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愛と鞭  作者: まくろ
第十三話 遠い叔父より近くの弟妹
80/120

80:叔父、姪、甥

「ちょっと外へ行こうか」

 叔父であるラッセルの一言に胸を躍らせたのは、何もステファンだけではなかった。


「一体どういうつもり? そんなこと言うだなんて。わたし達を外へ出したがらなかったくせに」

 アイリーンはそんな捻くれたような物言いをしたが、その瞳には隠しきれない期待が輝いていた。


「偶にはいいじゃないか、気分転換に。ほら……君たちも、いろいろあって疲れただろう」

 そう言うラッセルの顔は、暗く沈んでいる。


 肉親を亡くしたのは、何もわたし達だけではないのだと、その時ようやくアイリーンの胸にも染み渡った。


「と……といっても、外へ行ったからといって何か変わるわけではないけれど――」

「おねえちゃん」


 捻くれた物言いしかできない姉に、弟が声をかけた。


「楽しみだね」

 疑うことを知らない弟の瞳に、姉は完全に毒気を抜かれた。


「っはああぁぁー……」

「どうしたの?」

「別に。くどくど考えていても仕方がないって思っただけよ」


 胸を逸らしてアイリーンは続ける。


「このところ、叔父様のへたっぴな料理ばかりで飽き飽きしていたの。うんと高いものを食べさせてもらうわ」

「……ほどほどにしてくれよ」


 項垂れながらも、否定の言葉は言わない叔父に、ステファンは一層表情を明るくした。


 街へ出るのは久しぶりのことだった。

 アイリーンとステファン、二人の両親が亡くなってからは、親戚たちが続々と屋敷にやってき、二人はその対応に追われていた。そんな時に現れたのがラッセルだった。彼は親戚を屋敷の隅に追いやり、アイリーン達に落ち着きを与えてくれた。下手ながらも愛情のこもった料理を作り、夜には亡き両親の話をしてくれた。


 彼は、親戚たちと子供二人を会わせたくないのか、二人には極力外出をさせるように言っていた。

 アイリーンとステファンは、久しぶりの外出に、足取りも軽かった。


 そして街の小さなカフェに辿り着いた一行。

 アイリーンは、先の宣告通り、たらふく甘いものをお腹に詰め込んだ。まだ幼いステファンも、蓋を開けてみれば結構な鑑識眼を持っており、高いものばかり次々に頼む始末。おかげでもともと軽かったラッセルの財布はもっと軽くなった。まるで羽根の様。もはやそれはただの財布のみの重さだった。


