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愛と鞭  作者: まくろ
第十三話 遠い叔父より近くの弟妹
81/120

81:姉、弟

 アイリーンとステファン、二人の小さな足では、屋敷に辿り着くには膨大な時間を要した。日が暮れるころにようやく家に着いた時、二人はもうボロボロだった。しかしその疲労を労わる間もなく、アイリーンとステファンは、目の前に広がる屋敷の惨状に、ただただ茫然と立ち尽くした。


「な……なに、これ……」

 思わず漏れた言葉が、緩やかな風に流されていく。


「何で、何もないの……?」

 一歩一歩と屋敷に近づく。しかしそれでも目の前の光景は変わらない。むしろもっと酷くなる一方。外に停めてあった馬車は全て消え、可愛がっていた子馬も居なくなっていた。


 アイリーンは屋敷に駆け寄り、扉に手をかけた。しかしすぐには開かなかった。鍵がかかっていた。


「鍵……鍵」

 慌ててポケットから鍵を取り出すものの、震える手では上手く掴むことができず、地面に落としてしまう。


「おねえちゃん」

 弟に拾われ、手渡されたが、アイリーンは礼を述べることなくそのまま扉を開けた。目の前のことしか考えられなかった。


 しかし屋敷に足を踏み入れると、いよいよアイリーンは言葉を無くした。中は土足で踏み荒らされ、金目の物は手あたり次第無くなっている。

 絹のカーテンは剥がされ、金の燭台は無くなり。

 キッチンの皿は割れ、絨毯には土がこびりつき。

 両親の部屋も荒らされていた。自分の部屋も同じく。


 アイリーンは震える手で己の小さなチェストを開けてみた。何もなかった。空だった。何者かは知らないが、小さな少女のちっぽけな宝石ですら見逃してくれなかったらしい。


「うっ……ううぅ……!」

 アイリーンは堪らずその場に崩れ落ちた。悔しかった。自分が何もできないことが。自分以外の何者かに翻弄されることが。


 アイリーンの嗚咽に交じるように、どこかでガタンと音が鳴った。彼女は素早く顔を上げる。


「誰っ!?」

 ステファンではない。そんな予感がした。

 すぐに立ち上がると、アイリーンはその音の元へと駆けつけた。両親の部屋で、一人の女性がおどおどとこちらを見ていた。


「わ……私よ私、アイリーンちゃん。お父様の親戚の」

「な……なに、何でここに……! もしかしてあなたが!?」

「ちっ、違うわよアイリーンちゃん! こんな酷いこと私がするわけないでしょう!」


 必死の形相で女性は頭を振った。あまりの剣幕に、アイリーンもしばし押し黙る。


「……酷いわよねえ、このありさま」

「…………」

「これ、ラッセルさんがやったのよ」

「……っ!」


 一瞬の動揺。アイリーンはすぐに反応することができなかった。しかしその彼女の手を、後ろから握りしめる者がいた。


「嘘だ……」

 振り返ると、ステファンが震えながら立っていた。


「叔父さまは……そんなことしない」

 アイリーンもその姿に勇気をもらう。


「――そうよ! 一体何を根拠にそんなこと――」

「あの人ね、借金をしていたのよ」


 弱弱しい笑みを浮かべ、女性は椅子に座り込んだ。聞き分けのない子供に言い聞かせるよう、彼女は続ける。


「今日、家に来たのよ借金取りが。あなた達三人、朝のうちに街へ出かけて行ったでしょう? その間に、この屋敷に高利貸し達が来てね、金目の物を取って行ったの。もちろん私達は抵抗したわ? でもラッセルさんにも話はついていると、許可済みだって言って、そのまま行ってしまった」

