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愛と鞭  作者: まくろ
第八話 高飛車の功名
47/120

47:子爵家の夜

 公演が終わった後、ステファンたちは速やかに子爵家に帰宅した。辺りはすでに暗闇に包まれており、通りには酔っ払いがちらほら見えたので、余計な厄介事に巻き込まれないようにとの判断だった。


 道中ウィルドがお腹空いたと駄々を捏ねていたが、準備のいいエミリアは帰ったらすぐ食べられるように用意していたので、彼の不満もそれほど長くは続かなかった。

 が、その夕餉の時間。皆の言葉数は少なかった。


「何だか……別人みたいだったね」

 ぽつりと呟いたのはフィリップだ。その声に、エミリアは小さく頷く。


 豪華なドレスを身に纏い、化粧を施して綺麗に結い上げたアイリーンは、確かに別人のようだった。照明が明るく照らし出す遠い舞台の上では、知らない人の様にさえ見えた。そのまま、こちら側に帰って来ないのではとさえ思ってしまった。


「打ち上げって、時間かかるのかな」

「……どう、だろう」

「大人の時間だからなあ。大人って、酒が入ると時間忘れるんだぜ?」


 ウィルドが大人びた口調で言う。何だかおかしくなってきて、エミリアはクスクス笑った。そのまま笑いながら立ち上がり、テーブルの上を片付けていく。フィリップも手伝おうと席を立った。


「じゃあ子供は子供の時間でも過ごす? いつだったかの夜、ウィルドたちが宴を開いてたみたいに」

「ちょ……それはもう忘れてくれよ! 俺が悪かったから!」


 ついには笑い声が上がった。弾けるような笑顔と笑い声。


「ねえ兄様、今日一緒に寝ていい?」

 その勢いに乗じて、フィリップがキッチンから顔を出す。


「いいよ、おいで」

「ありがとう!」

「何だよー、二人とももう寝るのか?」


 ウィルドがつまらなそうに言う。ステファンはニヤリと笑った。


「え、宴がしたいって?」

「ステファン!」


 いよいよウィルドが怒り、席を立つ。笑いながらエミリアはパンッと手を叩いた。


「ね、宴とまではいかなくても、みんなでトランプしない?」

「……でももう僕眠い」


 フィリップはトロンとした眼を擦った。その頭にステファンは手を乗せる。


「なら僕の部屋でしよう。それならすぐにフィリップも寝れるし」

「よし、じゃあ決まりだな!」


 それぞれ自分の部屋に戻り、夜更かしに十分な準備をした。前回行った宴よりも何だか心躍った。

 ステファンの部屋に集まると、小さな明かりだけをともして皆固まって座った。ステファンとフィリップはベッドに腰を下ろし、ウィルドとエミリアは自分の部屋から持ってきた椅子に落ち着いた。


 行ったトランプゲームは様々で、オールドメイドやブルシット、ポーカーなど多岐にわたった。難しいルールのゲームはステファンとフィリップが組んで遊んだが、もっぱら戦歴としては一位はステファンやフィリップが争い、最下位はエミリアやウィルドということが多かった。アイリーンがいる時は、後者の方に交じることが多い。


「俺もう眠い……。ステファン、今日ここで寝ていい?」

「えー……。ウィルドは寝相が悪いから嫌だ」


 思いっきりステファンは顔を顰めた。もちろんウィルドはムッとする。


「何だよ、何で知ってるんだよ! ってかエミリアだって寝言うるさいだろ!」

「何でそこでわたしに矛先を向けるのよ!」


 やいのやいの二人は喧嘩を始めた。そんな二人を尻目に、ステファンとフィリップはさっさとベッドに入り込んだ。二人もそろそろ眠気を感じていたので、ウィルドの一言は良いきっかけとなった。温かい毛布が体を心地よく包んでくれ、すぐにでも夢の中へと入り込めそうだった。


