33:奇妙な洋裁店
鬱々とした表情でアイリーンは往来を歩いていた。彼女からは不機嫌な雰囲気が駄々漏れで、すれ違う人は皆、もちろんぎょっとしてアイリーンを避けて歩いた。
しかしそんなこととは気づかないアイリーン。懐から小さな財布を取り出し、寂しい中身を確認。ため息一つ。
「今月も厳しいわね……」
何しろ先日、生活費が入った財布を落としてしまったばかりだ。今思い出してみても自己嫌悪で身悶えしそうだ。よりにもよって財布を落とすとは!
もう一度大きなため息をつくと、アイリーンは首を振って重苦しい空気を振り払った。落ち込んでばかりはいられない。何せ今から昼餉を取り、その後で新しい家庭教師先へ向かわなくてはならないのだから。
しかしそんな彼女を目指してつかつかと歩み寄る者が一人。小柄だが、腰はぴんとしていて、迫力がある。アイリーンと同様、彼女の周りも自然と人は避けて通った。二つのぽっかりと開いた空間がぶつかる。
「何じゃお前さん、そのドレスは!」
つかつかと歩み寄り、己のドレスをバッと引っ張る老婦人。アイリーンは衆目の場でこんなことをやられたことに頬が引き攣った。
「な……何か文句でもおありで? 私のドレスに」
「センスがまるっきりなっとらん! 何じゃこの素材は、配色は、配置は! 統一感がまるでない!」
すごい言われようだ。しかしこれまで真正面から貶されたのもまた初めて。
アイリーンは路傍に身を寄せると腕を組んで老婦人を見下ろした。
「センス……ねえ。別に私は着られば何でもいいの。他所様が文句つけないでくださいます?」
「見たところそのドレス、お前さんが作ったものじゃろ?」
話を聞けと思いながらも、アイリーンは渋々頷く。
「……ええ、そうですけれど。家にあるドレスを解体したり縫い合わせたりして作ったんです」
「不格好じゃの。邪魔な装飾は剥ぎ取り、袖の短い所は布を足すだけ、ドレスの裾には刺繍の一つもない……。これが若い女の作ったドレスかい」
頬が引き攣るのも仕方がない。料理は下手だが、己の裁縫の腕は中々のものだと自負している。にもかかわらず、初対面の者にこれほどぼろくそ言われて腹が立たないわけがない。
「どれだけかかった」
「え?」
「そのドレス、作るのにどれだけかかった?」
「……数時間くらいかしら」
「そうかい……」
ふんっと鼻を鳴らすと、老婦人も偉そうに腕を組んだ。二つの視線がぶつかる。
「お前さんのその裁縫の腕だけは認めよう」
「あらどうも。別に嬉しくないけ!ど」
「お前さん今暇か?」
「はい?」
「今暇ならちょっとあたしのとこに寄りなさい」
それだけ言うと、彼女はさっさと背を向け、歩き出した。強引なその様に、しばしアイリーンは呆気にとられる。
「ちょ……ちょっと! 私別に暇じゃないんだけれど」
しかし聞こえていないのか、老婦人は振り返りもしない。
そもそもこの後家庭教師の仕事が詰まっている。……まあ、今から昼餉を摂ろうと思っていたところなので、その時間を割けば少しくらいなら時間も作れるかもしれない。
……でも何で私がそんなことしないといけないのよ!
アイリーンは悔しげに唇を噛む。その間にも老婦人の背中は遠ざかっている。一体彼女はどこへ連れて行こうと言うのだろうか。昼餉の時間を割いてでも、彼女に付き合う利点はあるのだろうか。
「ああ……もう!」
投げやりに叫ぶと、アイリーンはドシドシと歩き出した。大人しく老婦人について行くわけではない。自分の目指す先が彼女と一緒なだけだと無駄な言い訳を重ねた。
老婦人は背中でそんな気配を感じ、ふっと小さな笑みを浮かべた。更に歩みを早くする。しっかりとした足取りだった。
しばらく往来を歩いた後、中心街で老婦人は脇に逸れた。彼女の小柄な背は人ごみに紛れて見失いやすい。もう少しゆっくり歩くように頼むのは癪だし、かと言ってこちらが走るのも癪だ。アイリーンは半ば意固地になって決して走らず、頑固に大股で歩きながら彼女を追った。自分の歩く様は、今や男顔負けであるということすら気づかなかった。
やがて、その背は小さな一軒の家の前で止まる。ようやく老婦人は振り返った。その顔は、何だか満足そう。
「わしの家兼仕事場じゃ。ほれ、入んな」
乱暴に扉を開け、入っていく。ムスッとしたままアイリーンも後に続いた。明るい灯火が二人を迎える。
「お邪魔します」
「あ、おばーちゃん。お帰んなさい」
ドタバタと奥から小柄な少女が出てきた。長い髪を二つに結っている。
「あれ、その人は……?」
「新しい弟子じゃ」
「で、弟子!?」