「おっ、叔父様は借金なんか……。孤児院にだって寄付してたって――」

「きっとここの物を売り払ってお金にしたのね。ここの物、借金を全て返しても利益が出るはずだから」

「――っ」


 アイリーンは言葉を無くした。それでもなお、ステファンはいやいやと首を振る。


「でっ、でも、そんなの……叔父さま!」

「ステファン君」


 女性はステファンの頭に手を置いた。


「じゃあどうしてあの人は戻って来ないの?」

 宥めるように彼女は言う。


「どうしてあなたたちを孤児院なんかに預けようとしたの?」

「…………」


 ステファンは答えない。頭の中がぐちゃぐちゃだった。


「ね、もし良かったら私、ここに住みましょうか」

「え?」


 その響きは優し気だった。ステファンは驚いて顔を上げる。


「皆でこの屋敷で暮らすの。その時は私の家族も呼び寄せていいかしら? 夫と、息子が二人、娘も一人いるんだけれどね、きっと二人と仲良くやっていけると思うの!」


 女性は拳を振り上げる。唐突なその申し出に、ステファンは戸惑う。


「あ……あの」

「幸いながらこの屋敷はすごく広いし、部屋もたくさんある。きっと毎日楽しいわよ! もしここで二人で住むとなったら、きっと寂しいと思うのね」

「…………」

「ね、私がここへ住んだら、美味しいお料理だって毎日作ってあげるわよ? 読み聞かせだってしてあげる。ラッセルさんにやってもらっていたんでしょう? 私も同じことをしてあげるわ」


 にこにこと女性は二人に近づく。


 ……その舌の、よく回ること。

 アイリーンは、いつだったかの親戚たちを思い出していた。


「……出て行って」

「え?」


 アイリーンが何やら言葉を発した。くぐもっていて、女性は聞き取ることができない。次にアイリーンが顔を上げた時、もう決心はついていた。


「出て行って! ここはわたし達の家よ!」

 戸惑う女性の体を強く押しのけた。


「ちょっ……ちょっとアイリーンちゃん?」

「もうみんな知らない! 出て行ってよ!」


 髪を振り乱してアイリーンは叫ぶ。その剣幕に、女性は一歩一歩と後ずさった。


「な……どうしたの? 一体。あなたたち二人だけで暮らせるわけないでしょう? 私たちと一緒に――」

「あなた達なんか知らない! ここはわたし達の家だもの!」


 ついに女性を家から追い出したアイリーンは、扉を背中にピッタリつけ、力尽きた様にズルズルとその場に崩れ落ちた。


「おねえちゃん……」

 意味もなく目を片手で擦ると、アイリーンはステファンを睨み付けるように見据えた。


「これからは、二人で生きていくのよ」

 しかし彼からの返事はない。


「いい、分かった!?」

「う、うん……」

 強気な姉に気圧されるようにしてステファンは頷いた。


 屋敷の外には冷たい風が吹きすさんでいる。長い冬の幕開けだった――。


*****


 アイリーンはそっと目を開いた。誰かの気配を感じた。


「……ステファン?」

 直感で、そう尋ねる。影は、やがてこくんと頷き、ベッドの傍の椅子に座った。


「起こしてすみません」

「ううん、別に寝ていないから気にしないで」


 少し息をつくと、アイリーンはベッドから起き上がった。


「どうしたの?」

「様子が……気になりまして」


 アイリーンに糾弾されてラッセルが出て行った後、彼女もまたすぐに自室に引っ込んだ。子供たちが声をかける間もなく。


 ステファンは、フィリップを寝かしつけた後、そのまま姉の部屋まで来たのである。


「……大丈夫よ。ちょっと疲れただけ。……あの人の方が、もっと大丈夫じゃないでしょうに」

「僕は……」


 少し躊躇ったようにステファンは口を開いた。アイリーンは黙ってそれを見守る。


「あの時の女性の言葉、未だに信じられません」

「……そうね」


 彼女も顔を俯けて応える。


「私も……そう、思う」

「だったら――」

「でも」


 その声は、冷たく、沈んでいる。


「今日、あの人は否定しなかったわ。それはどういうことなんでしょうね」

「……そ、れは……」

「どうして……あの人はいつも謝るばかりで、何も説明してくれないのかしら」


 物憂げにアイリーンは言う。


 叔父は、未だに自分たちのことを子供だと思っている。自分達を宥めることの方が先だと思っている。


「でも……それでも、このままで良いと思っているんですか。あの人、もうきっとここへは来ませんよ」

「…………」


 長い沈黙の後、アイリーンはため息をついた。


「……どうでしょうね」

 珍しく弱弱しい答えだった。

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