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愛と鞭  作者: まくろ
第十話 石に立つ剣
60/120

60:反抗期?

 あれだけ話し合う話し合うなどと言っておきながら、アイリーンは未だ、ウィルドに話を切り出せずにいた。そもそも、何と言って切り出せばいいのか、まずそこからが分からなかった。


 騎士になりたいって? 一体どうして?

 そんな風に聞いたら、詮索されていると感じないだろうか。ただでさえウィルドの様な年頃はいろいろと多感な時期なのに、余計に構えられそうだった。


 じーっと無言で見つめていたら気味悪がられるだけだし、かと言って目が合ってもどう口を開けばいいか途端にわからなくなる。アイリーンは困り切っていた。


「こうなったら……強行突破しかないわね」

 極端な計画を打ち出すくらいには。


 決まってウィルドの帰りが遅くなる日を見計らって、アイリーンは行動に出た。家庭教師の仕事は全て終わらせ、洋裁の仕事は家に持ち帰って夜やってしまえば、もう彼女を縛り付けるものは無い。真っ直ぐに騎士団の詰所に向かい、入り口からちょこんと覗いてみた。人通りは少ないが、門番はもちろん駐在している。


「どうしましょう」

 せっかくここまで来たものの、これからどうしようなどとは一切考えていなかったアイリーン。困り切ってその場で立ちつくしてしまった。


 誰か知り合いでも……と彼女はきょろょろと辺りを見回した。そして目に留まる、一人の男性。


「マリウスさん!」

 知り合い……というか、顔見知り程度の人物を見つけると、これ幸いと、アイリーンはガシッと彼の裾を掴んだ。その顔は鬼気迫っている。


「……リーヴィス嬢? どうしてここに?」

「あら、覚えてくださっていらしたなんて光栄ですわ。ちょっと頼みごとがあるんですけれど、よろしいでしょうか」


 物言いはしごく丁重。しかしその語気は有無を言わせない迫力があった。マリウスは顔を引き攣らせて頷く。


「え……ええ、もちろんどうぞ。俺にできることなら何でも」

「良かった。あのですね、実は最近、うちのウィルドがここで訓練させてもらってるって話を聞いたんだけれど、本当なの?」

「ああ、ウィルド君? うん、そうだね。最近よく来てるなあ、何でも騎士になりたいそうだね」

「あ……そうなんですか」


 オズウェルだけでなく、マリウスまで知っているのかとアイリーンは酷く落ち込んだ。こうなっては何が何でもウィルドと話さなければと彼女の闘志が燃えた。


「そこで私、姉としてウィルドの様子が見たいなって思うんですけれど、中に入れてもらうことってできます?」

「え? うーん……」

「何か問題でも?」

「いや、一応ここ女人禁制だからさ。見学って言ってもな……」

「そこを何とかお願いします」


 アイリーンはずいっとマリウスに詰め寄る。彼は冷や汗を浮かべた。

 またあの目だ。有無を言わせぬ真っ直ぐな瞳。


「あーはい、分かりました、分かりましたよ」

 耐えられなくなって、マリウスは大きくため息をついた。


「団長も今は見回り中だし、ちょっとくらいなら大丈夫かな」

「ありがとうございます。そうしてもらえると助かりますわ」


 アイリーンはにっこり笑って楚々と門をくぐった。苦笑を浮かべてマリウスもその後をついてくる。


「今日ウィルド君の様子を見に来てるのって、彼自身には秘密なの?」

「え……まあそうですね。内緒でここまで来ました。ウィルドの様子が気になったもので」

「そっか……。じゃあ裏からこっそりのぞく形の方がいいかな? その方が気づかれないだろうし」

「いえ、それについては堂々と見学させてもらうつもりです」


 アイリーンは今度こそ胸を張って言った。今日を逃せば、もうその機会はやって来ない。

 そうして彼女が連れてこられた場所は、訓練場のすぐ近くの日陰だった。木の陰に腰を下ろしたので、さすがにすぐには気づかれないだろう。その間、ゆっくりウィルドの様子が観察できそうだ。


 騎士たちは、服はその辺りに投げ捨て、その多くが半裸のまま訓練に徹していた。砂と汗と熱気が二人の元にまで到達する。マリウスは気まずげに咳払いをした。


「失礼。淑女に見せる様なものじゃなかったね」

「気にしていないので大丈夫ですわ」


 澄まして答え、アイリーンはウィルドの方を凝視した。


「でも意外に……地味な訓練なのね」

 ウィルドは、大人たちに交じって腹筋をしていた。周囲と同じように服は脱ぎ、小さな体に大粒の汗を光らせていた。その真剣な表情に、思わずアイリーンは釘づけになった。


「訓練と言っても、始めの内は基礎訓練がほとんどだからね。体ができるまで、剣には触らせても貰えない」

「ウィルドが……こんなに長く続くとは思わなかったわ」


 ぽつりとアイリーンが零す。


「あの子は体を動かす楽しい運動が好きなのかと思っていたから」

「うん、あの年頃の子供にしてはよくやっていると思う。剣も触らせてもらえないのに、文句の一つも言わないから」

「…………」


 再び無言になってウィルドを眺める。腹筋の後は腕立て伏せ、ランニングと続く。その間、誰とも話さずに夢中になって励んでいた。彼の表情は、どこか楽しそうにも見える。信じられなかった。


 ウィルドは、運動神経は良い方だった。大抵のことはできたし、だからこそ努力とは程遠い所にいると思っていた。それが、こんなに楽しそうに地道な努力を続けているだなんて。


