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愛と鞭  作者: まくろ
第十一話 恋は理性の外
66/120

66:二度あることは

 ずんずんと二人は人ごみを掻き分けていく。誰もその歩みを止める者はいなかった。否、止められなかった。


「祭りを楽しむ歩き方じゃないな」

 それはオズウェルも分かっているのか、自身の腕を掴む令嬢にそう声をかけた。彼女は一瞬逡巡したようだが、すぐに観念して口を開く。


「い、いいの。私はこれで」

 とにかく今はこの人を若い恋人から遠ざけなければ。十分離したところで、この人は解放すればいいんだし。


「でも、大分人が多くなってきたわね。露店も多くなってきた」

「祭りの中心地に近いからな。大芸道やら軽業やらいろいろ催しもあるらしい」

「へえ……。この人だかりなら、知り合いにも会いそうにないわね」


 アイリーンはすっかり安心していた。知り合いなど、今一番会いたくない人物たちだった。むしろ、こちらのことを無視してくれる知らない人の方が良い。

 ――と、思っていた彼女だが、早速その安心はひっくり返ることとなった。前方に、何やら見たことのある後姿を見つけたのである。ゆっくり歩いていたならば、決して出くわさなかったであろう弟の姿。


「――っ!」

 悲鳴を上げそうになるのを、アイリーンは瞬時に堪えた。

 前方には我が弟、ステファンと、その友人二人がいた。三人はこちらに背を向けたまま、通りの隅によって話し込んでいた。アイリーンはオズウェルを引っ張ったまま、思わず物陰に隠れる。何かと小うるさい彼。今この状態を見つかったら、また往来で小言を言われるに違いないと、咄嗟の判断ゆえの行動だった。


「ようし、みんなで全部の露店制覇しようぜ!」

 とジェイ。


「またそんなこと言って……。どうせお腹壊すよ?」

 とニール。


「何の何の、それも祭りの醍醐味ってもんだろ!」

「でもここは堅実に行った方がいいんじゃないかな? そんなことしてたらすぐに散財しちゃうよ」

 とステファン。友人のお腹よりも、自身の財布事情の方が気になるようである。


「何の何の、それも祭りの醍醐味ってもんだろ!」

 目の前では、ステファンとその友人との和やかな会話が繰り広げられていた。


「こ、こっちは止めておきましょうか」

 思わずアイリーンはそう口にしていた。


「いいのか? 声かけなくても」

「いいの! こんな所を見られたら、何言われるか分かったものじゃないでしょう? このままこの路地を進みましょう」


 再びずんずんと歩き出した。大通りとは違って、このような路地は誰も通りたくはないのか、人通りはめっきり減っていた。


「俺は大通りの見回りをしたいんだが……」

「大通りは人目があるから大事にはならないわよ。むしろここみたいな閑散としている所の方が犯罪が起こったりするものなのよ」


 口から出まかせだったが、なかなかに説得力はあった。オズウェルもそう思ったのか、納得したように黙り込んだ。

 随分長い間歩いたような気がするが、やがてその道にも終わりが訪れた。喧騒と灯りが漏れていた。


「誰かいるようだな」

 前方で何やら話し声が聞こえた。この路地は人二人通るのがやっとなので、この先へ行くには彼らに退いてもらうしかない。戻ろうか先へ行こうか、立ち止まって逡巡していた時。不意に彼ら三人組の中の一人が声を発した。


「腹……いてえ」

 押し殺したような小さな声だ。しかしそれは紛れもなくウィルドのそれだった。


「おい、大丈夫か?」

「大丈夫に見えるかよ……。食べ過ぎて気分悪い」

「自業自得だろ? 屋台全部制覇する!なんて、もともと無謀だったんだよ。どうせこんなことになるだろうなって思ってた」


 そう呆れたように言うのはクリフだ。その向こうから再び新たな少年が駆けてくる。


「おいウィルド、あっちに大道芸人がいる! 面白そうだから行って見ようぜ!」

「……! 本当かよ! 早く行こうぜ」


 途端にウィルドはすくっと立ち上がり、そう叫んだ。先ほどまでの憔悴ぶりは、もうどこにも見られない。


「大芸道かあ。何やるんだろう。見るの久しぶりだな!」

 すっかりご機嫌になってウィルドが向かうのは、アイリーンたちがいる方面。


「――っ!?」

 声にならない悲鳴を上げながら、咄嗟にアイリーンは身を翻した。しかし残念、そこにはオズウェルの大きな体が。先を行こうにも、彼の身体で塞がっていて通れない。それでもなおこちらに走ってくるウィルド。


