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愛と鞭  作者: まくろ
第十三話 遠い叔父より近くの弟妹
77/120

77:血の繋がり

 その時、アイリーンはもう既に夢の国へと旅立っていた。時刻も深夜をとうに過ぎており、それが当たり前のことだった。しかし誰かに肩を揺すられ、その重い瞼をしぶしぶ開けることとなった。


「もう……誰? 何か用?」

「うん、ごめんね、母様」

「え……フィリップ?」


 ふああ、と大きな欠伸をしながらアイリーンはベッドから起き上がった。ウィルドならまだしも、フィリップがアイリーンを起こすとなると、それは相当なことだ。


「どうしたの?」

「あの……何だか変な物音が聞こえて……。不安になっておこしに来た。ごめん」

「変な音?」

「うん、居間の方から」


 アイリーンの耳には何も聞こえなかったが、取りあえず彼女はベッドから抜け出した。こういう時のフィリップは、なかなかに敏感なのである。信頼しきっていた。


 部屋にフィリップを置いたまま、アイリーンはまずステファンの部屋に向かった。以前から、何かあったら必ず僕を呼んでくださいと口を酸っぱくして言われてきたのである。これでもし彼を呼ばなかった場合、『何で呼んでくれなかったんですか、自分一人で解決できるとでも?』とにっこり詰め寄られること請け合いだ。だからこそ、アイリーンは大人しく弟を呼びに行くことにしたのである。


 もちろんウィルドとエミリアの部屋は素知らぬ顔で通り過ぎた。危ないのはもちろんのこと、ウィルドなんかは、誰に似たのか調子に乗ってすぐに自ら危険なことに飛び込んでしまいそうだ。ステファンとは違う意味で、どうして呼んでくれなかったんだよーと後で詰られそうだが、構いやしない。ステファンとは違って、ウィルドならばアイリーンが制御できる人員だからである。


 ステファンを仲間に入れ、二人は恐る恐る居間へ近づき、ガチャリとドアを開けた。音はキッチンの方からしているようで、二人の緊張は絶えない。


「もしやとは思うけど……ウィルドじゃないわよね?」

 どうもその音の主は、もしゃもしゃと食料を漁っているようで、呆れ返ったアイリーンがそう言った。ステファンも僅かに笑みを引き攣らしながら、首をかしげる。


「そうだといいんですけど。でも内心はちょっと複雑ですね」

 思い返せば数年前も、丁度夜中にキッチンが荒らされるという事件があった。犯人はもちろんウィルド。呆れ返って聞いてみれば、成長期だからお腹が空いて仕方がなかったんだなどとのたまう。その後散々話し合ってウィルドの夕食分を増やすことでその場は収まったのだが、もしかして今回もお腹が空いた彼が暴挙に出たのだろうか。……あり得ないことではない。最近彼は訓練に熱心に励んでいるようだし、その分お腹が空くのは当然だろう。


 しかし……しかし、だ。それにしてもわざわざ夜中に食料を漁るというのは如何なものか。前回もそうしたように、今回だって話し合いの場を作ってくれさえすれば、いくらでも言い分を聞く。だが、そうは言ってもなかなか聞いてくれないのがウィルドだ。論理的に行動するよりも、その場の感情だけですぐに動いてしまう彼のことを考えると、仕方ないと言えば仕方ないのだが。


 決心して、アイリーンは燭台を掲げた。怒らない、決して怒らない。ウィルドも悪気があって盗み食いをしているわけじゃないのだから。お腹が空いてしまうのは自然の摂理というもの。だから、たとえ振り返った彼の口にパンが咥えられていても、決して怒っては駄目――。


 しかしアイリーンは、燭台の灯りに照らされた人物を目にすると、ポカンと口を開けて茫然としてしまった。すっかり犯人をウィルドだと決めつけていた彼女としては、まさに寝耳に水。


「叔父様!?」

 思わず大きな声を出してしまった。


「……っ!?」

 物音の主であるアイリーンたちの叔父――ラッセルは、口にパンを咥えながら驚いたように振り返った。


「こんな所で何をしているんですか」

 叔父を問い詰めるアイリーンの声は固い。いくら身内とはいえ、これは立派な不法侵入だ。自然と彼女の視線も鋭くなる。


「す……すまない。ちょっとお腹が空いててな。ここ三日、何も食べてなくて……。と、というか、二人とも大きくなったなあ。一瞬誰が誰だか――」

「いえ、もう聞くのも疲れました。何も言わずとも結構です」


 懐かしさに浸ろうとするラッセルの言葉を、アイリーンはぴしゃりと遮った。


「あれから全く姿を見ないと思ったら、不法侵入及び盗難なんてやらかして」

「姉上、話しても無駄です。騎士団を呼びましょう。その方が手っ取り早いですよ」

「そうね、そうしましょう」

「ちょ、ちょちょ! 騎士団は止めてくれ!」


 ラッセルは慌てて立ち上がった。


「そもそも、まさか君たちがいるとは思わなかったんだ。宿に泊まるお金が無いから、ここへは一晩泊まるつもりで……。っと、というか、何で君たちがここに? 孤児院にいるんじゃなかったのかい?」

