28:カフェにて
今話題のカフェとやら、時間が時間のせいか、列に並ぶほどのことではなかった。小粋な入り口をくぐるとすぐに席に案内された。六人というなかなかの人数だったが、大通りに面したテラスが空いていたらしい。子供たちがいち早く奥の席を陣取り、大人は空いている席に腰を下ろす。アイリーンとオズウェルは真正面に向かい合う形になった。言葉を交わすどころか、視線が交わることも無い。相変わらずの犬猿の仲っぷりだ。
「ね、何頼む?」
「エミリア、メニュー取ってよ」
「あ、後でこっちにも回して」
メニューがあちらこちら飛び交いながら、子供たちはわいわいと騒ぐ。
「フィリップはどれにするの?」
「まだ……迷ってる」
「俺どっしり食べられるものがいいなあ」
「わたしは甘いものかな。これも……あ、これもおいしそう」
言いながら、エミリアの瞳はメニューの隙間からちらちらとオズウェルを見つめる。目が合うと、バッと逸らす。オズウェルはあからさまなその態度にもう慣れきっていた。呆れるを通り越して、もはや清々しい。
「好きなものを頼んでくれ。持ち帰りもな」
「やったー!! さすが隊長さん!」
「えへへ、じゃどれにしようかなあ」
「姉上は何を頼むんですか?」
いつもなら生き生きと頼むのだろうが、何より先ほど財布を落としてしまったのがショックだったようだ。そういえば、店に来るまでも彼女は一人項垂れていた。プライドが高い分、打たれ弱くなる彼女である。
「私は……紅茶でいいわ」
「いい加減立ち直ったらどう?」
呆れたような声でウィルドが言う。力なくアイリーンは頷く。
「うん……」
「ほら姉御! カボチャのケーキとか美味しそうですよ?」
「うん……」
「折角だから何か頼んだ方がいいですよ。これ、頼みましょうかか?」
「うん……」
メニューも見ず否定もしないので、エミリアは困惑する。少し時間をおこうと今度は、メニューすら見ていないだろうオズウェルにそれを渡した。
「オズウェルさんは? 何頼みますか?」
「そうだな……」
あまり甘いものは得意ではない。ウィルドではないが、ここは自分も夕餉を取る気持ちで、オズウェルはいくつか候補を考えた。
「みんな決めました? じゃあ店員さん呼びますよ」
テラスから店への入り口に一番近いステファンが片手を上げ、店員を呼んだ。姉が全く役に立たないので、自分が皆をまとめようとの算段だ。
てきぱきと手際よく注文していくステファンは、さすがとしか言いようがない。大黒柱はアイリーンでも、この家を取り仕切っているのは、実は彼なのではないかとオズウェルは睨んでいた。
「あれ、結局姉上は何にするんですか?」
「え……?」
きょとんとアイリーンは顔を上げる。全く聞いていなかったらしい。顔を見れば分かる。
「あーもう面倒だな。適当に選ぶよ?」
「あ、これなんかいいんじゃない?」
やいやいとはしゃぐ中で勝手にアイリーンのものが選ばれる。と言っても、当の本人はそちらのことなど気にもせず勝手に落ち込んでいるのだから、文句も何もないが。
注文を終えると、一行は自分の近況などをはしゃいで話し出した。しかし専ら話しているのは無邪気な子供たちだけで、ステファンはにこやかに相槌を打ち、オズウェルも聞き手に徹している。アイリーンはというと、ボーっとしながら据え置きのカトラリーを眺めていた。
そうして思い思い時間を過ごしているうちに、始めの一品がやって来た。誰が頼んだのかは分からないが、浅いバスケットには美味しそうなクッキーがたくさん並べられている。プレーンにチョコ、ミルク、アーモンド、コーヒー、レモン、レーズンなど様々な味だ。歓声をあげながら子供たちはそれに群がった。コーヒーやレモン、レーズンのものばかりが最後に余ってしまうのはお約束だろう。オズウェルはそれに苦笑し、ステファンはというと、慣れているのか、表情を変えずにそれらの処理に力を注いでいた。
「お待たせしました」
粗方クッキーを食べ終えた頃、丁度良いところでそれぞれが頼んだメニューがやって来た。お腹の空いた子供たちはまるで飢えた獣のようで、俊敏な動作で自分の元へ頼んだものを引き寄せる。
「じゃあ団長さん、頂きます!」
「いただきまーす」
それぞれが行儀よくオズウェルにお伺いを立てた後、皆は食事にありついた。彼らの素直な反応にオズウェルも悪い気はしない。
口元を綻ばせながら食事を開始した。
「ほら、これ姉上のですよ」
「ええ……ありがとう」
一方で皆の勢いに取り残されていたアイリーンは、影薄く隅に寄っていたので、ステファンがカボチャのタルトを差し出した。浮かない顔のままアイリーンはそれを受け取り、テーブルに置く。艶々と夕暮れ色に輝くタルトは、沈み込んだアイリーンの気持ちを浮上させるには十分だった。
一口ほどの大きさに切り分けると、ぱくっと口に入れる。固唾を呑んで彼女の表情を見守るのはステファンだけではない。小さな弟妹達も、アイリーンが落ち込んでいるのが気にかかっていたのだろう、ちらちらとこちらを盗み見ていた。しかしその心配そうな顔もすぐに和らぐこととなる。アイリーンの強張った顔に、じんわりと喜色が広がっていくのを目撃したからである。
「どうですか?」
「……おいしい」
「でしょ?」
なぜかウィルドが自慢げだ。しかしアイリーンは素直に頷く。
「さすが……有名なだけあるわね」
「機嫌治りました?」
「べ、別にもともと機嫌なんか悪くないわよ」
