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愛と鞭  作者: まくろ
第十四話 会うは離散の始め
82/120

82:晩餐

 その日は、子爵家が揃う最後の晩餐になる予定だった。


 先日、ウィルドが無事騎士の適性試験に合格し、寮に入ることが決定したのである。


 休日はあるにはあるようだが、やはりそこは訓練重視の騎士見習い。あまり自由に外出できないと考えていた方が、期待外れにならなくていいだろう。ウィルド自身も、すぐに子爵家が恋しくなってしまうような、そんな純粋な性格でもない。


 ウィルドには、暇を見つけたら手紙でも送ってと言い聞かせたが、彼がその様なマメな性格には到底思えない。これも、こちらから催促しなければ送って来ないと考えていた方が身のためだろう。


 ……考えれば考えるほど、本当にウィルドは一人でやって行けるのかとアイリーンは不安になってきた。もともと物怖じも人見知りもしない子だから、大丈夫……なのかしら? 


 騎士の世界もなかなか身分が物を言うと聞く。確かに騎士になるための敷居は低く構えられ、一般市民も目指せるよう、定期的に適性試験も設けられている。


 だが、それでもある一定の線から上は、ほとんど上流貴族で占められているとも聞く。それまでは実力主義で登っていけても、そこからは自分の実力だけではどうにもならないという訳だ。加えて、ウィルドはなかなかに奔放なところがある。上流貴族も多い騎士たちの中で、彼が何かやらかしてしまわないか、目を付けられてしまわないか……そんなことを思うと、姉としては、居ても立っても居られないのである。


 とはいっても、今の彼女にそれを防ぐ手立てはない。先の見えない不安に心揺られながらもウィルドを信じ、こうして夕食の準備をするしかないのである。


 珍しく、その日はアイリーンが夕食を作っていた。残念ながら、不器用な彼女のこと、作る料理はどれも微妙な味しかしないので、最終工程はもちろんエミリアが行う。しかしやはり今日は、子爵家が揃う最後の晩餐となるかもしれないのだ。アイリーンはエミリアに無理を言って下ごしらえをしていた。


 そろそろ辺りが夕闇に染まる頃合いだが、アイリーンの他は誰も帰ってきていない。ウィルドは皆に最後の挨拶をしているのだろうし、エミリアとフィリップはまたいつものように日が暮れるまで遊んでいるはず。ステファンはと言えば、もうすぐ国立学校の入試なので、遅くまで頑張っているらしい。


 そんな中で、一番始めに帰って来たのはステファンだった。挨拶もそこそこに、外套を脱ぎ、暖炉の前ですっかり冷えた手を温めた。ほうっと息をつく音すら聞こえて来そうで、アイリーンは思わずクスクス笑った。


「何がおかしいんですか」

「ううん、何も。外寒かったでしょう」

「はい、凍えそうなくらい。何でも、今までで一番の寒さらしいですね」

「一番? 本当かしら。曖昧な表現ねえ」

「そんなことを言ったらキリがありませんよ」


 ステファンは苦笑を漏らし、姉に近寄った。


「何を作ってるんですか?」

「それは嫌味かしら? 下ごしらえしかできない私に対しての」

「……何でも捻くれたように捉えるの、止めて欲しいですね。ただ純粋に気になっただけなのに」

「……悪かったわね」

「ほらまた」

「…………」


 寂しいのを隠すために捻くれた物言いをしてしまうのは、仕方のないことかもしれなかった。ステファンも、姉のその傾向はすっかりお見通しだったので、それ以上何も言わなかった。


「それよりもウィルドたち、遅わね。よっぽど別れを惜しんでいるのかしら」

「寮に入ったらなかなかこちらに戻って来れませんからね。気持ちも分かります」


 しかし、そんな会話を続けているうちに、子供たちはぞくぞくと続けて帰ってきた。先にエミリア、フィリップが帰ってき、その後にウィルドが帰ってきた。エミリアは夕食を作る間中ずっとそわそわしっぱなしで、ウィルドが帰って来たのを知ると、フィリップと二人で何やらこそこそし出した。アイリーンが興味津々で彼らを見ていると、ついにエミリアが声をかけた。


