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愛と鞭  作者: まくろ
第九話 嵐の後の静けさ
52/120

52:ピクニック

 事の発端はウィルドだった。


「団長さん、いつまでここに居られるの?」

 その一言は、とある昼下がり、珍しく皆が一堂に会していた時に放たれた。


「そう、だな。そろそろ戻るつもりだ。もう随分傷も治って来たからな。いつまでも甘えているわけにはいくまい」

 その言葉に、ウィルドは寂しそうに顔を俯ける。しかし次に顔を上げた時、その表情はキラキラと輝いていた。


「じゃあ……じゃあさ、明日みんなでどこかへ行こうよ!」

「どこってどこよ」

「う……んと、ほら、山とか、川とか! 快気祝いってことで!」

「難しい言葉を知ってるわね。ちょっと意味が違うけど」


 ウィルドにしては上出来だ。アイリーンが満足そうに頷く間に、話はどんどん進んでいった。


「ピクニックってことね。じゃあ明日わたしがお弁当を作るわ」

「僕も手伝う」

「ウィルド、この前作ったそり持って行こうか。丘で滑ったら楽しいんじゃない?」

「あ、それいいね!」


 そうして大人たちを置いてけぼりに、子供たちは楽しいピクニックについての計画を立て、三日後の今日、澄み切った青空の下、皆で山登りをしているという訳だ。


 子爵家御用達のこの山には、何だかんだ野イチゴ狩りやらピクニックやらでいつも登っているので、皆の足取りは軽い。オズウェルの方も、さすがは団長というべきか、慣れない山登りでも子爵家に後れを取ることはほとんどなかった。道中所々で休憩を取りながら、しかし昼前には頂上に辿り着くことができた。大きな木陰に陣取り、各々思い思いに伸びをした。


「やっと着いたなー」

 まだシートも広げていない草原に、ウィルドが寝転がる。そんな彼に、エミリアが顔を向けた。


「どうする、先に遊ぶ? それともお弁当?」

「弁当!」


 ウィルドに聞いたわたしが馬鹿だったわ。

 口にこそしなかったものの、エミリアの表情はその一言に尽きた。


 ステファンとフィリップがシートを引き、アイリーンとエミリアがお弁当を広げた。何度も行ってきたせいか、その手際は慣れたものだ。


 その後、穏やかな秋の空の下、何とも賑やかなお昼御飯が始まった。デザートと称してスコーンのロシアンルーレットも開催された。また例によってアイリーンが外れを引いたのだが。


「デザートに外れを入れるなんて、エミリアも性格悪くなったもんだなあ」

「人聞きの悪いこと言わないでくれる?」


 ウィルドの物言いに、エミリアが素早く反応する。


「わたしはただ面白さを追求しただけ――」

「どういう意味かしら、エミリア? 私が外れを引くことが面白いっていう意味?」

「あ……っと、まさか、そんなことあるわけありませんわ、姉御!」

「嘘くさい笑み~」

「うるさいわね! ウィルドは黙ってて」

「おー怖い怖い。触らぬエミリアに祟りなし~」


 わざとらしく首を振ると、ウィルドは勢いを付けて立ち上がった。相変わらず食べるのが早い。


「じゃ、お腹も膨れたことだし、早速遊びに行こうぜ、な?」

「うん、行く」

「じゃあ僕も行こうかな」


 ウィルドの声にいち早く反応したのはフィリップだ。弟に続くように、ステファンも立ち上がる。他に誰かいないのか、と視線はエミリアに向くが、色よい返事は返ってこない。


「なーんかわたし、しばらく動きたくないしなあ」

「えー、なんだよそれ。師匠はもちろん行くよね?」

「ええ? でもねえ……」

「いいから! ほら行くよ」


 ウィルドは無理矢理アイリーンの手を引くと、そのまま勢いよく引っ張り上げた。


「団長さんは行かないの?」

「いや、俺もしばらくここで大人しくしている」

「何だよー、つれないなあ。じゃあまたすぐにこっちに来てね!」


 ウィルドは唇を尖らせながらも大人しく引き下がった。アイリーンの手は決して離さずに。


「え、どうして私だけ強制?」

「いいからいいから」

「僕、皆で鬼ごっこしたいなあ」

「あ、いいね、それ」

「ええ……? 食べたばかりでお腹も苦しいし、違う遊びにしない?」

「よし、じゃあ年功序列ということで、鬼は師匠ね。みんな急いで散らばれ!」

「わーっ!!」

「ちょっと! どうして誰一人私の話を聞いてくれないの!?」


 アイリーンの叫びが辺りに木霊すが、それすらも聞く耳持つ者はいない。休憩組すら。


「あの外れのスコーン、君が作ったのか?」

「もちろんです。フィリップとの共同制作ですの。どうでしたか、お味は?」

「ああ、美味しかった。大人顔負けだな」

「それは良かったです」


 エミリアは何とも可愛らしく笑みを浮かべるが、オズウェルは不思議でならなかった。あのアイリーンが涙目になるほどのブツを、目の前のこの年端もいかない少女と少年が作り出したなどと。


