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愛と鞭  作者: まくろ
第十話 石に立つ剣
56/120

56:野生児到来

「…………」

「…………」


 静まり返った暗い部屋の中、アイリーンとステファンは同じく暗い表情で向き合って座っていた。

 誰も、口を開かない。しかしそうもしていられないのは分かっていた。


「……どう、しますか」

 弟が恐る恐るその言葉を口にした。姉は黙って瞼を閉じていた。静かな時間だった。が、次の瞬間、バッとアイリーンの瞳が開かれた。


「どうもこうも、捕まえるしかないのよ、野菜泥棒は!!」

 バンッと彼女が机を叩く。案外その音が部屋中に響き、思わずステファンは耳をふさいだ。


「……しかし、どうやって」

「張り込みに決まっているでしょう! 張り込んで、野菜を盗んでいくやつが来たらとっ捕まえてやる!!」

「……それはまた勇ましいですね」

「勇ましくもなるわよ!」


 アイリーンは泣きそうな声を上げていきり立った。


「野菜泥棒のせいでここずーっと具なしスープなのよ? あんなのただの塩味の水じゃない! 具なんかどこにも見当たらないし!!」

 キーッとアイリーンは地団太を踏む。ここ一週間ほどずっと塩味スープだったのが余程気に食わないらしい。しかしそれもそのはず、アイリーンとステファンの二人暮らしは、なかなかに順調だった。


 アイリーンの家庭教師の仕事もようやく波に乗った。ステファンの成績が優秀なので、授業料が減額されることになった。さて今度は貯蓄のために節約をしよう。アマリスからもらった種で本格的に自給自足をしよう。そんな時だった。野菜泥棒が現れたのは。全て順風満帆にいっていた子爵家に、突如現れた盗人。このまま見過ごす気など、アイリーンにはさらさらなかった。


「決行は今夜よ」


 彼女の瞳がギラッと光る。

 ――人一人ヤりそうな雰囲気を感じる。ステファンはぶるっと身を震わせた。その時は、自分が姉を止めようと決心した。


*****


 闇夜に紛れて二つの影。

 アイリーンとステファンは、畑近くの納屋に身を潜めていた。


「今日……来ますかね」

「くるわよ。私の勘がそう告げてるわ」


 アイリーンが言い切る。なぜかその言葉には、やたらと説得力があった。


「でも犯人は一体誰なんでしょうね」

「え?」

「人か獣か……ということです」


 ようやくその問いの意味に気付いたのか、アイリーンは目を見開く。


「ここは山裾ですから、獣もやって来ないとは考えられません。万が一のことを考えて、逃げることも頭に入れておかなければ」

「だっ……でも!」

「姉上」

「…………」

「いくら姉上でも、獣には勝てませんよ。すぐに屋敷の中に入りましょう」

「……分かったわよ」


 渋々といった様子でアイリーンは頷く。


「でも人間だったら容赦しないわよ……!」

「姉上……」


 人間と獣の場合、獣の方が殺傷能力があるということで先に危険性を述べたが、だからと言って人間の方が危険ではないと言ったらそうではない。むしろ、知恵がある分もっと危険だ。それを説く前にすでに姉の意識は野菜泥棒の方へと向けられてしまったので、弟のステファンとしてはため息をつくしかない。


「あ、ほら、来たわよ。あれじゃない?」

 アイリーンが畑を指さす。黒い影が、畑へと侵入するところだった。その影はごそごそと土を掘り返していた。


「あのコソ泥めー!! 私たちが一生懸命育てた野菜を……!」

「待ってください、姉上。正体が掴めるまで」


 今にも飛び出しそうなアイリーンを、隣のステファンは必死で押しとどめる。


「よく見て。あれは……人?」

「ふっ、人ね」


 ステファンの確認を得たとばかり、アイリーンは勝ち誇って立ち上がった。弟が止める隙も無く、彼女は足を踏み鳴らして畑へ踏み入れた。もちろん育てた作物は踏まないよう細心の注意を払っている。


「あなたね、野菜泥棒は!!」

 アイリーンが高々と叫ぶ。ついに捕まえたとばかりその顔は喜色に溢れている。そのまま影の首根っこをむんずと掴んだ。思ったよりもその首は小さく、子供を思わせた。しかしだからと言って容赦するアイリーンではない。


「この……大人しくしなさい!!」

 が、その子供は結構な馬鹿力でアイリーンの拘束を外そうとする。なかなかアイリーンも手こずった。


「逃がさないわよ!」

 果敢にも、彼女は後ろからのしかかる。縺れながら二人一緒に畑に投げ出された。それから取っ組み合いの喧嘩が始まった。子供相手に本気になるアイリーンもアイリーンだが、ステファンはハラハラとその様を見守った。彼としては姉を助けたくとも、黒い影のどちらが姉なのかさっぱり分からず、手を出せずにいた。


 その間にも、二人の乱闘する音が夜空に響き渡った。拳で殴られたり蹴られたりして姉の顔に傷でも入ったらどうしようとステファンは真っ青になるばかり。


「てやーっ!」

 しかし姉はそんな弟の心情などいざ知らず、子供を思いっきり地面に押し倒した。四肢を封じて勝ち誇るためだった。が、その押し倒した先に、石があることまでには気づかなかった。ゴンッと鈍い音を響かせた後、子供は動かなくなった。


