6-22 元自衛隊
「キャプテン。オーナーです。海上遭難者を発見いたしました。これより、ダッタブーダは国際法に基づき、海上遭難者の救助体制に入ってください。回収用に高速ボート2隻の用意を」
電話の向こうから、キャプテン・ロバートの驚いたような声が届いた。
「オーナー、それは本当ですか?」
「ええ、私の力についてはお話しておいたはずですが」
ファクラの力の事は、彼に伝えてある。この船がいざ有事となった時のために。
「おそらく、前方約5kmの地点です。今左後方に空港島が見えるから、早く助けないとマズイ。あの先は潮流の激しくなる場所だし、船舶も多数航海する危険地帯だ。あと25キロも行くと、外洋に出てしまうでしょう。その前に転覆してしまいそうだ。おそらくは子供、ゴムボートか何かで流されている子供でしょう。海保と警察に問い合わせをお願いします」
「わかりました。そのようにしましょう」
彼は操縦中の副操縦士と、クルーに向かって命令を出した。
『船体、緊急停止。おい、ロビー、マイケル。ボートを2隻降ろせ、これより漂流者の救助を行なう』
軍人上がりのクルーたちは、テキパキと命令を遂行し、船上は喧騒に包まれた。
ヘリはあっという間に飛び上がり、5kmの距離を1分で駆け抜けた。近いぞ! どこだ。
「オーナー、あそこに、ほら」
神野さんが指差したところには、赤い小さなビニールボートがいた。小さな子供らしき人影が2つ乗っている。だが、俺はそれ以外の生命体を感知した。こいつは! まさか、今この時にかよ。南無三!
それは全長5mを越える巨大なホオジロザメだった。この伊勢湾に、こんなものは滅多にいない。稀にこいつの背びれを見かける事はあるそうだが、本来の棲家ではないはずだ。
だが、湾から大洋に合流する海流の激しい場所には、案外といるらしい。ここと、そう距離は離れていない。迷い鮫か。口の中が急速に乾いていく気配を感じた。
いかん、子供がヘリに向かって手を振っている。ひっくり返るぞ、立ち上がるな。どの道、このヘリでは風であおってしまって近づけないし、救助用のホイストも積んではいない。
「さ、鮫ですよ、オーナー! あれは多分ホオジロザメです。ま、まずい」
神野さんも鮫を見つけて、顔色を変えた。
「神野さん、俺が飛ぶから、あそこの近くにやってくれ」
「オーナー? しょ、正気ですか!?」
俺の決意を秘めた視線は、まっすぐ彼の瞳を正面から射抜いた。
「わ、わかりました、ご武運を」
普通なら自殺行為も、いいところだ。俺の異世界での武勇伝を知らないのであれば、彼も手を貸してはくれないのだろうが。
鮫が来る。子供がそれを見つけて、立ち上がる。ああ、止せ!
「きゃああ、大きな鮫~、怖いー」
その刹那、彼らの乗った子供用の小さなビニールボートが転覆した。鮫から見れば、アザラシないしは大きめの赤い魚か何かが、水飛沫を上げているように見えるかもしれない。
ここは高さおよそ50m。水面に落ちれば、それはコンクリートのような硬さでもって、俺を打ちのめすだろう。
俺は間髪入れずに跳び、すかさず手でヘリのドアをバンッと閉めた。ドアがバタバタするとよくないからな。
サメが潜って子供を追おうとしている体勢だ。俺は体勢を整え足先から垂直落下しながら、空中から見えない弓を瞬時に作り出し、一気に鮫に向かって引き絞った。
「マジックアロー、アローブースト!」
つい叫んでしまった。
とっさに可視モードで撃ち出した必殺の魔法の矢は、超マッハの速度で、潜る前に曝け出した奴の体の、無用心な頭深くに撃ち込まれた。
着弾時の威力は調整してある。俺は落ちる寸前に、少し離れた場所にいる、まだ水面にいる子供にアイテムボックスから取り出した浮き輪を投げた。
普通の人間なら、この体勢から投げても絶対に届かないだろう距離だ。水中に達する前に子供が浮き輪を掴んだのは見えた。
鮫の死体は収納で回収しておいた。早くしないと、バラまかれた血の匂いで他の奴がくる。小さい鮫なら湾内でも結構いるのだ。
まだかよわい彼らは数十匹の群れを為しており、血の匂いは遠くから奴らを引き寄せ興奮させる。彼らも、ここで育って遥かな大海へと旅立つのだ。
血を流し弱った獲物は絶好のお食事だ。俺はイージスの盾魔法を纏ったまま、足から突っ込んで海面を激しく抉り取った。
激突の衝撃を受け止めながら、俺は探知に余念がなかった。自分の回復は後でいい。俺の着水で浮き輪の子供が大丈夫だったか?
少し離れていたから、完全には衝撃に巻き込まれてはいないと思うが。
俺は全力で解放したファクラの力任せで子供の場所を特定し、フルパワーを振り絞り、手で海水を掻き薙いだ。
元自衛隊として異世界で色んな事を経験したせいか、こういう事にとっさに体が動く。常にあらゆる事に対応しようと、勝手に体が動くようになってしまっている。
俺はしゃにむに掻き泳ぎ、子供の下へと突き進んだ。伊勢湾は透明度が低いので、難儀な作業だ。海水は目に染みるし、よく見えない。ゴーグルを付けておくのだった!