「……二人とも……お腹いっぱい食べたかい?」

 肩を落として問うラッセルに、アイリーンはつんと澄まして、ステファンは眉を下げて言った。


「まあ、お腹八分目……といったところかしら。屋敷のメイドのお料理の方がおいしかったけれど」

「僕も味がちょっと薄いように感じたかな……。砂糖がちょっと安っぽく感じられた」


 そしてこの言葉。


「そうか……そうか……。喜んでくれて、何より……」

 ラッセルは上を向いて必死に涙を堪えるしかなかった。


「もうお家に帰るの?」

「あ……っと、そうだな……」


 ステファンの言葉に、ラッセルは僅かに視線を逸らした。その先には。


「もう少しだけゆっくりしていこうか。折角の外出だし」

「……まあ、付き合ってもいいけれど」

「僕、あっちの方に行きたいな」

「よし、喜んで行こうじゃないか、ステファン!」


 姪の捻くれた物言いは普段通りなので、ラッセルはさらっと聞こえない振りをした。


*****


 露店を見回った後、一行が向かったのは屋敷ではなく、路地裏にぽつりと建つ孤児院だった。

 自然とアイリーンの視線も鋭くなる。


「ここ、何よ」

「……孤児院だよ」

「そんなことは分かってるわ! 何でわたし達がここへ来たのかっていうことを聞いているの!」

「おねえちゃん」


 激高するアイリーンを、ステファンは心配そうに見つめる。そんな甥の頭に手を乗せると、ラッセルは姪に向き直った。


「……ちょっとやり残したことがあってね。君たちにはしばらくここで生活してほしいんだ」

「どうだか。見捨てる気なんだわ、あの人たちみたいに」


 アイリーンは腕を組んでそっぼを向く。


「叔父さま……」

「大丈夫、すぐに戻ってくるから」


 ラッセルは同じようにアイリーンの頭に手を乗せようとしたが、瞬時に彼女に手を払いのけられる。叔父は寂しそうに姪を見たが、アイリーンがこちらを向くことは無かった。


「あらまあ、もしかしてリーヴィス様?」

 後ろから声がかかった。孤児院からふくよかな女性が歩いて来ていた。


「あ……と、こんにちは。突然の来訪、申し訳ありません」

「いえいえ、以前から話は聞いていましたもの。……そちらの子

達が?」


 女性が目を細めてアイリーン達を見やる。アイリーンはすぐに目を逸らし、ステファンは戸惑ったように見返した。


「はい、僕の姪と甥です。またすぐに迎えに来るつもりですので、その時までよろしくお願いします」

「もちろんでございますとも! リーヴィス様には先日たくさんの物資の支援を頂いて……。子供たちもみんな喜んでおりますのよ」

「はは、それは良かった。子供たちの喜ぶ顔が一番ですからね」


 再びラッセルは跪く。二人の子供と同じ目線だった。


「アイリーン、ステファン」

「…………」

「今日から君たちはここで暮らすんだ。この方は君たちの母のような存在になる院長先生だ。慈善事業として彼女はこの孤児院を起ち上げ、国からの少ない資金だけでやりくりしているらしい。院長先生はとっても素晴らしい方だから、君たちもきっとすぐにここに慣れる」

