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愛と鞭  作者: まくろ
第九話 嵐の後の静けさ
48/120

48:突然の来訪者

「あーねーうーえー!! 一体何をやらかしたんですか!」

 その声は、屋敷中に響いた。後ろめたいことは何もないはずなのに、その声を聞いた瞬間、アイリーンの体は一気に強張る。素早い動きで椅子から飛び上がると、瞬時にテーブルの下に隠れた。ぶるぶる震えるその動きが、何よりも彼女の恐怖心を表していた。


「ああ、こんな所に隠れていらしたんですか」

 ステファンは緩慢とした動作でテーブルの下を覗き込んだ。二人の視線ががっちり交差し合う。


「どうしてこんな所に? 何かやましいことでも?」

「べ、別に……。その、ちょっと針を探していただけよ、落としちゃったから」

「へえ。危ないですから、気を付けてくださいね」

「……はい」


 いつの間にかアイリーンは正座していた。そのことにも気づかない。


「で、針は見つかったんですか?」

「その……」

「見つかったんですか?」

「見つかりました」

「じゃあ出てきたらどうですか?」

「……はい」


 誘導尋問を終え、アイリーンはしぶしぶテーブルの下からはい出た。上から差す光が、随分久しいように感じられる。


「……用件はなに?」

 再びアイリーンは針仕事に戻ったが、弟は腕を組んだままなかなか口火を切らなかったので、仕方なしに自分の方から問いかけた。ステファンはため息を一つつくと、白い封筒を差し出した。一旦作業を止め、それを受け取る。


「何、これ?」

「裏を見ればわかります」


 冷たい声に、アイリーンは大人しくそれを裏返した。白い封筒に金色の蝋。一見普通の手紙の様に見える。が、すぐにサッとアイリーンの顔色が変わった。刻印が、王家の紋章だった。


「王家からの手紙……僕は見るのが怖いです」

「し……知らないわよ! 私別に何も――」

「じゃあ早く確認してくださいよ! 僕はもう心配で心配で――」

「分かってるわよ」


 ようやくいつもの調子が戻ってきた。一つ大きく深呼吸をすると、アイリーンはそっと手紙を開ける。王家の紋章が記されている蝋が真っ二つに折れる様は、何だか悪いことをしているような気持ちにさせられる。


 中身は一枚だけだった。三つに折られたそれを開き、目を通す。隣でステファンも覗き込む。同時に口から吐息が漏れた。


「何だ、カインか……。良かった」

「ステファンも早とちりなのよ。びっくりさせないで!」


 唇を尖らせながら、アイリーンは手紙を封筒に戻した。一気に緊張がほぐれた彼女は、そのまま椅子に深く座り込んだ。


「でも……いつごろ来るんでしょうね。やっぱり護衛も?」

 手紙の主はカインだった。今日の昼過ぎにこちらに来たいという旨だった。それ自体に特に異議はない。ただもう少し早く手紙を届けてほしかった。今まではカインが王子であるということを知らずにもてなしていたのだが、その事実を知ってしまった今となってはそうはいかないだろう。やはり、それ相応のもてなし方というものがある。といっても、子爵家の財政が苦しいのはいつものことなので、ただ単にアイリーンたちの心の構え方が変わるだけなのだが。


 カインは丁度昼過ぎにやって来た。朝餉も食べずにウィルドは朝から外へ出かけているので、時期が悪かった。やはりもう少し早く手紙を寄越してくれれば、活動的なウィルドを家の中に留めておくことができたかもしれないのに。


「カイン、ようこそ」

「……どうも」


 扉を大きく開けて出迎えたが、カインは照れたようにそっぽを向いた。


「何よ、借りてきた猫みたいに大人しくなっちゃって」

「……いや、久しぶりだなって」

「そうね、久しぶり。でもごめんね、ウィルド今遊びに行ってるのよ。たぶんクリフの所だと思うけど。どうする? もうすぐ帰ってくると思うけどここで待ってる?」

「じゃあ待たせてもらう」


 ぺこっと頭を下げてカインが中に入っていく。それを横目で見ながら、アイリーンは後続の護衛達のために扉を押さえておく。

 が、やはり護衛の数はぞろぞろと長い。よくよく見れば、もう外にも護衛を配置済みらしい。王子たる彼にはそのくらいが当然なのだろう。しかしその更に後ろ、最後尾にオズウェルの姿を発見し、アイリーンは固まった。冷や汗が流れる。


「あ、の――!」

 そのまま護衛達に続いて彼も居間に入ろうとするのをアイリーンは慌てて止めた。居間にはステファンがいる。きっと丁寧にもてなしてくれるだろう。問題はこの男だ。


「何だ?」

「そ……の、この前の、ことなんだけど」


 あれから――アイリーンが泥酔し、オズウェルに送ってもらったあの日から、二人は一度も顔を合わせたことがなかった。というか、街で彼を見かける度、アイリーンは尻尾を巻いて逃げ出していたのである。普段の彼女らしくない。だがそれも当然。どういう顔をして彼の前に姿を現せばいいのか分かったものじゃないのだから。


