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愛と鞭  作者: まくろ
第十話 石に立つ剣
57/120

57:夢見る少女

 学校が終わると、そこからはもう子供たちの時間だ。爽やかな風が吹く学校前の広場ではやんちゃな男の子たちが走り回り、夕日が差し込む教室では女の子たちが世間話をする――。とはいっても、思春期に差し掛かる彼女らの専らの話題はいつも恋愛についてだった。好きな人、格好いい男子、憧れの男性教諭……。


「ね、みんな。みんなはこのクラスで誰が好き?」

 その話は途切れることなく明るい声で盛り上がる。


「わたしはレオン君かなあ……。だって格好いいもん」

 一番最初に口を開いたのは、このクラスのリーダー格の少女。もちろん他の女子に牽制するためだ。実のところ、この話題を出してきた少女とは口裏を合わせていた。私が先に好きな人を宣言するから、あなた口火を切って、と。


 それからはもう泥沼の争いだ。後れを取るまいと口々に自分が想いを寄せる相手を述べていく。まだ幼いとはいえ、立派に女子の付き合いが何たるかを心得ていた。


「わたしは断然フレディ君! 優しいし頭良いし!! この前もね、勉強で躓いたところを彼に教えてもらってぇ」

「あたしはリオかなあ……。だって可愛いんだもの。弟みたいで」

「マット君も恰好よくない!? 運動した後の彼、すっごく色っぽいの!!」


 皆一通り宣言し終わった後、顔を合わせてにっこり微笑み合った。誰一人被ることなく牽制することができ、達成感が込み上げる。


「プリシラちゃんは?」

「私?」


 五人いる中、まだ一人答えていない。そのことに気付いたリーダー格の少女は、最後の一人に声をかけた。ニコニコと皆を眺めていたプリシラは、一瞬考えるような仕草を見せた後、再び笑顔に戻った。


「そうだね、私は……ウィルド君かなぁ」

「えー!?」


 四人が一斉にどよめく。


「意外……」

「繊細さの欠片もないのに?」

「運動神経だけが取り柄の……」

「あの野生児!?」


 声が揃う。しかしそれでもプリシラは嬉しそうに頷いた。


「ね、どこが好きなの?」

「秘密ぅ~」

「えー、いいじゃん教えてくれたって」


 ワイワイと少女たちは盛り上がる。そんな時、教室の前で一つの影が立ち止まった。


「こら、もう日が暮れるぞ。早く帰りなさい」

「はーい」

「この続きはまた明日だね」

「明日こそはきっと教えてね、プリシラちゃん!」

「うん、みんな、また明日」


 少女たちは次々と教室を出て行く。この後も習い事がある娘、家の手伝いがある娘、門限がある娘と様々だった。彼女らの後ろ姿を見つめ、プリシラはゆっくりと笑みを浮かべる。


「ライバルは少なくなくっちゃね」

 その笑みが、妖しく夕日に照らされた。


 通常、労働階級の子供に学は必要ないとされている。しかし近年識字率が上がり、勉学は子供の教育のためにも必要ではないのかと議論されてきた。そんな折、この慈善学校が建てられたのである。学費は無料。少しばかり裕福な者も、貧しい者も、誰でも通うことができるのが魅力的だった。


 しかしだからこそ、この学校に通っていると、嫌でも身分の差を感じさせられた。ボロボロのペンを使っている子、髪飾りを付けている子、一見して上等と分かる服を着ている子……。同じ学校に通っている生徒なのに、どうしてこうも差が生まれるのだろう。


 そんな時、目に入ったのはウィルドだった。始めは全く興味がなかった。いつも走り回っているせいで服は汚いし、容姿や言動も一般人……いや、まさに野生児並だ。眼中になかった。


 しかし偶然に耳に入った。どうやらウィルド=リーヴィスは貴族の子である……と。すぐにリーヴィス家について調べてみた。するとリーヴィス家の噂や家柄について多くの情報が手に入った。


 爵位は子爵。両親はいないらしい。姉が家を取り仕切っているというのも聞いた。ウィルドの姉、アイリーンを見かけたのは何度かある。どれも、ウィルドがやんちゃな問題を起こすので、保護者である彼女が呼び出された折、見かけたのである。ウィルドの姉は、顔立ちはあまり似てはいないが、彼とは違って、貴族らしい立ち居振る舞いをしていた。礼一つとってみても綺麗だし、言葉遣い、歩き方、果ては扇子の構え方までもが絵になっていた。


