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愛と鞭  作者: まくろ
第十二話 姉の噂を頭痛に病む
75/120

75:困惑だらけ

 ガラガラと大きな音を立てながら馬車が止まった。どことなく緊張した面持ちでステファンは降り立つ。眩しそうに目を細めながら、子爵家を見渡した。たった数日見ていないだけなのに、随分久しぶりのような気がした。


「じゃ、頑張れよ」

「うん、いろいろありがとう。恩に着るよ」

「お姉さんにもよろしく言っといてな」

「はいはい」


 窓からひらひらと片手が降られる。見えなくなるまでそれを見送り、再度ステファンは屋敷に向き直った。


 何だか緊張する。ただいま、でいいかな。


 もう帰って来たのー?とウィルドに茶化されそうで、ステファンは扉の前で右往左往した。


 さて何と説明しようか。

 みんなが恋しくなって――いや、違う。

 勉強が手につかなくなって――いや、これも違う。

 もともと――そう、もともと数日の滞在だったということにしておけばいい。それならば、多少の不信感だけでこの場を凌ぐことができる。そうだ、そうしよう。


 急に元気になって、ステファンはいよいよ扉を開けようと手をかけた。しかしそこで後ろからかかる声。


「兄様……?」

 フィリップの声だ。

 懐かしくなって、思わずステファンは笑顔で振り返った。しかし、その弟は、なぜかあんぐりと口を開けている。


 やはりこんなに早く帰って来たのが不思議だったのか。

 勝手にそう判断すると、ステファンは言い訳をするべく一気にはやし立てた。


「……いや、違う。まさか僕もこんなに早く帰るとは思ってなかったんだよ。本当、一週間くらい向こうにいるつもりだったし。……ちょっと、想定外のことが起きたというか」

 照れたような顔で頬をかくステファン。


 その見慣れた動作で、ようやく兄が帰って来たのだとフィリップは実感した。そして同時に、彼の言葉で確信する。薄々気づいてはいたが、今回の行方不明事件が、兄の家出だったのだということを。


「ごめんなさいっ!」

「なっ……え!?」


 フィリップはうるうると瞳に涙を堪えながら、兄に抱き着いた。ステファンは、多少はよろめいたものの、弟を受け止める。


「ちょ……一体どうしたの? 何かあった?」

「僕が……僕がこの前、約束してたのを忘れて、先に帰っちゃったのを怒ってるんだよね!? だから家出なんてしちゃったんだよね!?」

「え……え?」

「ほら、つい一週間前のことだよ!」


 言われてみて、ステファンは思い出してみるが……そんなこと、あったようななかったような……。随分あやふやな記憶だった。


「あ……っと、僕自身も忘れてるくらいだから、そんなに気にしなくていいよ。怒ってなんかいないし。忘れちゃったものは仕方がないんだから」

「で、でも……」

「ほら、そんな顔しないでよ。もう忘れよう、過ぎたことはさ」

「……兄様~っ!」


 感極まって、フィリップは再度ステファンに抱き着いた。


 なぜフィリップがこんなにも泣いているのか。

 ステファンからして見ればさっぱりだったが、しかししばらくよしよしと弟の頭を撫でた。


 しっかりしている弟だが、こういう時はまだまだ子供だ。

 数日間会えなかった分、思う存分優しくしようとステファンが決心していると、ドサッと物音がした。フィリップ越しに彼の後ろを見て見ると、買い物帰りらしいエミリアと目が合った。彼女の下には、買い物袋が落ちている。


