ないです。確かに、つまらない物じゃないなあ」
「もう、じゃあ今度買ってあげますから。そういう事、よその御宅で言わないの!」
「ハジメー、あたしも~」
「わかった、わかった」
「はっはっは。どうだ、どうせなら皆でこれを食すか。日本から輸入した、よい茶もある事だしな」
ジェイクはサリアの方を見ながらそう言って、侍女を呼び日本茶の仕度をさせたのだった。