 これが貴族というものなのか、とプリシラは心から震えた。

 心から尊敬した。しかし同時に憎々しくも思った。


 どうせあの人はひもじさも心細さも妬ましさも何も知らずに、大した苦労も知らずに生きてきたに違いない。


 貴族に嫁ぎたい。楽したい。自由に生きたい。

 それは、プリシラのかねてからの願いだった。


「ね、私、ウィルド君のお家に行ってみたいなぁ」

「え? な、何で?」


 プリシラは校庭に足を踏み入れ、ウィルドにそう零した。唐突な彼女の申し出に、ウィルドはしばし目を丸くした。それほど話したことも無いのになぜ急に、という思いで一杯だった。


 しかしウィルドが返事を躊躇えば躊躇うほど、彼の周りには興味深そうな友人たちが寄ってきた。が、プリシラは構いやしなかった。下賎の者にはもとより興味などない。


「だってウィルド君って貴族なんでしょ? 私、一度貴族の家に行ってみたかったの!」

「まあ、別にいいけど……」


 断る理由が無いので、ウィルドはこくりと頷く。


「でも俺、別に貴族じゃないよ?」

「……へ?」


 ぽかり、とプリシラの口が開いた。


「俺はただの農民の子。親に捨てられて今の家に厄介になってるだけだよ」

「…………」


 プリシラの夢が早くも崩れ去った。


*****


「ここ……なの」

 思ったよりも声が出なかった。プリシラは咳払いを繰り返し、調子を取り戻す。


「ね……ねえ、ウィルド君。もしかしてここがウィルド君の家……?」

「うん、住ませてもらってる家。風流だろ?」

「え……ええ」


 さすがのプリシラも愛想笑いを浮かべる。まさか、ここが貴族の家だと誰が思うのだろうか?


 ウィルドが重い両開きの扉を開ける。ギイィッっと軋む音が響き渡った。風流を通り越してもはや不気味だ。

 屋敷の中は思ったよりも薄暗かった。まだ昼間なのに、全く光が差していない。燭台はあるのに、まさかの蠟燭は無いという状態だ。近寄って見てみても、ここ数年蠟燭が立てられた様子はない。


 綺麗に掃除はされてはいるのだが、何しろ物が無かった。無さ過ぎた。整理整頓されているというか、生活感が無いと言うか……。

 普通、貴族の邸宅というのは、庭に大きな噴水があったり、玄関に像が飾ってあったり、廊下に歴代の肖像画が掛けられたりするものじゃないのだろうか……?


 プリシラはどこか違和感が感じながら、それでもウィルドの後を追う。


「お……お邪魔しまぁす」

「あら……いらっしゃい」


 頭を深く下げながらプリシラは居間へと足を踏み入れる。


「お邪魔しておりますぅ。私、ウィルド君のご友人のプリシラと言いますの。以後お見知りおきを」

「どうもご丁寧に……。私はアイリーン。ウィルドの姉よ」

「お姉さまでいらっしゃいますか! よく似ていますのね!」


 にこにこと顔に笑みを貼り付けながらプリシラは進む。以前学校で見かけた時ほど威厳は感じられなかった。何というか……所帯臭い。その継ぎはぎのへんてこなドレスは何だと尋ねたかった。しかしその欲を必死に押さえ、プリシラはなおも笑みを絶やさない。


「どうぞよろしくお願いします」

「でも珍しいわね。ウィルドが女の子を連れてくるなんて」

「まあ……ちょっと――」

「まあ、そうなのですか!?」


 勢い込んでプリシラは聞き返した。たとえ屋敷が不気味で姉が所帯臭かったとしても、貴族には違いない。


「それは大変光栄でありますの! わたくしが初めてお呼ばれされた女の子だなんて……」

 彼女はさっとウィルドに向かって流し目を送る。彼はそれに気づかない。


「言葉遣いさ、そんなに堅苦しくしなくてもいいよ」

「そんなわけには参りませんのよ! わたくし、この日のためにとってもお勉強いたしましたから!」


 おほほ、とプリシラは高笑いをした。彼女の家は、貧乏とまではいかないが、マナーを習うほどの余裕はない。だからこそ図書館などで独学でマナー、教養を学び、周囲の人間達から令嬢の言葉遣いを取り入れるしか方法は無かった。少し……いやかなりそれに偏りが生じていることに、プリシラは気づいていなかった。


 ウィルドの発言にすっかり気を良くしたプリシラは、早速アイリーンに近づいた。彼女はのんびりソファに腰かけ、何やら縫物をしているようだ。


 そうよね、やっぱり令嬢は優雅に刺繍が似合ってるわ。朝は読書を嗜み、昼は刺繍にお茶会、そして夜は舞踏会……! ああ、なんて素敵な一日なんでしょう!

