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愛と鞭  作者: まくろ
第十一話 恋は理性の外
64/120

64:姉離れ

 騎士の詰所を出た後、アイリーンは再び通常の花売りに戻った。彼女としては、とくに何か工夫をしたつもりはなかった。にもかかわらず、始めに比べると、格段に花の売れ行きが好調になった。なぜか人がポツリポツリと集まるし、得意の弁舌を振わなくともなぜか売れていくのである。もちろんアイリーンは不思議でならなかった。


 先程のオズウェルの言葉を思い出す。……自分では笑顔を浮かべているつもりはない。オズウェルと会う前までの自分と、何が違うというのだろうか。

 ちょっと頬を触ってみても、答えは出ない。手押し車に載せてある花を全て売り終わった後、アイリーンは仕方なしに諦め、アマリスたちの元へと歩き出した。


 花屋に帰ると、もう出て行く前ほどの賑わいは見せていなかった。どうやらピークは過ぎ去ったようだ。店の奥のテーブルを皆で囲み、そこで紅茶を飲んでいるのを見れば、そんなこと聞かずとも知れる。アイリーンが苦労に苦労を重ねながら花を一輪一輪売っている間、彼らは何とも優雅にティータイムを決め込んでいたと。……呆れてもうものも言えなかった。


「あ、お帰りなさい、姉上」

 もはや罪の意識すらないのか、清々しい笑みで迎えられた。


「……ただいま」

「お疲れみたいだね。ご苦労様、アイリーン」

「……全部売るのはなかなか骨が折れましたよ。私の接客力もきっと格段に上がっていること間違いありませんわ」


 始めは全く売れなかったことを棚に上げ、どこか自慢そうにアイリーンは言ってのけた。


「あれ、全部売ったの? まさか」

「さすが姉御ですわ!」


 姉の声に、二つの相反した声が上がった。もちろんアイリーンが前者の失礼な声を聞き逃すわけもなく、その声の主であるウィルドに尖った声を発した。


「まさかとはどういうこと? 私が全部売ってきたことがそんなに信じられないと?」

「そりゃあそうだよ」


 しれっと言い返すと、ウィルドはすぐに手押し車へと向かった。乗り出すようにしてそこを覗き込むと、彼の顔にゆっくりと笑みが広がった。


「いや、待って! まだ一本残ってる!」

「え、でも残ってるって――」

「いえーい、俺とステファンの勝ちー!!」

「勝ち……?」


 アイリーンは不審な声を上げた。

 先ほどから感じる嫌な予感。というか、ウィルドがはしゃいでいる時は大抵面倒事が起こった。今回もきっとそうだろう。アイリーンはさっと心の準備をし、いつでもこの失礼なウィルドの言動に対応できるようにした。


 一方で、まだ自身の身の危険を察知していないウィルドは、呑気にべらべらと話し出した。いち早く何かを感じ取ったステファンは、さっと身を隠したというのに。


「――だからさ、俺たちで賭けをしたんだよ。師匠が花を売れ残してくるか全部売ってくるか! 俺とステファンは絶対売れ残してくるに賭けて、エミリアとフィリップが売り切る方に賭けたんだ」

