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愛と鞭  作者: まくろ
第五話 隣のバラは赤い
27/120

27:子爵家が揃う時

 ステファンが思うに、子爵家の中で一番の問題児は姉だ。本人が聞いたら息を巻いて言い返してきそうだが、しかし他の弟妹たちに聞いても、きっと自分の意見に同意してくれるに違いない。


 とはいっても、何も姉は自ら問題を起こしているわけではない。周りの問題に対し、自分が高飛車な態度で口を挟んだり、頑なな態度をとることで余計に事態を混乱させてしまうのである。


 今日もまたもそうだった。

 子爵家勢ぞろいで最近できたカフェとやらに行こうと思い立って数十分後。もうすぐ目的地へ着くという所で。


「ひったくりよ!!」

 どこからかそんな声が聞こえた。


「誰かその人を捕まえて! 私の鞄を盗まれたの!!」

 姉は基本的に、争いごとを好まない。しかも特に物理的な争い事は。いつも堂々たる立ち居振る舞いをしている彼女だが、裏を返せばただの女性。力で勝てるわけもない。


 だから自分の気に障ったり、面倒なことに巻き込まれたりした場合は、得意の弁舌を振るうことが多かった。それはもう相手が年上でも子供でもどんと来いだ。だからこそ子供嫌いという噂が独り歩きするのだが。


「どけっ、お前!!」

 今だって客観的に見れば、ものすごく厄介な事件に巻き込まれようとしていること確実だ。誰かの鞄を盗んだらしいひったくりが、もう目の前にまで来ていて、隙あらばこちらに突進して来ようとしているのだから。


「あら、失礼」

 姉はそう言ってすっと横に退いた。ステファンとしては驚きだった。何か言い返すものだと思っていたからである。確かに面倒な厄介事だが、理不尽に退けと言われて彼女が退くような人柄ではないと思っていた。しかしそう思う一方で、ステファンはほっとしていた。いつも心配をかけられているが、姉には危ない目には遭ってもらいたくないのだから――。


「ぐあぁっ!」

 しかしそれはすぐに間違いであることを察する。姉は確かに身を横に退けた。しかし自分の右足はその場に残して、である。当然全速力で走っていた男はそれを避ける暇もなく、彼女の右足に引っかかった。


 鈍い音を立てながら、地面に男の体が転がった様を見下ろし、どこか自慢げな姉。


「さっすが師匠!!」

 隣にいたウィルドはアイリーンをすぐに誉めそやす。ステファンとしては心底止めて欲しかった。調子に乗るから。


「あらそう? ありがとう」

「俺も負けてられないな!」


 一言そう宣言すると、ウィルドは転がる男の体にのしかかった。ぐえっと苦しそうな声が下から漏れる。後れを取るまいとエミリアとフィリップも遠くに放り出された鞄を救助に向かう。


 何と連携の取れた家族なんだ、とステファンはため息をつきながらも、自分も鞄を盗まれたお婆さんの元へと走っていく。ここまで必死に走って来たようで、苦しそうに腰を抑えているので、それを支えるためだ。


 自分もやはり、問題児だらけの子爵家の一員なんだとつくづく思い知らされたステファンであった。


*****


「感謝状」

 広い一室で、凛とした声が響き渡る。子爵家は、皆一列に整列し、真っ直ぐその声の主を見つめる。


「リーヴィス子爵家一同。あなた方は本日夕刻に発生したひったくり事件の犯罪捜査に関し、多大な協力をされた。その功労を讃え、ここに感謝の意を表する」


 一旦言葉を切り、オズウェルはアイリーンたちを見つめる。彼女らも見つめ返す。それがしばらく続いた後、先に痺れを切らしたオズウェルがコホン、と咳払いをし、口火を切った。


