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愛と鞭  作者: まくろ
第五話 隣のバラは赤い
25/120

25:出陣

 まだ誰も帰ってきていないのか、屋敷の中はがらんとしていて薄暗い。アイリーンはそそくさと部屋の中に入ると椅子を抱え、一直線にアンティーク調の箪笥へと向かった。目の前で椅子を下ろすと、ゆっくりとその上に立つ。


 始めに箪笥の一番上の引き出しを全て引っ張り出す。すると奥からもう一つの引き出しが出現した。その引き出しも全て引っ張り出してしまうと、次に奥の壁板を外して右の壁を探る。そして手探りで見つけた隙間に、先ほどの壁板を差し込むと、そのすぐ下からでっぱりが出てくる。最後にこれを引っ張れば最奥の引き出しが姿を現すのである。


 まさしく、これはからくり箪笥だった。その面倒な仕掛けの数々は、心配性で疑り深いアイリーンの性格を鮮明に表している。


 さてその最奥からアイリーンは小さな財布を取り出した。その他にも細々とした宝飾品があるが、今回はそれが目当てではない。

 引き出しをすべて元に戻し、椅子も元通りテーブルに戻してようやくアイリーンは腰を下ろした。お茶を飲みたい気分だが、そんな時間もないと、彼女は早々に懐から一枚の羊皮紙を取り出す。――大通りで売り子に渡されたものだ。それをテーブルの上に置き、眺めた。腕を組み、そして一言。


「よし、行きましょうか」


*****


 生徒たちは授業が終わると、友人と歓談に勤しむ者、外に遊びに行く者、居残りさせられる者とに分かれる。しかしステファンはその中のどれにも属さない。そそくさと帰り支度をし、いち早く教室を出るのだ。もはやそれが彼の習慣となっていた。


「おーいステファン!」

「今日暇か?」


 急いで教室を出たのだが、途中で友人のジェイとニールに捕まった。彼らは手にボールを持っている。何となく察しがついたステファンは、申し訳なさそうに笑った。


「いや……今日はちょっと。買い物と、その後弟たちに勉強を教えないといけないんだ」

「何だよ、釣れないな」


 言いながらジェイは器用にボールを指で回す。


「相変わらず忙しいんだなあ。なんなら俺も弟の勉強手伝ってやろうか」

「お前に教えられるのか?」

「失礼なこと言うな!」


 ニールに茶々を入れられ、ジェイは憤慨する。その隙にニールはジェイからボールを奪い取った。


「ちょ……ニール! 何すんだよ」

「がら空きだったからつい、な。ほらステファン!」


 突然投げられたボールをステファンも上手く受け取る。そのままポンポンと地面につきながら歩き出した。真正面からジェイが立ちはだかるが、取られる寸前で再びニールに戻す。


「お前らな!」

「悔しかったら取ってみろよ。外に出るまでに取れなかったらジェイの負けな。何か奢れ」

「ようし、いいぜ! じゃあ俺が買ったら二人の方こそ何か奢れ――」

「それは大変だな。負けられない」


 二人が振り返ると、ニコニコと笑う瞳に闘志の炎を燃やすステファンと目が合った。ダラダラとジェイは冷や汗を流す。


「ど……どうするんだよ! ステファンがやる気になっちまっただろうが!」

「ジェイが奢れとか言うからだろ? ステファンはそっち方面には細かいんだから」

「ほらニール。早くこっちにボールを。さっさと終わらそう」

「ステファンー!!」


 バタバタと三人は廊下を走り回った。こんな時間に廊下をうろつく生徒はまだいないらしく、思う存分走り放題だった。しかしそうは言っても木造の校舎内は音が響く。すぐにガラガラと傍らの扉が開き、眉を吊り上げた教師が顔を出した。


「君たち……校舎内で暴れるとは何事だ? そんなに精力が有り余ってるのなら、運動場十周でもしてきたらどうだね?」

「うわ……サルマンじゃん」


 ジェイはうんざりしたような顔で呟く。その声に、サルマンが吊り上がった縁の眼鏡をくいっと持ち上げて笑う。


「先生に向かって何たる口の利き方だ。最低限のマナーくらい身に着けたまえ」

「はいはーい」

「ほらまた! 君はそういう所がだな――」

「もうさっさと行こうぜニール、ステファン!」


 一度捕まってしまうとなかなか抜け出せないサルマンの説教。それを身を持って経験したことがあるので、さっさとジェイは逃げ出した。気配を殺すのが得意なニールもその後に続く。


