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愛と鞭  作者: まくろ
第十話 石に立つ剣
54/120

54:その後

 子爵家の呼び鈴が鳴った。基本、子爵家を訪れる者は数少ないので、呼び鈴が鳴るのは珍しいことであった。前回の襲撃事件も相まって、アイリーンは警戒しながら玄関へ向かった。


「どなたでしょう」

「……僕だ。カイン」

「カイン?」


 驚いて勢いよく扉を開けた。そこには、数週間ぶりのカインが立っている。驚きのままポカンと口を開けた。


「びっくりした、驚かさないでよ」

 アイリーンはホッと胸を撫で下ろした。しかしすぐに真剣な表情へと変わる。


「あの時……あの後大丈夫だった? 連絡の手段もなかったから心配してたんだけど」


 襲撃されたあの時。

 アイリーンが医者を連れて家に帰ってきた時にはもう既にカインはいなかった。王宮からの増援に城へ連れ戻されたらしい。貴族とはいえ一介の令嬢が王子への接触を持てるはずもなく、あれからカインとは一度も顔を合わせていなかった。ウィルドも心配していたようだったが、同じく連絡手段が無かったので気を揉むしかなかった。


 カインはそっと頷いた。表情は暗い。


「いや、大丈夫だ。今日は……そのことについて話があるんだ」

「はあ……」

「あまり長居するつもりもない。また迷惑をかけるわけにもいかないしな」


 そう言って彼は自嘲の笑みを浮かべる。よくよく見れば、彼の服装はいつもと違って大分貧相なものになっている。後ろの護衛達も騎士の制服ではないので物々しい雰囲気を感じられない。お忍びでここまで来たようだ。


「じゃあ中へどうぞ。ウィルドもいるから」

「それは?」


 カインはアイリーンの右手に視線をやった。


「ああ、これ? 今ちょっとウィルドとトランプして――」

 そこまで言って、アイリーンは固まる。


 カインは、前回の事件について話をしに来たようだ。いたく神妙な顔をして。そんな中で、どこの誰がトランプゲームをしていたなどと言えるだろうか。そんなことを口にした瞬間、年上としての威厳が台無しになってしまう。


「じゃなくって、あの、大掃除をしていたのよ、今。そうしたらほら、この汚れたトランプが出て来ちゃって。そろそろ捨てようかなーって」

 言いながら、さりげなくアイリーンはトランプを後ろ手に隠す。


 掃除をしていたのは本当だ。昔愛用していたトランプが出てきたのも事実。懐かしくなってウィルドを呼び、一緒にトランプゲームに勤しんでいたのもまた真実。


 アイリーンは先頭に立って居間へ案内した。カインの後をぞろぞろと護衛達もついてくる。王子たる彼に護衛が山ほどついてくるのはもう慣れっこだったので、今更気にすることは無い。しかし、その顔触れだけは気になった。


「あら、オズウェルさんは? この方たち、いつもの護衛の方じゃないみたいね」

「ああ、この人たちは――」

「うわあああ!」


 その時、屋敷中に悲鳴が上がった。一人の男の声だ。前回の事件を彷彿とさせるその悲鳴は、アイリーンをゾッとさせるには十分だった。


「ちょっと何事よ! また何かあったんじゃ……」

「いや、待ってくれ。今のはたぶん……僕の護衛の一人だ」

「護衛って……やられたんじゃないの!?」

「様子を見に行こう」


 やたらとカインは落ち着き払っている。まるで外の事情が全て分かっているようだ。そんな彼を見ていると、次第にアイリーンも落ち着きが伝染してきた。そっと外へ向かう。畑の方からその男の声は尾を引いていた。


「うわ……うわあ!」

「誰?」


 男は畑の近くでうろうろ足踏みしていた。その姿にアイリーンは眉根を寄せ、カインに耳打ちした。カインも影響されて囁き声で返す。


「僕の護衛のファウストだ」

 そんな二人の気配に気づきもせず、男はただひたすらにくるくると回って己の服をはたいていた。


「何だここは……気持ち悪い虫だらけだ!」

 ついに男――ファウストは畑へ侵入した。虫を叩き落とすのに夢中で、己の足が何を踏んでいるかにも気づいていないようだ。アイリーンの堪忍袋の緒が切れた。


「あなた、何うちの畑荒らしてるのよ! そこから退いてちょうだい!」

「はあ? おまっ、誰だ!」

「こちらの台詞です! 挨拶もなしにうちの畑に侵入して……信じられない!」

「生意気な女め。くっそ……だから俺はここに来るのが嫌だったんだ!」


 ぐしゃぐしゃっと頭を掻きまわすと、虫を振り払うのは諦め、ファウストはさっさとこちらに走ってきた。


「な、何よ」

 咄嗟にアイリーンは臨戦態勢になったが、彼の目的は彼女ではなかった。さっさとアイリーンとカインの横をすり抜け、玄関へ向かった。――どうやら、ただ単に虫のいない場所へ行きたいだけの様だった。


「ちょっとあなた、勝手に家の中に入らないでもらえる? ……ったく、この人のどこが護衛なんだか」

 カインにそれと言われても、未だ納得がいかなかった。そもそもこの男は何のために畑にまで入り込んでいたのか。

 アイリーンは不審な目でファウストを睨み付けたが、彼は構う様子もない。


「中は?」

「一階は問題ありません」

「後は二階だけか……」


 ぶつぶつ独り言を言うと、ファウストはどんどん階段を上がっていった。唖然としたのはアイリーンの方である。


「ちょっと何で二階も!? 勝手に家の中をうろつかないで貰えます?」

「断る。不審者がいたらこっちが困るのだからな」

「不審者? 失礼ね、私達がそんな輩を招き入れるとお思いで?」


 ファウストは答えない。彼の足も止まらない。アイリーンは真っ赤になった。


「ちょっとはこちらの話も聞いてもらえる? だから……んもう!」

 みっともなく地団太を踏むと、今度はカインへと視線を向ける。


「ちょっとカイン、あの人何なの? 本当に護衛?」

「ああ、王立騎士団の一員だ。現在僕の護衛の全権を任されている」


 こうしているうちにも、二階からはギッタンバッタン騒がしい音がてられていた。次第にアイリーンも我慢ならなくなってきた。いくらカインの護衛だとしても、常識というものがある。