「ウィルド」

「ん? 何だよ」

「騎士、頑張ってね。これ、わたしとフィリップから」


 短くそう言って、エミリアがウィルドに橙色の包みを渡した。


「え……なに、プレゼント?」

「うん、開けてみて」


 照れくさそうな笑みを浮かべながら、ウィルドはガサゴソと包みを開けた。中からは可愛らしくラッピングされたクッキーと、これまた可愛らしい布で作られた小袋が出てきた。


「何? これ」

「サシェだよ」

「サシェ?」

「におい袋ってこと。嗅いでみて、良い匂いがするでしょう?」


 ウィルドはすんすん鼻を鳴らす。次第に彼の表情が明るくなってきた。


「あ……確かに。なんか落ち着く」

「ずいぶん可愛らしいのをウィルドに贈るのね」


 隣でアイリーンが興味深げに言った。サシェはどちらかというと、女性が身に着けるものだと思っていた。エミリアはその声に、苦笑いを浮かべながら首を振った。


「だってウィルド、いつも汗臭いだもん」

「な、何をー!!」


 もちろん彼はいきり立つ。しかしそのくらいで怖気づくエミリアではない。むしろ堂々と胸を張って言ってのける。


「ラベンダーには消臭効果があるらしいのよ。それは持ち歩く用でしょ、これは部屋に置く用でしょ、これはタンスに入れとく用……っと」

「盛りだくさんだな」

「これからウィルドはたくさん訓練も重ねるんでしょう? 寮で同室になった子に汗臭いって嫌がられないようにしないとね。フィリップの案なの」


 隣で嬉しそうにフィリップが頷いた。


「ふ、フィリップ……」

 ウィルドは膝から崩れ落ちた。いつも喧嘩しているエミリアならまだしも、この天使の様な笑みの裏側で、ウィルドは臭いなあなどと思われていたことを考えると、さすがのウィルドも泣きそうになった。


「じゃあ僕からも渡そうかな。本当は食事の後にと思ってたんだけど」

 頃合いを見計らってステファンが前に出た。包装紙に包まれた、なかなか大きくて堅そうなそれ。


「え、なに、ステファンからも何か貰えるの?」

 単純なウィルドは、一気に調子を取り戻した。


「え、何なに――」

 しかし、やがて嬉しそうにガサガサと包装紙を開ける彼の顔が固まった。見る見る悲しそうなそれへと変わる。


「本かよ……」

「ただの本じゃないよ。騎士についての本さ。騎士とは何たるものか、どうあるべきか――いわゆる、騎士道精神というものについて書かれていてね――」

「あーはいはい、分かりましたーっと」

「ちょ、ちゃんと聞いてよ! この本ね、僕も図書館で借りて読んだことがあるんだ。きっと深く感銘を受けると思うよ。これからの君の騎士への道を照らす第一歩となり得るに決まって――」

「神父様の説教みたい」


 ウィルドが鋭く突っ込んだ。後ろでフィリップ、エミリアもうんうん頷いている。


「兄様って結構……単純? 影響されやすい? ……ウィルドの次に騙されやすそう」

「なっ……!」

「いい風に言いくるめられて、変なものでも買っちゃいそう」

「……そんな訳ないだろ。姉上より僕はしっかりしてるし」

「そりゃあ姉御と比べたらね? 今兄様は姉御を反面教師にしているだけであって、いざ姉御がいなくなったら、途端にだらけそうだもの。要は、支えるべき姉御がいなくなった時の兄様が一番不安だってことよ」