「あれ……あのスコーン。一体何が入ってるんだ?」

「まあ……いろいろと。企業秘密です」


 ふふっと笑うその笑みが、次第に恐ろしく感じてしまうのは、仕様のないことなのかもしれなかった。


「良かったら今度オズウェルさんのために作りましょうか?」

「いや……遠慮しておく」


 力なくオズウェルは首を振った。


「しかし本当に運が悪いんだな。聞けば今までほとんど姉が外れを引いていたんだろ?」

「……そうですね」


 一瞬の間の後、エミリアが頷いた。しばらく何を思ったのか、口を開けたり閉じたりしていたが、やがて決心がついたのか、真っ直ぐにオズウェルを見上げた。


「姉御って馬鹿なんです」

 しかし何を言い出すかと思えば、そんな言葉。そうなのかとか、そんなことはもう知っているとか、様々な反応がオズウェルの頭に浮かんだがそれが口から出ることは無かった。それよりも先にエミリアが続けた。


「姉御、いっつもね、小さいものを取ろうとするんです。ご飯でもお菓子でもなんでも」

「…………」

「それに気づいてからは、極力何でも差ができないように工夫しました。でもコレだけは別」


 嬉しそうに彼女はスコーンを手に取る。もう外れはないと分かっているので、その手は迷うことなど無い。一方オズウェルの方は、先ほどのアイリーンの様子を思うと、どうしても手が伸びなかった。


 サクッと心地よい音を立てながら、エミリアはスコーンに齧りついた。


「ウィルドはもちろん大きいものを取るし、兄様やフィリップは目の前のものを取る。なら、姉御の近くに一番小さいものを置いておけば……後は簡単」

 見紛うことは無い。今度こそエミリアの笑みは真っ黒だった。まるで、彼女の心を表すかのように。


「じゃあ……彼女が何度も外れを引いていたのは……?」

「わたしの策略に決まってるじゃないですか」


 何のためらいも見せずにエミリアは言ってのける。とんでもない真実を知ってしまったとばかり、オズウェルの顔は真っ青だった。


「わたしね、いつもの取り澄ましたような表情の姉御も好きだけど、お馬鹿な姉御も好き」

 どこかうっとりとしたようなその顔は、自然と件の姉に向けられる。彼女はまだ鬼ごっこの鬼をやっているらしく、ヒーヒーと息を切らしていた。挑発するウィルドを追って森の中へ入っていく。


「あらあら、大丈夫かしら。あっちは確か姉御の嫌いな毛虫がたくさんいるはずなのに――」

「き……きゃあああー!  ステファン、取って取って!!」


 不気味なエミリアの呟きからそう時間をおかずに、アイリーンが半泣きで飛び出してきた。必死になって森から逃れようと足を動かしたが、長いスカートが足に引っかかって転んでしまった。その顔は涙に塗れている。


「い、嫌……」

 ついにはその場でへたり込んでしまう。ステファンが追い付いた時には姉の威厳などどこかへ吹き飛んでいた。ぐずぐずと蹲る姉を見、エミリアはただ一言。


「泣き顔も可愛い」

 サーっと血の気が引くのを感じた。オズウェルはゆっくりと顔を逸らし、見なかった振りをした。それが今一番最適であるような気がしたのである。


「もう嫌、もう嫌よ! 鬼ごっこは止めにしましょう!」

 遠くで再びアイリーンが叫ぶ。駄々っ子の様だった。


「えー何でだよ」

「ウィルドが何かにつけて森の方へ逃げていくからでしょう! この辺りは毛虫が多いから来たくないって言ってたのに……」

「じゃあそり滑りはどうですか?」


 見かねたステファンが声をかけた。


「そり滑り……。いいわ、この際何でもいい」

 疲れたような顔でアイリーンが頷く。それを皮切りに、彼女の元へ、木製のそりが届けられた。もう十分に体を動かしたのだから、ゆっくり休憩したいというのがアイリーンの本音だったのだが、楽しそうにそりが届けられてしまってはそれも言い出せない。


 遠くには楽しそうにこちらを見学しているエミリアとオズウェルが目に入る。何だか恨めしくなって睨んでみるが、何を勘違いしたのか、妹は嬉しそうに手を振ってくる。ぐぬぬ、と悔しそうに唇を噛んだものの、アイリーンは仕方なく手を振り返した。


 ゆっくり休憩できる時が訪れるまで、もうしばらくかかりそうだった。

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