「あれ、カイン!?」

 この騒ぎにようやく気が付いたのか、ウィルドが物置の奥から顔を出した。その顔にパッと喜色が広がる。


「良かった、あんなことがあったからもう会えないかと……。今日は遊びに来たの?」

「いや、ちょっと話があってて――」

「ああ、もう、我慢ならないわ。ちょっと行ってくる」

「え? 師匠二階に行くの? 負け逃げ? ゲームの続きは――」

「後よ後! これあげる!」


 カインにぐいっとトランプを押し付けると、アイリーンは憤慨しながら階段を上った。目指すはあの男の元。

 彼は、アイリーンの衣裳部屋の中をごそごそ嗅ぎまわっていた。箪笥に顔を突っ込んでいるファウストを見た時、呆れ返って一瞬声が出なかった。


「あ……のねえ、勝手に開けないでちょうだい。そんな所に隠れてるわけないでしょう」

「いや、分からないぞ。過去に暖炉の中に隠れていた男を発見したことがある……。あの時はさすがにこの俺も引いたがな。あんな汚い所に隠れる気持ちが分からないね」

「知らないわよそんなの。そもそもその箪笥、人一人入れる大きさでもないでしょう」

「分からないぞ。俺たちが考えるより小柄なやつかもしれん。念には念を入れなければ」


 念には念を入れ、ファウストは屋根裏部屋まで捜索した。見るからに潔癖症であるはずなのに、その熱心さにはさすがのアイリーンも合掌だ。


「あの……オズウェルさんはどうしたの? 前は彼が護衛をしていたんだけど。代わったの?」

「代わった?」


 ようやくファウストは捜索の手を止め、こちらを振り返った。その顔には馬鹿にしたような笑みが浮かんでいた。


「あいつなんかに任せられるか。この前もあいつの失態のせいで殿下が攫われたんだからな」

「別にあの人のせいじゃないでしょう」

「責任はあいつにあるんだよ。謹慎処分も食らったしな。今もまだ解かれてない。周囲の怒りが収まらないからな」

「あの人は……ちゃんとカインを守ってくれたじゃない! ウィルドを庇って怪我までしたのよ?」

「それがどうした。怪我は男の勲章ってか」


 馬鹿にしたような顔のファウストに、ついにアイリーンはいきり立った。屋敷中に響きそうな大きさで声を張り上げる。


「勲章よ! 立派にウィルドを守ってくれた勲章なんだから!」

「はっ、よく言うな。聞けばあいつ、背中にも傷を負ったらしいな。敵に背を向けた証が勲章なものか」

「何も知らないくせに、勝手なことを言わないでよ!」

「お前こそ何を知っている? 所詮は一介の令嬢ごときが」


 やれやれとファウストは首を振る。アイリーンの顔色は赤くなったり白くなったり大忙しである。


「そもそもあんたは何を怒っているんだ。あいつの恋人か何かか?」

「なっ、ちがっ……!」

「だったらこちらの事情に口出さないでくれるか。俺のやり方にも。今殿下の護衛の全権を担っているのはこの俺だ。俺に従ってもらおう」


 高らかにそう宣言すると、ファウストは屋根裏部屋から降りていった。まだ一階には戻るつもりが無いらしく、今度は奥の客室を捜索するようだ。


「もっ……! 何なのあの人~~っ!!」


 王立騎士団員ファウスト。

 割と短気なアイリーンを怒らせるには、十分な存在だった。


*****


 一方居間ではウィルドとカインが向かい合っていた。テーブルに散らばるトランプを見、カインは微かに笑みを浮かべた。


「トランプしてたのか」

「うん、掃除してたらさー、師匠がトランプ見つけて。そのままついついゲームに熱中してたんだ」

「……想像に容易いな」

「ついさっきまで俺が勝ってたんだよ。なのに負け逃げ。ちぇっ、師匠もずるいよなー」


 ウィルドはわざとおちゃらけた声を出した。


 まるで、僕に話をさせたくないかのように。

 カインは息を吸うと、真剣な表情で口火を切った。


「まずはウィルド。僕に謝らせてくれ」

「な、何だよ急に」

「この前は悪かった。巻き込んでしまって」

「カインのせいじゃないだろ? それに俺は団長さんのおかげで怪我もしてない。だからそんな顔しないでよ」

「いや」


 力強く否定する。


「僕の……僕の考えなしな行動は、いつも誰かを困らせる。苦しめる」

「……団長さんは?」


 妙なところで人の機微に聡いウィルド。護衛の中にオズウェルがいないことなど見抜いていた。


「僕のせいで……謹慎処分だ」

「……そっか」


 短く返事をする。しかしすぐに口を開いた。


「カインのせいじゃないよ」

「…………」


 否定するようなことは言わなかった。しかし、本人がウィルドの言葉を受け入れたかどうかは顔を見ればわかる。固く口を閉ざし、頑なに顔を上げようとしないかれを見れば。


「もう、ここには来ない」

「何で――」

「ここにはけじめを付けに来た。面と向かって話しをしたかったから。でももう来ない」

「カイン……」


 ウィルドの小さな声が、漂って、消える。カインはついに顔を上げなかった。

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