少女が驚いたように声を上げるが、それはもちろん彼女だけではない。アイリーンも老婦人に向かってしかめっ面を向ける。
「弟子ってどういうことなの? 私そんな話聞いてないわ!」
「話しておらんからな」
涼しい顔で老婦人は椅子に座る。のらりくらりとした口調に、いい加減アイリーンも怒りが溜まってくる。話の主導権を握られるのは、彼女の性格上、苦手だった。
「……では、今から説明してもらいましょうか。どうして私がここへ連れてこられたのか、ここはいったい何なのか」
「デニス、お茶を」
「はーい」
ピクリとアイリーンの体が揺れる。それを不安そうに見やると、デニスはすぐに奥へ引っ込んだ。老婦人は相変わらずニヤニヤと面白そうに笑っている。
「さて、ここが何なのか、という話だったね。ここは洋裁店ドレッサム」
老婦人は顎で椅子を示す。口を閉ざしたままアイリーンはそこへ腰を下ろした。
「ここはな、裁縫から始まって刺繍に編み物、レース編みに織物、染色まで何でもこなす洋裁店じゃ」
「あなたがここの店主?」
「ああ、そうだよ。あたしはドロシア。さっきの子はデニス。あたしの孫娘さ。あんたは?」
「私はアイリーン。リーヴィス――」
「知っておる。貴族じゃろ? ここいらでは結構有名じゃ」
「有名? あんまり嬉しくないわね」
アイリーンは顔を顰める。子爵家や自分がよく噂されているのは知っていた。その噂に相違ないことを自分がしでかしているのも。
「まあそれだけでなくての、この前の夜会でも何じゃ、へんてこなドレスを着てきおったと有名でな。あたしも一遍見てみたいと思っておったんじゃ」
「……はあ」
いまいち老婦人の思惑が分からない。考えを放棄したくなったところで、デニスが紅茶を入れてきてくれた。有り難く口を付けながらホッと息をついた。デニスもすぐ側の椅子に座り、こちらを見守る。
「あともう一つ、弟子ってどういうことでしょう」
「ここで働かんか、ということさね」
「…………」
真剣な二つの視線が交じり合う。目を閉じ、それを遮ると老婦人はデニスに手を振った。
「デニス、説明してやんな」
「あっ、はい」
唐突に指名が来たので、騒がしい音を立てながらデニスは立ち上がった。コホン、と咳払いをする。
「え……っと、えっとですね、私達は主に貴族相手に商売しています。あ、裁縫のね、洋裁……そう、洋裁店です。この辺りでも結構有名な」
あたふたとデニスは説明する。難しい顔をしながらアイリーンも真剣に聞き入った。
「刺繍……とか、レース編みとか、縫物とか、いろいろ請け負ってます。お婆ちゃんはオーダーメイドのドレスとか作ってて、私は刺繍が得意です」
へへっとデニスは笑う。アイリーンは頷いた。
「お給料はどうなっているんですか? 月給?」
「え、え、お給料、ですか? 私はお給料は貰っていないのですが、でもお小遣いは貰っていましてね――」
「ふん、一丁前に金をむしり取るつもりかい、弟子の分際で」
アイリーンのこめかみに青筋が立つ。しかし瞬時ににっこりと微笑む。
「当たり前でしょう。こっちだって暇じゃないんですから」
「……完全歩合制度じゃの。お前さんの腕次第ということじゃ」
「私はどんなことをやるんでしょう? デニスさんは刺繍、ドロシアさんはドレスですよね?」
「そうじゃ。まあ一通りは学んでもらうかの。いつ何時お前さんの手が必要になるとも分からんからな」
「私、主に裁縫しかしたことがないのだけど、それでもよろしいんですか? 刺繍や編み物も経験はあるにはあるけれど、売り物にするとなると……」
「まあその辺りはおいおいじゃの。わしらが教えても良し、独学で学ぶでも良し、得意な裁縫ばかりやるでも良し」
ふんふんと頷き、アイリーンは考え込んだ。何を勘違いしたのか、デニスは慌てた様に両手を振る。
「わっ、私、刺繍なら得意ですよ! 教えるのは下手かもしれないけど、でもアイリーンさんだって練習したらきっと――」
「デニス、お前さんわしが出した課題全部やったのか? ここでおしゃべりしてる暇あるんだったらさっさと終わらせておいで」
「はっ、はいぃぃ! 今すぐやります、やらせてください!」
何を隠そうドロシアが、デニスにアイリーンへの説明を求めたのに、とんだ変わり身の速さである。その理不尽さに気付きもせず、デニスは一目散に部屋を駆け出して行った。一気に部屋が静かに、広く感じられた。アイリーンとしては彼女がいなくなって残念だった。偏屈そうなこの老婦人と二人っきりだと、またどんな嫌味を言われるか分かったものじゃない。
気を取り直して居住まいを正すと、アイリーンは真っ直ぐにドロシアを見据えた。
