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愛と鞭  作者: まくろ
第十四話 会うは離散の始め
83/120

83:少年たち

「集合っ!」

 すっかり夜の帳が降りた屋敷に、鋭い声が響いた。見習い騎士たちは、息つく暇もなく彼の元へ集まった。


「今日の訓練は以上だ。各自ゆっくり休むように。解散っ!」

 見習い騎士たちを仕切っている初老の教官は、非常に無口だった。だから何をするにしても、話は短く、見習い騎士たちからも有り難られていた。その彼が、号令を掛けられ、散り散りになりかけていた集団に、声をかけた。


「ウィルド」

「――はい?」

「……今日は調子がいいな」

「あっ、本当ですか? ありがとうございます!」

「さすが……警備騎士団団長、オズウェルが推薦するだけはある。これからもこの調子でな」

「はいっ!」


 ウィルドはにこにこ笑って、教官に向かって頭を下げた。

 この場に子爵家の者がいたならば、あのウィルドが敬語を使っている……!?と戦慄したことだろうが、残念ながらこの場に彼らはいなかった。代わりに、ウィルドのことを良く思わない少年ばかりがいる。


「あーあ、良かったなあ、教官に気に入られて」

 小さな声だったが、ウィルドの耳に入らないわけがなかった。くるっと彼は振り向く。まさか聞こえるとは思っていなかった少年が、びくりと肩を揺らした。


「え、何か言った?」

「――っ、だから褒められてただろっ、さっき一人だけ!」

「ああ、うん、本当に何でだろうね。一体何が褒められたんだろう。訓練のしようがないや」


 あっけらかんとウィルドは言った。木剣をぶんっと振り、今日習った一通りの型を繰り返してみる。どこがいいのか、よく分からなかった。


 いつの間にか、ウィルドは訓練に夢中になって、目の前にいた少年のことをすっかり忘れていた。そのことに少年も気づいたのか、先ほどまで行儀よくウィルドの素振りが終わるのを待っていたのだが、途端に火がついたように怒りだした。


「おいお前! 俺を無視するんじゃないっ!」

「ん? ……ああ、ごめん。忘れてた」

「忘れてた……忘れてただと……!」


 少年はわなわなと震えた。こんな扱い、今までされたことがなかった。


「お前なんか……お前なんか、騎士団のコネで入ったくせに!」

「え、コネって何?」


 ウィルドはきょとんと聞き返した。あまりにも早いその切り返しに、少年は自分が馬鹿にされたのかと思った。いや、されている。


「ああ……分かった、ご丁寧にこの俺が説明してやるよ」

 ひくひくと口元が引き攣った。


「コネって言うのはな、偉い人に頼んで、本来なら入れないような所に入れてもらうことなんだよ! まさにお前みたいなやつのことだっ!」

 ビシッと少年はウィルドに指を突きつけた。しかしなおもウィルドは首をかしげる。


「偉い人って、団長さんのこと? 俺、確かに団長さんとは知り合いだけど、でもちゃんと試験通ってここに来たよ?」

「知らねえよ! どうせその団長が裏で手を回してるんだろ!」

「団長さんはそんなことしないよ」

「うるさいっ!」


 何を言うにも、このウィルドとやらは言い返してくる。しかも、嫌味を嫌味と受け取っていない顔で。これほどまでに手ごたえのない、嫌味の言い甲斐のない奴は初めてだった。


 絶対……絶対にこいつの頭が悪いせいだ。

 少年は、そう結論付け、自身を落ち着けた。深呼吸を繰り返し、調子を取り戻す。


「はあ……これだから程度の低い奴らが入ってくるのは嫌なんだよなあ。俺たち貴族はな、小さい頃から訓練や行儀作法を学んでいるんだ。そんな俺たちに、中途半端な奴らが追い付くとでも?」


 言った、言ってやった。

 ここまで言えば、いくら頭の悪い奴でも、馬鹿にされたと気づくだろう。予想通り、ウィルドは一瞬詰まった。少年はよく分からない高揚感に溢れた。勝った、と思った。しかし次の瞬間、ウィルドは小さく笑みを浮かべていた。


「追いつきたいな。俺も」

「……は?」

「普通の人は、皆小さい頃から訓練を受けてるってのは知ってたよ。団長さんから聞いてたから。でもそれでも、俺は騎士になりたいんだ。何でって聞かれても、上手く答えられないけど」

「意味……分かんねー……」


 ようやくそれだけ言うと、少年はギュッと唇を噛みしめた。

 確かに自分は、こいつよりも家柄も教養も作法ある。……でも、でも、それだけだ。騎士を目指しているのだって、父親や兄が騎士だったから、それに影響されただけだ。自分が騎士以外のものになるところなど、想像もつかなかった。自分から騎士になりたいと思ったことは無かった。そうなるものだと思っていた。その根底が覆されたようだった。


