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愛と鞭  作者: まくろ
第二話 去る姉弟跡を濁す
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04:仕立て直し

 夕食の後の団欒の時間。

 ウィルドとエミリアは互いにちょっかいを掛け合ってはしゃいだ声を上げていた。アイリーンとステファンはその声を背景に、静かにお茶を飲んでいた。フィリップはというと、騒がしいにも関わらずに、もう既にとろとろと微睡の世界に飛び立とうとしていた。


「――姉上」

 寝息を立てているフィリップを見、自身も眠くなってきていたアイリーンは、突如弟から声がかかり、ピクッと肩を揺らした。


「すみません。起こしてしまいましたか?」

「大丈夫。――何かしら?」

「はい。あの、突然のことなんですが、明日、晩餐会に行くことになりまして……」

「夜会?」

「はい。級友に誘われたんです」

「良かったじゃない。いい人脈作りができるわ」


 うんうんと彼女は頷く。人脈だけではない。様々な立場と語り合う場の多い夜会は、年齢の垣根を超えた友人も作れるかもしれない所だ。貧乏な我が子爵家はそのようなお誘いの声がかかることは少なく、その数少ないお誘いも、合間を縫ってアイリーンが少し顔を出すだけだ。しかし今回、彼は級友に誘われたという。姉であるアイリーンから見ても、ステファンは利発な美少年だ。これからは彼の方がそのようなお誘いが増えるかもしれない。

 再び彼女はうんうん頷いた。


「それで……その晩餐会、パートナーが必要らしいんです。できれば、姉上にその役目をお願いしたくて……」

「私に?」

「はい。ぜひ姉上に」


 突然の誘いに、アイリーンは驚くとともに困惑した。しかしすぐに我に返る。驚くよりも先に、何か引っかかるものがあった。疑問をそのまま言葉にする。


「ねえステファン。もしかしてそのお誘い、女の子から?」

「はい、そうです。よく分かりましたね」

「ああ……なるほどね」


 彼は笑顔だ、それも満面の。悪気なんて欠片も見当たらない。

 きっと彼を誘った女の子も、この笑顔になす術もなく引き下がったのだろう。ありがとう、姉上と行ってくるよ!と曇りのない笑みを浮かべた彼を前に、涙を呑んで。


 しかしアイリーンはそのことを弟には決して言わない。可愛い弟を落としたいのなら、姉を超える実力を見せて欲しいものだ。世の中は金が全てであっても、我が子爵家では実力主義だ。郷に入っては郷に従え。ステファンを落としたいのなら、まずは気難しいアイリーンのことについて調べた方が良いのかもしれなかった。


「姉上、それで……パートナーの件、了承してもらえますか?」

 不安げな顔でステファンは顔を覗き込んでくる。しかしアイリーンの表情は未だ浮かない。


「でも少し……その、恥ずかしくないの? エスコートするのが姉だなんて」

 何より、貴族でステファンの年齢と言えば、もう婚約者もいるはずだ。だからこそ、彼くらいの少年はきっと皆婚約者と同行してくるはずだ。その中で、身内の姉と一緒に連れ立って歩く彼の姿は奇異に映ってしまわないだろうか。


「そんな。恥ずかしいことなんて一つもありません。姉上はその辺りの女性よりもずっと品格もありますし、何より素敵ですから……」


 そういう意味じゃなかったんだけど……。

 照れっとした表情を浮かべるステファンに否定の言葉を投げかける勇気もなく、アイリーンはそっと言葉を飲み込んだ。


「でもそれなら、急いでドレスの用意をしないといけないのでは?」

 静かになったと思ったら、いつの間にか二人の会話を聞いていたらしいエミリアが、ひょこっと顔を出した。


「姉御のドレス、どれも小さいでしょうから、今すぐにでも確認しておかないと」

「……そうね。確かにもう随分と着ていないから、サイズが心配だわ」


 前回お茶会に身に着けていったドレスは、いわば昼のドレス。露出も少ない清楚なドレスだ。しかし夜会などに用いる夜のドレスとなるとそうもいかない。露出だってそれなりにあるだろうし、かといって肌の出し過ぎは品性を問われる。仕立て直しをするにしてもしないにしても、今から考えておいても損はないだろう。


