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愛と鞭  作者: まくろ
第三話 母の心子知らず
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09:忍び寄る不安

「――でさあ、あたしは言ってやったんだよ。あんた間違ってるって。何であんたは長年寄り添った旦那さんよりも、大してよく知らない女の言うことの方を信じるんだって。始めはさ、その奥さんも腑に落ちないって顔をしながら帰って行ったんだけどね――」


 アマリスの舌は留まることを知らない。相手さえ居れば、誰にだって話し続けるところが彼女の長所とも短所とも言えるだろう。


 この辺りに広まっている七不思議の一つとして、アマリスは話し相手を作るために花屋になったとまで言われている。それも、花屋に来たお客さんとではなく、たくさんある花を話し相手にするため、という意味である。それを彼女に尋ねたら、笑顔でそうだよと頷きそうで少し怖い。夜にこっそり店を訪ねたら、ぼそぼそと一人で話す声が聞こえてきそうで本当に怖い。


「そうしたらね、今度は旦那さんの方が奥さんに向かって浮気してるんじゃないかって言いだしてね。でもそんなわけあるわけないんだよ。だって奥さんは日中ずっとここで愚痴を零してるわけだしね、何より彼女の想いはこのあたしが聞いてるから。そう言って旦那さんを落ち着かせたらね、何ととんでもないことを言い出したんだ――」

「あの、アマリスさん。私もう行きますね」

「なんと、旦那さんの方も奥さんと同じ女に嘘吹き込まれたって言うんだよ!!」

「失礼しまーす」

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待った」


 アイリーンが立ち上がると、慌てた風にアマリスも立ち上がった。その顔は呆れている。


「ったく、あんたもすっかり可愛くなくなったねえ。昔はあたしが話を始めると、話を切る時期を見測れなくって、よく泣いて勘弁してくださいって頼んできたのに」

「あの頃はまだ青かったんです」

「よく言うよ」


 しかしこうは言っているが、アイリーンとしては十分譲っている方だとは思う。やろうと思えば、そういえば……と彼女が新たに話を展開する瞬間に姿をくらますことだって可能だ。そうしないのは、ひとえに彼女に何かと世話になってしまっているからである。


 実は、アイリーンの初めての家庭教師先を紹介してくれたのもアマリスだったりする。そのおかげで飢え死に寸前だったアイリーンとステファンは何とか持ちこたえることができ、飢え死にどころか幾らか貯蓄するほどの余裕もできていた。しかもそれだけでなく、ウィルドなんかはちょくちょくここへ寄り、話し相手をする代わりにお菓子をもらっているという。滅多に高価なお菓子を買えない子爵家なので、子供たちはここで糖分を補っているというわけだ。つくづく彼女には頭が上がらない。


「今日はもう遅いので失礼しますけど」

 これだけは言っておかねば、とアイリーンは振り返る。


「とにかく、ウィルドに変なことを吹き込むのは止めてくださいね。あの子、単純なんですから」

 頭は上がらなくとも、口は動く。アイリーンはいつも遠慮なくアマリスに苦言を呈していた。


「あんたもすっかり立派なお母さんだねえ」

 嘘らしい泣き真似をしながらアマリスは呟く。アイリーンほどの年ごろの女性ならば、お母さんと言われ気を悪くするのかもしれないが、なぜかその時の彼女は悪い気分ではなかった。むしろそう見えるのか、と少し誇らしい。


「ああ、そういえば――」

「……もういい加減にして下さい」


 しかしまたアマリスは懲りずに話を展開しそうな雰囲気を出した。本当につくづく沈黙という時間が似合わない女性である。


「ああ、違う違う。ほんとこれは大事なことなんだよ。アイリーンが来れば言おうと思ってたんだけど、つい忘れちまっててね」

「何ですか?」

「不審者に気を付けなよってこと」

「……不審者?」

「あれ、やっぱり知らなかったか。ここのところすごい騒ぎだよ? 小さな子供ばかり狙った不審者ってね」

「え……」


 子爵家はあまり情報網が広くないので、地域の情報は入って来ない。アイリーンの家庭教師先は裕福な家ばかりだし、ステファンの学園は貴族が通うものだ。どちらも下町の情報を得るには心もとない人脈で、ついつい彼女らは噂には疎くなっていた。だからこそ、お喋りで情報通なアマリスの話は、時に大切な情報源となる。


