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愛と鞭  作者: まくろ
第十六話 団結は源なり
97/120

97:集合

 ようやくアイリーンがフィリップがいる場所へ辿り着いた時、もう辺りは夕闇に染まっていた。馬車から降りたのが昼過ぎだと言うのに、どうしてこんなにも時間がかかってしまったのか。……言うまでもなく、あの王立騎士団の包囲網のせいだった。時には窮地に陥り、時には助けられ。ここへ辿り着いた彼女の身体は、もう満身創痍だった。体力も限界である。


 フィリップがいるはずの屋敷は、子爵家の二倍以上はあるだろう大きさだった。この様子を見る限り、フィリップは由緒正しい生まれだったのだろう。彼の所作にどことなく品を感じるのも頷ける。


 煉瓦の塀の周りをぐるぐる回りながらアイリーンは思い悩む。

 勢いでここまで来たものの、どうやって中に入ればいいのだろうか。


 正面からフィリップに会わせてくれと頼んでも、はいそうですかと入れてくれるわけがない。それどころか、誘拐の首謀者だとして騎士団を呼ばれるのがオチだ。


 そもそも、フィリップに会って自分はどうすればいいのだろうか。フィリップを連れ戻す? ……フィリップがそれを望んでいなければ、とんだお節介だ。ただの不法侵入とも言う。


「ああ……もう、いったいどうすれば……!」

 堪らなくなってアイリーンが頭を抱えていると、屋敷の扉が大きく開き、中から執事と思われる初老の男性が出てきた。慌てて彼女は近くの垣根に身を潜める。ぐるぐると歩き回るうち、彼女はもう屋敷の内側――庭へ侵入してしまっていた。どうあっても、今彼に見つかってしまえば言い訳はできない。アイリーンは腹を括った。


 執事はしばらく納屋をごそごそしていた。これ幸いと、アイリーンはそのまま彼の死角に移動する。今、おそらく屋敷の鍵は開いている。彼に気付かれないように扉まで走りきることができればいいのだが……残念ながら、自分にはそれほどの体力も運動神経もない。


