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愛と鞭  作者: まくろ
第十四話 会うは離散の始め
88/120

88:光と闇

「そこで待っていろ」

 それだけ言うと、オズウェルはすぐに立ち上る。今は何より時間が惜しかった。戸惑うアイリーンに構うことなく、さっさと歩き出した。


 石牢を出ると、途端に眩しい光が目を襲う。たった数分地下に潜っていただけだが、随分視覚と嗅覚がやられた。あそこに数日は閉じ込められている彼女のことを思うと、自然その顔が厳しくなるのも当然だった。


「ウォーレン」

 階段を上りきった先に、腕を組んだ彼は立っていた。オズウェルは何の感情も映し出さない瞳で彼を見上げた。彼はやがて、口元に軽く笑みを浮かべた。


「……恋人との涙の逢引は終わったか?」

 ウォーレンは、憐れみと侮蔑が入り混じったような表情をしていた。


 オズウェルはため息をつく。


「茶化さないでくれるか。こちらは真面目な話をしに来たんだ」

「なんだと……? 恋人が捕らわれたお前の心境を察して面会までさせてやったというのに、何て言い草だ」

「俺とあいつはそんなんじゃない」


 短く言うと、これで話は終わりだとばかりにオズウェルは首を振った。当事者以外に茶化されるのは腹が立った。何も知らないだろうに、嬉々として干渉してくる者たちはとくに。


「何の目的で彼女を捕らえたんだ? まずそこから教えてもらおう」

「目的? リーヴィス=アイリーンが未成年を誘拐したからに決まっているだろう。知らない訳ではないくせに何を今更」

「そうか。誘拐か。つまり彼女は犯罪を犯した、と」


 ウォーレンの眉が上がった。オズウェルは淡々と続ける。


「ならばリーヴィス=アイリーンの身柄はこちらが引き取ろう」

「はあ……?」


 突拍子もないオズウェルの申し出に、ウォーレンは思い切り顔を歪めた。しかしすぐにそれを正すと、厳しい声を発した。


「仕事に私情を持ち込むな」

「持ち込んでいるのはどっちだ」


 オズウェルも声を鋭くした。


「俺は警備騎士団団長として言っている。子爵令嬢の身は預かる、とな。お前はどうなんだ? まさか、王立騎士団としての立場で言っているわけではないんだろう?」

「ぐ……」

「もともと、街や市民を保護し、検挙するのは我々の仕事だ。それがなぜ、今回に限って王立騎士団が出しゃばっているのか、詳しく聞かせてほしいものだ」

「…………」


 散々な物言いだ。しかし的を射ている。

 ウォーレンは何も言い返せず、ギリッと唇を噛んだ。


「誰に何を言われて彼女を捕縛したんだ。口を開かないようなら、王立騎士団団長に報告する義務が俺にはある」

 ウォーレンの顔色が変わった。しかしそれは、オズウェルにとって嬉しいことではないのは明白。ウォーレンは、口元に笑みを浮かべていた。


「何を勘違いしているのかは知らないが、これは団長自らの命だ」

「……何だと?」

「残念ながら、事の仔細はお前には知らされていないようだな、団長殿? 外野は黙っていてもらおうか」


 今度はオズウェルが黙り込む番だった。

 何か良くない力が働いている。それだけは分かった。


 警備騎士団の諜報部から得た情報によると、リーヴィス=アイリーンが誘拐を働いた、という噂は王立騎士団から流出したらしい。致命的とも言えるそんな失態を騎士団が演じるとは到底思えない。ならば、考えられるのはただ一つ――故意。


 その上、子爵令嬢がいつ誰を誘拐したのかということまでは噂にはなっていなかった。意図的にその部分は隠したとしか思えない。未成年を、しかも三人も誘拐したと大々的に広めれば、世間は一気に騎士団の味方に付くにもかかわらず、王立騎士団はそうしなかった。ならば、隠したい何かがあるに決まっている。


 そのくせ、子爵令嬢の身柄は、警備騎士団ではなく、王立騎士団にこっそり引き渡された。団長である自分に何の相談もなく。


 秘密裏に、子爵令嬢が消されようとしているとしか思えなかった。


 何か反撃の余地はないものか。

 オズウェルは必死に頭を回転させた。そして何を考えるでもなく、さっと口を開く。


「では、国王陛下に進言する」

「……はあっ!?」


 さっきからこいつは何を言っているんだ。

 いよいよウォーレンは呆れ果てた。


「こんなことで国王陛下に謁見できるとでも思っているのか? そもそも国王陛下に進言してどうなる。国王陛下のお手を煩わせるんじゃない」

 しかしオズウェルは目ざとく気づいていた。ウォーレンの頬がぴくり、と微かに動いたことに。


 思いもよらないことだったが、事は案外複雑で、そして意外なところに繋がっているらしい。

 これは慎重に行かなければ、とオズウェルはこっそり冷や汗を流した。


「では、カイン殿下に申し上げよう。殿下は子爵令嬢とご懇意になさっていたからな」

「……っ」


 ウォーレンの口があんぐりと開けられ、そして閉じられる。

 意外と彼は表情に出やすいな、とオズウェルは自分のことは差し置いてそんなことを考えていた。


「もしかしたら、殿下なら、子爵令嬢を釈放せよと命を下すかもしれない。何しろ、殿下はよく子爵家に遊びに行っていたらしいからな。他の第三者がどうこう言うよりも、よっぽど子爵家が本当の家族らしいことが、無理矢理攫うなどしていないことが分かっていらっしゃるかもしれない」

