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愛と鞭  作者: まくろ
第六話 令嬢暇なし
35/120

35:理由

 それからというものの、アイリーンの行動は早かった。帰りに洋裁店ドレッサムに寄ると宣言したことはすっかり頭の隅に追いやられ、アイリーンとフィリップ、二人はすぐに家に帰り、ウィルドを捕まえた。


「ね、ウィルド。この辺りでパトリックっていう男の子知らない? 十歳くらいの、鼻の辺りにそばかすがあって、よく日焼けしているんだけど」

「パトリック? 知らないなあ」


 欠伸をしながらウィルドは答えた。その瞳は眠そうにとろんとしている。


「学校にもいないの?」

「いないんじゃないかなあ。俺、その名前の子と遊んだ覚えないし」


 日焼けしているということは、単純に考えればたくさん遊んでいるか外で労働しているかのどちらかだろう。学校一の野生児ウィルドが遊んだことがないというのなら、学校にも行かず、外で何かしている子供なのかもしれない。


「私ね、どうしてもそのパトリックっていう子に会いたいのよ。ウィルドも一緒に探してくれない?」

「えー、嫌だよ。なんか面倒だし」


 いつもなら外で元気よく走り回っているウィルド。その彼がまだ日も暮れていないのに家でダラダラしているのは、それこそ遊ぶ気にならないのだろう。単純なこの弟にやる気を出させるには。


「もしその子を見つけられたら、今夜の食卓にデザートが並ぶかもよ」

 ウィルドの瞳がきらりと煌めく。


「それ本当?」

「女に二言は無いわ」

「いよっしゃあぁ! この俺に任せろ!」


 座っていた椅子に飛び上がり、ウィルドは拳を突き上げた。らんらんと瞳が輝く。単純なこの弟は、、なんと可愛らしいのかと思いながらにっこり微笑んだ。


「ウィルドの人脈、期待してるわね」

「任せろ!」

「じゃあ早速行きましょうか。エミリア、フィリップ、お留守番お願いね」

「はーい」


 元気よく返事をする弟妹達を家に残し、二人は足早に市場へと向かった。まずは聞き込みのため、散り散りになる。ウィルドは己の人脈を頼りに探し、アイリーンもアイリーンで手あたり次第声をかけた。


 しかしアイリーン。いかんせんその高飛車に見える容姿と物言いのせいで、相手が怯え、碌に情報が得られなかった。しかも幸か不幸か、彼女自身、彼らが怯える理由に気付いていない。虫の居所が悪いのかしらと次々に声をかけまくるので、その被害者が増えるだけである。


 落胆しながらアイリーンは待ち合わせ場所に向かった。姉の威信がボロボロである。少しくらいなら何か情報を得られるものだと思っていたのだが。

 しかしその先で待つ弟の輝くばかりの自慢げな顔に、彼女は一気に表情を明るくした。


「ふふふ、お姉さま。早速見つけましたよ」

 誰よあなた、という言葉は呑み込んでアイリーンは頷いた。


「よくやったわね、ありがとう」

「今夜の食卓にはヒュルエル通りのケーキが並んでいる光景が浮かびます」

「ヒュルエル通りね。了解」


 苦虫を噛み潰したような顔になるのを必死で堪える。ヒュルエル通りの洋菓子店といえば、この辺りでも有名な店だ。ウィルドもなかなかお目が高い。己の財布事情が少しばかり気になった。


「で、パトリックはどこに?」

「どこにいるかは分からないけど、家の場所なら分かったよ。案内する」


 ウィルドは迷う様子もなく、市場を抜け、小道を通り、裏道を歩いた。日ごろから友人と鬼ごっこしたり探検したりと忙しい遊びの賜物である。


「ほら、たぶんあれかな」

 周囲の背の高い建物に隠れるようにして、その家は存在していた。藁葺き屋根その家は、時折通る風によって扉がカタカタと揺れた。石造りの家が多いその周辺に置いて、パトリックの木造の住居はとても寒々しく見えた。思わず二人は無言になって顔を見合わせた。


「……ところでさ、何でパトリックに会いたいの?」

「……この前私、財布無くしちゃったでしょう? あれ、どうやらその子が……盗んだみたい」

「……それ本当?」

「私も詳しくは分からないけど……」


 気まずくなってアイリーンは顔を俯かせる。ここに来るまではあの生意気な少年をとっちめることしか頭に無かった。


「一応話を聞いてみようかなって」

 二人はそろりそろりと木造の住居に近づいた。幸い辺りには人はいなかったので、ひょいっと窓から中を覗いてみる。自分たちが完璧なる覗き魔と化していることには気づいていなかった。