「というか、君誰?」

 愕然と熟考に浸っていた時、再びウィルドから問題発言が飛び出した。


 ピキリ。

 また一つ、少年の額に青筋が走る。


「ふ……ふふふ」

 目は笑っていないのに、口角だけが上がっていく。

 いい加減、我慢ならなかった。


「この俺を、知らないと言うのか……」

「うん、ごめん」


 ウィルドはけらけら笑った。

 もともと、彼は目の前のことにしか注意が無かった。何かに熱中しているときは、誰かが噂話をしていても興味が無いし、誰かが誰かの名前を呼んでいても、それを覚えようともしない。少年は、有名な騎士の家系だと結構な頻度で噂されていたのだが、ウィルドは知る由もなかった。


『俺、ウィルド。お前は?』

『俺はクリフだよ。よろしくな』

『よろしくー』


 そんな風に面と向かって自己紹介しないと、名前が覚えられない単純思考なのである。


「俺はセオドアだ! 覚えとけ!」

 どこか偉そうに少年は言う。ようやくウィルドの頭にその名が植えつけられた。再度ウィルドは笑みを浮かべた。


「俺はウィルド。よろしくな!」

 自然な様子で彼は右手を差し出す。セオドアは戸惑った。


「な、何だよ……」

「何って、握手。知らないの?」

「知ってるに決まってるだろ! 何で俺とお前が握手しないといけないんだよ!」

「えー、何となく。その場の雰囲気で」

「適当なこと言うな!」


 最初は息巻いて反論していたセオドアだったが、なおもウィルドは手を差し出したままだったので、やがて、おずおずと自身も右手を差し出して――。


「あ、今鐘鳴ったよな? やった、もうすぐ夕餉かー。よし、たくさん食べよーっと! あ、じゃあそういうことでセオドア、これからよろしくなー」

 何とも自然な様子でひらりと右手を仕舞うと、ウィルドはさっさと一人で走って行ってしまった。セオドアの行き場の失った右手だけが、寂しくその場を漂う。羞恥で真っ赤になる顔と、ぱくぱくと何も言えない口。


「く……くっそ……覚えてろよ……!」

 そう苦し紛れに呟いた声は、もちろんウィルドに届くわけもなく。

 セオドアはただ悔しげに彼の後ろ姿を睨み付けることしかできなかった。


 一方で機嫌よく食堂に向かっていたウィルドは、同輩に声をかけられた。


「おい」

「ん? なに?」

「ウィルド、だっけか」

「そうだけど?」

「君の知り合いみたいな人が呼んでる。宿舎の入り口にいるぞ」

「え? 知り合い?」

「ああ、男だけどな」

「行ってみる。ありがと」


 手をひらひら振ってウィルドは駆けだした。お腹は空いているが、その知り合いとやらも気になる。


 なかなかお腹も減っているので、さっさと用事を済ませようと、自然足も速くなる。しかし曲がり角を曲がったところで、その足はピタリと止まった。目の前に佇む、見慣れた後ろ姿。――小柄、と言ったら彼は怒るだろうか。いや、きっと怒るだろうからそれは口にしない。その、彼。


「ステファン!」

 ウィルドは満面の笑みを浮かべて彼に駆け寄った。


「どうしてここに?」

「ちょっと顔を見に。案外会えるものなんだね。てっきり門前払いされるかと思ったよ」

「そんな訳ないじゃん。別に外出も禁止されてるわけじゃないし。ただそんな暇がないってだけで。いやーでも何か懐かしいな。数か月も経っていないのに、随分久しぶりな気がする。みんなは元気?」

「うん、元気だよ。姉上もエミリアもフィリップも。むしろ元気すぎて、ウィルドの手紙が来ないって怒ってたよ。ちゃんと連絡してる?」

「うげ……忘れてた。いや、だって師匠たち、一週間おきに手紙寄越すんだよ? いちいち返してられないっての」

「あはは……まあそれは確かに」


 ステファンも苦笑いだ。

 自分たちは一週間おきに手紙を送っているつもりでも、それが三人それぞれ別に送っているともなれば、一週間どころではない。


「――で? 何か用だったんだろ? 何かあったの?」

「あー……うん」


 ステファンは頬を掻いて、言葉を濁した。

 いざとなると、少し言い難い。

 視線を彼方へ向け、照れたように言った。


「試験、合格したよ」

「――!? やったな! おめでとう!」

「うん、ありがとう。正直五分五分かなーとは思ってたんだけど、なんとかいけた」


 一度口を開いてしまえばもう照れなんてものは無い。

 ステファンはにこにこと聞き返した。


「ウィルドの方はどう? 訓練、厳しい?」

「どうかなー、教官は結構厳しい人がいるけど……。あ、でもやっぱり同年代と一緒に訓練できるのは嬉しいかな! だって騎士団で訓練してると、周りは大人だけだから、自分の無力さを痛感してばっかりなんだよ。でもここなら俺よりも体力ない奴とかいるからさ、何だ、俺って結構いけんじゃん?とか思ったり」

