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第四話 都(みやこ)という女の子


「それ、でかすぎじゃね?」

 天然パーマの高杉たかすぎが僕の新品の制服を見て笑った。

「伸びるからいいんだよ」

 僕は気にしてないふりで答える。

 小五から一緒のクラスになった高杉とは、何となく気が合ってよく遊ぶ友達だった。

 貼り出されていたクラス分けで同じクラスだと気付いて、話しかけてくれたらしい。

「へえー、何メートルになる気だよ?」

 ニヤつきながら長い袖を引っ張られて、僕は「百万メートルだよ!」と言った。

 高杉はそれにウケて「どんだけだよ!」と爆笑した。

 ずっと引きこもって友達の居なかった僕にとっては、久しぶりの友達との会話の筈なのに、ちっともそんな感じはしなかった。

 猫の和が今朝言った通り、三十五歳まで生きた僕の記憶は確かにあるのだが、輪郭はぼんやりしていた。

 進学した事など重要な出来事は覚えていても、ドラマか映画を見たのを覚えているだけのような感じがして自分の物だという実感は湧かない。

 しかし不思議なことに、小学校までの記憶は鮮明だった。そのお蔭で、本当の中学生らしくすることが出来てるように思う。この記憶が三十二回目の僕の物か、今の僕の物かはわからないが、多分どちらも同じなのだろうなと思った。



「おい昴! 置いてくぞ!」

 高杉がいつの間にか体育館の入口前に居て、僕は慌てて後について行こうと一歩踏み出す。

「どうしたんだよ?」

 一歩進んでまた立ち止まった僕に、高杉は不思議そうな顔をした。

 中学生以降の記憶はあやふやだが、大きな出来事は覚えている。

 僕は中学校の入学式に大失態を晒した。

 もしも僕がまた入学式に参加したら、同じことが起こるかもしれない。

「ちょっとトイレ行ってくる」

「はあ?! もう始まるぜ?我慢しろよ」

 高杉は急げよ、と言うが入学式に参加した未来を知っている僕は従うわけにはいかなかった。

「腹痛いからトイレ行ってるって、先生に言っといて!」

 小走りで体育館に背を向ける僕の背中に、「腹痛いってお前、うんこかよ」と笑う声が聞こえたが、漏らすより何倍もマシだと思った。


 体育館からなるべく離れた人気のないトイレを探した。

 階段からぞろぞろと生徒や先生が降りてくるのをやり過ごして、校舎の奥にあった誰も居ないトイレの個室に入った。

 便座に座って、安堵の溜息が出た。

 入学式に参加していたら前回の二の舞になっていただろう。

 間に合って本当によかった……。

 水を流すと、これからどうしようかと思案する。

 入学式はきっと始まっているだろう。しかしそのまま戻っても式の途中で入っていけば、大勢に注目されてしまう。

 時間を潰す意味も兼ねて、胃腸薬を貰うために保健室に行くことにした。


「失礼します」

 保健室は一階の昇降口の近くにあったので、二階の職員室の前を通らなくて済んだ。職員室の前を通っても殆どの先生は入学式で出払っているだろうが、もしも会ったら面倒だ。

 保健室の引戸は鍵がかかっていなかった。

 正面の窓も開いていて、戸を引いた瞬間に風が吹き抜けた。それは結構な強さで、思わず顔を伏せる。風が止んでから顔を上げると、室内に保健室の先生は見当たらなかった。

 部屋の隅のベッドがあるあたりだけ、しっかりとカーテンが閉められていたので、誰か寝ているのかなと思った。

 先生が居ないので薬は貰えない。

 机の隣の戸棚には市販薬などが入っているのがガラス越しに見えるが、鍵がかかっている。仕方なく、僕はそばの椅子に腰掛けた。

 窓からは、さざ波のように風が入ってきた。

 敷地の外周に植えられた桜の木の花は、もう殆ど散っていたが、風が吹くと申し訳程度に桜吹雪を見せた。強い風が吹いて、保健室の窓からも一、二枚花弁が入ってくる。

「窓、閉めたほうがいい?」

 ベッドの方から声がした。

 閉じたカーテンの先に、やはり寝ている人が居たのだ。

 もう一つのベッドのカーテンは開いていて、他に人は居ない。という事は、自分に話しかけられているのだと思い、「どっちでもいいです」と答えた。

 すると、声の主はくすくす笑い出した。

 相手がなぜ笑いだしたのか解らず、僕は下を向いた。

 こんな日に体調を崩して保健室に居るなんて、人の事は言えないが可哀想な人だなと思った。

「どこか具合が悪いんですか?」

 ベッドの人から、質問が飛んできた。

「ちょっと、お腹が痛くて」

 僕の答えを聞くと、ベッドの人はまた楽しそうにくすくすと笑った。

「先生は入学式が終わるまで、戻って来ないと思います」

「そう……ですか」

 そんな予感はしていたが、もう入学式にこれから行くという選択肢は僕にはなかった。取り敢えずここで、式が終わるまで待つ。そして、先生が来たら薬を貰って「ただサボってた訳じゃありません」という口実にしようと思った。

「お腹、大丈夫ですか? 私が看てあげましょうか?」

「えっ?」

「私、治せるかもしれません」

 突然の申し出に、返事を迷った。

 治せる、と豪語するという事は医者の勉強でもしている人なのだろうか?