「よし、じゃあ私、今からドレスの確認をしてくるわ」

「え……じゃあいいんですか? 姉上」

「ええ、私ももう随分社交界に顔を出してないから、いい機会なのかもしれない。どうぞよろしくね」

「ありがとうございます!」

「姉御、わたしもドレス選び、ついて行ってもいいですか?」

「はいはい、好きになさい。ステファン、悪いけどフィリップを部屋に連れて行ってくれる? もう限界みたい」

「はい」


 フィリップはもはや、椅子から転げ落ちそうなくらいの不安定な恰好で舟を漕いでいた。眠いのなら大人しく部屋に帰ればいいものを、でも寂しいからこの部屋から離れたくなかったのだろう。気持ちは分からなくもない。


 アイリーンとエミリアは部屋を出ると、迷いなく二階の衣裳部屋へと向かった。この広い屋敷、二階部分はほとんど使っていないので、きっと埃塗れなことだろう。そう思ってアイリーンは覚悟して衣裳部屋の扉を開けた。しかし驚くことに、こもった匂いなどほとんどしないし、埃も全然落ちていない。二階は掃除しなくてもいいと言っていても、真面目なフィリップのことだ、暇なときにでもやってくれていたのかもしれない。

 あとで何か欲しいものでも尋ねてみよう、とアイリーンは頷き、早速衣装箪笥の中のドレスの山を掻き分ける。


「確か……この辺りに……」

「ドレス、たくさんありますね」

「全然使ってないんだけどね」


 使わないなら売ってしまおうかと思ったこともあるこのドレスたち。しかしどうせ大したお金にならないのならいざという時のために持っておいた方が良いかと、今日まで仕舞いこんできたものたちだった。


「これは……どうかしら」

 そう言って手にしたのは、青色のドレス。記憶にある中で、一番新しいもののはずだ。しかし――。


「……絶対に小さいわよね」

 体に合わせてみても、裾が全然足りていないことが丸わかりだ。


「でも姉御、試しに一度着てみたらどうですか?」

「……そうね。そうしてみようかしら。エミリアも、気に入ったのがあったら着てみたら? と言っても、もう随分古いものだから、流行りの物じゃないんだけどね」

「はーい」


 楽しそうなエミリアの背中で、アイリーンは小さいドレスと奮闘しながらも何とか一人で身に着ける。試着する前からわかっていたことだが、やはりこのドレスは小さかった。

 胸元もきついし、足首が見えるどころか、ふくらはぎの中腹まで外気に触れている。これでは品格あるなしを通り越して、入場すら断られるかもしれない。弟のパートナーとして、あまり恥知らずな恰好はしたくない。


「レースで長さを足す……か、それとも違うドレスの生地で裾を継ぎ足しするか……」

 ううん、と唸りながらドレスを見下ろす。


「胸元も……少し破廉恥ね」

 あり得ない露出ではないと思う。これくらいの露出、周りを見渡せば幾人かの令嬢もしている。しかし、どうもアイリーンとしてはこれくらいの露出も許せない。


「ここもレースを足して……」

 くるくると回りながら今度は背中も鏡に映してみる。今はボタンを全て外した状態での着用だ。しかし一向にそのボタンを付けてみる気にはなれない。どうせ結果はもう分かっているのだから。