「~~っ」

 迷いに迷った挙句、どうしてか、目の前の彼の身体に身を寄せる形になってしまった。


「…………」

「…………」


 オズウェルは固まっている。もちろんアイリーンの方も。

 足音がピタリとやむ。どうやら、こちらの存在に気が付いたようだ。


「あ……」

 もちろんウィルドは立ち尽くした。単純な彼のことだ、向こうに行きたいが、目の前の暗闇には男女二名がいちゃついている、でもやっぱり向こうに行きたいとでも考えているのだろう。男女二名の心中など知らずに――。


「あの、すいませんけど……」

「おいウィルド!」


 その時のクリフの呼びかけは、天からの助けに思えた。


「そっちじゃないって。ったく、人の話も聞かずに突っ走るんだから。早くこっちに来いよ」

「あ……そっちか!」


 照れ笑いを浮かべながらウィルドはこちらに背を向け、走って行った。ホッと胸を撫で下ろす暇もなく、しかし今度は上から声が降ってきた。


「大胆だな」

 すぐ耳元で囁かれる低い声に、アイリーンはパッと歩とを色づかせた。口をパクパクとさせながら、後ずさりをする。


「し、仕方ないでしょう。こんなところ、ウィルドに見られたくなかったんだもの」

「今の場面を見られるよりはマシだと思うんだが」

「う……。で、でも、結果的にはウィルドに気付かれなかったんだから、それで十分よ! あの子に見られたら、家で何言われるか……。どうせエミリアかフィリップを経由して、ステファンの耳に入ること必須――」

「エミリアちゃーん!」


 今度は誰だ!

 そう叫びたいのを堪え、アイリーンはまたまた暗がりに身をひそめる。エミリアという名は、そう珍しい名でもないが、彼女の直感が告げている。二度あることは三度ある、と。


「あれ、今姉御の声がしたような……」

 虚しくも直感が辺り、ほどなくしてエミリアが歩いてきた。その後ろから三人の少女が走ってくる。よくよく見れば、エミリアとシェリルが対峙した時、証言をしてくれた三人組の少女たちだった。


「もう、急に走り出してどうしたの?」

「ごめんね。姉御の声がしたような気がしたんだけど、気のせいだったみたい」

「もう、しっかりしてよねー」


 あはは、と楽しそうな笑い声が上がる。エミリアも照れたように頬を掻き、笑っている。その様子ではもう心配はいらないようで、アイリーンも物陰からクスリと笑い声を漏らした。通り過ぎる人々が、まるで彼女を不審者のごとく訝しげな目で見ていることには、幸か不幸か気付かなかった。