「まあ、リーヴィス様ったら。お上手ですわね」


 頬に手を当て、院長はほほほと笑った。


「……どうだか」

 アイリーンは小さく呟いた。


 初対面にもかかわらず、にこにこ愛想笑いを浮かべている人には嫌な思い出しか持っていなかった。それに、彼女の瞳の奥は、笑っていないような気がした。


「では、この子たちは私が責任を持って預かりますわ。どうぞご安心ください」

「はい、ありがとうございます。アイリーン、ステファン、またすぐに会いに行くからな」


 曲がり角に姿を消すまで、ラッセルは何度も何度も振り返って手を振った。手を振りかえしたのはステファンだけで、アイリーンは彼の姿を見ようともしなかった。


「さ、アイリーンちゃん、ステファン君。一緒に中に入りましょうね。今日からここがあなた達の帰る家だから」

「わたし達の家はここじゃないわ」

「お、おねえちゃん……」


 ステファンは心配そうに姉と院長とを見比べる。院長の目は一層細くなった。


「ええ、いずれ慣れるわ。ここの子供たちは、みーんなこの孤児院が大好きなのだから」

「大好き? みんな目が死んでるじゃない」


 アイリーンは鼻で笑った。

 孤児院の中に案内される途中で出逢う子供たち。みな荒んでいる様に見えた。どう見たらこれが大好きなどというちんけな表現で表すことができるのか。


「わたし、やっぱり家に帰る」

 アイリーンはぽつりと呟いた。院長の足が止まった。


「……何言ってるの、アイリーンちゃん?」

「わたし、今から家に帰って叔父様に直談判してくるわ。私の家はここじゃないもの」

「……あのねえ、そんな我儘聞けるわけないでしょう? 私はあなたの叔父様から直接預かるよう言われたの。そうやすやすと――」

「そんなの知らないわよ」


 アイリーンは素っ気なく返す。理屈も何もないその言葉に、しばし院長は返す言葉を無くした。その隙に、アイリーンはステファンの腕を取って歩き出した。


「わたし、行く」

「ちょ――っ、待ちなさい!」


 院長は慌ててアイリーンの腕を掴んだ。逃すものかとその形相はすさまじいものだ。それに比例して、腕力も強い。アイリーンの細い腕がギリギリと締め付けられた。


「いたっ……。離してよ!」

「きゃっ!」


 アイリーンは力いっぱい院長を振り払った。バランスを崩した院長は、アイリーンもろとも地面にぶつかった。頭も床に強かにぶつけた。院長の頭は瞬時に怒りで一杯になった。


「……いい加減になさい。ここはあなたの我儘を聞くところではないの」

「我儘なんかじゃ――」

「黙りなさい!」


 彼女は鋭い声を発する。今まで怒鳴られたことのなかったアイリーンは、思わず縮こまった。


「あなたたちね、今まで随分と良い暮らしをしてきたようだけれど、ここでは家柄も地位も関係ないの。ここでは皆を平等に扱うと言うのが決まり。それに則って、あなたたちには罰則を課します」

「あなたたち?」


 アイリーンは聞き返した。院長はしてやったりと顔を歪めた。


「ええ、あなたとステファン君の二人よ」

「何言ってるのよ、この子は関係ないでしょう!」

「それがあるのよ……。連帯責任ってことでね?」


 アイリーンとステファンの腕をがっしりと掴むと、院長はずんずんと孤児院の外へ歩き出した。その間にも、アイリーンは拘束を抜け出そうともがくが、大人の力には適わなかった。


「ここでしばらく頭を冷やすことね。あなたたち、元は貴族のようだけれど、ここではそれは何の意味も持たないの。ここではあなたたちはただのひ弱な子供。それを自覚なさい」

 そういって姉弟もろとも投げ出されたのは、暗くてボロボロの納屋。アイリーンが文句を言う暇もなく、院長はさっさと納屋の扉を閉め、外側から閂をかけた。光が遮断され、納屋は闇に包まれた。


「何よ、あの人――!」

 言い足りない文句が、アイリーンの口からついて出る。それでも足りないので、彼女は納屋の中をぐるぐると動き回った。


「行くわよ」

「……ど、どこに?」

「家に帰るに決まっているでしょう!」


 アイリーンは感情のままに叫んだが、ステファンは果敢に応じる。


「で、でも……あの人鍵かけちゃったし……」

「それでも抜け出すの! こんなにボロボロな納屋なら、きっとどこかに抜け道があるはずだわ」


 鋭い目でアイリーンは納屋の中をうろつく。彼女が睨み付けるは、納屋の天井ばかり。――窓が無いか探しているらしい。


「……窓があったとしても、僕らの身長じゃ……」

 ステファンはそう小さく零すと、自らも動き出した。樽を動かしてみたり、壁を叩いてみたり。やがて、小さな箪笥の裏側の壁、その一部が腐っているのを見つけた。


 脆い納屋だから、少し衝撃を加えれば穴が開くかもしれない。

 そんな思いを込めて、ステファンはひたすらに一か所にだけ力を込めて蹴る。その音に気付き、アイリーンも期待を込めた目で寄って来た。壁を蹴る音が孤児院の職員たちに聞こえないか冷や冷やする最中、ようやく嫌な音を立てて木の壁が破られた。


「よくやったわね!」

 アイリーンはパッと明るくなった。


「早く逃げましょう」

 弟の功労なのだが、アイリーンは彼を差し置いて嬉々としてその穴をくぐった。多少服がささくれに引っかかったが、構いやしない。それよりも、今は急いで叔父を追うことの方が先決だと思った。


「ほら、もたもたしないで!」

 穴から飛び出した後、アイリーンは振り返って弟を急かす。しかし彼の行動は慎重だ。


「ちょっと……待って。少しでも気づかれないように、壁の穴は修繕しておいた方が……」

「そんなのどうでもいいわよ! 叔父様に文句を言って、もうここへは二度と戻らないつもりなんだから!」


 キーキー文句を言う姉を尻目に、ステファンは先ほどぶち抜いた木の板をはめ込んでみた。近くに行ったらさすがに気付かれるだろうが、こんな納屋に誰が近づこうと言うのだろうか。

 これでしばらくは時間稼ぎができるとステファンは満足げだった。


「ようやく終わったの? さ、早く行くわよ!」

 納屋を出た頃とは打って変わって、アイリーンの表情は朗らかだった。

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