「……笑顔で黒いこと言うんだね……」

「ん? そうかな?」


 そう聞き返すウィルドの顔はあくまで純粋だった。これ以上深入りするのは止めようと、ステファンが話題を探していると、唐突にウィルドの表情に影が走った。ステファンは目を丸くした。


「……でもこれで、あの家に三人しかいなくなるんだな」

「え?」

「俺とステファンが出て行っていったら寂しくなるだろうなーってこと。ただでさえあの家、でかいのに」


 ステファンも黙り込む。

 今まで考えたことがない訳ではなかった。が、問題児もうるさい小姑もいないので、あの三人のことだ、何だかんだでうまくやっていけるのではないかと思っていた。しかし改めてウィルドにまでそう言われると、急に不安が重くのしかかってきた。


「……そうだよね。エミリアやフィリップはともかく、姉上は大丈夫かな。またやんちゃして変なことに巻き込まれたりとか、騎士団の世話になったりしたら僕――」

 次第に不安が己の思考すべてを支配し、ステファンは頭を抱えた。そんな彼に、ウィルドは呆れた様な視線を送った。


「もう、いい加減ステファンも自分のことだけを考えればいいのに」

「……考えてるよ」


 思わずステファンは唇を尖らせた。ウィルドはあからさまに首を振る。


「考えてないよ。勉強の方は大丈夫なの? 国立学校ともなると今まで以上に大変になる訳でしょ? それにただでさえあそこはプライドの高い上流貴族がわんさかいるんだから、ステファンも覚悟していかないと」


 弟の言葉はまさに確信を突いていて。

 今度こそ、ステファンは言い訳することができなかった。


「……まさかウィルドに説教されるとは思わなかったよ」

「それだけ俺も成長したってこと」

「……何だか釈然としないな」


 ウィルドは常々、大人ぶったような口調をすることがあった。が、正直なところ、中身が伴っていなかった。しかし今回は違う。


 確かに、ウィルドの言うことには一理ある。

 今度こそ、ステファンも彼の成長を認めなければならないような気がして、しかしどうにも素直に認めるのはむず痒くて。思わず素っ気ない言い方をしてしまうのは、姉とよく似たステファンの気質だった。


「もー、ステファンも案外面倒くさい奴だな。とにかくお互い頑張ろう。家のことは一旦忘れてさ」

「……そうだね。僕も頑張らないと」


 面倒くさいとまで言われてしまっては、もう捻くれた返答なんてできるわけがない。

 今度こそしっかりと頷いた。そんな彼を見て、ウィルドは黙って右手を差し出した。


「ん」

「え、なに」

「握手」

「…………」

「頑張ろうの握手」

 照れもなくウィルドは言ってのけた。


「……ウィルドって何だかんだ握手好きだよね」

「別にいいだろ? 区切りが付く感じが好きなんだ」

「まあ別にいいけど」


 改まって握手をするというのは、なかなかに気恥ずかしいことだった。


 握手をするなんて、仲直りした時くらいか。

 そんなことをぼんやりと考えながら、ステファンはウィルドの手を握った。彼の手のひらは大きくて硬く、所々にマメがあるのも感じられた。訓練でしごかれてるんだな、とステファンはクスリと笑う。ウィルドはウィルドで、この白くて細い腕をへし折るのは簡単なんだろうな、などと恐ろしいことを考えていた。


 そんなこととはつゆ知らず、ステファンは笑顔のまま言った。


「手紙、本当に送ってあげなよ。みんな寂しがってるから」

「……こっちもいろいろ忙しいんだよ」

「そんなこと言ってたら、きっとそのうち姉上、ここに乗り込むかもよ? うちのウィルドは元気でやっていますかーって」

「げ、それは勘弁……」

「だったら大人しく返事を返すことだね」

「……まあ、気が向いたらな」


 ウィルドはそっぽを向いて返事をした。


「うん。じゃあ元気でね」

「ステファンもな」


 二人はゆっくりと握手を解いた。

 この年で握手となると、少々気恥ずかしい。

 しかしいざ握手を解いたら解いたで、それもなかなか寂しい気もする。


 微妙な年頃、微妙な感情を持て余しながら、ステファンとウィルドは互いに背を向けた。

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