62-9 ただいま
『オーナー、お帰りなさいませ』
キャプテン・ロバートは、まるでよく出来た英国執事のように、素晴らしい笑顔で俺達を出迎えてくれた。
がっしりとした体格が、いかにも元軍人を思い起こさせる。いかめしい服装はしておらず、他のスタッフと同じような半袖シャツのラフな格好だが、その所作は上品で好感が持てる。伊達に世界の富裕層の相手をしてきたわけではないのだ。別にくたびれた格好をしているわけではない。
『ただいま』
そう言って堅く握手をする。こんな会話をしてはいるが、実はお会いするのは、これが初めてだったりする。もちろん写真では見ていたが。やや面長で顎周りに髭を生やし、典型的な青い眼のイケメン中年男だ。
金髪なのか、ブラウンなのか微妙な髪の色だが、癖毛と相まって、それがまた妙な魅力を醸し出している。この手の男に弱い日本人女性ならイチコロだろう。やっぱり城戸さんがチラチラ見ていた。
『ようこそ、ダッタブーダへ。ここが、選ばれし者の王城ですよ。私がロバート・J・マクファーソン。英国海軍では大佐をしておりました』
そう言って、彼は悪戯者のような笑みを浮かべる。船名も、俺に合わせてカタカナっぽく呼んでくれる。まだ40歳くらいか。
この年で海軍時代に大佐であったならば、たいしたものだ。超エリートだったはずなのに、何故こんなところにいるのか。だが今はここにいてくれるのだから。余計な詮索は無しさ。
『ちょっとむさ苦しいメンツですが、本日は宜しく』
『いえいえ、我々管理者も軍隊上がりですから、好感が持てますよ。私が航海士のエバンスです。この船では、私が船長代理を務めます』
やや、禿げ上がった卵形の頭に、素晴らしい笑顔を搭載して、彼は俺の手を握った。
『私が、副操縦士のジョーンズです。私が、船のナンバー3になります。船長不在の日には私がおりますので』
マネジメントの関係で、キャプテンが役所に行ったりするし。通訳の手配なども、代行してくれる会社があるので、そういうとこの関係者ともあったりするようだ。プロに任せておけば、そう問題はない。この船を日本で運用するのは至難の技なのだから、専門家に全てお任せだ。
デッキマン達も並んで出迎えてくれているので、手を上げて笑顔で挨拶をする。確か、いろんな国籍の人間がいるはずだ。力がいる業務なので、いい体をしている人間が多い。
『やあ、君達よろしくね。オーナーのハジメ・スズキです。ところで、この荷物を運ぶのを手伝ってくれないかい?』
そう言って、俺と青山は川島を手渡した。酔っ払いって重いんだよな。担いでいいんなら人間重機の本領発揮なんだが、あまりに外聞が悪い。
『お前達。その方は、サロンのソファに座らせて差し上げてくれ』
キャプテンの指示に従い、屈強なデッキクルーの男達が川島を引っ立てていった。城戸さんが、付き添いでついていく。いつもと逆だが、まあいいか。姉御も、もうお客さんじゃないんだから。
俺はデッキに立ちながら、感慨深く周りを見渡した。ここは伊勢湾の真っ只中、大海原の真ん中だ。お隣の三河港と並び、大量の自動車を輸出する、外貨稼ぎのために活躍する名古屋港から出る船の通り道だ。
今も大型船が何隻も優雅に航海を続けている。かつては年間11兆円の輸出額を誇り、日本一の取引額だったが、今はどうだろうか。自動車も現地生産が相当進み、かつての勢いは無いのではないか。
この港は産業港なので、他の港と違い美味い物が食える雰囲気があまり無い。そういう点では三河湾の方が有意義だが、あそこはこの大きなクルーザーでは出入りが難儀だ。もっと大きな本船などは大変だろうな。
普通のサラリーマンだったのにな。いつの間にか、こんな物を所有するようになっていた。なんなんだろうな。
「おい、肇。中に行こうぜ。ここの見晴らしも悪くないけどな」
「あ、ああ。そうだな。実を言うと、俺もこの船は初めてなんだ。あ、そういや川島に先を越された」
「レディーファーストでいいんじゃないか?」
城戸さんはともかく、あれをレディーと呼ぶのか。
俺達は、キャプテン達に船内を案内してもらう事にした。デッキの奥側にはサンデッキとなったマットスペースの中に囲まれた、ジャグジープールがあった。
「へえ、こりゃいいな」
「普通は、ここに水着の美女を置くものさ。そんないいものはいないけどさ。ああ、ミリー、アニーさん、アンリさん、そして数多の異世界美女・美少女よ! 水着も各種買っておいたんだがな」
ああ、悲しきアイテムボックスの肥やしども。
「どこで着せるんだ、どこで」
「うん、それが問題だわ。この船を持って行きたいとこだが、クヌードには海が無いしな。組み立てプールしかねえ」
海にも魔物がいそうだし、それも難しいかもしれないが。この船だって安心はできない。
「彼女たちを、こっちに連れてきちゃどうだ?」
「うん、いつか試してみたいな。ファーストデッキにも、これよりでかいプールがあるぜ。川島が、あれに落ちないようにしないとな。現役女性自衛官、酔っ払ってスーパーヨットのプールで溺死」
「それ、あいつの場合だと洒落にならないから」
解体場のあいつらもな。はしゃいで、海に落ちられても困るんだが。
この海には、実は鮫がたくさんいる。子鮫のうちは、比較的安全な湾内で暮らすのだ。産卵に来た、気の立ったお母さんには出くわしたくないものだ。
俺達は、次のデッキへと階段を降りていった。ここはエレベータの周りを螺旋階段でくるっと回るようにできている。大型の船なので、スペースがゆったり取れるため、こういう優雅なスタイルに作ってある。見事な龍の装飾の付いたエレベータを見ながら降りていく。
これがハリウッド映画なら、銃を持った男達が駆け下りていくようなシーンだろう。生憎と俺達は、そんな血生臭いシーンは日常茶飯事なので、こんなとこではやりたくない。
そして、降りた先にはズラリっとトレーニング機器が並んでいた。
「おいおい、なんでこんな物があるんだよ。何故休みの日に体を鍛えなけりゃあいかんのだ」
「食った分は、体も動かさないとな」
自衛隊も演習先のテントで、「親睦を図る」ことも多い。現地飲み会が2日に1回くらいのペースではないだろうか? 厳しい演習を終えて帰ってきたら、「太っていた」という奴も少なくはないだろう。俺は例に漏れず参加していたが、あまり太らなかった。その辺は体質もある。
自動ドアの外には、大きなパラソルのついた椅子が置かれている。そしてジムの前方には、キャプテンの部屋や、操縦室がある。そこからの眺めも見られるように簡易なシートを設けてくれてある。様々な航行の安全を守るためのシステムが並んでいて、素人にはよくわからない。
その下に行くと、ダイニングとサロンがある。そして、その前がオーナールームだ。ここは広くて、特別な風呂がついている。そして、前方のデッキに出られるようになっていて、そこにはオーナー専用の丸いジャグジーが付いている。ここは、オーナールームからしか出入りできない専用デッキだ。
そして、これらのジャグジープールやバスルームの水は、2基の淡水化装置によって各30KL/日の勢いで作られている。
緊急時には、海から被災地に行き、水の供給をしたり、入浴や食事のサービスをしたりなどがやれそうな勢いの設備を誇る。救難用にヘリを搭載していくことさえ可能だ。いかん、未だに自衛隊的な思考から抜け出せないようだ。