「……な、何を。たとえ殿下がご命令なさったとしても、犯罪者を野放しにすることは――」

「できないかもしれない。しかし、一国の王子が関わったとして、この事件は、事の仔細すべて白日の下に晒されるかもな。子爵令嬢の処分含めて」


 一種の賭けだった。


 王立騎士団は、おそらくこの誘拐事件を世間にあまり知られたくないはずだ。とはいっても、この事件が大々的に広められて嬉しくないのは、こちらも同じだった。何だかんだ言って、あの仲睦まじい子爵家が、今後陰でこそこそ言われるようなことになってほしくはない。しかし、これ以外に方法は無かった。このままアイリーンが王立騎士団に捕まっているよりは、せめて警備騎士団の方がマシだと思った。このままここにいれば、世間に知られることなく彼女の存在は消されるだろう。少なくとも、警備騎士団にいればそんなことはさせない。何より、事の真相を暴くことだってできるかもしれない。


「王立騎士団だって、あまりこの事件は大事になってほしくないんだろう? ならば、彼女の身柄だけでも、こちらに渡してくれないか。この事件は、俺が殿下に進言しなくても、いずれは弟を通して殿下のお耳に入る。そうなれば、彼女がいつまでも釈放されずに王立騎士団の牢にいること、非難されるのは目に見えている。騎士に誇りを持っているお前のことだ、自分の経歴に傷がつくのは嫌だろう?」


 ウォーレンはくるくると百面相をしながら押し黙った。その時間は途方も長く感じられたが、やがて彼は徐に動き出し、懐から鍵束を取り出した。その中から一つ手に取ると、オズウェルに向かって放り投げる。オズウェルは反射的にそれを受け取った。始めは驚いたものの、すぐに目元を和らげ、手元の鍵を優しく見つめる。


 しかしその視線が気に入らないのはウォーレンである。


「いい気になるなよ。リーヴィス=アイリーンをここから出すこと、後で後悔するのはお前なんだからな」

「後悔はしないだろうな」


 オズウェルは即答する。

 何より、今ここで自分が動かなかったら、子爵家の面々にジト目で詰られそうだ。


『オズウェルさんは何もしてくれなかったんですね。あ、いや、別に何かして欲しかったとかじゃないですよ? ただ、ああ……何もしてくれなかったんだなって』

『団長さん……。いや、そうだよね、団長さんにも、いろいろ立場があるよね、そうだよね……』

『オズウェルさん、そんな方だとは思いませんでしたわ。わたし達、同じ屋根の下で暮らした仲なのに』

『……母様、可哀想』


 本来ならば、自分はお願いされる立場なのだが、いつの間に言外に責められる方になってしまったのか。


 しかし案外自分は、それを嫌だとは思っていないようだ。何だか不思議な気分で、オズウェルは微笑を浮かべた。更に気に入らないウォーレン。


「たかが警備騎士団のくせに、大した口の利き方だな……! 」

「騎士に上も下もないだろう」


 再び即答。

 しかも今回は、お前は何を言っているんだとでも言いたげな、きょとんとした表情。


 更にウォーレンの頭に怒りが沸々と込み上がってくること必須だった。


「じゃあ俺はもう行く。一応殿下には大事になさらないよう進言しておくが」

「……ちっ」


 それが返事だとでも言いたげに、ウォーレンは背を向けた。オズウェルも構うことなく、さっさと石牢へと戻った。

 思ったよりも時間がかかってしまった。事態は想像よりも複雑で、子爵家の行く先には、安易に解決できない事件が絡み合っているようだった。しかしそれでも、今はただ彼女を外に出してやろう、その一心だった。


「出ろ」

 アイリーンは牢の隅で蹲っていた。先ほどと何の変わりもない体勢だった。


「……いいの?」

 アイリーンはおずおずと顔を上げた。オズウェルはしっかりと頷き、鍵を錠前に挿した。錆びついているのか、なかなか上手く開けることはできなかったが、重苦しい音を立てて、錠前は空いた。鈍い音を響かせながら、オズウェルはゆっくりと牢の扉を開けた。


 期待を込めた目でアイリーンを見たが、しかし彼女は戸惑ったように立ち上がりすらもしなかった。


「何だ、出たくないのか?」

「でも……迷惑じゃ……」


 珍しく、アイリーンは殊勝だった。数日間の監獄生活で、本当に身も心も擦り減っているようだった。本来なら、オズウェルとしては、あの高飛車がすっかり大人しくなっている!と喜ぶべきところだが、どうも調子が出なかった。歯切れの悪い調子で言う。


