7-21 はし
船は出港した。トップデッキのプールに篭るサリアを乗せて。
「観覧車ー!」
まるで何か、とても大事な物を忘れたとでも言うように突然サリアが叫ぶ。
「後で乗ろうな」
「残念ー。すぐ乗りたかった~」
「そんな事を言って、お前も忘れていただろう」
「ぶうー」
なんか欲望まっしぐらだな。向こうでは余裕が無かったのが、こちらでは爆発したという事か。さっきの騒動ではないが、相当に俺を信頼して甘えてくれているようだ。
会わねばならなかった選ばれし者にようやく出会えて、異世界のカルチャーショックと共に精神がぐだぐだに緩んでしまったのかもしれない。あるいは、俺と同じように「今だけは」という思いがあるのかもしれないが。
「港に帰ったら乗ろうな」
「はーい」
よっぽど気に入ったのか、トップデッキの見晴らしのいいプールから一歩も出ない構えのサリア。
同じく、ここを動かない俺。時折、「煙とナントカ」の格言を思い出すほど、こういうところが好きな俺だ。
本当はダンジョンみたいなところって、趣味じゃないの。まあ、わくわく感はあるからダンジョンも好きなんだけどね。だから、ヘリで異世界を旅している時なんか、実に最高の気分だった。人類未踏の地を仲間と共に旅しているんだぜ?
あのジェットフライヤーは最高だったなあ。爽快以外の何物でもない。本当は航空機から射出しないと発進できなくて、自力では地上から飛べない装置なんだが、ファストで加速してから稼動させるんだよな。
なんていうか、足で蹴った反動で飛び立つ小鳥みたいな代物だ。選ばれし者でよかったと思う、あの瞬間。
そんな俺の感慨を振り払いながら、船はどんどん加速していく。青い空、前方には名港トリトンの緩やかなアーチ。そしてサリアは思いっきり叫んだ。
「うみーっ!!」
これが標準の海遊びとか思ってるかもな。普通に海水浴から始めるべきだったか。沖縄なら泳げるだろうから連れていくかな。ジェット機は気に入ってくれるだろうか。
「肇、あれ何!」
サリアは前方の名港トリトンを指差した。
「あれは橋、はし、だ」
「はし」
少し考えてから言った。
「おはし?」
「お、はいらないよ。はし、じゃなくてはし」
俺はイントネーションを後ろが上がるように教えてやった。まだ端とかあるから、ややこしいな。まあ頭いいから、すぐ覚えちゃいそうだけどな。
「ふうん?」
船はどんどん進んでいく。今日は太平洋まで出る予定だ。サリアに大きな海を見せてやりたい。ここはまだ陸地が見えるのだ。
200mとかある大型の船に比べたら、この船だって吹けば飛ぶようなものでしかないが、鋼鉄製の船はやはり安心感が違う。廃棄する際にもリサイクルがしっかりできるし。
航海は順調に進み、特等席の俺達は眺望を存分に満喫した。
「あれ、ずっとここにいたの?」
振り向けば、3人が来ていた。
「いいだろ、別に。俺はここが好きなんだよ」
このトップデッキ前方にあるジャクジー・プールが、この船を買った理由の一つだ。
「お兄ちゃん、昔からこういうの好きだからなあ」
「お前だって、ずっと居坐ってたじゃないか」
「そりゃあそうなんだけどさ」
「ふう、極楽極楽」
「ごくらくー!」
色々と間違った日本語を覚えてしまっているようだが、まあサリアもこっちで暮らすばかりではないのでいいかな。
3人もジャクジーに足を浸しながら、眺望を満悦する事にしたらしい。
「ドリンクはいかがですか~」
ジャックが御用聞きに来てくれたので、ありがたく注文した。
「じゃ、ビール。瓶入り地ビールで、チルドのヤツをお願い」
「かしこまり~」
もう、俺のこんなマニアックな注文にも日本語で答えてくれる優秀なクルー。
「あたしは、トロピカルドリンクをちょうだい」
もうすっかり顔馴染みになった亜理紗がすかさず注文を入れた。
「僕もそれ~」
「じゃあ、あたしもそれで御願いします」
サリアはじっと宙を見つめていたままで考えていたが、とつぜんに叫んだ。
「ビール!」
「お前は駄目だ~。ジャっク、こいつにもトロピカルドリンクを!」
「ハア~イ」
ジャックは陽気に手を振って飲み物を取りにいった。
「まったく亜理紗じゃあるまいし」
「酷いな、いくらなんでもその歳では飲んでいなかったわよ。大体、お酒はお兄ちゃんに付き合って覚えたんだけどな」
そうだった。思いだしたわ。自衛隊辞めて帰った頃、飲みたがるんで、ついついなあ。
「真昼間から飲んでる人に言われたくはないわあ」
「うるさいな。今日はここでお泊りだからいいんだよ」
こんな、本当の身内ばかりでの馬鹿馬鹿しいような日常。あまりに久し振りで泣けてくるぜ。
今や、異世界が俺の日常になりつつある。だが、とってもいい。このまま、こうして人生が過ぎていけばいい。だが、そうならないのはわかっている。
俺が異世界で見てきた事、聞いてきた事。この身で経験した戦いと硝煙の日々。いわば国軍といえる自衛隊でさえ体験しなかったものだ。
そして、幼い頃に家族で訪れた遊園地さえ、血と硝煙に染めた。
だが、今はこの一時に身を委ねよう。この子にとっても、それはきっと必要な事なのだろうから。