「ここは私達の家です。なぜ帰る場所があるのに孤児院にいなければならないんですか?」

「え? い、いや……そういう意味じゃ……。叔父として、二人のことが心配で――」

「あなたみたいな人、私は知りませんわ」

「早く騎士団を呼びましょう」

「わ、分かった! 出て行く、出て行くから! それでいいだろう、な? お願いだから騎士団は呼ばないでくれ」


 ラッセルはついに情けない声を上げた。何だか気の毒に思えてきた二人は、思わず顔を見合わせた。


「……どうします? 姉上」

「……じゃあ今すぐここから出て行ってください」

「わ、分かった! すぐに出て行くから……」

「お願いします。そもそもあなた、どこから入って来たんです?」

「あ……合鍵、持ってたからさ」


 そう言って力なく鍵を持ち上げるラッセル。


「ステファン、没収」

「はい」

「ちょ、ちょちょちょ!? これは僕の――」

「ここは私達の家です。他人が合鍵を持ってるなんて気味が悪いですからね」

「十分腹ごしらえもできたでしょう。はい、もうお帰りください」


 ステファンはにっこり笑ってラッセルの背を押す。


「ええ? ステファンまで! ちょ、二人とも、一旦僕の話を聞いて――」

「さようなら」


 ラッセルの身体は、分厚い扉の向こうに消えていった。二人は思わずホッと息をついた。


「もう一度、寝なおしましょうか」

「そうですね、きっと明日になればすっかり忘れていますよ」


 しかし悲しきかな、この時のステファンの言葉は、実現することは無かった。


*****


「こんな所で何をしているんですか!」

 そんな弟の大声に、アイリーンは嫌でも目を覚ました。一番初めに思い浮かぶのは、やはり昨夜の叔父。うんざりといった顔を隠そうともせず、アイリーンはステファンの声の元へ向かった。家の中ではないことが幸いだが、家のすぐ前、玄関にラッセルの姿を発見すると、どっちもどっちだという考えが浮かぶ。ステファンは真っ赤になって怒っていた。


「不審者極まりないですよ、人の家の真ん前で夜を明かすなんて!」

「外少々は寒くて……。それに、君たちのことも心配だったし」


 びくびくとラッセルは怯えて見せるが、ステファンにそれは効かない。彼を見つけたのが自分だったならまだしも、朝一番に外を出たのがエミリアだったのである。彼女の恐怖を思えば、ステファンが怒るのも無理はない。


「師匠……」

 アイリーンが姿を現したのを見て、しばし呆然としていたウィルドが声を上げた。珍しく、ものすごく悲しそうな顔をしていた。


「畑、荒らされてる……」

「畑?」


 視線は自ずとラッセルへ向けられる。主に、その口元に。


「すっ、すまない! 本当にお腹が空いていて……。その、出来心で、つい……」

 小さくなって謝る彼の口元には、土がこびりついていた。


「俺の畑……」

 ウィルドの聖地、畑が荒らされてしまった。それだけではない。これは、野菜に関しては自給自足である子爵家の危機でもある。


「ステファン」

「はい」

「騎士団を呼びましょう、今度こそ」

「っだああぁぁ……! すまない、本当に心の底からすまないと思っているから……だから騎士団だけは止めてくれ!」


 ラッセルはついに土下座を始めた。底冷えのする早朝、湿っている地面に膝をつき、頭を擦りつけて。


 次第に、ステファンは気の毒になってきた。いくら見た目が不審者で、行動も不審者だとはいえ、一応血の繋がりはある。

 おずおずと姉を見上げた。


「あの……姉上、ここは寒いですし、中で話しませんか? このまま叔父上を放り出してしまったら、子爵家の評判がさらに悪くなること請け合いですし」

「ありがとう……ありがとう、ステファン! 君なら分かってくれると――」

「調子に乗らないでください。あなたを擁護するつもりはないんですから」


 ステファンの絶対零度の視線がラッセルを襲う。はい、とすぐに彼は縮こまった。


「……いいでしょう。とりあえず今は中で話し合いましょう。でも、子供たちとは口を利かないでください。どんな影響があるか分かりませんから」

「ありがとう! さすが、アイリーンは話が分かる!」


 ラッセルは調子よく手を打った。しかしすぐに首をかしげる。


「しかしなあ、ずっと気になっていたんだが、その子たちはいったい誰なんだい? ま、まさか……!?」

「あなたが言わんとしていることは分かります。でも違います」


 何度も邪推されてきたのだ、もうアイリーンは慣れたものだった。


「上からウィルド、エミリア、フィリップ。ここに暮らしている子供たちです。あなたとは違って純粋な子たちですから、決して口を利かないでくださいね」

「は、はい」


 アイリーンの冷たい視線が子供たちの方にも向けられる。彼らは音もなくぶんぶん頷いた。アイリーンがいつにも増して恐ろしいので、声すら出せないようだ。


「じゃあ皆さん、中に入りましょうか。ここは冷えます」

 なぜ敬語?とは思ったものの、誰も口には出せなかった。


「あと、私達は今から朝食を摂りますが、もちろんラッセルさんの分はありません。その辺りに座っていてください」

「……はい」


 ラッセルはしょぼんと答え、アイリーンが指示した場所、居間の隅に正座で腰を下ろす。


「じゃあ頂きましょうか」

「……はい」


 今までで一番、重く、居心地の悪い朝食だった。

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