「あ、ずるい二人だけ!」

「俺も俺も!」


 ウィルドたちは、自分も後れを取るまいとベッドに無理矢理体をねじ込んだ。


「ちょ、狭いから自分の所に行ってよ」

「嫌だよ、エミリアが行けばいいだろ?」

「あーもーうるさい! もうどこでもいいから静かにして!」


 ついにはステファンがうんざりしたような声を上げる。ウィルドたちは途端に黙り込んだ。が、すぐにクスクスと堪え切れない笑い声が上がる。


「なーんか、ちょっと楽しくなってきたな!」

「あ、ウィルドも? わたしも」

「なあ、何か話しねえ? 寝付くまで」

「僕もう寝たいんだけど。静かにしてくれると嬉しいんだけど」

「何だよ、釣れないなあ」

「一番最初に眠いって言い始めたの誰だよ」

「さあ、誰だろうな」


 再び黙り込む。これでようやく眠れるとステファンが目を閉じると、ウィルドが寝返りを打った。


「なあ」

「なに、まだ何かあるの」

「何か……変な音しない?」

「え?」


 反射的に耳を澄ます。が、何も聞こえない。


「そうかな? エミリア聞こえた?」

「ううん、わたしは別に」

「絶対に聞こえたって!」


 ウィルドはそう囁くと、音もなくベッドから降り立った。しかしその動きに合わせて毛布がはためいたので、彼の後ろ姿は無言の抗議の視線に晒された。


「ほら、また聞こえた!」

「野生児にしか聞こえない音なんじゃないのー?」


 やけになってエミリアが適当な返事を返した。しかしウィルドはシッと真面目な顔で振り返る。


「これ……何の音かな」

「はあ?」


 再び彼らは耳を澄ます。と、今度こそステファンたちにも聞こえた。ズルズルと何かを引きずる音。一気にその表情が暗いものへと変わる。


「怖いよ……」

「大丈夫」


 縋り付くフィリップをステファンがしっかり抱きしめる。姉がいない以上、この屋敷は自分が守らなければと固い決心で一杯だった。


「ウィルド、そこの箒取って」

「これか」


 合図もなくそれはステファンに投げられる。落として音を立ててしまったらどうする!と彼はひやっとしたが、ウィルドは何のその、自身の武器を捜索中だった。無いよりはマシかと塵取りを構える。


「俺も協力するぜ」

「まだこの屋敷を狙ってる親戚の人かもしれないな」

「寝込みを襲うなんて最低よ!」

「気を引き締めて行こう」


 ステファンたちの居場所を全て知っているかのように、その音の主は一直線にこちらにやって来る。だがその音は相変わらずふらふらと覚束ない。罠が無いか警戒しているのかもしれない。


 扉が開かれる、その時が勝負だ。音を立てている主とはもう壁一枚隔てているだけだった。ステファンとウィルドは無言で頷き合う。


 寝ていると思っているのかもしれない。扉は音もなくスーッと開いた。ステファンは声もなく箒を侵入者の前に構えた。ちょっとした脅しのつもりだった。変に殴りかかって相手を逆上させたり、恨みを買ってしまっても困るからだ。しかしウィルドは違う。少し――いや、結構真剣な表情で侵入者に向かって塵取りを叩きつけた。我慢できなくなってついには侵入者が声を上げる。


「痛っ……痛いってば!」

 しかしその声は長年聞き慣れたそれで。

 ステファンは慌てて箒を下ろした。


「姉上!?」

「え……って師匠か!」


 ようやく攻撃は止まったが、アイリーンの体……いや、精神はボロボロだった。彼女は弟たちに文字通り袋叩きにされたことに心を痛め、その場に崩れ落ちる。


「も、もう何なのよ一体……。とんだお出迎え……」

「こんな夜更けにこそこそ入って来ないでください! 泥棒かと思うでしょうが!」


 ステファンに最もなことを言われ、アイリーンはびくっと肩を揺らした。


「し、仕方ないじゃない! 打ち上げだって皆が遅くまで解放してくれなかったんだから……」

 アイリーンはすっかり不貞腐れる。たとえ酔っていて頭が通常通り作動していなくとも、弟の小言には言い訳を並べ立てる反射が備わっているようだ。


「……師匠、もしかしてお酒飲んだ?」

「あは、分かる?」


 にんまりアイリーンは笑みを浮かべる。いつもは容易に見せないその顔に、弟妹達はすぐに彼女が酔っ払っていることを悟った。


「これがなかなかおいしくてねー。たくさん飲んじゃった」

「……高級品は口に合わないんじゃなかったんですか」

「でもあのお酒はおいしかったのー」


 ぶうっと頬を膨らませると、アイリーンは部屋の中を見渡した。フィリップ、エミリアをも目視し、目を丸くする。


「なに、皆ステファンの部屋で寝るつもりだったの?」

 う、と彼らは口ごもった。フィリップはまだいいが、ウィルドやエミリアの年齢で、一緒に寝るというのはなかなか恥ずかしい。その理由が、たとえ自分の部屋に帰るのが面倒だったからなどというものでも。


