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愛と鞭  作者: まくろ
第十話 石に立つ剣
59/120

59:東屋にて

 どれだけ眠っていたのかはさっぱりだ。しかしどこか遠くで、体に沁み渡るような低い声が耳に入ってき、アイリーンはパチッと目を開いた。


「起きたか」

 その声の主は、思ったよりも近くにいた。バッチリ目があったにもかかわらず、そう平然と言われ、アイリーンは思わず飛び上がった。


「なっ、なに……?」

「いや、丁度あちら側から足だけが見えたからな。誰かと思ったら顔見知りで驚いた」

「驚いたのはこっちの方よ。……びっくりした」


 胸を撫で下ろしながら、アイリーンは身を起こした。


「でも……あなたも王宮に来てたのね」

「ちょっと所用があってな」

「聞いたわ。謹慎処分になったそうね。もう大丈夫なの?」


 アイリーンは横にずれ、オズウェルに譲った。軽く頷いて彼はそのまま隣に腰を下ろした。


「ああ、謹慎は解かれた。今日はその分事後処理に追われていてな」

「そう、大変なのね、隊長も」

「まあな。しかしそれはそうと、何でこんな所に一人で? 殿下とウィルドは?」

「え? えーっと……」


 まさか少年二人に置いてけぼりにされたなどとは言えまい。まさかこの広大な庭園の中で迷子になったなどとは言えまい。


「ちょっと……意見の違いが出てね、私は一人でこの庭園を散歩している所だったのよ。ねえ、二人を見かけなかった? そろそろお暇しないといけない時間だと思うのだけど」

「いや……見てはいないが、きっと騎士たちの訓練場にいるんじゃないか?」

「訓練場? どうして?」

「ウィルドが興味を示しそうだからな」

「ウィルドが?」


 アイリーンの声は不審丸出しだった。しかしその声を聞いても、オズウェルの表情に変化はない。アイリーンはハッとしたように口を噤むと、オズウェルに詰め寄った。


「ね、もしかして何か知ってる? ウィルドのことについて。最近何だかおかしいのよ、いつにも増して帰ってくるのが遅いし、いやに疲れた様子だし。何か知ってるのなら、教えてくれない?」

「いや、俺が知っているにしても、その様子ならウィルドから直接聞いた方がいいんじゃないか?」

「きっと聞いてもはぐらかすと思うの。だってなんだか最近私に冷たいもの……」


 そう、何だか最近、ウィルドはアイリーンに対して扱いが雑だった。寂しそうに鼻で笑ったり、呆れたように流し目を送ってみたり、疲れた様にため息をついてみたり……。

 悔しいが、もうこうなっては彼女の最後の頼みはオズウェルだけだった。オズウェルは最初こそ渋っていたが、アイリーンの真剣な表情を見て、やれやれと首を振った。


「……騎士に、なりたいと」

「ウィルドが?」

「ああ」

「なるほど。騎士、ね。それはいつ聞いたの?」

「一か月ほど前か。丁度俺の謹慎が明けるころだな」

「なぜ騎士になりたいって?」

「それはさすがに自分で聞いた方がいいんじゃないのか?」


 う、と詰まる。まさにその通りだった。


「……分かってるわよ」

 正論を言われては引き下がることもできない。


「教えてくれてありがと」

 そう言う彼女の顔は苦々しい。オズウェルも釣られて眉をひそめた。


「何だその顔は。何か不満でもあるのか?」

「そりゃそうでしょう。あなたの口からそんな大切なことを聞かされたのが腹立たしいのよ!」

「自分で聞いておいて何を――」

「分かってるけど、でも……」


 アイリーンは顔を俯ける。


「私に、相談してほしかったなって。どうして言ってくれなかったのかしら」

「言い難いんだろ。異性の姉ならなおさら」

「でもステファンだっているじゃない。私じゃ言い難いのなら、せめてステファンでも」

「反抗期、とか」

「…………」


 静かに黙り込み、その言葉を咀嚼する。


「は、反抗期……?」

「誰だってあるだろ、反抗期くらい。思春期なら特に」

「だっ……でも……騎士なんて、びっくりしたわ。ウィルドがそんな、大それた――」

「大それた?」


 オズウェルは不思議そうに聞き返す。


「そう難しい夢じゃないと俺は思うがな。何よりウィルドは線がいい。基礎はまだまだだが、それなりに訓練を摘めばもっと伸びる」

「そ、そう。それは良かった」


 アイリーンはそれだけ言う。オズウェルの言葉は嬉しかったが、今はそれよりも心配なことがあった。


「でも……やっぱり、怪我とか心配じゃない」

 騎士団は、何も街の見回りだけが仕事ではない。捕り物や護衛で不審者と剣を交えることもあるかもしれない。しかも、相手はこちらを殺める気で来るはずだ。いつ怪我をしてもおかしくない。いつもやんちゃして服を破ってくるような、そんな程度ではないことは確かだった。


