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愛と鞭  作者: まくろ
第十二話 姉の噂を頭痛に病む
68/120

68:弟の悩み

 人の噂も七十五日というが、ここウィルヴィス国の城下町では、なかなか消えそうもない噂があった。子爵令嬢アイリーンと騎士団長オズウェルの恋仲疑惑である。何しろ、最近では七十五日経つ前に次から次へと新しい目撃情報が入るのだから、事態はなかなか鎮火しない。


 しかし幸か不幸か、肝心の当の本人、アイリーンの耳には、全くもってそのような類のものは入ってこなかった。もともと友人と呼べる人はそう多くないし、彼女は社交界にも出ようとしないので、情報を入手する機会がほとんどないのである。おまけに最も情報を入手できそうな友人アマリスは、もちろん二人の噂はすでに知っていたが、当のアイリーンが彼女の店に寄りつかないので、これもまた効果なし。ただ、このアマリス、二人の噂の信憑性について本人に聞きたくて聞きたくて夜も眠れず、近ごろこちらから子爵家に出向いてやろうかと考えているほどなので、これからに期待だ。


 アイリーンに最も近しいウィルド、エミリア、フィリップにしても同様だ。子供ゆえあまりそのような類の噂には興味もないし、入手の機会もない。となると、最後の希望は彼女の実弟、ステファンである。姉の将来や行動を常に心配し、いつも神経をすり減らしている不憫な弟だ。ただ、一つ残念なのは、姉の行動に目を光らせすぎているからこそ、彼女を取り巻く噂の方にはてんで手が回らなかったことくらいである。ようやく彼に噂が回ってくるころには、もうすっかり尾ひれがつきまくり、理解するにはしばしの時間を要した。


「え……今なんて言った?」

「だーかーら、二人は付き合ってるのかって」

「誰と誰が」

「騎士団長とアイリーンさん」

「…………」


 一瞬の間の後。


「はあぁー!?」

 ステファンは、辺りを揺るがす大声を出していた。それはそうだ。そんな突飛な話、初めて聞いた。いや、薄々どこかで分かっていたのかもしれない。彼自身が見ない振り聞こえない振り知らない振りをしていただけで。いや、しかしいくら何でもそれにしたって――。


「ステファン君、君、少しうるさいよ」

 振り返ると、廊下からサルマンが顔を出していた。メガネの縁を直しながら、不満そうな表情をしている彼。廊下を歩いていた時、運が悪いことに、丁度ステファンが大声を出すと同時に通りかかったものだから、キーンと耳鳴りがしてしまったのである。


 以前、ステファンにしてやられた――というよりは、勝手に勘違いしているだけだが――サルマンは、未だステファンを目の敵にしていた。


「君ね、いくら昼休みだからといってあまり羽目を外すんじゃ――」

「ちょっと先生は静かにしてもらえますか。今大事な話をしているので」

「き、君! 教師である私に向かって何たる口の利き方を……!」


 しかしやはりタイミングの悪いサルマン。今ステファンの頭の中には、姉についての噂しか頭に無かった。


「覚えていなさい。教師を甘く見たことを。せいぜい今を楽しんでおくことだね……」

 サルマンは不気味な笑みを残して去って行くが、相変わらずステファンは意に介さない。


「でも信じられない、そんな噂が広まってたなんて……。ああ、僕は何て間抜けなんだ、今までのうのうと自分だけがその噂を知らずにいたなんて――」

「おい、いいのかステファン? さっきまた何かサルマンが言ってたけど」


 さすがにニールも心配で、彼に声をかけた。

 確か、ステファンはもうすぐ国立学校の試験だったはずだ。学校からの推薦もあれば通りやすくなる。ここは嫌でも教師に愛想を振りまくべきでは……。


「そんなことはどうでもいい。とにかく今は真実の信憑性について聞きたい」

 そんな友人の思いなど露知らず、ステファンは一蹴した。ジェイは不思議そうな顔をした。


「信憑性? そんなの一緒に暮らしてるステファンの方が良く知ってるだろ。で、どうなの、付き合ってるの?」

「なわけないよ! あの二人は絶対に付き合ってなんかいない」

「あ、本当? 良かったー。俺アイリーンさんのこと狙ってるからさ。あの人に限ってはそんなことない、とは思ってたけど、いや、本当良かったよかった」


 誰に言うでもなく、ジェイは嬉しそうに頷いた。自然、ニールの彼を見つめる瞳は冷たくなる。


「……ねえステファン、ジェイがなんかほざいてるけど、これについては容認するの?」

「ああ、まあね。やれるもんならやってみろって感じかな」

「おおっ、ご家族の許可が下りました~。よし、俺がんばろーっと」

「……ジェイのそういう所、時々すごく羨ましくなるよ。せいぜい頑張ってね」

「おう!」


 いつもは茶々を入れるニールも、今回ばかりは無視一択のようだった。


「でもさあ、付き合ってないなら、何でそういう噂が流れたんだろうな。……案外、ステファンが知らないだけで、二人は付き合ってたりして――」

「ちょっと。憶測で話をするの止めてくれないかな。ただでさえ姉上の噂は酷いものが多いのに、噂が噂を呼んで更に評判が悪くなること請け合い――」

「いや、ちょっと待ってよステファン」


 ずいっとニールが顔を出した。


「なんでそれで評判が下がるの?」

「どうしたんだよ急に」

「いや、ちょっと不思議に思って。騎士団長さんと付き合ったら、どうしてアイリーンさんの評価が下がるのかなって」


 ニールは詰問するでもなく、ひどく不思議そうな表情だった。だからこそ、余計にステファンは言葉に詰まった。


「い、いや……だって、ただでさえ姉上の評判は地に落ちてるのに、その上更に異性との醜聞なんて……周りにどんなことを言われるか」

 ステファンは首を振る。一番酷いことを言っているという自覚はないらしい。


「真剣な交際に、醜聞も何もないよ。当人たちが真剣なら別にいいんじゃない、噂なんか。結婚まで到達しちゃえばこっちのもんなんだし」

「結婚!?」


 ステファンの声が裏返る。声もなく、口をパクパクさせた。


「い、いや……結婚とか、ちょっと話が飛躍しすぎてるし、それに姉上だってまだそんな年齢じゃ――」

「いや、でもそれなりに適齢期なんじゃない? 近ごろは結婚を速める女性も多いらしいし、むしろ世間と比べると遅いくらい――」

「嫁ぎ遅れって言いたいの?」


 ステファンの声が一騎に詰めたくなった。ニールは焦って手を振った。


「いや、誰もそんなことは――」

「言いたいの?」


 ステファンの顔がずいっと近づく。ジェイは冷や汗を流した。


「ちょ、一旦止まれ。ステファンもちょっと落ち着けって」

 家族と金のこととなると、途端に本気になるステファン。彼の眉間に皺が寄って来たので、ジェイは慌てて二人の間に割って入った。


「姉上が……いやだから姉上は――」

 しかしそんな努力も水の泡。次第に自分でも何が何だか分からなくなってきたステファンは、一人で何やらぶつぶつ言い始めた。じっとしていられないのか、ついには辺りを落ち着きなく歩き回り始める。


「大丈夫かな、こいつ」

 ジェイに言われたら、それこそお終いである。しかしそんな突っ込みすら放棄し、ニールもただただ力なく頷く。


「確か次の授業、サルマンだったよね」

「……あいつに目を付けられないことを祈るよ」


 いや、もう既につけられていると突っ込む者は、この場には誰も居なかった。

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