「仕事のことだけれど、それはここでしか仕事できないんでしょうか? 家に持ち帰ることは?」
「まちまちじゃの。オーダーメイドの大仕事ならもちろんここでしてもらうが、レース編みやら刺繍やらの小物づくりなら家でしてもらっても構わん」
「そう……」
しばし考え込む。
悪い話ではなかった。何かと物入りのこの時期、これから子供たちも大きくなればなるほど更にお金もかかってくるだろう。家でも仕事ができるのなら、空いた時間にちまちまとやるのもまた良し。
アイリーンはすっと立ち上がった。ドロシアの瞳が期待に煌めく。アイリーンもそれに気づいた。ここぞとばかりにっこり微笑む。
「そろそろお暇します」
「……何じゃ、引き受けてくれるんじゃないんかい」
「もうしばらく考えてみますわ。私も何かと忙しいので」
「ふん、今を逃すともう後は無いぞ。ここに弟子入りしたいと言う輩はたくさんいるんでな」
アイリーンはほくそ笑む。かかった、と思った。
「あら、そうなんですか? でもおかしいわね、あまりここの名は聞いたことがないのだけど。どちらかというと、他国の優秀なお針子さんたちが大勢いらっしゃる洋裁店……何だったかしら、シャルル・ド――」
「ああ、もううるさい! その名は聞きたくない!」
「あら、どうしてですか? お互い良い好敵手同士じゃないんですか?」
「うるさいうるさいうるさい!! 黙れ!」
うがあああ、とドロシアは頭を掻きまわす。突然の変わりようにアイリーンは目を丸くした。が、ようやく話の主導権を握れたようで満足げに頷いた。
この辺り一帯に置いて、有名な洋裁店と言われてすぐ名が挙がるのがシャルル・ド・ヒュルエルである。まだ歴史は浅いものの、他国から引き抜いた高い技術と惜しげもなく使われる財力によって、上流貴族御用達となっている。
この店、ドレッサムもかつては輝かしい栄誉を誇っていた時もあったのだろうが、今ではすっかり落ちぶれたと有名だ。時代の流れというのもあるのだろうが、それは今のこの店の惨状からも簡単にうかがえる。
しばしの優越感に浸ろうとアイリーンは優雅に扇子を構える。すると次第にドロシアがふるふると震えだした。アイリーンが訝しげに眉を寄せた、その瞬間。
「分かったぞ、お前さん、今からあの店に行くつもりじゃろ!? こっちとあの店とでどっちが条件がいいか見比べるつもりなんじゃろ!?」
「は、はい? 何を急に――」
「誤魔化そうとしたって無駄じゃ! ほら、大人しく吐いてみい! 向こうの方がお給料が良かったらほいほいと弟子入りするつもりなんじゃろ、そうなんじゃろ!」
唾を飛ばしながらドロシアは怒る、怒る、怒る。アイリーンはどちらかというと今まで話の主導権を握る側だった。だからこそ誰かに怒鳴られたことなどほとんどなかった。だいたいはアイリーンは自身の信条に従って行動しているつもりだし、それが間違っているとも思わない。なのに今、理不尽な理由で怒鳴られている。が、なぜか反論できない。今までにない状況だった。
「ああ……おばーちゃんの癇癪がまた始まってしまったみたいですね……」
奥からちょこっとデニスが顔を出した。天からの救いとばかり、アイリーンは必死にそちらに手を伸ばす。
「ちょ、ちょっとあなた、どうにかしてよ!」
「あー、でも駄目ですね。お婆ちゃんはシャルル……何だっけ、とにかくその名前が嫌いなんです。因縁があるみたいで」
「どうでもいいから、そんなのどうでもいいからこの人どうにかして!」
「あーもう、お婆ちゃん、いい加減にして下さい」
「デニスは黙っとれ!」
デニスを突き飛ばす勢いで叫ぶと、ドロシアはアイリーンの襟元を掴み、ドアまで引きずった。ものすごい力だ、男顔負けの。
「いいか、いいな? 三日経っても来んかったらお前さんはもう来んと見切りをつけるからの、あの店に媚を売りに行ったと見なすからの!」
バーンと勢いよく扉を開け、アイリーンを外へ放り出した。彼女は突然の出来事に目を丸くするばかり。
「ほら、分かったらさっさとお行き!」
最後に大きく叫ぶと、再び騒がしい音を立てて扉を閉めた。最後の申し訳なさそうなデニスの顔だけが頭に残る。
「な……何よ偉そうに……!!」
そもそも弟子入りして欲しいのか、して欲しくないのか。
して欲しいのにこの仕打ちだったら酷い、酷過ぎる。
「……もう絶対に来てやんない。ちょっと良いかなって思ってたけど、絶対に弟子入りなんかしないから!」
分別もなくそう叫ぶと、アイリーンはドシドシと大股で歩いてその場を後にした。




