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愛と鞭  作者: まくろ
第十三話 遠い叔父より近くの弟妹
78/120

78:叔父という人は

「行ってらっしゃい」

「……行ってきます」


 どこかぎこちない、いつもと変わらない風景。そこには、一つだけ違うものがあった。


「皆学校か……。いや、大変だねえ、子供というものも」

「ラッセルさん、静かにしていてください」


 冷たい床に正座して座っている人物、ラッセルは、れっきとしたリーヴィス子爵家と血縁関係にあるものであり、アイリーン、ステファンの叔父にあたる人物である。しかしアイリーン、彼を叔父とは決して認めていなかった。


「子供たちとは口を利かない約束でしたよね? 今あの子たち、大切な時期なんです。心を乱さないで」

「す、すまない……。でも……でもさ、なんでわざわざ学校に通わせてるんだい? 子供は子供らしく外で遊ぶのが楽しいだろうに」

「将来のためです」


 短く言うと、アイリーンはふいと顔をそむけ、皿洗い始めた。


「ラッセルさん、一体いつここを出るおつもりですか。そもそもこの街へは何の用で?」

「あっ……と、その、とある仕事にようやく一区切りついたから、この街に定住しようかと……。君たちのことも心配だったし」

「へえ」


 どこかぼんやりした表情でアイリーンは聞き流す。


「私、そろそろ仕事に行きます」

「仕事? アイリーン、仕事をしているのかい?」

「それはそうでしょう。お金が無いと、生きていけませんから」

「一体何の仕事を?」


 興味津々な表情でラッセルは尋ねた。


「家庭教師と洋裁を少々」

「家庭教師? すっごいなあ、あんなに小さかったアイリーンが、今では立派に仕事までやっているなんて――」

「あの、あまり無駄話している暇はないので失礼します」


 アイリーンはさっと話を切ると、手を拭きながら自室へと引っ込んだ。ラッセルはまたしゅんとなって前を向いた。慣れない正座をしているせいで、足が痺れていた。しかも床は冷たいのですっかり手足は冷え切っている。


 しばらく正座のまま姪を待っていたが、なかなか彼女は帰って来なかった。これ幸いと足を崩した、その矢先。


「何やっているんですか、ラッセルさん。あなたも一緒に出るんですよ」

 アイリーンがひょこっと扉から顔を出した。ラッセルは瞬時に正座に戻る。


「え、僕? いや、僕はもう少し後で出るよ。昼過ぎて温かくなてから、のんびり仕事でも探しに――」

「いえ、ラッセルさんも一緒に出るんです。私、あなたをこの家に一人にしたくありません」

「……? 心配しなくたって大丈夫だよ。留守番くらい僕にも――」

「分からない人ですね」


 アイリーンは大きくため息をついた。


「私、あなたのことを信用したわけじゃありませんから。ここであなた一人残して、また盗みでも働かれたら困るって言ってるんです」

「う……」


 ラッセルは思わず口を噤む。しばし戸惑ったように瞳を揺らした後、彼は顔を上げた。


「あ、あの……。もしかして、もう気が付いているのかもしれないけど――」

「さ、早く行きましょう。予定が詰まってるんです」

「…………」


 これは完全に知っている態度だ。完全に怒っている顔だ。

 ラッセルは思わず項垂れた。


 全てを話せば、彼女たちが怒ることはとうに予想がついていた。その時は誠心誠意謝るつもりだったし、かといって簡単に許されるようなことではないことも重々承知していた。しかし、始めから彼女たちが事情を知っているとなると話は別。その上、彼女は聞く耳持たないと見える。

 ただでさえどう話を切り出せばいいか分からないのに、その話すら聞いてくれないとなると、いったいどうすれば。


 ラッセルが悩む間にも、アイリーンはさっさと廊下を突き進んでいた。とりあえず彼もその後を追い、ゴマを擦るように両手を揉んだ。


「あ、あの、アイリーン? 一旦僕の話を聞いてくれないかな? ちょっと……今まで君たちを迎えに来れなかったのには訳があって――」

「ご安心ください。私達、もう迎えを待つような年齢でもありませんから」


 アイリーンは扉を大きく開け、ラッセルに冷たい目で目配せをする。彼はそそくさと家を出た。


「ラッセルさん、仕事を探しに行かれるんですよね?」

「う、うん」

「その際に、私達のことは決して口に出さないでくださいね。親戚だと思われたくないですから」

「……うん」


 ラッセルは頬を引き攣らせながら頷いた。


*****


 家庭教師が終わり、洋裁店での仕事も終わり……。

 後は家に帰るだけとなったが、どうもその気にならない。家に帰ればまたあのラッセルの顔を見るのだと思うと、どうも気が晴れない。かといって、早く帰らなければ、あのラッセルと子供たちだけという状況になってしまうかもしれない。