 嬉しくなってプリシラはアイリーンの手元を覗き込んだ。嫁入りするにはやはり姑、小姑が厄介な存在。先に媚を売っておくに越したことは無い。


「お姉さまは何をしていらっしゃるのですかぁ? うわぁ~、素敵なししゅ……」


 固まった。

 刺繍じゃない。アップリケだ。


「こ……これって……」

「ああ、これ? 可愛いでしょう?」

「は、はい……」

「ウィルドったらね、やんちゃだからよく服を破って帰ってくるのよ。修繕が追い付かないくらい」

「別に敗れたまんまでいいよー。それよか変なアップリケを付けられる方が恥ずかしい」

「あら、それじゃあ私が変な目で見られるじゃない! あそこの姉は弟にろくに服すら買ってやらないのねって」

「だからってあのアップリケはないよ! なんでわざわざ星形とかクローバーとか変な形にするんだよ! いっつも友達に笑われるんだから止めてよ師匠」

「形あってこそのアップリケでしょうが! 嫌なら破って帰って来ないことね!」


 会話についていけない。しばしプリシラが放心していると、アイリーンがそれに気づいた。


「ああ、テーブルの上に野イチゴがあるの。良かったら食べてね」

「ありがとうございます、お姉さま!」

「何だかくすぐったいわね。その呼び方」

「あら、そうですか?」


 何はともあれ、アイリーンは自分に対して友好的なようだ。それだけでも収穫はあったとプリシラは自分に言い聞かせた。


「じゃあご遠慮なくイチゴを頂いて――」

 ぱくっとそれを口に入れた。


「ゴホッ……!」

「あら、大丈夫?」


 そしてむせた。


「は、はい……」

 まだ顔を窄めなかっただけ、プリシラは頑張った方だ。

こんなに酸っぱい食べ物、初めて食べたかもしれない。イチゴは大好物だが、こんなものイチゴじゃない。


「良ければ紅茶も入れましょうか」

「あ、あの……そんな、お気になさらずに」


 プリシラは引き攣った笑みを浮かべた。

 紅茶という名の何が出てくるのか。

 彼女には恐怖しかなかった。


「ねえ、師匠、そろそろ仕事なんじゃない?」

「あら、そうだったわね」


 慌ててアイリーンは作業の手を止め、バタバタし始めた。その様を見、プリシラも腰を上げる。


「あの、わたくしもそろそろお暇させて頂きますわ。門限がありますので」

「あら、そうなの? じゃあウィルド送ってあげて。あの森、一人で通るにはちょっと物騒だし」

「はいはーい」


 早口で言いながらアイリーンは居間を出て行った。外着へと着替えるらしい。


「ねえ、ウィルド君」

「ん?」

「お姉さまはウィルド君のお姉さまなんですのよね……?」


 ずっと気になっていたことだった。

 農民の子、今の家に厄介になっている、師匠呼び……。

 その上、アイリーンとウィルドは似ても似つかなかった。疑問が生じるのは仕方のないことだった。


 ウィルドは頬を掻くと、あっけらかんと言ってのけた。


「違うよ。血は繋がってないから」

「じゃあ、どういう関係なのですか……?」

「……どういう関係なんだろうね」


 からかわれたような、さらりと躱されたような、そんな気持ちになった。プリシラはなおも問おうと口を開けたが、扉からちょこんと顔を出したアイリーンに阻まれる。


「じゃあ私、そろそろ行ってくるわ」

「……どこに行かれるのですか?」

「家庭教師の仕事をしてるの」

「ま……まあ、ガヴァネスですか……」


 令嬢が、仮にも貴族令嬢が、家庭教師をしているという。


「ゆっくりして行ってね、プリシラちゃん」

「はい……」


 こんなの……こんなの、令嬢の優雅な暮らしぶりには程遠い。

 ウィルドの生い立ちも気にはなったが、それよりも、自分の夢が崩壊していくのが何よりも悲しかった。


 プリシラの乾いた笑い声だけがやけに響いた。

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