「あ……ごめんなさい」

 何かにぶつかり、咄嗟にアイリーンは謝った。自分の今の状況をすっかり忘れていた。


「いえ、大丈夫です――って、姉上!?」

 そう声を上げる彼も、状況を忘れていた。慌てて近くの弟に小突かれる。


「ちょっと! 気づかれるよ!」

「いや……だって」

「もう、二人ともうるさい」

「全く、緊張感が無いにも程があるな」


 次々に前を向いていた人々が振り返る。アイリーンは目を丸くした。


「な……何で、皆ここに……?」

 何が何やら、目の前にはステファン、ウィルドエミリア、そしてオズウェルまでもがいる。


「何でって……姉上の方こそ。もうとっくに中に入っているのかと思っていましたが」

「……悪かったわね、こっちも色々とあったのよ」


 ここに来るまでの苦労を思い出し、途端にアイリーンはげっそりとした顔になる。


「……とにかく、話は後だ。今はどうやって中に入るかだが――」

「だから! わたしに任せてくださいと言っているでしょ?」


 エミリアは怒ったように声を上げた。それに苦渋を示すのはオズウェルとステファンだ。


「危険だよ。変な人だったらどうするんだよ」

「そうだ。それに、今あの男は武器を持っている」


 オズウェルは鋭い視線を執事に向けた。自然、エミリアも彼の方に視線をやったが――途端に呆れたような表情になった。


「武器って……ただの鋏じゃないですか。庭を整えようとしているだけでしょう」

 エミリアの言う通り、執事は真剣な表情で花壇を見つめている。徐に動き出したと思ったら、数本の花をちょきんと切っただけだった。こちらの緊張感も丸つぶれだ。


「……とにかく、こうしていても仕方がないもの。わたし、行きます」

「ちょっ、エミリア――!」


 アイリーンも慌てて手を伸ばしたが、その腕をすり抜けて彼女は堂々と執事の元へと向かった。彼も気配を感じたのか、彼女の方を向く。二人の視線が交差した。


「う……」

「……?」

「うわあぁぁーん!」


 突然の号泣に、執事はぎょっとした。アイリーンたちもぎょっとした。


「……お、お嬢さん。一体どうし――」

「うわあぁぁーん!」


 しかしエミリアは応えない。ただただ激しく泣き叫ぶばかり。

 それに慌てふためくのはもちろん執事の方だ。あわあわと周りを見渡すが、助けてくれる人は誰もいない。


「あ、あの、お嬢さん。お父さんとお母さんは……?」

「お父さーん! お母さーん!」

「じゅ、住所を言えますか……?」

「お父さーん! お母さーん!」

「こ……困ったな……」


 人の良さそうな執事は、ぼりぼりと頬を掻く。しかしその間にも少女は豪快に暴れ回るばかり。いつの間にか柔らかな芝生に転がり、じたばたと両手両足を振り回していた。執事も困り切った。


「お嬢さん、一旦うちの中に入りませんか? 中にはお菓子もありますし。そこで親御さんの話を聞きましょう」

「お、菓子?」


 少女の目が期待に煌めく。


「……食べたい」

 パーッと執事の顔に喜色が溢れた。


「良かった! たくさんあるから、好きなだけどうぞ」

「お菓子!」


 いつも冷たい顔で毒を吐くエミリアはどこへ行った。

 そう考えるくらいには、垣根で彼らを見守っていた一行は冷静だった。


「……行っちゃいましたね」

 執事とエミリアの二人は、屋敷の中へと姿を消した。とりあえずは、任務遂行なのだろうか。嫌に簡単に事が運び過ぎて、アイリーンたちは少々拍子抜けする思いだった。


「これからどうしましょうか」

 執事はいなくなった。エミリアは中へ入ることができた。でも一番重要なのは、自分たちがどう屋敷へ入るかだ。

 アイリーンが難しい顔で固まっていると、隣のステファンとウィルドが立ち上がった。


「なに、どうしたの?」

「エミリアは上手く入りこめたようだし、今度は僕たちが行ってきますよ」

「行くって……。扉は鍵がかかってるんじゃない?」

「でもあの窓は開いてるみたいだし。何とかあそこから入れるんじゃない?」

「あ、ウィルドも気づいてたんだ」


 そう言って弟たちが視線を向けるのは、屋敷の東側、丁度影になっている部屋だった。


「とにかく、姉上たちはここでじっとしていてくださいね。とりあえず、僕たちが中へ入ってみますから」

「何もせずに私達はここにいろと? そんなことできるわけないじゃない!」


 そもそも、アイリーンが必死な思いでここまで来たのも、全てはフィリップのためだ。ここまで来て、弟妹達だけを送り出して自分だけ安全な所にいるわけにいかない。


「でも姉上がここにいることが知られたら、更に厄介なことになりますよ。誘拐犯がまた子供を誘拐しに来たって」

「団長さんもだよ。二人そろってここに居ることがバレたら、余計ややこしいことになる。二人にどんな関係がって疑われること間違いない」

「オズウェルさんも加担してるってことになりますからね。謹慎だけじゃ済まさないかもしれません」


 理路整然と説明されるが、アイリーンはそれでも浮かない顔だ。しかしそんな彼女を差し置いて、オズウェルは頷く。


「分かった」

「ちょ――」

「お前が必要なのは、騎士団団長である俺だろう?」

「そうです。情に流され誘拐犯を助ける男はいりません」


 きっぱりと言ってのけるステファンに、オズウェルは渋い顔だ。


「…………」

 しかしアイリーンの方も、オズウェルとはまた違った意味で渋い顔になる。自分を差し置いて、話がとんとん拍子に決まっているのが我慢ならなかった。


「――子供二人で何ができるって言うの? とっ捕まるのがオチよ!」

「それは姉上でも一緒だと思いますが」

「でも、私……だったら、必死で言い訳でも何でもするわよ!」

「言い訳……ねえ。師匠、咄嗟の出来事に弱いじゃん」

「それに、子供の方が便利な時だってありますよ。姉上の場合、もし見つかったら後が引けませんから。今度こそ日も差さない地下牢に一生幽閉されるかもしれませんよ」

「…………」


 もう既に投獄されたんだけど、という言葉は必死に飲み込んだ。


「早く行け。またすぐに執事が出てくるかもしれない」

 見かねてオズウェルが後押しをした。ステファンとウィルドはしっかり頷くと、心配そうな姉を尻目に、どんどん窓の方へと行く。先にステファンが窓に足をかけた。それを後ろからウィルドが支えると、自身もひょいと容易に窓を飛び越えた。


