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愛と鞭  作者: まくろ
第二話 去る姉弟跡を濁す
7/120

07:宴

 夜の帳が降りた歓楽街は、辺りが闇に包まれたとはいえ、まだまだ活気があった。というより、夜だからこそ一層元気になったというか。


 闇夜に紛れて、居酒屋を梯子する者たちや娼館へ足を運ぶ者など、目的は違えど、歓楽街をうろついている人種など似たり寄ったりだ。しかしそんな中、彼らの目を引く物珍しい二人連れがいた。皆、半ば酔った頭で奇妙な彼らを眺めていた。


 寄り添うようにしている若い男女。男は白いシャツに黒いスラックスを着こなしていた。よくよく見ればその顔はまだ幼く、しかしそのせいか美少年を思わせる。女の方はこれまた奇妙な恰好だった。青いグラデーションの継ぎはぎドレスに、上着――少年の物だろうか――を手に持ちながら前を隠すようにして歩いている。彼女の前は、ドレスが破れているらしく、隙間からちらちら見え隠れしていた。闇夜に浮かぶ女の白い脚はひどく扇情的で、誰かがごくっと喉を鳴らす。


「おい姉ちゃんたち、こんなところで夜遊びかい? そりゃいけねえや」

 ふらふらっと覚束ない足でその男はにじり寄ってきた。顔が赤いし息も酒臭い。一目で飲んだくれだと分かる。


「俺ともちょいと遊んで――」

「何かご用?」


 己の肩に武骨な手を乗せられそうになった女は、キッと男を睨んだ。その視線は、人一人殺せそうな――いや、もう既にやっていそうな、そんな殺気を感じさせた。男はヒッと喉の奥で悲鳴を上げると、スササッと後ろに飛びのいた。


「全く今日は厄日だわ」

 アイリーンは呟いた。それにやれやれと言った風にステファンが首を振る。


「今日だけにとどまらず、姉上がどこかへ出かける時はいつも何か厄介事を抱えてくるじゃないですか」

「……私一人のせいではないわ」

「……今日もそうだと?」

「それはもちろん!」


 拳を振り上げて彼女は言い切った。


「元はと言えば、あの人から突っかかって来たんですからね。あの人のせいだと言っても過言じゃないわ」

「はあ、そうですか」


 納得したように見せかけても、やはり彼はアイリーンの弟。姉の性格は熟知しているので、どうせ今回も遠慮のない物言いで相手を怒らせてしまったんじゃないかと睨んでいた。


 姉は何も間違ったことを言っているわけではない。ただ顔立ちや表情が意地悪そうだし、物言いも上から目線に加え、遠慮が無いので誤解されることが多いだけだ。……たぶん。


「それよりもステファン。あの人のこと、知ってる?」

「はい。噂には聞いたことがありますが……」

「聞かせてくれる?」


 ステファンは躊躇ったようにしばらく口を閉ざす。しかし、姉も同じく強情に沈黙したままだったので、観念して口を開いた。


「彼はカールトン侯爵家次男、オズウェル氏です。王宮の騎士団に所属していますが、今は都市部の警備騎士団長を務めているそうです」

「警備?」

「はい。騎士団と言っても、今は戦争もありませんし、その実態は王族の護衛くらいですね。ですから王立騎士団と警備騎士団とに分かれて、後者は都市部の警備をすることになったんです」

「なるほど。……でもあの人、団長なんて務まるの?」


 声に不審の色が混じっているのは仕方がないだろう。隊長ともあろう男に先ほどは酷い目に遭ったのだから。


「ええ……まあ、実力はあるようですよ。乱闘騒ぎを鎮めたり、盗賊の一味をひっ捕らえたりと」

「そ、そう……」


 何だか悔しい、非常に。


「それより姉上。僕はあの男と姉上に何があったのかが知りたいです」

「べ、別に何もないわよ」

「何もなかったのにこんな風にドレスが破れるわけないでしょう」


 ステファンはアイリーンのドレスを見やる。……確かに酷い有様だ。破ったのはアイリーン本人であっても、それでも先日一晩かけて仕立て直したドレスが同じく一晩でこのように無残な姿になって面白いわけがない。


「わ……私が靴を履き替えようとしていたところにあの人がやって来て」

「…………」

「何してるんだ、と聞かれて。でも何だか腹が立ったから何もしてない、と答えて。何やかんやで取っ組み合いになって、私があの人に蹴りを放ったらドレスが破れてしまって――」

「何やかんやってなんですか」

「う……。だってあの人、ドレスを捲れって言ったのよ!? 淑女たるこの私に対して!」

「それは……また」


 気まずげにステファンは言葉を濁す。確かにオズウェルの言動も酷いものだろう。事情は詳しく知らないが、いくら騎士団長とはいえ、暗がりで未婚の女に詰め寄るのは頂けない。


「でも姉上にだって非はありますよ。暗がりでごそごそしていたら誰だって怪しみます」

「だって足が痛かったんですもの、仕方ないじゃないの!」

「だからって途中で靴を履き替えるなど……。まだ夜会は終わっていなかったのに」

「少しの間だけ楽になりたかったの! それをあの男が……!」


 アイリーンの怒りは増すばかりだ。ステファンは彼女を諭すのを諦めたとばかり闇夜の虚空を見上げた。


*****


 アイリーンとステファンは夜更けにようやく家に辿り着いた。ボロボロの靴をあの場に忘れてしまったのだが、ハイヒールでのこの距離の歩行はやはりきついものがあった。最後には弟に背負われての帰還だった。成長期のおかげか、ステファンも随分背が大きくなったとはいえ、自分よりも背の高い人一人背負うのは随分きつかっただろう。


