61:花祭り
もうすぐ花祭りが開催される時期になった。街は色めき立ち、人々の表情も同じく明るい。花々が大好きなアマリスもまた、大歓喜である。ようやくこの時が来た、と。
花祭りのこの時期は、その名の通り花が主役なので、花が飛ぶように売れる。店主としてのアマリスも大歓喜だった。
しかし、かと言ってさすがの彼女も一人で店を切り盛りするのは難しいので、そこで白羽の矢が立つのが子爵家である。臨時手伝いとして、この時期だけ雇われる形だ。もちろん報酬もある。日頃の感謝で手伝うというよりは、ほとんどそれ目当てだと言っても過言ではない。
だが、花屋の裏方の仕事は中々厳しい。今も、子爵家の面々は既にへとへとだった。貴重な男手であるステファンとウィルドは問答無用で重い鉢やら花瓶やらを運んでいるし、アイリーンたちの方も、朝からずーっと奥に引っ込み、花を一輪ずつラッピングしていた。
予め水揚げしておいた花の棘や葉を取り、濡れた布で花の根元を包む。そして透明なフィルムでそれを綺麗に包み、リボンを結べば完成だ。
単純な作業とはいえ、なかなか工程は多いので分担してやることにした。鋏を使う作業はアイリーン。花の根元を布で包む作業はフィリップ。手先の器用さが問われる最終工程はエミリア担当だ。アマリスは表で通常業務を行っている。
「お……終わったあ……!」
一言そう叫ぶと、アイリーンはぐでんと机に伸びた。いつもならすぐ、はしたないですよとステファンのお小言が飛んでくるはずだが、彼は今ここにはいない。思い切りのんびりすることができた。
「はいはい、みんなお疲れー。どう、調子の程は」
「全部終わりましたわ、アマリスさん」
「おおっ、頑張ったねー。エミリアもフィリップもありがとうね」
アマリスは笑顔でくしゃくしゃと二人の頭を撫でた。二人は嬉しそうにされるがままになっている。
「じゃあそろそろお昼にしようか。みんなもお腹減ったろう。向こうの部屋で一足早くステファン達が食べてるから」
「はーい」
エミリアたちはバタバタと騒がしく隣の部屋に向かった。アイリーンはアマリスに向き直る。
「アマリスさんはお昼もう頂いたんですか?」
「ああ、そうだよ。あの子たちと入れ替わりでね。店を空けるわけにはいかないから」
「……そう言う今も、既に空けてるんですけどね」
「あはは、そこは気にしないで」
気楽に笑い飛ばしてアマリスは店へと戻った。その姿を見送って、アイリーンもいそいそと隣の部屋を目指す。急がないと、ウィルドに全部食べられてしまうかもしれない。
しかしそれはさすがに杞憂だったようで、各々食べ終わった後は悠々としながら過ごしていた。特にウィルドのだらけようは、目に余るものがある。
「どうだったの、そっちは?」
「どうもこうもないよ。アマリスさん、いつにも増してこき使うし、重いし、肩は凝るしでもう散々」
椅子の上で最大限だらけながらウィルドは己の肩を揉む。その様に、アイリーンの瞳がきらめいた。
「ね、揉み合いっこしない?」
「え? やだよー」
「どうしてよ。肩凝ってるんでしょう? ほら、やってあげるから」
「いや、だからいいって」
ウィルドは本気で嫌そうな顔で体をねじって避けようとする。少なからずショックを受けるのは当然だった。
「な、何よ、人がせっかく親切で言ってるのに……!」
「だって師匠不器用じゃん。いっつも押さえるツボの場所が違うし、そもそも力加減ができてないから痛いし」
「じゃあエミリア」
「わたしは遠慮しておきますわ」
即答だ。
「フィリップ」
今度は小さな弟にも顔を向ける。笑顔で首を振られた。
「もういい、いいわよ! どうせ私なんか……」
「一人忘れてませんか?」
ステファンがにっこり笑う。アイリーンの顔は期待で……輝かなかった。代わりにぎこちなく首を振る。
「え……っと、いえ、やっぱりいいわ。その、よく考えたらそんなに肩凝ってなかったもの。おほほ」
アイリーンに似て……というか、アイリーン以上に不器用な少年、ステファンだった。弟たちが自分の肩もみを嫌がる理由がようやく少しだけ分かった。
腹ごしらえをした後、ゆっくり休憩する間もなく、アマリスの前に集合した。
「次は何をやるんですか?」
「そうだねえ。今日売り捌くつもりの商品はみんなラッピングしてもらったし、今度は店先で接客を頼むとするかね」
「はーい」
「あ、でも男の子達はまたさっきの続き、よろしくね」
「えー、そりゃないよ、アマリスさん!」
「ごめんごめん」
軽い調子で笑う彼女は、しかし前言撤回するつもりはないようだ。少年たちはしぶしぶと言った様子で奥へと引っ込んだ。その背中からは哀愁が流れ出していた。
「でね、接客とはいっても、そんなに難しいことは無いんだ。お客様の要望に応えたり、お客様にピッタリな花を探したり……。とはいっても、今日来るお客様は、女性に贈るための花を買いに来る男性ばかりだから、難しく考えないでね。分からなくなったらすぐあたしに聞いていいから」
