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愛と鞭  作者: まくろ
第十一話 恋は理性の外
63/120

63:愛想

「さあて、誰か新しいカモはいないものかしらね……」

 詰所内には、すっかり噂が広まっていた。金がない者はあの女に近づくなと。姿を見せたら最後、ごっそり金を吸い取られるぞと。


 やがて賑わいを見せていたアイリーンの周囲は、すっかり鳴りを潜めてしまっていた。この調子でガンガン売ろうと考えていたアイリーンとしては拍子抜けだ。とぼとぼと歩きながら、次のカモを探そうと頭を張り巡らしていた時、目に入った。最後のカモが。


 オズウェルは、市中の見回りから帰還するところだったらしい。彼が疲れた顔でぐるぐる肩を回している時、目が合った。しかし一息つく間もなく、その視線はすーっと外された。心なしか、アイリーンとの距離も遠くなった。一定の距離を保ちながら、詰所へと帰還しようとしている。こんなあからさまな態度を、彼女が見逃すわけがなかった。


「今目が合ったわよね? どうして避けるのかしら」

「嫌な予感がしてならないからだ」

「あら、ご名答」


 ふんっと鼻で笑うと、アイリーンは再び手押し車をその場に止めた。詰所の真ん前にどんと置かれたそれは、見事に入り口を塞いでいた。勝ち誇って彼女は言う。


「お花、買っていかない?」

「花?」

「もうすぐ花祭りよ。男性が花を買わなくて誰が買うの」

「……それよりもお前、こんな所で何をしている。ここは女人禁制だぞ」

「あら、訓練や見回りで忙しい騎士さんたちのためにわざわざここまで出向いたのよ? お礼を言って欲しいくらいだわ」

「よく言う……」


 オズウェルは呆れたようにため息をついたが、アイリーンは意に介さない。新しいカモを逃してなるものかと、ずいっと顔を近づける。


「花祭り、どういう日かくらいは知ってるわよね? 男性が女性に花を贈る日。一般的には恋人に贈ると思われている日だけれど、最近どうやらちょっとずつ進化しているようなのよ。例えば男性が母に、姉妹に花を贈ったり、逆に女性が気になる男性に花を贈ったり。いつまでも昔の風習に捕らわれてたら駄目ね、大切なのは相手に愛や親愛の情を贈る気持ち! 今は新しい進化に適応する時よ。さあ、あなたはいったい誰に贈るおつもりで?」


 もう何回目か分からない売り文句。

 正直なところ、アイリーンの言う変化は、今日彼女自身が無理矢理人々に売りつけることでもたらした現象なのだが、彼女はそこまで考えていない。


 ただ目の前の人に花を売りつける。

 妻がいなくても恋人がいなくても気になる人がいなくても、どんな人でも花を買ってくれるように導き出した売り文句が、先ほどの口上なのである。接客が苦手だとはいえ、舌だけはよく回る女性であった。


 しかしその一方で、こんなに長い口上を述べられる方の身にもなってほしい。アイリーンの犠牲者のほとんどは、彼女の強引さ、捲し立てられるような長い売り文句にうんざりして財布の紐を解いていた。


「いくらだ」

 オズウェルもまたそうだった。首を振ればさらに躍起になって捲し立てられそうな気配を感じ、早めの処置を取ったまでだった。


「買ってくれるの?」

「お前が言い出したんだろうが」

「ま、まさか本当に買ってくれるとは思わなかったのよ」


 若干どもりながらも、アイリーンは手押し車の横に移動した。相変わらず詰所の入り口は塞いだままだったが、その頃にはすっかり忘れ去っていた。


「どれが欲しいの?」

「適当に」


 オズウェルの適当な返事に、アイリーンはため息をつく。


「そういう訳にはいかないわよ。誰にあげるの? それにもよるんだけど」

「いや……別に誰に渡そうとかは考えていないんだが」

「ええ? さっき私が行った弁舌を聞いていなかったのかしら。お母様でも姉妹でも気になる人でも友人でも誰でも好きな人に渡せばいいわ」

「そんな適当な……」


 花を買ってくれると分かった時点で、アイリーンは無駄な接客をする性質ではない。伊達に接客嫌い人嫌い子供嫌いの看板を背負ってはいないのである。


「お前は誰かに貰ったのか?」

 しかし、不意にオズウェルから質問を投げかけられた。虚を突かれた様にアイリーンの瞳が開かれる。花選びに集中しているようであるオズウェルはそれには気づかない。彼女の瞳は、すぐに目的を失ったかのようにくるくると忙しなく動いた。


「そ……そうねえ、ええと、うん、貰う予定ね」

「誰に?」

「す、数人の男性と女性……?」


 言わずもがな、ステファン、ウィルド、フィリップ、エミリアの計四人だ。これは確定として、その年その年で、他幾人から親愛の証として渡されることはある。……が、それまでだった。アイリーンも花屋を手伝っているだけあって、花祭りが何たるかくらいは知っている。が、残念ながら家庭教師や洋裁店や家の往復ばかりの毎日、加えて彼女を取り巻く不穏な噂のせいもあって、これまで花祭りのような恋人の行事ごととは無縁の生活だった。


 にもかかわらず、お金のためとはいえ、彼女は花祭りの名の所以たる花を売る仕事を手伝っている。何という不憫な役回りだろうか。今でも十分に輝いている恋人たちの仲を、更に色よいものにする役目というのは!