「でさ、今度何食べる? あっちのもおいしそうだよ」

「そうねえ、でもたくさん食べると太っちゃいそうだし……」

「でも私はまだまだ食べられるよ! こうなったら全部の露店制覇しちゃう?」


 考えることは皆同じなのか、一人が拳を握った。その提案に、渋い顔をするのは残りの三人。


「私、そんなにお腹空いてないんだけどなー」

「あたしも。それにちょっと歩き疲れちゃった」

「み、みんな冷たい……。う、エミリア~」


 彼女が泣きついたのはエミリアだった。よしよしとエミリアは少女の頭を撫でてやる。しかし、見かけとは違って腹黒いことを言うのがエミリアという名の少女であった。


「そんなことしたらお腹壊すわよ。みんなが大芸道を見ている間、自分一人だけ陰で蹲っていたいの?」

「う……」

「エミリアちゃんの中に、一緒に背中を擦ってあげるという選択肢はないんだね」

「当たり前じゃない。わたしは大芸道を見たいもの」


 さも当然と言ったような顔で言ってのけるエミリア。


 四人組のやり取りを物陰でこっそり見ながら、アイリーンは顔を引き攣らせた。

 後ろから何かもの言いたげな視線を感じる。

 大方、誰かさんにすっかり似てしまったなとでも言いたいのだろう。絶対に振り返ってやるもんか。


「はい、これで決まりね」

「あたしたちも大芸道は見たいから、背中を擦ってあげることはできないしね」

「そんなぁ……」


 がっくりと項垂れる少女の背を押しながら、三人は和気藹々と雑踏の中へ消えていった。それだけでは気が済まず、完全に気配が消えるまで、アイリーンは物陰から動かなかった。ようやくその場から離れることができたのは、随分人通りが少なくなってからだった。その数少ない人たちも、皆足早にどこかに向かっていた。小耳にはさんだ所によると、どうやらいよいよ大芸道が始まるらしい。


「大芸道の方へ行ってみる?」

「そうだな。人ごみが多い方が何かと問題が勃発しやすい。見回りのし甲斐があるというもの」


 もうすっかり二人で回ることに違和感を感じなくなっていた両人。周囲の閑散とした露店にちらちらと目移りさせながら、大芸道があるらしい方向へ歩いていた。


「おっと」

「あ――」


 角から飛び出してきた少年とオズウェルがぶつかった。少年は、慌てたような様子ですぐに頭を下げた。


「ごっ、ごめんなさい!」

「いや、大丈夫だ」

「レイー、どこにいるの?」

「あ、うん、すぐに行く!」


 ぴたり、とアイリーンの身体が止まる。もう驚かない。三度あることが、四度あろうと。


「そっちはちゃんと買えた?」

「うん、もちろん!」

「じゃあすぐに行こう。もう大芸道始まっちゃってるよ」

「大丈夫だよ。知り合いの人に家の屋上に入る許可貰ってるんだし。きっとこの辺りで一番の特等席だよ!」


 フィリップと、その友人、レイの声だった。


「たくさん買っちゃったね。食べきれるかな」

「レイ、後で半分こしよう。その方が少しずつ色んな物を食べられて楽しいし」

「もちろん! 早く行こう!」


 パタパタと軽い足取りで二人は走って行った。もう驚かない。大芸道の最中、ばったり弟妹達の誰に遭遇しても、もう驚かない。しかしそれとこれとは話が別。もし遭遇して、自分たちを認識されてしまえばもうお終いだ。それにフィリップ。彼は先ほど何と言っていた? 知り合いの家の屋上で大芸道を見る? ……何かとめざとい彼に、上から一番に発見されてしまうこと間違いない。

 そこまで考察すると、くるっとアイリーンは身を翻した。大芸道の賑やかさとは反対方向に。


「止めておきましょうか、大芸道」

「…………」


 あらかた想像はついていたのか、オズウェルは何も言わなかった。ただ呆れたように見下ろすだけだ。と、思っていたら、盛大なため息をつかれた。


「何よ。……あ、もしかして大芸道見たかったの?」

「違う。結局お前は何がしたかったんだ。弟たちからも逃げに逃げて」

「……べ、別に逃げているわけじゃ……」

「どうせなら俺の用事にも付き合ってもらおうか」


 唐突にそれだけ言うと、オズウェルはさっと身を翻した。彼の言葉の意味が分からず、アイリーンは立ち尽くす。数歩行ったところで、彼は眉根を寄せて振り返った。


「まさか嫌なのか? あれだけ人を散々付き合わせておいて」

「……人聞きの悪いこと言わないでよ!」


 アイリーンはキッと睨み付ける。といっても、半分事実なのでそれ以上反論はできないが。


「早く来い」

「分かってるわよ」


 ぽつぽつと瞬く街灯の下で、二つの足音だけが響いていた。

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