「へえ……」

「いやー、予想通りだったな。やっぱり師匠は俺たちを裏切らない! な、ステファン!!」


 しかし彼の姿はない。


「……ステファン? あれ、どこに行ったんだ?」

「……残念ね、ウィルド。ステファンはもうとっくの昔に逃げたわよ。仕方ないわ、彼には後でじっくり話を聞くとして」


 アイリーンはにこにこと笑いながらウィルドに近づいた。


「ウィルドあなた、そんな低劣な賭けをしていたのね」

「いや、賭けっていうか……。ちょっと暇だったから――」

「しかも残念ね。賭けはあなた達の負けよ」

「……は?」


 アイリーンは自慢げに腕を組む。


「花は全部売れたの。これは私のよ」

「なっ……」


 信じられないと言った風にウィルドが目を見開いた。


「往生際が悪いぜ師匠! いくら売れないからって自分で買うのは卑怯だ!」

「何を失礼なことを言ってるのかしら、これは私が貰ったものであって――」

「え!?」


 子供たちの反応に、アイリーンはハッとする。思わぬ失言だった。慌てて両手をひらひらと振る。


「あっ、ちがっ……」

「姉御、それ貰ったんですか!?」

「誰から?」

「まさか男から!?」


 奥で話を聞いていたのか、いつの間にかステファンもちょこっと顔を出していた。


「まさか姉上に花を贈る酔狂な殿方がいたとは……」

「ちょっとステファン、後で覚えておいてね」


 珍しいステファンの失言も、今のアイリーンは見逃さない。鋭い眼光の姉に睨まれたステファンは、再びサッと首をひっこめた。


「で、誰なの?」

「知らない人?」

「まさかわたしたちの知ってる人ですか!?」

「べ……別に誰だっていいでしょ」


 再びアイリーンはたじたじになった。その場の誰もが思う。あ、図星なのか、と。


「いやあ、まさか師匠にも春が訪れようとは思いもしなかったよ。良かったね」

「良くないわよ。あなた達何か勘違いしてるようね? 別に……向こうだってそんなつもりで渡したつもりはないんだし――」

「はいはい、とにかく今日はもうこれでお終い! 店じまいするよ!」


 アマリスは唐突にパンッと手を叩いた。アイリーンに言い訳を許したら、意地でも相手が承知するまで続ける性格だからである。


 もうとにかく今日は疲れた。早く家に帰ってゆっくり休みたい。

 そう思うのは何もアマリスだけでなく、今日一日彼女に大分しごかれた子爵家の面々は素早く片付けに入った。六人も居ればあっという間に全てが終わった。


「ご苦労様。花祭りまでまたよろしく頼むよ。ただ、祭り当日は手伝いはいらないから。どうせもうその頃になると花を買ってくれる人も少ないだろうし。存分に祭りを楽しんできな」

「アマリスさんも花祭りに行くんですか?」

「いやあ、一応店番はしとかないとね。何があるか分からないから。でもそれはそうと、皆は祭り、誰と行くんだい? もしかしてまたいつもの様に家族みんなで?」

「俺は友達と行くよ。どれだけ食べ歩き制覇できるか勝負しようって話になってるんだ」

「僕も……レイと行こうって話になってて……」

「あら、フィリップも? 実はわたしも。同じクラスの友達と待ち合わせしてて」


 皆の視線がステファンにいった。彼は気まずげに苦笑いを漏らす。


「申し訳ないんですけど、実は僕も。この前強引に約束させられて……」


 そうなると、残りの一人は。

 ギギギ、と皆の首が彼女に回る。アイリーンはにっこりと笑みを浮かべた。


「……何が申し訳ないのかしら? 誰に申し訳ないと思っているのかしら? 行きたいように行けばいいじゃない。私だってお守にうんざりしていた頃なのよ。あーあ、良かったー。その日は家でのんびりしていられるわ」

「……負け犬の遠吠え」

「あら? 今聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど、いったいどこの誰かしら。いったいどこの誰がこの私を貶すようなことを言うんでしょう」

「あ、あだだだ!」


 アイリーンはニコニコとウィルドの頭にぐりぐりと拳骨を食らわせた。その後ろで、アマリスがため息をつく。


「何となく分かってたことだけどねえ。君たちのお姉さん、結婚できるかな」

「……どうでしょう」

「そもそも、姉の噂を怖がって遠ざかっている人ばかり、というのが現状ですからね。まずは噂をどうにかしないと」

「ステファンの悩みは尽きないねえ。本人があれじゃあ」


 ちらっと彼女が視線を寄越す先にはアイリーン。自分の暗雲立ち込める将来よりも、今は弟に仕置きをする方が大切らしい。ステファンの肩の荷が下りるには、あと少しもうかかりそうだ。


「でもあんたたちだって、またいつもの様にアイリーンに花を贈るんだろ?」

「…………」

「え、なに、あげないの?」


 気まずい沈黙に、聞いた当人が慌ててしまった。後ろでこっそり聞いていたらしいアイリーンが、あまりにも衝撃を受けたという顔をするので。


「……ま、そろそろ皆、姉離れの時期か!」

「…………」


 アマリスが場を取り成そうとするも、未だ気まず沈黙が漂う。少しばかり、エミリア達にも罪悪感が湧いた。


「えっと……わたし達、別に姉御が嫌いなわけじゃなくて、ですね」

「……花を買うお金が無かったんだ。ごめん、母様」

「だって師匠からのお小遣いが少ないしなあ。祭りの分のお金を残そうと思ったら、そんな余裕ないし」

「あの……すみません。畑で栽培してた食用の花ならあるんですけど……それでどうでしょうか」

「…………」


 よりによって、食用の花とは。

 花祭りに、食用の花。

 彼らには、矜持というものが無いのだろうか。

 こちらには、もちろんある。


「いえ、いいわ。結構」

 くるっと身を翻し、アイリーンは彼らに背を向けた。


「そうね、どうせ花なんてひと月と持たないもの。私達――いえ,

私は花より団子。どうせもらうなら食べ物の方がいいわ」

「おっとそれは聞き捨てならないね」


 折角のアイリーンの強がりも、花に関しては失言を許さないアマリスによって粉々に砕かれた。


「この世のものにはそれぞれの役割があるってもんだよ。花は見ている者の心を安らかにしてくれる。それで十分じゃないか」

「でもその役割にだって優先順位というものがあります。生活が困窮している人にとってみれば、見ていて安らぐ花よりも、お腹が膨れる団子の方が良いに決まってますわ」

「頭でっかちな子だねえ。空腹すら忘れさせてくれるのが花ってもんじゃないか!」

「忘れたってだけで実質的には満腹になってないじゃないですか!」

「なってる気がするからなってるの!」

「なってません!」

「――くだらない……。もう帰ろうぜ、疲れたし」


 ウィルドは冷めた目でアイリーン達を眺めていた。珍しく、彼の意見に異を唱える者は誰も居なかった。

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