「ほんと気を付けなよ~。あんたのとこ、小さい子供ばっかだろ?」

「ありがとう。気を付けるわ」


 アイリーンも真面目な顔で頷く。今日ここへ来て良かったと強く思いながら。


 しかし店を出てすぐに後悔する。やはりアマリスの世間話は躊躇せずにすぐに切り上げた方が良いのかもしれないと。

 すっかり闇に染まってしまった空を見上げながら、アイリーンは足早に歩き出した。


*****


「姉上、お帰りなさい」

 家につくと、パタパタとステファンが出迎えてくれた。


「ただいま」

「遅かったですね」

「ええ、ちょっとアマリスさんの所に寄ってたの」

「ああ、だから何だか甘い匂いがするんですね」

「あら、そう?」


 笑いながらアイリーンたちは居間へ向かう。扉を開けると、テーブルで各々好きなように過ごしていた子供たちが出迎えた。


「お帰りなさーい」

「ええ、ただいいま」

「あんまり遅いからもう食べちゃったよ」

「あら、なんて非情な子たちなのかしら」


 別に本当にそう思っているわけではないが、満足げに膨らんだお腹を擦るウィルドを見て、何か一言言わずにいられなかった。

 早速食事を始めようかとアイリーンは息巻いたが、先ほどアマリスから聞いた重要な情報をふっと思い出した。すぐにそれを言葉にする。


「ねえ、あなたたちは学校で何か聞いてる? 不審者のこと」

「聞いていますわ。小さい子供が狙われてるらしくって、気を付ける様にと先生から注意を受けました」

「ああ、そういえばそんなこと言ってたな」

「言ってたような……言ってなかったような……」

「もう、何て危機感が足りないのかしら、あなたたちは」


 エミリアはまだしも、ウィルドとフィリップは不審者の危険性が全くもって分かっていないようだ。


「そういう話を聞いたのなら、まず私かステファンに話すのが先決でしょう?」

「はーい」

「とにかく、これからは三人一緒に帰ってきなさい」

「えー!? そりゃないよ師匠!! そんなことになったら友達と遊んで帰れないし」


 アイリーンの宣言に、真っ先にウィルドは反応した。


「僕なら友達と帰るから大丈夫だよ」

「駄目よ、フィリップ。友達って言っても、この辺りの子じゃないんでしょう? 私たちの家の周りはただでさえ人気が無いんだから、みんな一緒に帰ってきなさい」

「えー……」


 なおもウィルドは不服そうだ。


「安全の方が大切でしょう? エミリアとフィリップだけじゃ何かあった時に対処ができないし、ウィルドも一緒に帰るように」

 きっぱりと言い切ると、今度は弟の方を向く。


「ステファンも気を付けてね。何があるか分からないんだから」

「姉上もですよ」

 しかしすぐに彼はオウム返しに応えた。


「うんうん。俺も師匠の方が心配だなー。いつもみたいに相手を怒らせそう」

「……怒らせる?」

「だって『あらあら、何かご用? 受けて立ちましょうか?』とか言って相手を煽りそうじゃん」


 プッと傍らで噴き出す音がした。ステファンだった。


「結構似てる……」

「だろ?」

「やるじゃない。まだまだだけどね」

「何だと? じゃあエミリアもやってみろよ」

「なっ、何でわたしが……」

「でも僕も見たい……」


 弟のように可愛いフィリップに上目づかいで言われ、悪い気はしないエミリア。


「いいわ、やってあげる」

 深呼吸を一つ。そして口を開く、満面の笑みで。


「……『シチュー、すごくおいしかったわ、エミリア』」

「…………」


 場を沈黙が包む。


「似てる?」

「うーん」

「あんまり……」


 ウィルドの問いかけに、ステファンとフィリップは首を傾げて唸った。


「何よ何よ! 似てるでしょ!?」

「そもそも師匠はそんな優しげに言わないしな」

「言っても、『なかなかおいしいんじゃない?』っていう上から目線の褒め言葉かな」

「あ、ステファンも結構似てるー」

「え、本当?」

「何ですって? 私の方が似てるんだからー!!」


 エミリアはいつの間にか椅子の上に立ち上がって跳ねている。それに感化されたのか、ウィルドもいきり立って椅子の上に飛び乗る。フィリップはと言えば、ステファンに支えられながらも椅子の上に到達した。――何であなたたち、すぐに椅子の上に乗りたがるのという疑問は、楽しそうにはしゃぐ子供たちを前に飲み込んだ。私、今食事中なんだけどという不満も。


「こうなったら誰が一番姉御の物真似が上手いか大会よー!!」

「ヒュー!! いいねいいね、腕が鳴るぜ!」

「まあ何だかんだ言って姉上と一番長く過ごしてきたのはこの僕だからね」

「何言ってるのよ! 女である姉御の気持ちが分かるのは、同じく女であるわたしだわ!」

「僕……一生懸命頑張る」

「おお、フィリップもやる気じゃないか! よおし、俺もやるぜぇえええ!」

「……やるなら本人のいないところでやりなさいよ」


 ボソッとアイリーンは呟くが、一向に彼らは聞いちゃいない。

 アイリーンは食事の間中、自分の物真似や、それに対しての、姉上はもっと気品がある!、師匠はもっと高飛車だ!、姉御はもっと自信ありげよ!、母様はそもそもそんなに褒めない、などという失礼な批評を聞き続けなくてはならなかった。

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