 部屋の中は思ったより整然としていた。というか、物があまりない。どこかアイリーンたちの家を彷彿とさせた。窓に近い壁にはベッドが一つ置かれ、そこに女性が横たわっていた。傍らには椅子があり、パトリックが腰かけている。


「母さん、体調はどう?」

 母を見つめる少年の瞳は優しい。


「うん、今日は調子いいの。パトリックも外へ遊びに行ってもいいのよ?」

「いいや、俺はここにいるよ。最近遊び過ぎたせいか筋肉痛でさ。今日はちょっとゆっくりしようかと」

「ほどほどにしなさいね? 怪我をしないように」

「はいはい」


 パトリックは器用にしゃりしゃりと林檎の皮をむいていく。手慣れたものだ。


「ほら、どうぞ」

「ありがとう。……おいしそうね」

「だろ、安かったんだぜ、これ」


 にこりとパトリックは笑う。くっ……とアイリーンは顔を俯かせる。こんなの……こんなの見せられたら何も言えないじゃないのよ!


「母さん、肩揉んでやろうか」

「ええ? いいわよ、私は大丈夫」

「気にすんなって」


 どこか嬉しそうにパトリックは母親を起き上らせる。こちらに顔を向ける形でパトリックは肩もみを始めた。

 ……気付いてしまった。慎重そうなあの少年が、証拠隠滅のために財布を処分しなかった理由に。おそらく、アイリーンがあの財布をボロボロになるまで使っているのと同じ理由なのだろう。見ればわかる。


「……その、ウィルド」

「なに?」

「…………」


 口を開けたはいいものの、どう続けようかアイリーンは逡巡した。しかしその時、ふっとパトリックが顔を上げた。何かの気配を感じたのかもしれない。パトリックとアイリーンの目が合った。一瞬の当惑の後、次の瞬間には彼は母を置いて弾丸の様に飛び出してきた。あっというまに二人の目の前に現れ、肩をぜいぜいと揺らした。