「……一名、前へ」

 ようやくその言葉が紡ぎ出されたにもかかわらず、子爵家の者たちは一向に誰も前に出ない。一列に並んだまま、視線だけで誰が行く?私は行かないわよなどとやる。


 ゴホン、と今度は先ほどよりも大きい咳払いがなされる。慌てふためいた子爵家は、結局一家の長たるアイリーンの背中を押し出した。不満げなのは当の本人だけだった。


 オズウェルは感謝状を彼女に差し出す。むうっと口を閉じながらアイリーンも黙ってそれを受け取り、眺める。

 黒い文字で書かれた感謝状。それはどこをどう見てもただの紙だ。何かの役に立つとは到底思えない。


「――貰えるのは感謝状だけなの?」

 気づけば、そう口にしていた。


「できればおいしいものの方が良かったわ」

 己の欲望も駄々漏れである。残念ながら、それは目の前にいたオズウェルの耳にも入った。


「……これには多少の効力がある。何か罪を犯した時に多少の軽減はできるだろう」

「あら、そうなの? でもお生憎様、私は犯罪なんて犯しませんから」

「近ごろよく揉め事に巻き込まれている奴がよく言う」

「何ですって?」

「姉上……貰っておいた方が良いのでは?」


 二人の間に割って入り、ステファンがおずおずと申し出る。


「何かと事件に巻き込まれてますし、貰っておいて損はないと思います」

 至極最も言い分だ。しかし素直に物を言えないアイリーンはぐっと詰まっただけだった。


「すっげー、これが感謝状かあ……。家に飾ろうぜ!」

 彼女の隣からウィルドが純粋な笑みを浮かべて言った。オズウェルも嫌な気はせず、頷いた。


「粗品だ」

「うわ、額縁!? かっこいい!」


 彼の反応は至って無邪気で可愛らしい。彼女もこれくらい素直に受け取ってくれれば多少は浮かばれるのに、とつい非難を込めた目で見つめた。その思いが分かったわけではないだろうに、アイリーンは気まずげに視線を逸らした。


「ま……まあ、無料でくれるって言うのなら貰ってあげようかしら」

 無料には弱いアイリーンである。


「カフェ行こうよ、カフェ!」

「わたし、お腹空きました」

「そうね、とんだ災難に巻き込まれたものだわ」


 アイリーンはやれやれと頷いた。そんな彼女に、自分が巻き起こしたんでしょうが、と鋭くステファンは心中で突っ込む。もう何もかもが面倒だったので、問題発言は控えた。


「では失礼します。感謝状、ありがとうございました」

 アイリーンが頭を下げて去って行く。全然嬉しそうに見えないと思ったが、オズウェルもまた口には出さなかった。騒がしい子爵家に少々疲労感が増していたせいだ。


 元気よく歩き出すウィルドを先頭に、一行はぞろぞろと部屋を出始めていた。最後尾はアイリーンだ。しかし虫の知らせとでもいうのだろうか。ふと嫌な予感がした。深く考えずに右手を懐に入れてみる。


「あれ……」

 が、そこにあるはず物――その感触が、無かった。


「な、ない……」

 真っ青になりながら、アイリーンは狂ったように手を動かす。懐、スカート、胸元……。考えられそうな場所のどこにも、それはなかった。


「母様……? どうしたの?」

 いち早く異変に気付いたフィリップが問う。引き攣った笑みを浮かべながらアイリーンは首を振る。


「な、無いの……」

「――何が?」


 その様に、薄ら――いや、決して信じたくはないが――気づき始めた子供たち。その中でも唯一まだ正気を保っているステファンが、恐る恐る聞き返した。アイリーンの顔は泣きそうになった。


「財布が……無いの」

 それは端的で、かつ絶大な威力を持った発言だった。一気に子供たちが騒ぎ出す。


「どこに……どこに落したんですかっ!」

「まさか家に忘れてるとかじゃないよね、ってかそうであって欲しい!」

「本当に無いんですか姉御! ほら、スカートのポケットとかよく探しました!?」

「母様……うっかり者」


 ワーッと子供たちが近寄ってき、それぞれ好き勝手アイリーンに物申す。彼女は言い返す術もなく、ただ項垂れるばかりだ。


「ほら姉御! ちょっとこっち向いてください!」

「ええ……ちょっとエミリア?」

「スカートには……無いし、ああ、胸ポケットにもない!」

「ちょ……エミリア! くすぐったいから一旦離れて!」


 エミリアが躍起になってあちこちを触るので、アイリーンとしては堪ったものではない。一旦後ろに退き、呼吸を整える。


「あの……師匠本当に……?」

 こくり、と頷く。それを見て、子供たちは一斉にその場に項垂れた。


「他人の鞄取り返している暇があったら、自分の財布をきちんと管理してください!!」

 とステファン。

「はい……言い訳のしようもありません」


「楽しみにしてたのに……」

 とウィルド。

「はい……面目次第もございません」


「わたしの……わたしのパフェが……」

 とエミリア。

「はい……深く反省しております」


「母様……信じてたのに」

 とフィリップ――。


「ご……ごめんなさいー!!」

 最後のが一番きつかった、一番心にくるものがあった!


