31:呼び出し
子供に何かあれば保護者が駆けつけなくてはならない。しかし子爵家には親などいない。したがって、保護者代わりとしてアイリーンが何かと引っ張り出されることが多かった。
彼女が呼び出される原因となるのは、主にウィルド。友人と殴り合いの喧嘩をしただの、成績が悪いだの、遊んでいる最中に窓ガラスを割っただの。そして、大抵は家庭教師先の家にいるアイリーンを呼んでくるのがエミリアの役割だった。またウィルドがやらかした、と彼女が報告し、姉はうんざりした顔で学校へと赴くのだ。
しかし今回はさすがのアイリーンも目を丸くした。まさか、その立場がひっくり返るとは思いもよらなかったのである。
「エミリアの保護者も交えて話し合いをしたいだって」
始めその言葉を聞いた時は思わず固まってしまったものだ。
「はい……? 何言って……。エミリアが?」
「うん。先生に保護者を呼んでくるようにって言われた」
「はあ……エミリアが……」
言われるがまま、アイリーンは学校まで来たと言うのだが、どうも釈然としなかった。それからしばらくウィルドを質問攻めにしたのだが、普段からあまり人の話を聞こうとしない彼はその教師の話すら聞いていなかったので、全く役に立たなかった。
「エミリアちゃんのご親族の方ですか?」
校門のところでエミリアの教師らしい女性が立っていた。アイリーンは軽く頷く。
「ええ、そうです。エミリアはどちらでしょうか」
「は、はい! こちらでございます……」
なぜか怯えているような彼女は、誰かを彷彿とさせる。アイリーンは首をかしげながらも特に追及はしない。頭の中はエミリアで一杯だった。
しかし、一方でこの新米教師ベルタは、頭の中は恐怖と怯えとで一杯だった。
教師という職について早数か月。彼女も、噂には聞いたことがあった。生徒たちに大変恐れられている臨時教師がいるらしい、と。恐る恐る先輩方に話を伺ってみても、曖昧に笑って話を逸らされるだけでまともに答えてもらったことがない。しかしベルタは気づいている。その笑みが軽く引き攣っていることに!
教師陣からは諦め、今度は生徒たちから話を聞いてみたところ、いろいろな噂を入手することができた。貧乏子爵令嬢アイリーン。子供嫌いで高飛車、彼女には幾人の子供が泣かされたと噂は尽きない。
しかしそれもそのはず。渦中の臨時教師リーヴィス=アイリーンには、ベルタよりも幾らか年下であるにもかかわらず下手に出ることを余儀なくされる、そんな威圧感があった。
どうして私がこんな目に……とベルタは心の中で嘆く。
そもそも彼女はエミリアの担任ではない。本来ならば担任が話し合いの場に立ち会うはずが、なぜかその教師は突然腹痛がと言いだして奥に引っ込んでしまった。直前まではピンピンしていたのにどうして急に、と不思議だったが、アイリーンを見て瞬時に理解した。
この人が噂のリーヴィス=アイリーン!
ベルタは、早くもお腹が痛くなりたくて堪らなかった。
チラッと横目でアイリーンを観察する。キラキラと輝く金髪に、透ける様な青い瞳。スッと通った鼻筋に、柔らかそうな白い肌。確かに綺麗な人だとは思う。しかし、何より怖い! 黙っていれば怖くないはずなのに、雰囲気から滲み出るこのまがまがしい空気は何なのだろうか。簡単に彼女とは口を利いてはいけないような――。
「何か?」
ギロッという効果音が聞こえそうなくらいの視線。それが、自分に向いた。
「ひっ、ご、ごめんなさい!!」
すぐに真下を向いた。自分が情けない。年下の女性に翻弄されるなんて……! しかし、気の弱いベルタには言い返せるわけもなく、ただひたすら自分の存在感を消して教室に向かうしかなかった。
教室の中は静まり返っていた。早く二人っきりを脱却したいと思っていたベルタだったが、教室の冷たい雰囲気を肌で感じ取り、すぐさま絶望する。
この空気、リーヴィス=アイリーンと二人っきりよりもきついかもしれない。
教室の中央には、四つの机が集まっており、それぞれに椅子が四つ、二列の机の中央に一つの椅子があった。まず当事者のエミリアとシェリルが真向いの席に座り、シェリルの母親がその隣に腰かけていた。エミリアの顔は暗く、シェリルとその母親はなぜか勝ち誇ったような顔をしている。味方のいないこの部屋で、エミリア一人にしてしまったことをすぐにベルタは後悔する。彼女の顔色は悪い。シェリルとその母親に何か言われたのかもしれない。
「まあまあ、随分若いお母様だこと」
アイリーンが着席すると、第一声をシェリルの母親が放った。その声には棘がありまくりである。自分が言われたわけではないのに、ベルタはヒッと肩を揺らした。
「残念ながら私は母親ではありませんわ。姉ですの」
「まあ、保護者はどうなさったの?」
「両親はいませんわ」
簡潔にアイリーンは言う。初めての聞く情報に、ベルタは少し驚いた。性格は少々難ありだが、意外としっかりしているようなので、親がいないなどとは思わなかった。
「まあ、そうなの?」
その情報に大袈裟に母親は頷く。
「では親がいないからこんな風に育ってしまったのね」
「あら、親がいるかどうかなんて、今の状況には関係ないんじゃありません?」
バチッと二人の保護者が睨み合う。