「……ステファン」

 ぽつりとアイリーンが呟く。


「やってしまったかも、しれないわ」

「…………」


 事を起こした当人よりも、側で見ていた人の方がまだ衝撃は少ない。

 ステファンはハッとすると、ぎこちなく動き出した。子供の上半身を持ち上げる。


「――とりあえず、家で寝かせてみましょう」

「もも、もしかしてステファン、完全犯罪を目論むつもり!?」


 そんな彼の落ち着いた行動に肝を冷やしたのはアイリーンだ。どもりながら首を振る。


「いけないわ、そんなこと!! いくらこの子が私たちの食料を毎夜盗み出して良い思いをしていたからと言って……。私にはそんなこと……できない!」

「何を言ってるんですか姉上。その子はきっと気を失ってるだけでしょう」

「え……でも、だって」

「しばらく家で寝かせようと言ってるんです。本来ならば医者に診せた方が良いとは思いますが、残念ながら家にそのようなお金はありません。少し我慢してもらいましょう」

「は……はあ」

「ほら姉上、足の方を持ってください」

「は、はい!!」


 全くどちらが年上か分からない。そんなことを思いながら、ステファンは闇夜の畑を移動した。

 子供の体は客室へと運んだ。明かりに照らされたその顔はまだ幼い少年である。


「何よ、こんな子供が……!」

「随分痩せていますね。十分に食べさせてもらっていないんでしょうか」

「捨て子……とか」

「口減らし、でしょうか」


 二人は沈黙する。昨日までの怒りはもう無い。

「……しばらく寝かせておきましょうか」

「そうですね。姉上は寝ないんですか?」

「私はもう少しここにいるわ。怪我をさせたのは私のせいだし」

「じゃあ僕もここにいますよ。毛布を取ってきます」


 二人はそれぞれ毛布にくるまりながら少年の様子を見守ることとなった。当たり前と言えば当たり前だが、次第に眠気に襲われ、うつらうつらと夢の世界へと旅立った。


 しかし朝アイリーンが目を覚ました時、ベッドはもぬけの殻だった。驚いてステファンと二人、居間に向かってみれば、ガサゴソと何かを漁る音が。恐る恐るキッチンの方へ行ってみれば、昨夜の少年が何やら戸棚を漁っているではないか!


「この子は~! 懲りずに何をやっているのかしら、騎士団を呼ばれたいの!?」

 怒りのまま少年の頬を鷲掴みにした。人参を口に加えながら彼は呻く。


「あなたが荒らしてくれたおかげでね!! 私たちはこのところ特にひもじい思いをして暮らさなくてはならなかったのよ!!」

 うぎゃあ、とアイリーンはのたうち回る。芋スープ……というのは名ばかりで、実際はただの塩味スープ。アイリーンもすでに精神は限界だった。


「働く者は食うべからずって言葉ご存じ?」

 ふふふとアイリーンは不気味な笑い声を上げる。少年の瞳には怯えが見られた。


「罰としてあなた、畑を耕しなさい!!」

 ついに少年への処分が宣告された。


「衣食住付き! 食事は誰かさんのおかげで貧相なものだけど……でもこんなに何もかも揃ってるところはないわ、有り難く思いなさい!」

 アイリーンの宣言に、少年とステファンは唖然とした。


 え、僕たち野菜泥棒と寝食を共にするんですか、とはステファンである。しかしすぐにため息をつく。


「まあ仕方がないですね。損害分くらいは働いてもらいましょう」

「帰る家があるならそこに帰ればいいわ。でも、この家の畑仕事は絶対にあなたにやってもらうから! 毎朝早くにこの家に来るのよ、私達、取れたての野菜を朝食に食べたいんだから。寝坊したら許さないわよ!」


 アイリーンは腰に手を当て、高らかに宣言した。その後ろには苦笑を浮かべるステファン。


「何、お前ら……」

 少年はついに言葉を発した。そのことに、アイリーンはにんまりと笑みを浮かべる。


「何だ、ちゃんと話せるじゃない。あなた、名前は?」

「…………」


 少年は、反抗的に睨み付けるだけで何も答えなかった。おもむろにアイリーンは彼に近づく。ふふふと笑い声を上げながら近づいてくるその様は、不気味以外の何物でもなかった。


「なーまーえーは?」

「……ウィルド」


 観念したように少年は口を開いた。満足げにアイリーンは頷いた。


「よし、ウィルド。まずは手始めに私の肩を揉みなさい」

「はあっ!?」

「家庭教師ってね、意外と肩が凝るの。肩揉んで?」

「なんで俺が!」

「あらー? 野菜泥棒君が何を口答えしているのかしら。私達はね、今まで散々ひもじい思いをしたのよ? これくらい当然じゃなくって?」

「畑仕事するだけでいいって言ったじゃん!」

「誰がそんなこと言いましたっけー? とにかくよろしく」

「そんなの――」

「あ、ウィルド、終わったら僕もよろしく」

「何だこいつらー!!」


 変な姉に加えて変な弟まで。

 理不尽過ぎると、屋敷中にウィルドの怒りの声が響き渡った。


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