 ……だが、確か今日はステファンの帰りが早い日だ。彼が防波堤となってラッセルから子供たちを守ってくれるだろうと、アイリーンは楽観的に考える。何より、それほど彼女は家にただでは帰りたくなくなっていた。暗い気持ちを家に持ち越したまま帰るのもなんだ。


 気づけば、くるっと体を転換し、アイリーンは子爵家とは反対方向に向かっていた。


 偶にはあの人の他愛ない話を聞き流してみるのも悪くないかもしれない。

 そう思って彼女が向かうは、この街一番の情報屋である花屋。

 アマリスが聞いたら失礼な!と怒るだろうが、しかし彼女の話はそれほどどうでも良いことが多かった。どこそこの誰が結婚しただとか、誰と誰が付き合ってるだとか、家族とお金が何よりも大切なアイリーンにとって、アマリスの世間話は毒にも薬にもならなかった。


 しかし、だからこそ無心になれる気がした。彼女の話はどうでもよくて、だからこそ、目の前の問題から目を逸らすことができる。


 しかし、その考えは早くも打ち破られることとなった。まさかラッセルがアマリスの元で働いているなどと、誰が想像しただろうか?


「アイリーン?」

 アイリーンが店先で茫然としていると、気づいたらしいラッセルが目を丸くして声をかけてきた。今のアイリーンに、それに応えるだけの気力は無かった。


「何、二人知り合い?」

 奥からアマリスが顔を出す。もはや否定するのも面倒だった。アマリスは確かに噂好きだが、人の嫌がる話はしない。きっと事情を察して、手当たり次第に話すようなことはしないだろう。


「あ……いや、僕らはそういうのでは――」

「私の叔父なんです、彼」

「叔父!?」


 アマリスは素っ頓狂な声を上げた。一方でラッセルは不安そうな顔でアイリーンを見やる。朝言われたことが気になっているようだ。


「へえ、でもあんたたちに血縁がいただなんて驚きだよ。今までどこで暮らしてたんだい?」

「あ、えっと……」

「それは私も聞きたいですね」


 アイリーンも口を挟む。


「どうしてこの街に帰ってくるに至ったのか、詳しくお話し願いたいものです」

「え……あはは」


 ラッセルは二人に詰め寄られ、苦笑いを返す。視線は彼方を向いていた。しかしその時、彼にとって救世主が現れた。


「ごめんくださーい」

「あ、いらっしゃいませ!」


 新規のお客が入って来たのである。ラッセルはこれ幸いと客の元へと飛んで行ってしまった。


「逃げましたねね」

「逃げたね」


 アイリーンは深くため息をつき、傍にあった椅子に遠慮なく腰掛けた。アマリスはそんな彼女にずいと詰め寄る。


「嫌いなの?」

「直球ですね」

「飾る間柄でもないだろう?」


 何でもないことのように言われ、アイリーンはう、と詰まった。隠すつもりはないが、話す気力もない。一瞬の沈黙ののち、渋々口を開いた。


「あの人、一応私達の後見人ではあるんです。でも正直なところ、あまり関わりたくない存在ですね。いろいろ……あって」

「ふーん、複雑なんだねえ」


 自分から聞いたくせに、アマリスはそれだけ言うと、さっさとラッセルの手伝いに行った。

 詮索すべきか、そうでないか。相手にはどんな言葉が必要か、何を言うべきか。

 そういうことが直感で分かっているだろうアマリスには、アイリーンもひそかに尊敬していた。


「接客、どう?」

「は、はあ……」


 先ほどの客を逃したラッセルに、アマリスは明るく声をかけた。


「ま、もう少し一人で接客してみてよ。あたしはここでアイリーンと話してるからさ、もし分からないことがあったらあたしのとこに来てね」

「はあ……」

「堂々とサボり宣言ですか。私のことは良いので、手伝いに行ってあげたらどうですか?」

「ああ、いいのいいの。どうせこんな時期だ、あんまり人も来ないさ」


 不安そうな面持ちを見せながら、ラッセルは店の前に立っておずおず呼び込みを始めた。しかし残念ながらそれなりに歳をいった男のエプロン姿はなかなか珍しく、通りを歩く人々は遠巻きに彼を眺めるだけだ。


「あー、やっぱりか。そうだよねえ、お客なんて来ないよねえ」

「……あの人、どうしてここへやって来たんですか? アマリスさんが直接勧誘したわけじゃないでしょうに」

「ああ、彼ね。始めは斡旋所で仕事を探していたらしいけど、何しろ年もいっているし、力はなさそうだし頼りがいはないしで、持て余した斡旋所の人に放り出されたらしいんだよ。私達のような所向きの方ではないようなので、直接仕事探された方が良い様ですねって。そうして探しに探し歩いた結果、巷の斡旋所と呼ばれるあたしの所に行きついたってわけさ!」