「ごめんなさいね、ステファン。大丈夫?」

「はい、これくらい大したことないですよ。それより姉上の方こそ足の手当てをした方が良いかと」

「私は大丈夫よ。それに薬もないし」

「でも――」


 小声で話しながら、二人は屋敷の中に入った。暗い廊下が続く屋敷は、どこか不気味にも感じる。


「ああ、でも本当疲れちゃったわ。一息つきたい」

「では僕がお茶を入れます。姉上はゆっくりしていてください」

「ああ、いいの。私が入れるわ。ステファンこそ休んでいて」

「いえ僕が――」

「何言ってるの、私が」


 そんな応酬を繰り広げながら、アイリーンたちは居間へと続く扉の前に立った。特に何を思うでもなく、ゆっくりとその扉を開け――。


「いぇーい! 盛り上がってきたぜぇえええーー!!」

「ヒューヒュー! かっこいいわよーウィルド!!」

「みんな……元気だね」

「何言ってるのよ、始まったばかりじゃない!!」

「そうだそうだ! 宴はこれからさ!!」


 ――扉の向こうには、宴が広がっていた――。


「僕……もう眠いよ……」

 眠そうに眼を擦るフィリップ。


「もう、そんなこと言わないの。ほら、フィリップの好きな焼き菓子もあるわよ」

 満面の笑みで焼き菓子を見せびらかすエミリア。


「へへん、まだまだ子供だなあフィリップは」

 椅子の上で自慢げに胸を逸らすウィルド。


「……もう子供じゃないもん」

「俺みたいに珈琲を一気飲みできるようになったら大人って認めてやってもいいぜ?」


 そう言ってウィルドは、湯気の立っていないティーカップを手に取ると、その中身を一気に口の中に流し込んだ。しかし彼は瞬時に眉をひそめる。


「うっ……にげえっ」

「ふふっ、ウィルドもまだまだ子供ねえ。大人になるにはもう少し時間がかかるんじゃない」

「そうね、少なくとも大人はこんなことしないでしょうね」


 アイリーンは呟く。


 散らかったテーブルに、あちこちに横転している椅子。床には菓子の残りカスや、液体状の何かが零れている。これだけぐちゃぐちゃにした当の本人たちは、ドレスを着ておめかししていた。――言及しておこう、三人とも、だ。エミリアだけではない、三人とも、だ。しかもアイリーンの持っている数少ない化粧品類を使用したようで、顔に無残な化粧跡が見られた。――言及しておこう、三人とも、だ。エミリアだけではない、三人とも、だ。


 アイリーンの呟きが耳に入ったのか、三人の子供たちはギギギ、と首を回し、ようやく保護者たちの姿を目に捕らえた。


「うげ」

「――え」

「あ……」


 三者三様の反応をした後、黙り込む子供たち。口を開かない保護者たち。気まずい沈黙。


「ごっ……ごめんなさい!!」

 先に口を開いたのは、もちろん子供たちの方だった。


「つ、ついやっちゃたんです! その……その、魔が差しちゃって……」

 上目づかいにエミリアは保護者を見やる。しかし口紅がはみ出している顔では何の効果もなかった。


「ね、ねえ?」

 焦った彼女はウィルドに同意を求める。


「あ……ああ、そうなんだ! その……な、つい羽目を外しちゃって……なあ?」

 次に彼が同意を求めたのはフィリップ。慌てた様に彼は頷いた。


「う、うん。その、口うるさい保護者もいないし、今日は朝まで騒ごうぜってウィルドが――」

「ちょ、お前何言ってんだよ!」


 ウィルドが慌てた様子でフィリップの口を塞ぐ。しかしもう遅い。


「へえ……? 私たちが口うるさい、と。そんな風に思ってたんだ……。ねえ、ステファン?」

「はい、僕もびっくりです。可愛がっていた弟妹たちがそんな風に思ってただなんて……」


 白けきった瞳で子供たちを見下ろすと、皆一斉にビクッと体を揺らした。しかし未だめげないウィルドが声を上げる。


「そ、そそそれよりも、何でそんなに帰ってくるの早いんだよ? 朝まで帰らないって言ってたじゃないか!」

「それは一番遅くともっていう意味よ。普通の夜会がそんなに遅くまでやっているとでも?」


 とは言っても、アイリーンの騒ぎのせいで普段よりは早く帰ってきたことは言わないでおく。


「三人とも、この部屋を元通り綺麗にするまで寝ては駄目よ」

「え……」


 三人は一斉に絶望の表情を浮かべた。


「何よ、朝まで宴をするつもりだったんならこれくらい平気でしょう?」

「…………」

「そういえば、お仕置きが必要かしらね、この騒ぎについての」


 子供たちの顔をそれぞれ見つめながら考える。彼らはいつの間にか正座をしていた。


「そうね……今日はひどく疲れたの」

 ビクビクっと三人は肩を揺らす。


「明日は私とステファンにそれぞれ足揉みや肩揉みでもしてもらいましょうかねえ」

「…………」

「あらあら、返事がないわ。やる気がないのかしら。……ああ、嫌だわ私ったら。こんなことをやってるから口うるさいって言われるのね」

「そっ、そんなこと――」

「あら、そう? じゃあ明日よろしくね。行くわよステファン」

「はい、姉上」


 にこやかに頷き合うと、二人はさっさと散らかった部屋を後にした。

 夜会での男の無礼な態度などすっかり忘れ去り、代わりにやんちゃな子供たちのことで頭が痛くなってくるアイリーンであった。

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