 それとも、僕と同じ様にお腹が弱くて薬を持っているのだろうか。後者だろうと思って訊いてみる。

「薬、持ってるんですか?」

「あ、いいえ」

「?」

「その……フレルと……」

 声が小さくなって、語尾は聞き取れなかった。

 フレル?って何だろう。フレル、ふれる、……触れる?

 そこで、もしかしてと閃いた。

「そっちに行ってもいいですか?」

「えっ、は、はいっ」

 僕は閉まっていたカーテンを一人分開けた。

 ベッドの上には、上半身を起こして座る榊都が居た。

「ばれちゃった」

 白い顔に優しい瞳。淡色の唇を柔らかく動かして、都はいたずらっぽい顔で笑った。

 小学生の時に左右の耳の後ろから垂らしていたお下げ髪は、ばっさり切られていた。

 その短く切り揃えられた髪の上に幾つかの桜の花びらが飾りのように乗っていた。

 その姿は、僕の記憶の中の都とは違ってだいぶ大人っぽく見えた。

「昴くん、全然気付かないから」

 都はまたくすくすと笑う。

「だから、笑ってたのか……」

 一度目は僕が都だと気付かないで敬語を使ったことに。二度目は小学生の時と変わらずに、お腹を壊して保健室に来たことに。

「ごめんね。驚かせようと思って」

 雰囲気はガラリと変わったが、都は相変わらず優しい話し方で僕に接してくれたので安心した。

「都はどこが具合悪いんだよ?」

「ちょっと、貧血みたい。こんな日なのにね」

 都は青白い顔で微笑んだ。そして、手でおいでおいでをする。僕は都の招く手に引っ張られるようにそばに行った。

「座って、力を抜いて」

 言われるがまま従う。都のひんやりとした手に左手を包み込まれる。都が目を閉じたので、自分もそうした。

 自分の左手に覆い被さるのが、柔らかい女の子の手だ、と思うと急に心臓が早く動きだす気がした。


 三十二回目の時に学校中から嫌われた僕と、唯一小学校の時と変わらず接してくれたのは榊都だけだった。

 積極的に遊んだり、二人きりでどこかに出掛けたりしたわけではない。でも、すれ違えば挨拶をしてくれたし、世間話だってしてくれた。

 普通だったら当たり前のことだ。でも三十二回目の僕は、触っただけで女子が汚いと悲鳴を上げるような存在だった。

 僕と話をしただけで、その人も皆から避けられるような状況の中、僕と普通に接するのは相当の勇気がいたと思う。現に都は僕に接する度、周りからヒソヒソ陰口を叩かれていた。それでも、持ち前のおっとりした雰囲気で聞いてないふりなどして、僕に挨拶するのをやめないでいてくれた。

 都がどうして僕を避けないでいてくれたのかわからない。でも、その時の都の対応のお陰で僕は三十五歳まで生きられた。



「深呼吸して」

 言われて、深く息を吸って吐く。それを何度か繰り返すと、少し落ち着いた。

 幼稚園の頃、転んで擦りむいた時なんかによく都がしてくれた。痛いの痛いの、飛んでけ、というやつだ。他の奴に見つかると冷やかされるから、いつも隠れてして貰っていた。

 都に触れられると、不思議と傷の痛みが癒えて、治りが早かった。今思えばそんな気がするだけなのだろうが、当時は本気で信じていて、何か怪我をするたびに都に触れて貰っていた。

 ある日、僕の打撲した膝を触れながら都が言った。

「ヒーラーって言うんだって」

「え?」

「こうして、触って治す人のこと。世界には、そういう人がいるんだって」

「へええ。ヒーターじゃなくて?」

 都は吹き出して、ヒーラー、ともう一度言った。

「癒す人って意味だって」

「いやすってどういう意味?」

「んーとね……、例えば、疲れた時にチャミちゃんのふわふわの毛皮に触ると心があったかくなるでしょ? そんな時癒されたって感じかなあ」

「じゃ、都の手はチャミのふわふわみたいなもんなんだ」

「そうかも」

 都と僕は声を出して笑った。


 都の手が、僕の左手からお腹に移動した。

 遠慮がちな細い指が触れた所から、温かさが広がる感じがした。さっき手に触れた時は冷たかったのに、温まりたい所では温かくなるなんて不思議だと思った。

「おしまい。もう中学生だから、こんなのしてたら笑われちゃうかな」

 都は僕のお腹から手を離した。その温もりが離れていくのがとても惜しいと思ったが、もっとして欲しいなんて子供みたいな事はもう言えなかった。




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