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愛と鞭  作者: まくろ
第十四話 会うは離散の始め
85/120

85:子爵家一人

 エミリアは腹を立てていた。もうすっかり辺りは暗くなり、折角用意した夕餉も冷め切っているというのに、アイリーンもフィリップも帰ってきていなかった。


 今朝はさすがに姉に対して酷い態度だったか、とエミリアも反省し、二週間ぶりのシチューを作ったというのにこの仕打ち。腹が立たないわけがない。


「もう、二人とも一体どこで何をしているのかしら」

 おませなことを口にしながらも、エミリアは内心不安で一杯だった。


 もし、このまま誰も帰って来なかったら。

 ステファンもウィルドも出て行ってからはや数か月。二人がいない子爵家は、思いのほか寂しかった。この屋敷全体が通夜のようで、空気が重苦しかった。フィリップはいつにも増して口数が少ないし、姉は何をするにしても表情が暗い上に、時々気が付いたようにため息をつく。自覚が無いのが余計に性質が悪い。


 ここはひとつ、今までの鬱憤を晴らすためにも、姉御に物申してみよう。


 エミリアは決心した。今までアイリーンに苦言を呈するのは主にステファンの役目だった。しかし彼は今ここにはいない。

 今までは兄様に頼りきりだったけど、これからは、わたしが子爵家を引っ張って行かなくっちゃ!と、エミリアが拳を握ったところで、子爵家のチャイムが鳴らされた。


 フィリップかしら、とエミリアは玄関の前まで出て行ったが、そこでハッと足を止める。それにしては、やけに外が騒がしい。少なくとも数人、人の気配を感じた。


 基本、子爵家を訪れる者はいない。何しろ子爵家は鬱蒼と生い茂る森の奥に、気味悪くぽつりと建てられているうえに、この屋敷を狙ってくる親戚たちを追い払ったせいで、妙な噂までたてられる始末。誰が好んでそのような場所へ行こうと思うのだろうか。


 エミリアは瞬時にそう判断すると、音を立てないよう二階に上がり、上の窓から下を覗き込んだ。――やはり、フィリップではなかった。子爵家の玄関で腕を組んで立っているのは、騎士団の制服を纏った男たちだった。しかし、その制服は見慣れた警備騎士団のそれではない。胸に、王立騎士団の紋章が輝いていた。


 いくら知らない人であっても、騎士団ともなれば、出ない訳にもいかない。それどころか、エミリアは嫌な胸騒ぎがした。


 姉がウィルドに続く問題児というのは、この子爵家の中では暗黙の了解となっているが、だからこそ彼女が何かやらかしたのではないかと、エミリアも妹ながら、心配だったのである。


「……どなた、ですか」

 警戒して、エミリアはドアを少しだけ開けた。ドアのすぐ前に立っていた男はさっと左足を出し、その小さな隙間にねじ込んだ。その無礼な行動に、当然エミリアは眉をひそめる。


「確か君は……エミリア、だったかな」

「……はい、そうですけど」

「今、家に一人?」

「はい」

「なら良かった。一緒に来てもらえるかな?」

「なぜですか?」


 至って純粋にエミリアは男を見上げる。彼は形式ぶった様に咳ばらいをした。


「申し遅れたな。私は王立騎士団第一隊の副隊長だ。君を保護しに来た」

「……保護?」

「リーヴィス=アイリーンは逮捕されたよ。安心してくれ」


 エミリアは更に顔を顰めた。いまいち話が掴めなかった。


「……誘拐? それはどういうことですか? 一体誰を誘拐したと?」

「フィリップ=クラーク、ウィルド、そして君だ。詳しいことは後で話そう。今は早くここから離れよう」


 男はエミリアの腕をぐいと掴んだ。パチっと彼女はその手を叩く。


「見も知らない人について行くわけないでしょう?」

 エミリアは更にドアの内側に身を寄せた。


「わたしが誘拐された? しかも姉御に? 意味が分かりません。わたしは誘拐なんかされていません。好きでここにいるんです」

 感情が高ぶって、次第にエミリアの声が大きくなってきた。言葉が支離滅裂にならないよう、深呼吸して心を落ち着かせる。


「確かに……確かに、わたしと姉御は本当の姉妹じゃありません。わたし自身、数年前孤児院にいました。でも姉御に拾われて、ここで暮らすようになったんです。姉御は誘拐なんかしていません」


 いつも、そうだった。いつも姉御は、周囲の人に変な目で見られる、誤解される。話したとこもないくせに、姉御の何を知っていて、陰口を叩くのだろうか。……と言っても、一対一で話したうえで姉を変人と見なすのは仕方のないことだけれど。


「しかし……実際に市民に通報されたのだ。息子が誘拐されたと」

「……息子? ウィルドの……? それともフィリップ……?」

「我々も詳しくは知らない。とにかく、このまま一人でここに置いておくわけにはいかないんだ。一緒に来てもらおう。君についてのリーヴィス=アイリーンの対処にも、疑問点が残る」

「疑問点?」

「先ほど、君は孤児院にいたと言っていたな? その孤児院には黙って連れられたのではないか? それだとただの誘拐だ」

「馬鹿にしないでください!」


 思わずエミリアは大声を出した。男はびくっと肩を揺らす。


「姉御はちゃんと手続きしていました! 院長先生に聞いてみてください。わたしだってその場に立ち会ったんだから!」

 無礼な人たちにはもう用はないと、エミリアは力いっぱいドアを引いた。しかし彼女、失念していたが、男の左足が未だドアとの小さな隙間に挟まったままだった。男は苦悶の表情になるのを必死で堪えながら、引きつった愛想笑いを浮かべた。


「それを証明するためにも、我々と一緒に来てくれないか? 君の姉の無実を証明しよう」

 どう見ても、男のその顔は本心を言っているようには見えなかった。エミリアも馬鹿ではない。しかし、これ以上どうすれば姉御の役に立てるというのか。


「……分かりました」

 エミリアはゆっくりとドアから手を離した。それとともに、男も解放感に溢れた表情になった。家に帰ったら、真っ先に足の手当てしてやろうと思った。


「でも姉御の無実が証明されたのなら、分かっているでしょうね」

 そんな彼に、下から冷たい声がかかった。小柄な少女は挑戦的な目をしていた。ひくっと彼の頬が引き攣る。


 いい加減、男の堪忍袋の緒は切れそうだった。

 何だこの女子は。年の割にしっかりした口調に、鋭い眼光、おまけに打算的な考え方!


 数々の思惑、周囲の機微に翻弄され、エミリアはそのように成長したのだったが、この男にはそんなこと、知る由もなかった。考えもしなかった。容疑者アイリーンの無実どころか、むしろ確実な誘拐の証拠を見つけてやろうと息巻くばかりだった。


「分かった。その時は我々もそれなりの処置をすることを約束しよう。誤認で逮捕してしまったことになるのだからな」

「なら……いいんですけど」


 騎士団に連れられ、エミリアは馬に乗り込んだ。初めて乗る馬上からの景色は、いつもと違って新鮮だったが、彼女の心は晴れない。この男たちからの話によると、姉は牢屋にいると言う。彼女の心境が、心配でならなかった。

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