 訓練も終盤を迎え、ぞろぞろと休憩を取る騎士の姿がちらほら見え始めた。ウィルドも近くの騎士に肩を叩かれ、水を受け取った。ごくごくと勢いよく飲んでいるのがこちらからでもよく見えた。

 飲み終えた彼は、笑顔で騎士にコップを返し、その場で大きく伸びをした。ステファンよりも僅かに大きいか、くらいの認識だったが、久しぶりにまじまじと見るその身体は、アイリーンの想像を遥かに超え、逞しく、そして大きく見えた。


 視線を感じたのか、不意にウィルドの視線がこちらに向いた。バチッとアイリーンと目が合う。僅かに目を見開いただけで、特に驚いた様子はなかった。ゆっくりとこちらに歩み寄り始めた。気を利かせたのか、いつの間にかマリウスの気配は消えていた。


「師匠、来てたんだ」

「ええ、見学していたの」

「最近師匠の様子がおかしかったからさ、気づいてるのかなとか、いつか聞かれるかなとは思ってたけど」


 丁度西日が重なって、彼の表情は読めない。


「でもまさか、直接ここに来られるとは思ってなかったよ」

 その声が何だか怒っているように聞こえて。


「ウィ、ウィルド~!」

 アイリーンは堪らなくなってウィルドに抱き着いた。


「ちょ、何すんのさ、止めてよ師匠!」

「な、何で嫌がるのよ。やっぱり反抗期なの!?」

「はあ? 何の話? 恥ずかしいから早く離れてよ。それに俺、今汗臭いし」

「何よ、そんなに照れなくたっていいのに」


 言いながらもアイリーンは静々と離れた。ここで拗ねられてしまっては話が進まない。


「ウィルドは、最近よくここに来てるのよね? 何のためにそんなに一生懸命体を鍛えているの?」

 長い間、聞けずにいたが、思いのほかその疑問はするっと口を突いて出た。ウィルドも虚を突かれたような顔をし、次いで真剣なそれに変わる。


「騎士になりたいから」

「それはどうして?」

「……自分で生計立てたい、から。誰かに頼るんじゃなくて」

「それは、私たちに頼りたくないってこと?」


 悲しげにアイリーンが尋ねると、ウィルドは黙って頷いた。


「でも……師匠たちが悪いとか、そんなんじゃない。本当に俺自身の問題なんだ。俺が、頼るのが嫌だから」

「うん……」

「それに……カインの傍にもいてやりたい」


 次第にウィルドの瞳に光が宿った。


「子供は親を選べない。でもそれでもカインは周りの期待に応えようと頑張ってるんだ。俺はそれを応援したい」

「うん」

「俺なんかに何ができるとも分からないけど」


 ちょっと照れたように付け加えた。


「春からは、家を出るつもり。試験に合格したらの話だけど」

「試験?」

「うん、もうすぐ冬が明けたら適性試験があるんだ。それに合格したら、晴れて騎士見習いになれる。といっても、その先にも長い修業期間があるんだけどね」

「そう……そう、なの」

「師匠?」

「ちょっといろいろな情報が飛び交ってて驚いてるの、もう少し待ってね」


 アイリーンは夕焼けに染まる空を見上げながら、ほうと息をついた。あのウィルドが、先のことをここまで考えていることに、驚いた。同時に、寂しかった。何も相談してくれなかったことに。


「じゃあ……試験に合格したら、もう絶対に私達の家には帰って来てくれないの?」

「うん、そうなる。騎士見習いになったら、貴族の家で訓練するし、従騎士になったら城に上がる。上手くいったら、あそこにはたぶんもう住まない」

「…………」


 何でも一人で考えて、何でも一人で決めて。

 こういう時くらい頼ってくれればいいものを、というのがアイリーンの正直な今の心情だった。


「ウィルドは、始めからどこか自立していたものね。確かにご飯はよく食べるし、服も物も壊してくるし。でも、自分からこうしたいとか、こうして欲しいとかはほとんど言って来なかった」


 ウィルドは確かに我儘だし食いしん坊だし、彼の欲は彼自身が思ってるよりも駄々漏れだった。しかし、本当の意味でウィルドが甘えてくることは無かった。それが男の子なのだろうと、ステファンやフィリップとはまた違った男の子なのだろうと、若干のもの寂しさと共に感じていたが、まさかそれがこんなにも早く浮彫になってしまうとは。


「いいんじゃない、騎士。ウィルドに似合ってると思う。正直、こんなに早く自分の道を見つけてくるとは思ってもみなかったけど、でも良いと思う」

 言葉を選び選び、アイリーンは口にした。しかしそれだけではウィルドは納得がいかなかったようで。


「それだけ?」

「え?」

「いや、師匠のことだから、てっきりこのことを話したら、あれやこれや聞かれるのかと思ってたから。だから今日までずっと黙ってたってのもあるし」

「言いたいことはたくさんあるわよ。でもどうせ言ったって聞いてくれないんでしょう。止めろって言っても止めないんでしょう」

「そりゃあ……まあ」

「半端な夢じゃないんでしょう」

「うん」


 じゃあ、もう言うことないじゃない。

 どこか胸がすく思いでアイリーンは空を見上げた。もうすっかり辺りは日が暮れている。そろそろ帰らなければ、皆に心配をかけてしまうかもしれない。


「いつでも、帰って来ていいんだからね」

「……うん」

「帰ろうか」

「うん」


 暗闇に包まれた帰り路。

 いつもならくだらない会話で包まれている道中も、今日ばかりは言葉少なかった。

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