「お前! こんな所で何してるんだ!」

「べ、別に何も」

「嘘をつけ! どうせ母さんにバラすつもりだな!?」

「はい? 別にそんなつもりは……」

「あーあー、うるさい! 言い訳なんか聞きたくな――」

「パトリック? 外に誰かいるの?」


 涼やかな声が中から響いた。三人は固まる。


「お友達? ならお母さんも挨拶したいな」

「い、いや、そんなんじゃなくて……」

「お母さん、そっちに行きましょうか」


 中でごそごそ動く気配がする。パトリックは慌てた。


「いや! 母さんはそこに居てよ。俺がそっちに連れてくから!」

 一言そう叫ぶと、彼はギンッとアイリーンたちの方を向いた。


「そういうことだ。ちょっとこっちに来てもらうぜ」

「あなた、お母さんの前とじゃ態度に差があり過ぎでしょ……」


 ぐだぐだと文句を言うが、腕を掴まれてはしょうがない。ウィルドもちょこちょこと後をついて来た。


「こんにちは」

「いらっしゃい」


 二人して並び、ぺこりと頭を下げる。パトリックは居心地が悪そうにその後ろで待機していた。


「紹介してもらえる? パトリック」

「あ……ああ、まあ」


 パトリックは曖昧に頷いた。何しろ、紹介と言っても今日が初対面だ。名前など知るものか。


「こっちは……その、俺の友達の」

「ウィルドです」

「それでこっちは……その姉……の」

「アイリーンです」

「まあ、二人ともよろしくね。私はパトリックの母です」


 ふふふとにこやかに母は笑う。何とか無事に紹介をし終えたようだ。これでこいつらの役目は終わったとパトリックは胸を撫で下ろした。


「ごめんなさいね、こんな恰好で。ゆっくりして行ってね」

「はい――」

「母さんは気にするなよ。大丈夫、すぐこいつら帰るんだって」


 へへ、と母には無邪気に笑いながら、しかしパトリックはがっしりとアイリーンたちの背中を捕まえた。自由にさせる気はさらさらないようだ。


「ほら、母さんは疲れてるんだ。向こうの部屋に行くぞ」

「パトリック? でもここで少し話でも――」

「いやいや! こいつら本当騒がしいんだ! 母さんはそっちで寝ててよ」


 無理矢理追い立てられる形で二人は部屋を出た。そのまま居間に向かう。椅子を勧めることもないまま、パトリックは二人の前にどんと構えた。


「おい、何が目的だ」

「優しそうなお母様ね」

「あんまり似てないね」

「話を聞け」


 やれやれとアイリーンは首を振って、近くの椅子に座った。ウィルドも倣って向かい側に座る。


「……お前たち自由すぎるだろ。少しは遠慮しろ」

「え、なに? 聞こえなーい」

「くそったれが……」


 不貞腐れた様にパトリックはその場に座り込んだ。母の部屋を心配そうに見ているが、どうやらここを離れる気はないらしい。


「肩凝った」

 アイリーンは呟く。パトリックは小さく眉を上げた。


「肩凝ったなー。誰か肩もみしてくれないかなー」

「…………」

「あーあー、肩凝ったなー!」

「何をして欲しいんだお前は!」


 ダンッとパトリックは机を叩く。ふふん、とアイリーンは満足げに腕を組んだ。


「え? 別に何も言ってないけど?」

「はあ? お前さっきあからさまに俺にっ……!」

「べっつにー? ただ誠意を見せてほしいかなって思ってねえ? 私、自分の財布を無くしたばかりで落ち込んでるの。慰めてくれないの?」

「お前……母さんにちくるつもりだな?」

「いえいえ、さすがに私もそこまで悪魔じゃないわよ」

 にっこり笑みを浮かべる。その微笑はどう見ても胡散臭かった。

「ただ……肩が凝ったなあって……ね?」

「~~っ!」


 それから幾度、パトリックが口を開いては、閉じる動作が行われたか定かではない。ようやく決心をしたかと思えば、悔しそうに唇を噛み、ドシドシとアイリーンに歩み寄った。青筋の立った表情を彼女に近づけ、ひくひくと動く頬を無理矢理に緩ませた。


「ふ……ふふふ、分かった。この俺が肩もみをすればいいんだな……?」

「まあそういうことになるかしらね」

「ははは……いいだろう。してやるよ!」

「ちょ……痛っ!」


 思わず悲鳴を上げてその場で縮こまった。力の限りツボを押し過ぎだ。


「ちょっと、きちんと加減してくれる!? そうしないと私の口が滑っても仕方ないわよ!」

「え? ごめーん、痛かった? 俺に肩もみさせるとどうなるか分かんないぜ?」

「お母様には優しくしてたくせに! とんだ猫かぶりね」

「そっちこそ! この俺に肩もみをさせるとは……本当に覚えとけよ」

「あ、その後俺もよろしく」

「くそがっ!」


 毒づきながらも、しばらく無言でパトリックはアイリーンの肩を揉んだ。根は真面目なので、いい加減にやるということを知らないのである。しかしその静まり返った部屋に、やがてそろそろと小さな足音が響いた。三人はそろって部屋の入り口に目を向ける。寝間着の上にカーディガンを羽織っただけの母親が扉に寄り添っていた。


「パトリック? 何だか楽しそうね。お母さんも混ぜてくれない?」

「か、母さん!」


 あたふたと意味もなくパトリックは両手を振り回して見せたが、断る理由が見つからず、勢いよく頷いた。


「もちろんだよ! じゃあ俺たちそっちへ行くから、母さんも戻って。向こうの部屋で一緒に話そう」

「本当変わり身の早い子ね……」


 アイリーンは呆れてぼそっと呟いた。ウィルドも苦笑いだ。


「おい、早くこっちにこいよ」

「はいはい」

「ねえ、パトリックのお母さん、風邪でも引いてるの?」

「ええ、そうなの。昔から体が弱くてね。パトリックに迷惑ばかりかけてしまってて」

「何言ってるんだよ、俺は別に迷惑だなんて思ってない。支えたり支えられたりするのが家族ってもんだろ?」

「猫かぶり……」

「おい、今言ったの誰だ! ちゃんと聞こえてるからな!」

「うふふ、面白いのねえ、二人とも」


 パトリックの母をも交えたお喋りは、日が暮れるまで続いた。何だかんだでアイリーンたちが二人の家を出るころには、すっかり四人は打ち解けていた。帰り際、パトリックはもう来るなよ!と叫んでいたが、もちろんまた強制的に肩もみさせるために訪ねようとアイリーンはこっそり思った。

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