「じゃあ、ここ最近帰りが遅かったのは、あなたの所で訓練していたから?」

「ああ、そうだな。最近はよく熱心に顔を出していた」

「そう……。じゃあ今日の王宮行きも? 何だか今日カインの様子がおかしかったのよね。もしかしてウィルドが頼んだから?」

「いや、それについては俺が頼んだんだ。最近ずっと王宮に籠りきりで、精神的に参ってるんじゃないかと思ってな」

「はあ……。なるほどね。だいたい分かったわ」


 長い息を吐き出した。


「帰ったらウィルドと話してみる。ありがとう、すっきりしたわ」

 うーんとアイリーンはその場で伸びをした。正直なところ、根本的な解決には何も至っていないのだが、オズウェルと話したとこで、ウィルドと話す決心ができた。それは中々の進歩だった。


「おい」

 しかし、アイリーンがそのまま立ち上がろうとしたところで、その伸びきった腕が誰かに捕られる。


「ったく、手間をかかせやがって……! どうしてこんな所にいるんだ!」

 そう怒鳴る人物はファウスト。どうやらアイリーンを呼びに来たようだ。


「殿下を待たせるな。さっさと行くぞ――」

 そう言いかけて、彼の口ははたと止まる。アイリーンとオズウェル、二人の間をゆらゆらと視線が交差した後、ゆっくり彼は頷いた。


「何だ、やっぱり付き合ってたのか」

「付き合ってないわよ!」


 いきり立ってアイリーンは叫ぶ。その金切り声に、ファウストはわざとらしく両耳を押さえた。


「あーそうかそうか。安心しろ、別に俺はそういうことに興味はないから、面白おかしく吹聴するつもりもない」

「あの、話聞いてくれる?」

「しかしだな、こんな時に、しかもこんなところで逢瀬を楽しむのはどうかと思うぞ。特にお前」


 不意に彼の視線がオズウェルに向いた。


「見損なった」

 その瞳には、隠しきれない侮蔑が込められていた。アイリーンは唖然と二人を交互に見やる。


 貧乏子爵である自分を見下すのは……まあ仕方ないとも思えるが、しかし、同じ騎士――いわば同僚であるオズウェルまで見下すのは分からなかった。二人の間に何か因縁でもあるのだろうか、と彼女が邪推しかけたところで、再びファウストの注意がアイリーンに返ってきた。


「とにかく急げよ、殿下がお待ちなんだから。王宮の入り口で待ってるからな」

 それだけ言うと、ファウストはさっさと行ってしまった。よっぽどアイリーンと連れだって歩きたくないようである。それは彼女も同じなので、願ったりかなったりなのだが。


「小憎らしいったらありゃしないわね、あの人。あなたにもいつもあんな風なの?」

「年が近いせいだろうか。何かと敵視されるんだ」

「……大変なのね」


 アイリーンの視線は、もうすっかり同情のそれだった。


「それよりも、早く行かなくていいのか? 殿下とウィルドがお待ちかねだろうに」

「ああ、あの人のせいですっかり忘れていたわ。そうよね、もうすっかりそんな時間よね」


 今度こそきちんと立ち上がる。もう辺りは夕闇に暮れていた。


「何だかごめんなさいね、引き留めてしまったみたいで」

「いや、大丈夫だ。それよりもウィルドとちゃんと話しておいた方がいいな」

「ええ、そのつもり」


 ふっと笑みを浮かべ、アイリーンは歩き出した。そんな彼女の後ろ姿を見送った後、しばし目を閉じる。


 先ほどのファウストの言葉――見損なったという言葉には、二つの意味が込められているような気がした。一つは言わずもがな、アイリーンとのことで、もう一つは先日の襲撃事件のこと。


 仮にも団長という地位を賜っている身にもかかわらず、殿下の側ギリギリまで襲撃者を引き付けてしまった。その存在にすら気づくことができなかった。あれは完全にオズウェルの失態だった。それをファウストは見抜いていたのかもしれない。こちらは街の警護が主な仕事で、対するあちらは王族の警護。オズウェルが被害を抑えるのが仕事なら、あちらは被害の予防。その心意気の違いが、全ての元凶だったのかもしれない。


 すっかり意気消沈し、オズウェルは深く深く沈み込む。そんな彼に、そろりそろりと後ろから近づく者が一人。


「あ、あの……」

「――っ!」


 文字通りオズウェルは飛びのいた。すっかり思考に浸っていたので、その気配には全く気付かなかったのである。しかしなんてことはない。目の前に居心地悪そうに立っているのは、つい先ほど別れたばかりのアイリーンなのだから。


「何だ?」

 彼女はやけにもじもじとしている。


「あの……ね、ちょっと確認のために聞くだけなんだけれど――」

「さっさと言え」

「王宮の入り口って、向こうの方かしら?」

「…………」


 何とも言えない顔をするオズウェルと、あくまで確認だという態を装うアイリーン。二人の間を、少々肌寒い風が通り過ぎた。

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