「どう、姉御?」

 傍らで明るい声がした。振り向くと、鮮やかな紅色のドレスを身に着けたエミリアがにっこりと佇んでいた。


「あら、可愛いじゃない。似合ってるわ」

「ありがとうございます!」

「でも若いんだからもう少し柔らかい色の方が似合うと思うわ。ほら、これなんか」


 淡い桃色のドレスを手に取ってエミリアに見せる。途端に彼女の目が輝いた。


「じゃ、じゃあそれも着てみます!」

「好きに着たらいいわ。私にはもう着れないものばかりだから」

「ありがとう、姉御!!」


 嬉しそうにドレスを脱ぎだすエミリアを尻目に、アイリーンは青色のドレスと向き直る。

 背中の届かないボタンはショールで、胸元はレースで隠すとして、問題は足元だ。レースで補っても長さが足りないだろうし、かといって他の布地で継ぎ足ししてしまったらちんちくりんに見えてしまうだろう。


 ――いや、本当にそうだろうか。


 ふっと思い至った。

 むしろ、色調を少しずつ変えてグラデーションのドレスにするのはどうだろうか。幸い、この場にはもう使えない様々な色、形のドレスが多くある。どうせ使えないのなら、いっそのことすべてバラバラにして一つのドレスを作る――うん、いいかもしれない。


「よし、やるわ」

 一人で宣言すると、早速アイリーンは作業に取り掛かった。夜は長くなりそうだった。


*****


「どう、このドレス」

 昨夜遅く出来上がったドレスを着用して今朝、皆の前でお披露目をした。さすがのアイリーンも少し緊張気味だ。


「見られなくはないでしょう?」

 しかし皆、妙に静まり返っている。不思議に思って首をかしげる。


「……どうかしたの?」

「師匠、大人しく新しいドレス買ったら?」


 ズバッとウィルドに突っ込まれた。若干落ち込みながらそっぽを向く。


「高いから嫌よ」

「でもそれは……ちょっと」

 再び場が沈黙した。


「か、母様、似合ってるから大丈夫ですよ!」

「……ありがとう」


 だが、お世辞だということは分かっている。


 ……さすがのアイリーンも、心が折れそうだった。貯金を少しだけ崩して、新しいドレスを買うか……と半ば思い始めた頃、ステファンが徐に立ち上がる。


「いや、姉上、ちょっと待ってください」

「……どうしたの?」

「――むしろ、これは斬新かもしれない」

「おいステファン、頭大丈夫か?」


 ウィルドに心配されるとは、ステファンももう手遅れかもしれない。


「姉上の性格をまさに表しているようなこのドレス……いい」

「え……っと、それは褒め言葉?」


 若干頬を引き攣らせながらアイリーンは尋ねる。


「いや、違うんじゃない? だってそのドレス、継ぎはぎだらけだし、正直ちんちくり――」

「私がちんちくりんだって言いたいのかしら?」

「いえ、違いますよ! そんなことを言ってるんじゃないんです!」


 アイリーンの静かな怒りに、ステファンは対抗し、ウィルドはそそくさと避難した。


「この突飛なドレスなら、姉上が目立つことこの上ないです!」

「いや別に目立ちたくはないんだけどね……」

「しかも悪い意味でだよね、絶対」


 遠くからウィルドが茶々を入れる。アイリーンは一睨みで彼を黙らせた。


「でも姉御、似合ってるんならいいんじゃないですか?」

 先ほどから静かだったエミリアがぽつんと言った。


「確かに、そのドレスは一味違います。でもだからこそ姉御の魅力が生かされてる、そんな気がしますわ」

「そ……そんな、褒めたって何も出ないわよ」


 エミリアは表情を取り繕うこともせず、きょとんとしていた。だからこそ、その言葉に本心というものを感じ、アイリーンは思わず顔を赤くした。


「……まあ、似合ってるっちゃ似合ってるしね」

「母様なら大丈夫だよ」

「姉上はどこでだって輝けます」


 ……何だかさり気ない殺し文句が聞こえたような気がするが、聞き流すことにする。


「よし、じゃあ私、このドレスで行くことにするわ!」

 どうせ晩餐会と銘打って、互いの腹の探り合いや人脈作りに励むんだ。互いのドレスなど大して見ていない。

 アイリーンはそう開き直って、今夜の夜会に向けて、更なる精進をすることにした。

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