「あ、エミリア。お帰り」

「に、兄様……」


 にっこりと微笑む。対するエミリアは、またもやあんぐりと口を開けたまま固まった。と思ったら、素早い動きで二人に詰め寄ってきた。


「わたしが……わたしがこの前兄様の料理に唐辛子を入れたこと、まだ怒ってるんでしょー!?」

 そして大声で怒鳴った。耳鳴りのする耳を抑えながら、ステファンは口元を引き攣らせた。


「やっぱりあの犯人、エミリアだったんだ……」

「ほんの出来心だったの! いつも笑ってる兄様が不味いものを食べたら、一体どんな反応を示すんだろうって、ただそれだけだったの!」

 なかなか腹黒いことを暴露してくれる。しかしさすがはステファン。これくらいでは動じない。


「もう気にしてないから大丈夫だよ。なかなか刺激的だったけどね」

「そ、そんなこと言って、またウィルドと喧嘩した時みたいに、心の中で鬱々と永遠に根に持つんでしょー!」

「いや、僕のことどう思ってるのさ……」


 確かにウィルドの時はやり過ぎたと思う。しかしそれをここへ持ち込むのはどうだろう。やんちゃな弟と可愛い妹とで、その処遇に差が出てしまうのは仕方のないことだろう。……こんなこと、ウィルドには口が裂けても言えないが。


 そんなことを考えていたら、ステファンの後ろの扉が大きく開いた。噂をすれば……とは言うが、まさかウィルドまでこの場に現れるとは。


 何となく二人は見つめあったまま、動かなかった。先に口火を切ったのはウィルドだった。いつにも増して大声だった。


「ステファン、悪い! 俺が悪かった!」

 加えて珍しく、謝罪の言葉をも口にしている。

 この異様な事態に、ステファンはいよいよ頭が混乱してきた。


「今度はウィルド? 本当、これは一体何の騒ぎ……?」

「家出するほど……いや、確かにそうだよな。ちょっと俺、配慮が足りない時あるし……」

「だから一体何のことなのさ。家出? 皆何か勘違いしてると思うんだけど――」

「ステファン、俺に怒ってるんだろ? 俺がこの前、お前の本を汚したから! いや、でも本当、ただのんびり優雅にお茶を飲むだけだったんだ。でもソファに蹴躓いて本に零しちゃって……。悪気はなかったんだよ! 許してくれ!!」


 ステファンの頬がピクリと動いた。一か月前ほどに、居間のテーブルの上に無残な状態で放置されていた自分の本。お気に入りの一冊だっただけに、その後の意気消沈ぶりはなかなかのものだった。だからこそ、ウィルドも言い出せずにいたのだろうことは、容易に想像がつく。


「……まあ、正直に名乗り出てくれたから、良しとするよ。その辺に置いてた僕も悪いしね」

 思わず怒りそうになるのを、ステファンは必死にこらえた。何故だか弟妹達も落ち込んでいるようだし、ここは一つ、自分が大人の対応を見せなければ。


 ウィルドの顔に、一気に喜色が広がった。


「ステファン~! お前なら分かってくれると思ってたよ!」

「そういうのはいいから。今度からは気を付けてよ?」

「うんうん、気を付ける!」

「そういう所が心配なんだよな……」


 適当な返事を返すウィルドに苦言を呈した。一度謝ってしまえばもう心残りはないのか、幾分かすっきりした顔だ。


「で、姉上は? いないようだけど。出かけてるの?」

「そうだ、母様!」

「そうね、急いで連絡しないと」


 途端に弟妹達が叫び始めた。


「連絡って何を?」

「兄様が見つかったってことだよ。たぶん今は学校にいると思う」

「学校? それはまたどうして?」

「少しでも兄様の情報を得るために決まってるわ!」


 当たり前でしょうとでも言いたげなエミリア。しかしステファンとしては、全くもって彼女が言いたいことが分からない。


 なぜ皆がこうも嬉しそうなのか、こうも感激しているのか。

 それが分かるにはもう少しかかりそうだ。


「急いで姉御の元に向かってください!」

 詳しいことは全く語らずに、ただそれだけを鬼気迫った表情で伝えるエミリア。自分が言葉足らずであるということには、全く気付いていなかった。


「う……うん」

 それに反抗できるステファンではない。とりあえず頷き、彼女が背を押すまま、先へと進んだ。


*****


 いったい何がどうなっているんだとステファンは自問自答するが、もちろんそれで答えが見つかるわけでもない。仕方なしに彼は学校向かっていた。弟妹達は言葉足らずなので、姉に聞くしかない。


 しかしそんな途中で、後ろからガシッと肩を掴まれた。こんな乱暴なことをするのはウィルドくらいしか知らない。今度は何だと思いっきり眉をひそめて振り返ったステファンは、呆気にとられることになった。想像もしなかった。オズウェルがそこに立っているなどと。


「な、何ですか……?」

 彼は、困惑している様に見えた。というよりも、驚いている?