三人は心得たとばかりに頷き、配置についた。しかし、正直なところ、この小さな花屋に四人も店員が必要なのかは疑問だ。誰か一人だけでもステファンたちの手伝いに行った方がいいのでは……と、接客が苦手なアイリーンは心中でそう考えていた。もしもここがいつまで経っても閑散としていたら、思い切ってステファンたちを手伝いに行こうと。
しかし後に彼女の考えは、あまりのお客の訪れように、悩殺されることとなった。
手伝うだとか苦手だとか言ってられない。アマリスは会計にてんてこ舞いだし、エミリアはラッピング、そしてアイリーンとフィリップは、いつの間にか接客担当となっていた。私もそっちが良かったとアイリーンはエミリアを恨めしく睨むが、それで彼女の立場がどうこうなるわけでもない。しぶしぶ、目下、目の前で繰り広げられている恋人の接客をしようと前を向いた。
「ねえ~? あたしにはどれが似合うと思う?」
「うーん、そうだね……」
男性の方は随分困り切った様子だ。こういう客には、花言葉や誕生花を教えたら喜ぶのだという。早速昨日アマリスに教わったことを実践しようとアイリーンは張り切って彼らに近付いた。
「あっ、ねえ、これなんかどうだい? 君の円らな瞳に良く似合うと思うんだけど」
「まあ、とっても可愛いわね。ありがとう!」
何とも嬉しそうに微笑む女性。しかし彼女のすぐ後ろに、魔の手が迫っていた。
「儚い恋」
「え?」
「その花の花言葉です」
「…………」
「あまり贈り物には最適ではありませんね」
空気が凍った。と同時に女性の表情も固まる。それに気づかない様子で呑気に他の花を物色しているのは、当の本人、アイリーンだけである。
「でもほら、これなんてどうでしょうか。これならお客様の髪の色にも映えますし、花言葉だって永遠の愛っていう――」
「うぅっ……もういいです……!」
やっとの思い出口を開いたその女性は、まるで逃げ帰るかのように店から走り去った。男性も急いで後を追う。後に残されるは、困惑しきったアイリーンと、茫然とした観客たち。
各々、アイリーンの、姉御の、母様の初の接客だと固唾を呑んで見守っていた三人は驚きを通り越して呆れた。彼女は、こんなにも接客が苦手だったのかという。いや、もはやアイリーンのそれは苦手の域を超えている。他人の感情に、疎すぎる。
「アイリーン」
「……後で知ったら、彼女が傷つくと思って」
一応は反省しているようである。居住まいが悪そうにもじもじと手を組み合わせている。
「でもね、時には知らないでいる方が大切な時だってあると思うよ? それに花言葉を彼女たちには伝えずに、それとなく違う花を進める方法だってある」
「……はあ」
「昨日の今日で頑張って花言葉を覚えてくれたアイリーンには悪いんだけど、そもそもその花言葉、それだけじゃないんだよ」
「……?」
「その花、他にも色々な色があるだろ? 赤い花は君を愛すって意味だし、青いのには信じて待つって意味も込められている。そうじゃなかったらさ、わざわざ花祭りである今日に限って、こんな所に飾ったりしないよ」
「……!」
してやられた、と言わんばかりの表情でアイリーンは悔しがった。まさか見落としいていた花言葉があっただなんて……!
「でもそういう問題じゃないんだよね。根本的に、アイリーンに接客は向いていないようだ」
その声にアイリーンの表情は少しだけ明るくなる。これでは負け逃げになってしまうような気もしたが、それ以上に接客は苦手だった。
「ほら、こっちにおいで」
「はい」
従順にアマリスの後に続く。そうして彼女が辿り着いた先は。
「アイリーンは外で売り子をやってもらうよ。ここまで来るのが面倒でも、花は買いたいっていうお客様も多いからね」
「……え?」
「朝のうちにアイリーンたちがラッピングしてくれた花を売ってくれればいいのさ。特に難しいことも無いし、大丈夫だよね」
しかしアイリーンはわなわなと震える。想像していたものと、まるで違っていた。
「それだって接客じゃないですか! 接客に向いていないって言ったばかりのくせに!」
「こんなのは接客のうちに入らないよ。ただお花どうですかー。はい、ありがとうございます。またどうぞーって言うだけの簡単なお仕事じゃないか」
「う……」
言われてみれば、それはそうかもしれない。
こことは違って花の種類も少ないし、もっと大切に相談して花を選びたい人は、そもそも花屋に直接行く。この仕事は、ただ花を売って歩くだけ。
「じゃ、よろしく頼むよアイリーン!」
なぜかアイリーンは、店先で皆に大手を振って見送られた。そこには、アマリス、エミリア、フィリップだけではなく、奥で作業していたはずのステファン、ウィルド、そして心配そうな花屋の客までいた。
「何よ」
思わず不満そうな声が漏れる。
「皆で私を厄介払いして。どうせ私は仕事ができませんよ!」
その叫び声は、誰に聞かれるでもなく、木枯らしに吹き飛ばされてしまった。