「はあ……」


 アマリスは自慢げに胸を逸らした。確かにアイリーンも彼女に家庭教師先を紹介してもらったので、否定はできない。が、どうもラッセルは花屋に向いていないというのは気のせいだろうか……。


「あの人、ここで雇うんですか?」

「どうだろうね。すぐにでも働きたいって言うもんだから、取りあえずあたしの所で働させたはいいものの――」


 珍しくアマリスがため息をついた。アイリーンは意外に思って隣を見上げる。


「あの人さあ、これが結構不器用でね? さすがのあたしも手を焼いてるんだよ。ほら、あれ見て」

 困ったような顔で指さす先には、あたふたと慣れない様子で接客をするラッセルが目に入った。女性が花を選ぶ隣で無言で立っている彼。何を話すでもなく、ただ客の近くにいるエプロン男には結構な威圧感があり。やがて居心地が悪くなった女性客は、逃げ帰るようにして花屋を出て行ってしまった。後に残るは、何が悪かったのか全く分かっていない様子のラッセル。


「やっぱり接客は向いていないのかねえ。いろいろと接客のコツも教えたんだけど、全く生かせてないね。まあ、慣れって言うのもあるんだろうけど……」

 顎に手を置き、うーんとアマリスは唸る。


「彼のあの慣れない様子は、先日の誰かを彷彿とさせるんだけどね」

 不意に彼女が悪戯っぽく笑った。すぐにぴんときたアイリーンは怒った様に腕を組んだ。


「全く失礼な言い草ですね。一体どこが似てるって言うんですか!」

 先の会話にて、あまり関わりたくない――というか、言外に嫌っているという含みを入れたはずが、アマリスは全くもってこの事実に気付いていない。それどころか、アイリーンと彼が似ていると言い出す始末。


 つくづく彼女に相談事は向いていないということがはっきり分かった瞬間だった。


「ラッセルさん」

 客が怯えて逃げ帰ること数回。ついにアマリスの声がかかった。


「はあ、どうでしょうか」

 自分でも出来が良くないと分かっているのか、ラッセルの顔色は悪い。アマリスもしばらく言いあぐねていたようだが、やがて己の性格上、遠回しに伝えるのは諦めたのか、すぐに顔を上げた。


「ごめんね、やっぱり雇ってあげられないわ」

「え……そんな」

「ごめんごめん、ちょーっと力不足かなっていう所があってさ。毎月給料払えるほど、ここも儲かってるわけじゃなくてね」

「はあ……」


 ラッセルは目に見えて落ち込んだ。いつも彼の情けない姿を見ているアイリーンだが、今回は訳が違う。全力を出したにもかかわらず、結果に繋がらなかったことが、何となく不憫に思えた。


「……男手は必要ないんですか? ほら、花祭りの時にはステファンやウィルドがいてくれて有り難いって言っていたでしょう? こう見えても立派な男性なんだし、接客じゃなくて力仕事を任せるというのは――」

「ああ……それもごめんね。あの時は花祭りのために大量に入荷したからさ、男手が必要だったんだ。平常時は見ての通り入荷も少なくてね? 人を雇うほど困ってはいないって言うか……」


 ガシガシと頭を掻くと、アマリスは困ったような顔でラッセルの肩を叩いた。男顔負けの逞しい腕である。確かに人を雇わなくても彼女一人でやっていけるだろうことは想像がつく。


「期待させるようなこと言って悪かったよ。今日の分のお給料はきちんと払うからさ」

「はい……」

「今度違う仕事紹介するからさ、また今日はゆっくり休んでまたうちに寄りな」


 ラッセルは力なく頷いた。その後ろ姿からは悲壮感が漂い、いよいよアイリーンも彼が気の毒になってくる。彼は決して頼りがいがあるとはいえないが、それでも珍しく仕事に精を出そうとしたのだ。その頑張りが実になればよかったのだが。


「アマリスさんはなかなか仕事に厳しい所があるから仕方ありませんよ」

 家路に行く途中、無言で帰るのもいじらしくて、アイリーンはそう声をかけた。


 なぜ自分が励まさないといけないのか。

 その思いはあったものの、ラッセルがやけに落ち込んだ様子なのだから仕方がない。


「また仕事見つかりますから」

「うん……」


 いつも自身のなさそうな姿しか見てこなかったから、絆されたのだろうか。たまたま汗水流して働いていることろを目撃して、絆されたのだろうか。


 いよいよ自分がどうすればいいのが分からなくなってきて、アイリーンはそれ以上口を開こうとしなかった。

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