6-14 オネエ大佐
俺は衝撃のあまり、固まってしまった。俺を抱きしめている相手は、非常にガッシリした体格で、一旦抱きしめられたら「カマキリに捕まった蝉」状態だろう。自力では脱出不可能だ。友軍も近寄れないのに違いない。
人外のパワーを持つ俺はその気になれば振り払らえるはずだが、固まってしまったので、なすがままだ。
ちょっ! 頬ずりはやめて。お願い、マジで。思考があのクヌードの大広間のように真っ白になり、フリーズした体を動かす事は不可能だった。どんな魔物よりも強力な攻撃だぜ。まさかこの日本に、あのドルクットを上回る強敵がいたなんて!
だが、彼「女」は充分にスキンシップを堪能したのか、その化粧を施した軍人丸出しの坊主頭で満足そうな表情を浮かべていた。
俺よりは頭半分ほど高い印象か。ざっと身長2mはあるとみた。山羊の頭を被せたら、きっと大迫力だ。ここで駐屯地祭なんてものがあるのかどうかわからないが、そこの出し物でバフォメットに扮した、この方を思い浮かべてしまった。
「さあさあ、そんなところに突っ立っていないで、こちらにお座りなさいな」
俺はやっと再起動を果たし、ノロノロとゾンビの秘術を施された死体のようにソファを目指して行軍した。
「申し遅れたわね。私は、このバフォメット、第15ダンジョン米軍地上駐屯地の責任者、マーキュリー・J・ホースキン大佐よ。キュリーって呼んでちょうだいね」
そう言って、大佐はウインクをしてくれた。なんか、死にたい気分だ。こう……色々わかってしまった。何故、みんながあのような態度を取るのか。
とにかく、先ほどの強烈な抱擁のおかげで気負いとか意気込みとか、選ばれし者として今まで背負ってきた全てが銀河の彼方まで消し飛んでしまったような気がする。
「どう……も、鈴木肇です。宜しく、姐御」
あ、つい言っちまったぜ。だが、「姐御」はカラカラと笑うと、のたもうた。
「アンタ気にいったわ。是非部下に欲しいくらいね」
そう言いながら、自らコーヒーを淹れてくれた。
「あなたが、ついにこの第15ダンジョンに潜る日が来たのね。この第15ダンジョンの先にどんな世界が待っているものやら。ご一緒できなくて残念だわ」
俺は、とても良い香りを放つコーヒーを啜りながら、目の前の大佐を観察した。歳の頃は40ほどか。たいした皺もなく、白髪1本ない。はち切れんばかりの筋肉に覆われた体躯、叩き上げの軍人だ。
白人で金髪青い眼、ブ男ではないが、女と見紛う顔立ちではない。むしろ野趣溢れる系ではないか。やや角ばった顔立ちで、化粧を施しているのが、なんていうか怖い。
アイシャドウ、付けまつげに厚めの真っ赤な唇! これでドレスに身を包み、ロングのヘアピースでも付けられたら最強だぜ。
武闘会でドレスの裾を翻し、男の首を「獲って」きそうな按配だ。この人なら素手でいけちゃうかもしれない。女の戦場、血塗れの舞踏会だ。
しかし、何故だ。いくら米軍といえども、これはさすがに有り得ないだろう。自衛隊ならば、ネタ以外にはありえない。奥が深いぜ、アメリカ。いや深いのは闇か。
「まあ、ここで活動する分には、あなたに迷惑をかけるようなアメリカ兵はいないから安心してちょうだい」
そらそうかもしれない。この御仁に逆らうような奴は、ここには多分いないだろう。それで、問題を起こす奴がいないという事なのか?
「そ、それはどうも……」
「まったく、本国も何を考えているものやら。この第15ダンジョンは、少しスタートが遅れたの。第5ダンジョンや第21ダンジョンは、近くに東京や名古屋があったからね。兵隊を放す繁華街があったわけよ。ここは、その関係もあったので後からという事になったわ。ところが、先行駐屯地の馬鹿どもときたら、揉め事ばかり起こして」
まあ、そうだね。21ダンジョンなんか、今でもそれが尾を引いているよ。
「まあ、それで私の出番というわけよ。まず、本国の吹き溜まりから集まったような、寄せ集めの兵隊を躾け直すところから始めたわ。私自らね」
そう言って「彼女」は、すっくと立ち上がると眼を見開きながら、ぐっと力瘤を作ってみせた。すげえ筋肉だな。うちの連中が束になってかかっていっても、一瞬で吹き飛ばされそうだ。
兵隊達も、さぞかし立派に躾られた事だろう。「イエス、マム」「アイ、マム」という野太い声の斉唱が聞こえたような気がした。
「それから毎週のように、静岡の繁華街に出かけていき、パトロールを実施したわ。米軍が来た事で、繁華街において治安の悪化が起きたなどと言われてはならない。上から、そのように言われてね。ここ静岡は、大都会と違って人も穏やかで、そう問題になる事は無いのだけれども、たまには跳ねっかえりの坊やなんかもいてね。きっちり躾させてもらったわ」
ああ、ああ、ああ。眼に浮かぶようだわ。頭は坊主に刈られ、整列させられて、気をつけ、休め。お返事は「イエス、マム」 果ては腕立て伏せと行軍か。合掌。
「部下達には、日本語を学び、礼儀も徹底するように通達したわ。空手を習わせ、お茶に御花もやらせてね。日本語もきちんと学習させ、日本の風習や地元の習慣にも慣れさせて。地元の行事なんかにも参加させてね。地元の清掃奉仕にはもちろん全員参加よ~。祭りでテキヤが喧嘩なんかしてたりしたら、容赦なく締めたものよ、ホッホッホ」
こええ! こんなオネエ大佐に締められたら、米軍はおろか近辺の半端な犯罪集団や不良軍団など、なす術もないだろう。これが噂の真相かよ。しかし、なんで話が伝わってこないんだろうな。
「まあ、大きな声じゃ言えないけど、私がこんなんだからねえ。米軍の上にいる人間も、あまり大っぴらにはしたがらないらしくて。肇ちゃんも、ここだけの話って事で、お・願・い・ね」
オネエ大佐は、ぐっと身を寄せてウインクした。近い、顔近いよ、お姉さん。怖っ。そういう事ですか。うっかり話を漏らしたりなどしたら!
「わ、わかりました。機密保持には協力いたしますので! いや、ずっとここ第15ダンジョンについては不思議に思ってたのですが、こういう事だったのですね」
「です」
そう言って、にっこりとした大佐の笑顔は、圧し潰すような物理的な圧力すらあった。にこやかな笑顔って、こんなに迫力があるものだったなんて!
アメリカ恐るべし。アメリカを初めて本気で怖いと思った瞬間だった。
「まあ、この第15ダンジョンに関しては、何かあれば何でも協力してあげるから。頑張りなさい、勇者さん。何か悩みがある時は、お姉さんが何でも相談に乗ってあげるから、いつでも来なさい。恋の悩みでもOKよ~」
「そ、それはどうも……」
こうして俺は、その後も終生の友となるキュリー、アメリカ陸軍「紅の司令」、マーキュリー・J・ホースキン大佐との邂逅を果たしたのだった。