「可愛い子たちめー、さては私が居なかったから寂しかったんだな?」

 ふふっと更ににんまり笑うと、アイリーンはその身を部屋の中に滑り込ませた。あっと思うもなく、彼女はステファンのベッドにまで到達し、毛布にくるまる。


「私も一緒に寝てあげよう!」

「嫌です、酒臭い」


 ステファンが一蹴した。アイリーンは少しばかり落ち込んだ。

 ステファンだけならまだしも、ここにはフィリップもいる。あんまり醜態を晒すわけにはいかないと、せめて残っている気力を振り絞り、ベッドから這い出よう……としたのだが、いかんせん居心地が良すぎた。深夜をとうに過ぎた外はなかなか寒かったので、冷え切った身体にその温かさは身に沁みたのである。いつの間にか意識がすーっと薄れていく、夢心地の状態で。


「――アステリア!」

 突然彼女は叫び出した。当然、子供たちはビクッと肩を揺らす。


「な、何ですか。急に大声を出して」

「王女たるこの私に向かってそんな口の利き方は無いんじゃないの~?」

「……はあ?」

「それに何よ、この狭いベッドは! 王女である私がこんなところで寝れるわけないでしょう?」

「じゃあ自分の部屋に帰ればいいでしょう」

「はあ~? この私に、歩けと、そう言ってるのね?」


 アイリーンは大袈裟に首を振る。ステファンの目は自然とジト目になる。


「姉上、酔ってますよね?」

「アステリア~」

「完璧に酔ってますね」


 これがあの大舞台で立派にステイシー役をこなした女性だと誰が思うか。目の前にいるのはただの飲んだくれだった。


「アステリア、私の部屋から枕取って来て」

「はい? いい加減にして下さい。枕くらい何だって――」

「あれが無いと眠れないの!!」


 次第にアイリーンはベッドの上で四肢をだらしなく動かし始める。ただの駄々っ子だ。


「アステリア!」

「あーもう! 分かりましたよ、持ってくればいいんでしょう!?」


 根を上げたのはステファンの方だった。この騒ぎですっかり眠気も吹き飛んでしまった。


「ステファン、ご愁傷様」

「そう思うなら一緒に姉上を止めてくれよ……」

「いやあ、ステファンが一番適役かと思って」

「アステリア! 早く!」

「全くうるさい王女だ……」


 やれやれと肩を落とし、ステファンは部屋を出て行った。憎らしい笑みを浮かべながらウィルドはそれを見送る。


「わたしたちも、もう寝ようか」

「うん」


 エミリアとフィリップはそんなやり取りを躱すと、さっさとベッドにもぐりこんだ。アイリーンも唸りながら少し横にずれる。


「え、ずるい。結局エミリアもそこで寝るのかよ」

「ウィルドうるさい。もう寝るから静かにして」

「あーはいはい。黙りますよっと」


 しかし口ではそう言いながらも、ウィルドもベッドに身を滑り込ませようとしている。エミリアはバッと起き上った。


「ちょっと! 何でここに入ってくるのよ。狭くなるじゃない!」

「はあ? 人一人入ったくらいで狭くなるわけないだろ?」

「狭くなるわよ、ウィルドの体はただでさえ大きいんだから!」


 二人はフィリップを挟んでやいのやいの口喧嘩を始める。フィリップとしては堪ったものじゃない。

「ねえ、少し静かにして」

「…………」


 いつもは大人しいフィリップにこうも言われれば、黙るしかない。結局はウィルドも流れに乗ってそのままベッドに留まる形となった。もうベッドは満員だ。


 そこへ、ステファンが枕を持って現れた。酔っ払って帰って来た姉に、小間使いの様な扱いをされ、彼は非常に腹を立てていた。しかもそれは、ベッドの上の姉――アイリーンの、幸せそうな寝顔を目にして更に増幅する。


「これが無いと眠れないんじゃなかったんですか……!」

 弟妹達も幸せそうな顔をして眠っているので、怒るに怒れない。が、頭に来ているのは本当なので、枕は姉の顔にぶん投げておいた。本当ならば、ついでに寝相の悪いウィルドをアイリーンの方へ押しやりたいのだが、残念ながら彼女は一番端にいる。しぶしぶ断念した。


 姉の突然のご帰宅のせいで、疲労感が頂点に達しているステファン。欠伸を堪えながらも、彼はベッドに入ろうとした……が、入る隙がなかった。もう一度ベッドを見やる。壁側にアイリーン、エミリア、フィリップ、ウィルドと並んでいる。大人用のベッドとはいえ、四人もの人数が並べば満員にならないわけがない。


 その夜、ステファンは久しぶりに荒れた。

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