 二人のこの様子からは、恐怖も緊張も特には感じられないが、心配なのは言うまでもない。


「……もう、どうして皆こう自分勝手なの」

 自分のことはさて置き、アイリーンはひどく立腹だった。


「もしものことがあったら一体どうするつもり――」

「大丈夫だろう。あの二人なら何とかするさ」

「なんとかって……」

「それにこの屋敷に使用人はそれほどいない。注意を払っていれば、見つかることも無いだろう」

「……どうしてそんなこと分かるのよ」


 やけにオズウェルの物言いが自信たっぷりなので、アイリーンは思わず尋ねた。


「普通、これほどの大きさだったら使用人なんて――」

「クラーク公爵は人嫌いで有名だ。使用人も必要最低限しかいないと聞く」

「……だからって、見つからないとも限らないわ」

「見つかったとしても、あいつらなら何とか切り抜けるだろう。俺たちと違って、何にも縛られていないからな」


 納得しきれない顔でアイリーンは俯いたが、それ以上はもう何も言わなかった。

 自分でも分かってはいた。脱走した自分が、今ここでできることは何もないということに。


「……私が来た意味ってあるのかしら」

 無理を言って逃がしてもらい、道中行く先々で知り合いに助けてもらったが、そうまでしてここに来る意味が、果たしてあったのだろうか。颯爽とフィリップを助けることができたのならまだいいが、何もできずにいる。自分が不甲斐なくて仕方が無かった。


 オズウェルもそんな彼女を複雑な表情で眺めたが、口を開くことは無かった。こういう時に、何を言えばよいのか分からなくなるのが歯がゆかった。


「……誰か来たようだな」

 沈黙の中、ガラガラと馬車を引き連れた集団が現れた。質素だが煌びやかな馬車の周囲には、騎乗した王立騎士団の姿が。


 その物々しい集団に、自然、オズウェルの視線は鋭くなる。

 その集団が止まったのは、アイリーンたちのいる庭の中央だった。馬車も徐に動きを止めたが、中から誰も姿を現すことは無い。


「あれは……ウォーレン?」

 馬から降り、数人の騎士を引き連れて屋敷へと向かうのは、見紛うことなく王立騎士団第一隊隊長、ウォーレンの姿だった。


「もしかして……私がここにいるって気づかれたのかしら」

「いや……様子が変だ」


 彼らが呼び鈴を押すよりも早く、屋敷の扉は開かれた。エミリアが引き留めているはずの執事が現れ、立ち話もすることなくそのまま中へ引きいれた。もともと訪問の話は聞いていたのか、迅速な行動だった。再び庭は静かになった。


「どういうことだろうな。ウォーレンとこの屋敷にいったいどんな関係が……」

「私、行くわ」


 アイリーンはそれだけ言うと、勢いよく立ち上がった。


「屋敷に異変があったら中に入ってもいいんでしょう? これは立派な異変だわ」

「いや、それはそうだが……」

「あなたはここにいていいのよ。私は行くから」


 ふふん、とこれ見よがしに笑うと、彼女はそのまま屋敷を突っ切る。執事も騎士団もいないので、その様は堂々としている。オズウェルはしばらく迷った後、ため息をついて立ち上がった。


「狡い女だな。そんな言い方されたら行くしかなくなるじゃないか」

「あら、そんなつもりはないのだけど」


 澄ました顔で言いながらも、その瞳はやはり嬉しそうだ。悪い気はしないが、それでもあの弟のことを考えると、その足取りは重い。


 ああ、ステファンに怒られること確実だな、とオズウェルは遠い目をした。

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