「め、迷惑をかけたわね。ごめんなさいね、家まで送っちゃって」

 アイリーンは引きつった笑みを浮かべる。


 しかしこうは言っているが彼女、あの日のことはほとんど記憶にない。ただぼんやりと、家に帰る途中オズウェルに出会ったなとか、家まで引きずられたかなとかそういう類のふわふわした出来事しか頭に無かった。だからこそ、自分があの日、妙なことを口走っていないか、醜態を晒していないか非常に不安だった。それはもう、これからはもう絶対に飲み過ぎない!と天に誓うくらいには。


「ちゃんと寝床に行けたのか? 随分フラフラしていたが」

「え? ……ええ、うん、ちゃんと行けたわ」


 厳密にいえば、自分の寝床ではなく、弟の寝床にだが。

 次の朝、目が覚めた時は驚いた。いつもの天井じゃないし、いつもの部屋じゃないのだから。


 痛む頭を押さえて居間に行けば、部屋の主、弟がツンとした顔で聞くのだ、昨夜はゆっくり眠れましたか、と。言外に言っていた、僕を差し置いて寝たのだからさぞかし気持ち良かったんでしょうね、と。それから一週間、アイリーンはステファンに頭が上がらなかった。


「姉上? どうかしたんですか?」

 まさに渦中の人物、ステファンが居間の扉から顔を出した。姉がなかなか来ないので心配しているらしい……というのは容易に想像がつくが、条件反射でアイリーンは背筋を伸ばす。


「あ、オズウェルさんも護衛でいらしたんですか」

「ああ、王宮の騎士よりはこの辺りに詳しいからな」

「じゃ、私達も居間に向かいましょうか、ね? カインたちを待たせてもアレだし……」


 正直なところ、未だ許してもらったとは言い難い弟に、目の前の隊長殿が余計なことを言わないか不安で堪らなかった。しかしその思いは彼には伝わらなかったようで。


 オズウェルは首を振って拒否の意を示した。


「いや、殿下も俺がいると心休まらないかもしれないからな。俺はいい」

「あ、そう……」

「それにまだ言うべきことがある」

「…………」

「あの夜は劇の打ち上げか何かだったのか? そうだとしても、あまり羽目は外さない方が良い。酒を呑むにしても、自分の限界を知ってからだ」


 あちゃ……とアイリーンは頭を抱えた。ステファンの方は見たくない。何だか想像できる。


「……気を付けるわ」

「あと、女一人であんな所をうろつくんじゃない。しかも夜遅くに。打ち上げだとしても早めに帰らせてもらうか、誰かに付き添ってもらうかしろ」

「はあ……」


 まるで父親のようだ。


 アイリーンはそう思ったが、まさか神妙な顔で説教しているオズウェルを茶化すわけにもいかない。

 彼の説教はまだまだ続きそうだ。


「そもそもな、あの出入り口の鍵、地面に埋めておくのはどうかと思うぞ! 誰かに見つかってそのまま侵入されたらどうする? 頼りになる大人もいないんだから――」

「ご心配ありがとうございます」


 オズウェルの声を遮ってステファンが前に出た。拍子抜けして二人は声もなく彼を見つめる。


「でも僕だって一応男です。姉上が遅くなりそうなときは僕が迎えに行きましょう。オズウェルさんは心配しなくても大丈夫です」

「……そうか。ならいいんだが」

「…………」

「…………」


 気まずい雰囲気が流れ出し、オズウェルはコホンと咳ばらいをした。


 この少年、何か怒っているか?


 そこまでは推察できたが、しかし何が彼を怒らせてしまったのかはさっぱりだ。だがそれも当然、当の本人ステファンですら、自分が何を口走っているのかよく分からなかった。なぜか目の前の団長が気に食わない。ただそれだけだった。


「え……っと、その、二人に迷惑をかけたことは謝るわ。ごめんなさい。これから気を付けます」

 アイリーンは早口でそれだけ言うと、男たちを残してさっと身を翻した。ピリピリしているこの雰囲気から逃げ出したい一心だった。

 姉の姿を見送ると、ステファンはオズウェルに向き直った。


「ちょっとお聞きしますけど、もしかしてオズウェルさんも姉の劇見てたんですか?」

「……ああ。チケットを貰ったからな」

「姉から?」

「ああ」

「……へえ」


 ステファンの瞳が暗く輝く。何か悪いことでも言ったのかとオズウェルの背中を冷や汗が伝った、その時。


「ただいまー」

 ウィルドの明るい声が屋敷に響いた。オズウェルの顔にパッと喜色が浮かぶ。彼の声が、まさに天からの助けに思えた。

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