「あーはいはい。そうですか」
「でも……そんなにおいしいの?」
物ほしそうにウィルドは尋ねた。さすが男の子と言ったところか、彼はもう自分の二品をぺろりと平らげていた。そしてお腹の空くまま、欲望に忠実なまま、アイリーンが一口に切ったタルトを横から掻っ攫った。
「もーらいっ!」
「あ……こら、ウィルド!」
アイリーンが手を伸ばす。ウィルドはそれから逃れる様に椅子を引いて飛びのいた。その拍子に隣接していたテーブルにぶつかる。ティーカップがカチャカチャと揺れた。
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
「ええ、いいのよ。大丈夫」
白髪の老夫婦だ。アイリーンは慌てて立ち上がって頭を下げる。
「すみません、騒がしくしてしまって」
「いいのよ。確かに美味しいものね、ここのケーキ。はしゃぐ気持ちも分かるわ」
「よくこちらへ来られるんですか?」
「ええ。いつもは娘と来るんだけど、今日は夫と。でもやっぱり駄目ね、男性と来ると。娘となら話に花が咲くのに、夫は駄目駄目。全く話が続かないの」
夫人の前に座る男性が、居心地悪そうにこちらに向かってちょこんと頭を下げた。夫人とは対称的に、確かに寡黙そうに見えた。
「何かおすすめとかありますか? 僕たち初めてここに来たんです」
更なる愚痴に付き合わされそうで、ステファンは機転を利かせて話題を変える。途端に夫人の顔はパーッと明るくなった。
「そうね、そうね。ここのお勧めはね、やっぱりチーズケーキかしら? 甘さを抑えているからしつこくなくって、後味もさっぱりしているの! 後はショコラ味のミルフィーユね。すっきりした甘さのチョコレートクリームと、ココア味のサクサクのパイの調和が何とも言えないのよ!」
拳を振るって紹介してくれる夫人に子供たちはふんふんと頷く。未だお腹には空きがあるので、今後の参考にするつもりらしい。
「でも……いいわね」
ふっと夫人はその子供たちを優しい眼差しで見つめた。
「家族揃ってお出掛けって。仲良いのは良いことよ。お父様に感謝しなくちゃね」
穏やかに微笑む夫人は、真っ直ぐにオズウェルを見ていた。
空気が、固まる。
お父様ということは、お母様もいるはずだろう。まさかエミリアがそれに当てはまる訳はなく、ということは、お母様に見える年齢の女性はたった一人しかおらず――。
「…………」
沈黙する隣のテーブルを不審に思ったのか、夫人は不思議そうに首をかしげた。
「あら、どうかされたの?」
「あ……いえ、そういう訳では、なくてですね……」
始めに正気に戻ったのはステファンだ。どう夫人に言い訳しようか、どうわなわな震えている姉に取り繕うか必死に頭を回転させる。が、すでに時遅し。
「お父様?」
アイリーンは良く通る声を放った。ステファンが気まずげに姉を見やる。その額には、冷や汗が光っていた。
「ええ、とっても仲の良い家族ね」
再び場が沈黙する。彼女の言葉にショックを受けたのは何もアイリーンだけではない。オズウェルの方も、少なからず先ほどの言葉は刺さっていた。自分はそれほど老けて見えるのか、と。
だが、さすがは団長を務めている男。理性を保つのもわけない。ここは抑えろ、という気持ちを込めてオズウェルはゴホンとわざとらしく咳払いをした。
しかし、彼女をその程度で止められるわけがなかった。
「失礼ですが、私のこと、いくつに見えます?」
にっこりと笑うアイリーンの額には青筋が立っている。空気の読めるらしい夫人は、ぎょっとしながら慌てて手を振った。
「あらもしかして違った……?」
「ええ、違いますけど。私はこの子たちの姉です」
「あ……ああ、そうなの! そうよね、そうだと思ったわ、それにしては若く見えたから!」
しかし今となっては彼女の明け透けなお世辞も意味をなさない。無駄に言い訳を重ねるだけである。
「本当に……違うのよ! ごめんなさいね、失礼だったわ。あなたがお母様に見えるとかそういうのではなくてね……。その、あなた達の雰囲気が家族に見えるっていう意味だったのよ!」
「ふ……雰囲気?」
いまいち納得しきれない様子のアイリーンは未だ顔が引きつったままだ。そのことに夫人も気づいたのか、なお焦る。なお言い訳を募らせる。
「え……ええ、そうなの。和みというか安心感というか……。とにかくそんな感じの雰囲気をあなた達から感じて、だから家族なんじゃないかって思ったのよ!」
もう自分でも何を言っているのかよく分からない。夫人はこの時、今年一番自分の舌が回っていると感じた。
「そういう意味ではあなた達ぴったりって言うか……ね? ほら、そこの男前な彼! 彼はあなたの恋人なんでしょう? 彼もすっかりあなたたちの中に溶け込んで――」
空気が再び固まった。もうそれに気づかない夫人ではない。おほほ、と乾いた愛想笑いをしながらこそっと席を立った。
「あ……あら、また私失礼なことを言ったみたいね……お、おほほ、失礼します」
言いながら、申し訳なさそうに顔を悲壮にさせている夫を立たせ、バッグを掴む。
「そろそろ家に帰らなくっちゃ。ごめんなさいね、団欒の邪魔をしてしまって」
そう言って老夫婦は慌ただしく去って行った。気まずい雰囲気の子爵家とオズウェルを残して。
「あの……姉上?」
「……何かしら?」
そう言って顔を上げる姉の表情は読めない。それは極めて珍しく、そして極めて恐ろしいことであった。