「本題に入りましょう」
「はっ、はい!!」
司会者兼仲裁者であるはずのベルタだが、全くその役をこなせていない。早くこの時間が終わってほしいと願うばかりであった。
「先生、まずは何があったのか聞かせてくれます? 私、まだ何も聞いていないので」
「まあ、私は常日頃からお宅のエミリアちゃんの話は聞いてたわよ?」
自慢げに母親の瞳がきらめく。
「貧乏なエミリアちゃん、八方美人なエミリアちゃん……ってね。姉妹なのに家では会話もしていないのかしら?」
「あらあら、ご心配どうも。エミリアは家では元気にいろいろな話をしてくれますわ。もっぱら学校は楽しい、とね。妹は誰かの悪口を言うような子じゃないので」
「……まあ、それはどういう意味かしら、私の娘が悪口を言ってるとでも?」
「そんなこと言ってませんわ。もしかして自覚がおありで?」
「何ですって!?」
いきり立って母親は立ち上がる。我に返ったベルタは、慌てて彼女を制した。
「あ……落ち着いてください! 本題に入りましょう! 私から何があったのか説明させていただきます」
「お願いしますわ」
四人の鋭い目が一斉にこちらを向き、ベルタはしり込みしながらも、コホンと咳払いをして口火を切った。
「え……っとですね、本日お昼前、裁縫の授業がありました。その時にシェリルちゃんとエミリアちゃんの間で何か口論があったらしく……。教師が気づいた時には、エミリアちゃんがシェリルちゃんに手を上げていた……そうです」
「最低よね。女の子に手を上げるなんて。顔に傷でも残ったらどうするつもりなのかしらね?」
「エミリア」
よく通る声だった。自然、眉を吊り上げていた母親も黙り込む。
「彼女に手を上げたというのは本当?」
「……本当です」
「そう。じゃあ口論というのは? いったい何があったの?」
「…………」
エミリアは唇を噛み、黙り込んだ。ほら見ろと言わんばかりにシェリルの母親は鼻で笑う。シェリルもどこか勝ち誇ったような顔をしていた。ベルタは困り切り、今度はシェリルに顔を向ける。
「あ……っと、じゃあシェリルちゃんはどう? エミリアちゃんを怒らせるようなこと言ったなっていう心当たりはある?」
「先生、まさか私の娘が悪いとでも?」
「い……いえいえ! まさか、そんなこと……。で、でも当事者同士から話を聞きたいので、その……」
「別に私は何もしてないわ。ただエミリアの裁縫の腕があんまりだったからちょっと助言してあげただけよ」
「よく言う。シェリルだって私と大して変わらないくせに」
ボソッとエミリアが呟いた。シェリルは眉を吊り上げる。
「はあ? あんたと一緒にしないでくれる? あんたのクマ、出来が最悪だったじゃん。よくそんな腕でぬいぐるみなんて作ろうと思ったね」
「ちょ……二人とも一旦落ち着いて。ね、ね? じゃあエミリアちゃん。あなたのぬいぐるみをシェリルちゃんに貶されたから怒って手を上げたのかな?」
「別にわたしはそんなことで怒ったんじゃありません」
「じゃあ何で怒ったの?」
「…………」
再びエミリアは黙り込む。シェリルの母親はあからさまにため息をついた。
「まただんまり? もういい加減にして欲しいわ。先生、これで分かったでしょう? うちの子は何も悪くないんです! 手を上げた向こうが悪いのは一目瞭然でしょう? それ相応の対処をして欲しいものだわ!」
「で、でもまだ全てが明らかになったわけじゃないので……」
「相手が話そうとしないのだから仕方ないじゃない! それに、自分に非があるから話せないだけじゃなくって?」
母親は手をひらひらと振る。ベルタはぐっと詰まる。エミリアを盗み見たが、彼女は唇を強く噛んで俯いているばかり。
こんな時こそ何かガツンと言って……とベルタは微かな希望を抱いてアイリーンを見やるが、彼女は腕を組んで前を見据えるばかり。若干の落胆と共にベルタは顔を元に戻した。
「あの、では具体的にはどういったことをお望みで……?」
「そうね、まずは謝罪が欲しいわ」
「はあ……」
「エミリアさんと、お姉さん。二人ともから」
「っ……! 姉御は何も悪くありません!」
唐突にエミリアが立ち上がった。
ベルタ、シェリルだけでなくアイリーンすらも目を丸くする。
「子供がしでかしたことは保護者が責任を持つべきでしょう? それが親……ああ、失礼。姉の責任でもあると思うのだけど」
「で、でも――」
「本当は退学して欲しいくらいだけど、こちらもそんなに大事にはしたくないので、ね? 誠意の見せ方によっては考えてもいいのだけど」
ふるふるとエミリアは震える。が、アイリーンには特に取り乱す様子はない。彼女こそ誰かに頭を下げるのを最も嫌がりそうなものなのだが……とベルタは意外そうに見守る。
「そうね、確かにエミリアが手を上げたことは謝ります」
凛とした声が通る。
「何があっても先に手を出した方が悪くなるのはこの世の道理」
「姉御……! なんで、わたしっ――!」
エミリアはついにすすり泣いてアイリーンに縋り付いた。姉はそれにも動じず、更に言い募ろうと口を開きかけた時――。
「え、エミリアちゃんは悪くないんです……!」
震える小さな声が、教室に響いた。