「迷惑なら……いつもかけてるだろ。今更だ」

「……それも、そうね」


 否定するでも反撃するでもなく、やけに素直にアイリーンは牢から出た。


 久しぶりに足を動かすので、何だかぎこちない気もする。

 牢から出た後も長い階段が続いた。少々息を切らせながらも、ようやくアイリーンは上り終えた。階段の先には、見慣れた後ろ姿があったが、彼女はきゅっと口を結んで何も言わなかった。何か減らず口の一つでも言いたい気分だったが、ウォーレンに心変わりをされたら困る。何より、折角出してくれたオズウェルに迷惑を掛けたくなかった。


 すぐにその部屋を出ると、長い廊下を歩き、やがて日の元へ出た。


「……眩しい」

 久しぶりに太陽の下に出たので、アイリーンはすぐに目を閉じた。目を閉じてもなお、先ほどの刺激が瞼を通して襲ってきそうな気がして、両手で顔を覆う。


「目が慣れるまで被っていろ」

「……ありがとう」


 頭に布のようなものが被せられた。おそらく騎士団の制服だろう。


「今は……朝?」

「そうだ」

「何だか変な感じね……。今から詰所へ向かうの?」

「ああ。馬車を手配した。馬だと人の目があるからな」


 視界が狭いアイリーンの手を引きながらオズウェルは馬車に乗り込んだ。御者に合図をすると、まもなく動き出した。


「疲れただろ。しばらく寝ていろ。どうせまだつかない」

「いいえ、大丈夫。何だか眠れる気がしないもの」


 次第に目が光に慣れ、アイリーンは頭から制服をそっと取った。畳んでオズウェルに返す。


「ありがとう」

「いや……」


 伏せた目で、アイリーンは馬車の外を眺め出した。


「あの子たちは……元気?」

「……今確認に行ってもらっている。ウィルド、エミリア、フィリップ三人ともだ。……悪いな。行動が遅れた。情報を得るのが遅かったから」

「いいえ、感謝しているの。あそこは少し……居心地が悪かったから」

「聞いて、いいか」


 唐突にオズウェルが言った。アイリーンすぐに頷く。聞かれるだろうことはあらかじめ予想していた。


「彼らは君の弟妹達ではなかったのか?」

 躊躇いがちにオズウェルが口にした疑問は、やはりアイリーンが想像していたそれで。


「……正式には、違うわよ」

 表情を暗くして、彼女はすぐに答えた。


「やはりか」

 オズウェルもそれに合わせて頷く。


「気づいていたの?」

「薄々はな。あまり似ていなかったから」

「あ……でもステファンはもちろん正真正銘の弟よ!? ウィルドたちが来るまで、私達は二人であの家で生活して――」


 アイリーンは慌てて言い募った。子供たち三人を誘拐した、などと根も葉もない虚偽を申し立てられ、疲弊している所に、今度はステファンまで誘拐したなどと言われた暁には、きっと卒倒してしまうに違いない。


 そんなアイリーンを止めるかのように、オズウェルは首を振った。


「それくらい分かっているさ。ある意味お前たち二人は似ている」

「……そ、そうかしら」


 褒められているのか、さりげなく貶されているのか。

 瞬時に判断はできなかったが、一応前者で受け取ろうとアイリーンは思った。


「でも……そうか、やはり血は繋がっていなかったのか」

 独り言のようにオズウェルは呟いた。


「こんなことになるのなら、先延ばしにするんじゃなかったな。もっと早くに聞いていれば良かった」

「……何がどうなっているのか、私にもよく分からない。ウィルド……の時は、確かに手続きはしていないわ。でもエミリアとフィリップについては、きちんとやるべきことはした。にもかかわらず、それがなかったことのようにされて、私が誘拐……なんてことになってて」


 言いながら、アイリーンは強く首を振った。

 自分が言いたいのはこんなことではない。


 ウィルドについては、確かに然るべき手続きはしていないのだから、それ相応の処分を受けるのは仕方がない。しかし……しかしいざ誘拐という事実を突きつけられると、ハッとする思いだった。


 自分がしてきたことは、独善的なことだったのだろうか。


 ウィルドの両親は、ウィルドのことを心配しているかもしれない。どうして私はきちんと届け出を出さなかったのだろうか。

 エミリアは、ここへ来て幸せだったのだろうか。魅力のあるお菓子で釣って、彼女を無理矢理家に連れて来たのではないか。

 フィリップは、本当に父親から引き離して良かったのだろうか。幼い彼に必要なのは、実の両親で、私が本当にしなければならないことは、フィリップの父親と話し合うことだったのではないか。


 考えれば考えるほど、アイリーンの表情は曇っていく。そんな様が見ていられなくなって、オズウェルは彼女の肩に手を置いた。


「話を聞かせてくれ」

「――え?」

「ウィルドやエミリア、フィリップのこと。どんなふうに出会ったんだ?」

「…………」


 アイリーンは押し黙る。


 どうすればいいのだろう。

 どうすれば、彼女はいつものように自信満々な笑みを浮かべてくれるのか。


 いつしかオズウェルがそんな風に思った時、アイリーンはゆっくりと頷いた。

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