 つい先ほどの弟妹達と似たような反応なので、いい加減ステファンはうんざりしてきた。


 ステファンは、声に不審感が表れてしまうのを必死に堪えた。


「何かご用でしょうか」

「ご、ご用も何も……」


 珍しくオズウェルはどもる。次に口を開いた時、彼は微笑を浮かべていた。


「良かった。無事だったんだな」

 う、と思わずステファンは固まった。彼の笑みは本当に嬉しそうで、ステファンは戸惑うしかなかった。


「ぶ、無事って……」

「喜ぶな、あいつも」


 あいつ。

 瞬時に姉のことが浮かんだ。この団長がそんな呼び方をするのは一人しか思い浮かばない。ステファンはすぐに調子を取り戻し、今までの怒りを爆発させるがごとく捲し立てた。


「だから! あなた達は一体何のことを言ってるんですか!? 会う人会う人僕が帰ってきたことを喜んで! 訳が分かりません」

「ん? 何か事件に巻き込まれていたんじゃないのか?」

「事件? 何のことですか」


 二人の間に、奇妙な沈黙が漂った。コホン、とオズウェルが咳払いをする。


「改めて聞こう。君は今までどこにいたんだ?」

「どこって……。友人の別荘です」

「家出、か……」


 む、とステファンが唇を尖らせる。どこをどうとったら家出ということになるんだ!


「勝手に決めつけないでくれませんか? 友人の厚意で、静かに勉強したいという僕に別荘を貸してくれたんです。家に書き置きを残してきたので、もちろん家出でもありません」

「……そうなのか?」


 ステファンはしっかりと頷いて見せる。


 やっと話が通じた。

 その第一人者がこの人であることは大層不満だったが、それでも大した進歩だ。


「あ、あの~」

 しかしこれからというところで、弱弱しい声が割って入った。二人が振り返ると、軍手をしている男がへらっと笑った。


「僕、もういいですかね?」

「は?」

「いや、あの、こう見えて僕結構忙しくて――」

「ああ、すまない。話の途中だったな」


 言いながら、オズウェルはその男に向き直った。


 いや、こっちも話の途中なんですが……。

 しかしそんなことを言えるはずもなく、ステファンはその場で辛抱強く二人を待った。


「単刀直入に聞こう。その眼鏡、あなたのものだろうか?」

 傍目から見ても分かるほど、男の表情はさっと変わった。見る見る色が無くなっていく。


「な……なな、何のことか……」

「……直接聞いた方が早いな。よし、一緒に来てくれ」

「え、え? ちょ、どこに――」

「確認のためだ。勘違いだったら申し訳ない」

「は、はあー?」


 途方に暮れた様な顔で困惑を示す男と、彼を引きづるオズウェル。置いて行かれると、ステファンは慌てて彼に声をかけた。


「ちょ、あの! 僕との話はまだ終わってませんけど!」

「話は後だ。君もついて来てくれ」


 端的にそれだけ言うと、オズウェルはさっさと歩き出した。置いてけぼりを食らうのはもちろんステファン。


「ちょ、え……?」

 ようやく話の通じるらしい人に出会えたらしいのに、彼は話は後だと言う。この理不尽さに、いくら温厚なステファンでも、そろそろ我慢の限界だ。しかしその間にもオズウェルの背中はずんずんと先へ行く。


「~~っ!」

 元来の真面目さ故、彼のことを無視することができず、ステファンは散々迷った挙句、仕方なく小走りに彼の後を追った。

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