 しかしアイリーン自身はそれほどこの仕事を厭っているわけではない。せっかくの国を挙げての行事ごとなのだから、楽しむのなら恋人のみならず、市民皆で楽しまなくては。それを売り文句として掲げるのは、ひとえに皆のためである。


 だからこそ、アイリーンが花を売る口上として、花を贈るのは何も恋人だけじゃないのよと声高々に叫ぶのは、決して自分が貰う花の数を増やそうなどという企みあっての行動ではないのである!


 そういったアイリーンの心中での言い訳、葛藤など露知らず、気づけばもうオズウェルは花を選び終わっていた。そしてその花をアイリーンの前に差し出す。


「いるか?」

 彼女の目は点になった。


「……はあ?」

「どうせ贈る相手もいないんでな。持っていても仕方がない」


 断る理由もなく、気づけばそれを受け取っていた。くるくると回しながら、花に見入る。群青色の大ぶりな花。花言葉は……何だっただろうか。頭が混乱していて思い出せない。


「一応、貰っておくわ」

 花が萎れないよう、手押し車の開いた隙間にそっと横たえた。次に顔を上げた時、彼女はもうすっかりいつもの調子に戻っていた。


「花、もういらないの? マリウスさんなんかは三十輪も買ってくださったんだけど、恋人にって。花祭りの日は忙しいから、毎日花を贈るらしいわ」

 副隊長の名を出されたら、隊長として、その更に上を行かない訳には行くまい。そう思っての言葉だった。


「そんなに欲しいのか?」

 しかしオズウェルの返答は期待していたものではなくて。


「え?」

「三十輪。贈ろうか」


 ニヤッと意地の悪い絵にを浮かべた。途端にアイリーンの顔に熱が集まる。もちろん怒りでだ。


「何、あなた今日何か変よ。からかわないで頂戴」

「そんなつもりはないがな」

「意地の悪い人!」


 む、と口を尖らせていよいよアイリーンは腕を組んでそっぽを向いた。しかしそんな彼女に更なる追い打ち。


「売れ行きは好調なのか?」

「う……」


 言葉が詰まった。何とも残念ながら流暢に嘘が穿けないアイリーンだった。しばしの沈黙の後、心を落ち着かせてのたまう。


「そ、そうね、割と好調かしら。何せもう半分以上売り捌いたくらいだし?」

「半分……な」


 そんなアイリーンを知ってか知らずか、オズウェルは楽しそうに笑った。


「ここへ来る途中、やたら花を抱えた男たちとすれ違ったが――」

「ああ、それきっと私の所の花を買ってくれた人じゃない? うん、そうね、きっとそうだわ――」

「全員ここの騎士の連中に見えたのは俺の気のせいか?」

「う……」

「大方、市中では売れなくて、独り身の多いこの場所へ来たという訳か。ご苦労なことだな」

「売れないんだから仕方がないじゃない!」


 アイリーンは突然声を荒げる。


「せめて近寄ってさえしてくれれば煽てて言いように言って買わせることもできるのに!」

「ついに本音が出たな」

「ここを出たらこれからどうやって売って行けば良いのよ……。このまま半分も売り残したまま帰れないし、かといってお客は近寄ってくれないし……」


 思わずアイリーンは一人ごちる。珍しく気弱になっているようなので、次第にオズウェルは気の毒になってきた。


「表情が硬いんだよ。というより、仏頂面?」

「そんなつもりはないわ。自分では愛想のいい笑顔を作っているつもりよ」

「自分では、な」


 オズウェルは小さくため息をついた。


「お前はいつも口元がひん曲がってるんだよ。眉間には皺が寄ってるし。それを見れば誰だってお前が怒ってると勘違いする」

「…………」

「誰だってムスッとした顔でいられたら近寄りがたいだろ。せめて愛想笑いでも浮かべてみろ。そうすれば自然と人も寄ってくる」

「…………」


 思いっきり貶されているような気がしてならない。

 自然、アイリーンの眉間には徐々に皺が寄り、口元はひん曲がっていった。オズウェルも同様に顔を顰めた。


「ほらまた」

「う……」


 反射的にアイリーンは自身の口元を手で覆ってしまった。自分では全くそんな自覚など無いのだが、こうも花が売れないのは、確かに彼の言うことにも一理あるような気がしたのである。


「じゃ、とにかく残り頑張れよ」

「……言われなくても」


 アイリーンは素っ気なく答えた。オズウェルはそれを不満そうに眺めたが、彼女の口元は手で覆われているので、先ほどの様に不機嫌な顔になっているかどうか判断がつかない。諦めてさっさと踵を返した。どことなく勝ち誇ったような顔でアイリーンはそれを見送った。

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