おっと捕まえたぜ。子供も必死でしがみついてくる。俺は確かに子供なのを確認して、水を蹴った。だが、浮上は思ったよりも難しい。俺は子供の耳を押さえながら反対側の耳を俺の体に押し付けてふさいだ。
アイテムボックスより20ミリ機関砲を取りだして後ろ手に回し、その重量で体が沈む前に間髪入れずに片手で操作し、猛烈な反動で海面へと吹き上がった。
その重量による沈下よりも、強烈無比な反動がはるかに上回った。普通の人間にはまともに抱えることさえ無理な代物だが、人間重機の俺であるならば!
ちょっと無理な体勢なのは苦しいが、そこは「選ばれし者」の底力!
大口径機銃が放つ水中発射のくぐもった音の羅列と共に、俺達は水上に浮上した。
無事に子供を拾い上げることができてホッとした。潜ったのは、ほんの5mにも満たなかっただろう。だが、良かった。一発で拾えなかったら、完全にアウトだった。
「ぷっはあー」
俺は水面に顔を出して、海水ごと息を吐き出した。
「まいちゃあん」
すぐ近くの水面に浮き輪に掴まって浮かんでいた、お姉ちゃんの方が泣きながら叫んでいた。
俺の腕の中で、子供が水を吐いて咳をしている。よかった、自力で息をしてくれたか。下の子は3~4歳で上の子が7歳くらいだ。
俺は、上陸用のゴムボートをアイテムボックスから取り出した。抱えていた小さな子供を、ボートの上に上げてから、息を整えながらボートを掴んで選ばれし者の脚力でゆっくりと近づいていった。
もう一人の子をボートに抱えあげ、俺も這い上がった。さすがに、仰向けにへたりこんで座り、肩で息をする。
海で人命救助の訓練にあけくれる、本職のようには上手くやれない。こっちは元陸自だ。生粋の陸鼠なのだ。海保ではないのだし、海自出身でさえないのだから。
鮫を倒しただけ褒めてくれ。あいつだって、殺されるくらいなら子供に食いつこうとはしなかったはずだ。
あの鮫は、子供あるいはボートを他の餌と勘違いしていただけだろう。鮫は、人間を好んで食べない。食べられる物なのかどうか、最初に一噛みするらしいから追いかけただけだ。多分人間だとわかると嫌がって吐き出すのでないか。お互いに不幸な事故だった。
船に搭載されている、高速ボートのエンジン音が近づいてきた。神野さんが、空からデッキクルーの乗るボートを誘導してくれているのだろう。
俺は2人にバスタオルを被せると、息を整えながら赤い発炎筒を取り出して点火し、頭の上で大きく手を回して、発炎筒を振り回した。子供達は泣いていたが、声だけかけておいた。
「もう大丈夫だからね。さあ、タオルで体を拭いて」
「うん、うん。鮫は?」
まだ泣きじゃくっている妹をタオルごと抱きしめながら訊いてきた。発炎筒を回しながら、毛布も投げ与える。
「あいつなら、やっつけたから大丈夫だよ。俺は元自衛隊だからね。もう安心だから」
何しろ、全長50mのドラゴンとタイマン張って勝った男だからな。しかし、いきなり鮫とレスキュー・デスマッチはきつかったなあ。
俺は2人の子供に、回復魔法を放った。体が温まるようにイメージして。
「あ、キャプテン? 今、子供は無事に救助しました。2人とも海に落ちてずぶぬれです。入浴の用意をお願いします。インテリアスタッフの女性にお世話を、ええ、はい」
クルーがゆっくりとボートを寄せてくれて、引き寄せて子供を引き上げてくれた。逞しい海の男達は、子供達を抱っこして、慣れた手つきで体を拭いてくれている。俺もボートに乗り移ると、ゴムボートを収納した。
「へえ、凄いものですね」
デッキクルーのチーフであるロビーが感心したように感想を述べる。いつも重量のあるボートなどの収容作業を行うデッキクルーとしては、アイテムボックスの能力に思うところしきりなのだろう。
「あっはっは。まあ、こんなもんさ。それにしても、ちゃんと救助出来てよかったよ」
「あー、もう怖くないネー、船に帰ったらお母さんが迎えに来てくれるネ」
クルー達が子供に声をかけている。
「みず、お水ほしいの」
おっと気がつかなかった。こっちも息絶え絶えだったからな。
クルーが用意してあったペットボトルの水を出して飲ませてくれている。子供達は何時間漂流していたのだろう。貪るように飲んでいた。この分だと、昨日の夕方あたりからか?
俺も水を出して飲んだ。
「ぷはあ、生き返るぜ」
俺は大の字にひっくり返った。回復魔法をかけて、人心地をつけた。
子供達のお腹がキュウっと鳴っている。
俺はアイテムボックスから、まず消化の良さそうな塩せんべいを出して食べさせた。子供達は、夢中でしゃぶりついている。