「もう……もう二度とこんなことがないようにしますから……!」

「二度目があって堪りますか」

「そうよね!」


 鋭い突っ込みにアイリーンはなす術もない。ただ顔を覆って自分の不甲斐なさを痛感するばかりだ。


「おい……」

 そんな彼女に、一つの声がかかった。


「こんなところで反省会を開かないでくれるか」

 しかしそれは救世主の声ではなかった。


「目立ってしょうがない」

 オズウェルは黙って辺りを見渡す。釣られて子爵家の面々も顔を上げた。――確かに、開いている扉から、好奇心を隠そうともしない騎士団の者たちがこちらを覗いている。いつから見ていたのだろうか。


「だって……だって聞いてくれよ団長さん!!」

「聞いてた、全部聞いてた。お前たちが目の前で反省会してたおかげでな」

「カフェ……人生初のカフェ、楽しみにしてたのに!!」


 ウィルドとエミリアが地団太を踏む。はしたないわよ、と叱ってくれる大人は現在盛大に項垂れ中。


「あー、リーヴィス嬢? どんな財布か教えてくれる? 見つかる保証はないけど、盗難の届け出は出しておくよ」

「……色のくすんだハシバミ色で白い花の刺繍がされているものです……。どこで落としたかはよく覚えていないんです。よろしくお願いします」


 アイリーンの表情も声も暗い。副団長マリウスは苦笑しながら記録していく。


「あ……はは、大分落ち込んでるみたいだね」

「そりゃあもう……子供たちにもさんざん言われましたから……」

「一生根に持つよ」


 ジトッとした瞳でウィルドが見上げる。その後ろには肩を落としたエミリア、涙目のフィリップもいる。罪悪感が増すばかりだ。


「そっかそっか。確かにそりゃ落ち込むよね」

 何だかマリウスの方も胸が痛んできた。軽い言動に似合わず、なかなか子供好きなのである。


「じゃあさ、オズウェルが連れてってやれば?」

「――は?」


 突然自分に話が飛んできて、オズウェルは文字通り固まる。


「何で……急に」

「だって気の毒じゃん。みんな楽しみにしてたらしいし。市民貢献ってことで良いんじゃん?」

「いや良くないだろ。それにまだ仕事が溜まってるし――」

「どうせ今日は書類整理だけでしょ? 帰ってからやればいいんだよ。俺も手伝うし」

「だからって何で俺が――」

「俺はこの後見回りがあるしー。暇そうなの団長しかいないんだよ」


 きっぱりと言い切る。仕事があるのはオズウェルも同じなのだが、マリウスの言い方は有無を言わせないそれだった。


「それに、このまま彼らを家に帰したら騎士団の名が廃ると思うんだよね」

 ぐっ、と詰まる。普段はちゃらちゃらしているのに、こういう時に限って論理的に攻めてくるのは頂けない。


「警備騎士団が結成してまだ数年。名誉は少しでも上げといた方が良いと思うんだけどなあ。ほら、必要なら経費で落としてもいいし」


 語尾を伸ばして団長をちらっと見やる。


「ね?」

 そして最後にマリウスはにっこりと子供たちに目配せした。すぐに合点がいったのはウィルド。こういう時は咄嗟の本能が働く少年だ。


「うんうん、名誉上がると思う、ってか上げる! 俺が周りの友達に騎士団の人は良い人ばっかりだって宣伝するよ! な、エミリア」

「え、ええ。そうね。わたしも宣伝するわ」


 希望が頭角を現し、俄然声に力の入るウィルド。


「何たって騎士団は市民の味方!! お腹を空かせて困ってる市民を見過ごせないよな!」

 拳を突き上げてオズウェルに訴えた。少年らの純粋な瞳に返す言葉もなく、彼はただただ頭を抱え、がっくり肩を落とした。騎士団長が陥落した瞬間だった。


「……分かったよ。俺が連れて行こう」

「本当!? やったあ!!」

「え……っと、でも本当にいいんですか? 僕ら、本当に一銭も持っていないのですが」


 財布を落とし、弟妹達になじられたことで隅で落ち込んでいる姉に代わってステファンが前に出る。


「ああ。気にするな。ひったくりを捕まえてもらったお礼だ」

「はあ……。では、すみませんが有り難くご厚意に甘えて――」

「ね! わたし何食べようかな。今すっごくお腹空いてるの!」

「俺はがっつりいきたいなあ。もうすぐ夕食の時間だからね」


 ちらっ、ちらっとオズウェルに向かって流し目を贈るエミリアとウィルド。姉がいなくとも図太く育っている証拠だ。


「本当……お前らは」

 オズウェルはがっくりと肩を落とす。


「……もういい、分かった。好きなだけ頼めばいいさ」

「やった! 今日の夕食分が浮いたね!」

「お持ち帰りもしましょうよ!」


 一家の長たる姉に似て、何事もちゃっかりしている二人は、頭上で手を打ち鳴らした。各自カフェにてたらふく食べようと企み中である。


「…………」


 今日の自分の財布事情は大丈夫だろうか。

 思わず意識が遠のく団長だった。

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