「……っ!」


 ハッとした、と言わんばかりにステファンは目を見開く。しかしもちろんそれに納得のいかない者がここに一人。


「エミリアにステファン? さっきから私に対して随分な言い草だと思わない? 何よ、姉上よりしっかりしてるって。何よ、反面教師って!」

「事実じゃないですか」

「何たる姉への酷い言い草……!」


 今度はアイリーンが膝から崩れ落ちた。もしかしたら子爵家の影の支配者は、エミリア、フィリップの二人組なのかもしれない――。


「僕もうお腹空いた……」

「そうね、ごめんね。今から作るから――」

「あ……あ、ちょっと待って。私からも」


 誰も慰めてくれないので、一人で立ち直りつつあったアイリーン。慌てて口を挟んだ。


「え、師匠もあるの?」

「失礼な。私のはいらないと?」

「またそんな捻くれたことを言って……」


 ステファンは眉間にしわを寄せた。まるで小姑の様なステファンの小言が始まりそうな気がして、アイリーンはコホンとわざとらしい咳ばらいをした。


「はい、これ、私からね。シャツにズボン、靴下に手ぬぐい。ウィルドはすぐに破いて帰ってくるでしょう? この際全て新調したの。くれぐれも大切に使ってよ?」


 アイリーンは胸を張った。それら全てを受け取ったウィルドは、どこか複雑そうだ。


「いや……何か、いろいろ多すぎて有難味が薄れるというか……」

「何よ」

「なんか……母ちゃんみたい」

「失礼ね、せめてお姉さまにしてよね」


 すっかりとへそを曲げたアイリーンに、ウィルドは照れ笑いを返し、皆に向き直った。


「あの……ありがとう。みんなの気持ち、大事にする。本当に……ありがとう」

「何だか……ウィルドにお礼言われると、こっちが照れちゃう」

「へへ、そうかな。後さ、俺からもいいかな。ステファンに」

「え、僕?」

「明日いよいよ試験だろ? もしその後合格しても、俺きっとお祝い行けないだろうしさ。今のうちにと思って」


 皆の贈り物を一旦テーブルに置くと、ウィルドは自室から一冊の本を持ってきた。彼らしく、包装も何もない。


「いや……前にお前のお気に入りの本を駄目にしちゃっただろ? そのお詫びというか、合格祝いというか……。あげる」

「お詫びなんて……。というかそもそも、まだ合格してないし。……まあでも、ありがとう」


 少々姉の気質を引いているのかもしれない。

 ステファンは多少捻くれたことを言いながらも、無意識のうちに破顔して受け取った。そうしてその本に目を落とした時、更に喜色が広がる。


「というかこれ、前に僕が欲しいって言ってたやつだよね? わざわざ買って来てくれたの?」

「ま、まあね。丁度本屋にあったから」

「……ありがとう。大事にするよ」


 幸せそうにステファンは本を胸に抱えるが、それにどことなく不満なのはその他の三人。


「ちょっとお……兄様の合格祝い、もう渡しちゃうの? わたしだって用意してるんだけど」

「僕も」

「私も」


 エミリア、フィリップ、アイリーンはそれぞれハッとしたように顔を見合わせた。途端に弾けるようにして自室へ駆けこむ。嫌な予感がした。早く、自分が一番に渡さなければ、不味いことになる気がした。


「兄様っ! はい、これあげる! クッキーと本!」

「僕からもサシェと本!」

「私も洋服一式と本!」

「…………」


 私が僕がとぐいぐい差し出されるその本は全て、ウィルドと同じもの。一瞬の沈黙の後、怒涛の叫び合いが始まった。


「な、何よー! あの時……もしかしてみんな聞いてたの?」

 そう声を上げるのはアイリーン。


 ウィルドには食べ物、ステファンには本を贈ればいいだろうとは思っていたものの、ステファンがどのような系統の本を好んでいるかはさっぱりだった。だからこそ、夕食の後に自然を装って彼に聞いたのだ。何の本が好きなのか、欲しい本はあるのかと。ステファンは疑う様子もなく熱く語ってくれた。今欲しい本があるが、出版数に限りがあってなかなか入手できないと。それを聞いたアイリーンは、もちろんすぐに行動に移した。しかしその後、街中の本屋を駆け回ったが、どの店主も、たった今騒々しく少年が買っていった、たった今値切りに値切って少女が買っていった、たった今礼儀正しい男の子が買っていったなどと口を揃えて言うばかりで――。


「ちょっと、もしかして私がなかなか買えなかったのも、あなたたちのせいなんじゃ……? 私、この街に無いって言われたから、隣町にまで行ったんですからね!?」

「そんなの知らないよ。師匠が買いに行くの遅かっただけじゃん」

「何よ、仕事があったんだからしょうがないじゃない! というか、私がわざわざ聞き出したんだから、真似しないでよね!」

「真似なんてしてないよ。ただ有益な情報が耳に入ってきただけ」

「くう~~っ!」


 程度の低いやり取りを行うアイリーンとウィルド。

 相変わらずの二人を眺めながら、ステファンは苦笑いを浮かべた。


 同じ本が四冊か……。いや、部屋が狭くなるな。

 そんなことを思いながら、ステファンは笑い声を漏らした。


「皆……気が早いよ。これ、合格祝いなんだよね?」

「これで兄様、絶対に合格しないといけなくなったわね」

「はは……気が重いな」


 すっかりアイリーンに似て、心にも思っていないことを言うステファン。しかしぽりぽりと頬を掻くと、深く礼をした。


「もう少し先だけど……試験、頑張るよ。皆の期待に沿えるよう、皆のこの贈り物に恥じないよう、全力を尽くしてきます」

「頑張ってね! 二人とも!」


 自然とぱちぱちと拍手が鳴らされた。これから騎士を目指すウィルドと、これから試験があるステファン。

 しかし、主役の一人であるウィルドは、我慢の限界だったのか、ついに情けない声を上げた。


「もう腹減ったよー。さっさと食べようぜ」

「え、まだ全然できてないわよ?」


 エミリアがきょとんとして言った。途端にウィルドが苦渋の表情を浮かべる。


「え、そうなの? もうこの際適当でいいぜ。とにかく早くありつけるものを!」

「折角ウィルドのためにご馳走を作ろうとしてたんだけど……ウィルドがそう言うなら仕方ないわね。簡単なのにするわ」


 ぴくっと彼の耳が動く。単純な少年だった。


「べ、別にそうは言ってないだろ。ご馳走! ここまで待たされたんだから、豪華なご馳走じゃないと俺の腹は満たされない!」

「もう、うるさいわね。だったら静かに待っていてよ」

「私も手伝うわ」

「え、師匠が手伝うと、更に作業が遅れるんじゃ――」

「失礼ね!」


 子爵家が揃う最後の晩餐は、まだまだありつくには時間がかかりそうだった。

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