「ったく、最近の若者は……」

 いなくなった二人になおもサルマンはぶつぶつと小言を言う。ステファンはそれに苦笑いを返すと頭を下げた。


「先生、暴れてすみませんでした」

「ふん、今更殊勝な態度を見せてももう遅いよ。君たち三人の顔はしっかり覚えたからね。帳簿にも記帳させてもらった」


 いつの間に手に持っていたのか、サルマンはパタンと薄い帳簿を閉じる。


「君は確か……ステファン君だったね」

「はい」

「確か国立の寄宿学校に行きたいと」

「はい、そうです」

「ならば内申点が気になる時期じゃないのかね? あと数か月もしたら試験もある。友人はきちんと選ばなければ、自分のためにならないぞ」

「はあ……」


 困った様に笑いながらステファンは頷いた。そのことに、サルマンは眉根を寄せる。彼の態度が気に食わなかったのである。


 決して彼は納得して頷いたのではない。穏便に流したのだ。瞳を見れば分かる。まるで教師に刃向うかのように真っ直ぐな「我」があるその瞳を見れば。


 長年の教師生活でそのくらいの機微は分かるようになってきたサルマン。彼はこの事実に更に腹を立て、眉間にしわを寄せた。しかしふっと思い立つと、にやりと笑みを浮かべた。それを隠すかのようにステファンに背を向け、自分が出て来た扉の取っ手に手をかける。


「ふん、まあいい。いずれ後悔するのは君だ。あとで私に泣きつく羽目になっても知らないぞ」

「はい」


 相変わらずステファンは感情を表に出さない。返事は優等生だ。しかし何よりその瞳に腹が立つ。感情が表に出ないからこそ、瞳が優に語っているような気がするのだ。お前には決して屈しない、と。


 しかし覚えているがいい。どうせこの先困るのは君だ。いずれ、私に泣いて許しを請う日が来るだろう……!


 サルマンはほくそ笑むとそのまま部屋に入り、ピシャッと扉を閉めた。


 周囲の問題児たちの世話に掛かり切りで、自分のことには殊更無頓着なステファン。

 残念なことにどうやら彼は、あまりの優等生ぶりに、いつの間にか思い込みの激しい教師を敵に回してしまったようである。従順に返事をしていただけなのに、とんだとばっちりである。しかしそのことすら気づかない彼は、一方的に敵対心を持たれたまま、呑気に校舎を出た。すぐにジェイとニールが駆け寄ってくる。


「わりいな、見捨てちゃって! 何か嫌なことでも言われたか?」

「特に何も。成績を心配されただけかな」


 プライドの高い教師を敵に回してしまったなどとは思いもよらないステファンである。


「そっかそっか。でもあいつのことだからまたお手製の帳簿に点数付けてんだろうなあ」

「でもお前、どうせ評価下がったって痛くもかゆくもないじゃん」

「ま、確かにそうなんだけどー」


 ニールの言葉に、ジェイは不貞腐れた様に唇を尖らせる。


この様子だと、先ほどのサルマンの行動は口に出さない方がいいかもしれない。更にあの教師への不満が漏れ出ること請け合いだ。

「そう言えば、さっきのゲームはどうなったの?」

 さらりとステファンは話を逸らした。


「ああ、あれ? ジェイの負け」

「何でそうなる!?」


 ジェイが白目をむいた。


「だってそうだろ? サルマンに呼び止められた時もジェイが負けてたし、逃げて校舎出てきた時もジェイはボール取ろうともしてなかったし……。ということで、ジェイの負け」

「理不尽だな! サルマンが乱入してきた時点で試合は引き分けだろ?」

「いやいや、どんな事態に陥ろうとも、ゲームは続行するのがこの世の常」

「勝手に規則を改変するな!」


 自分が奢るということは何とか回避できたようで、ステファンはホッと胸を撫で下ろした。

 そのまま三人はボールを持ったまま校舎へと歩き出す。


「で、ステファンはこの後弟たちに勉強教えるんだっけ?」

「そうだよ」

「へー、立派な兄ちゃんやってんだな」

「ジェイのとこだって妹いるよね」

「あー、俺んとこなあ。いるにはいるけど、最近じゃめっきり可愛げが無くなってきてうんざりしてる。お兄ちゃんとすら呼んでくれないしさ。ったく、最近のガキは中身だけ大人になって可愛げが無いよなあ」

「ジェイだって子供じゃん」


 ニールが素早く突っ込む。


「ああ? 俺はもう立派な大人さ。この前なんか俺、砂糖なしでコーヒー飲んだんだぜ」

「そういう所が子供」

「失礼なこと言うな!」


 ジェイが憤慨するが、つい最近弟のウィルドも似たようなことを言って得意げになっていたことを思い出すと、強ちニールの言うことは間違っていないかもしれないと、ステファンは苦笑を浮かべた。


「あれ……ステファン」

 のろのろと連れだって歩いていたが、ようやく校門が見えてきた、そんな時。


「なに?」

「あの人……お前のお姉さんじゃないか?」

「え?」


 ニールの声に反応し、彼が指さす方を見ると、確かに姉の姿があった。ぞろぞろと出て行く生徒たちの中に埋もれることなく、ピンと背筋を伸ばしている姿は凛々しい。そんな彼女に生徒たちも近寄りがたく思っているらしく、避けるよう歩かれているので、そこにはぽっかりと空間ができていた。


「こんにちはー」

「こんにちは」


 三人がアイリーンの元へたどり着くと、ジェイは素早く挨拶をした。教師には挨拶も敬語も使わない彼だが、年上のお姉さんには目を輝かせて対応する軟派者であった。


「お姉さん、今日もお綺麗ですねー」

「あら、ありがとう」


 対するアイリーンはというと、これまた手慣れたもの。弟の友人の軽口は、出会った当初から数知れないためだ。


「ね、お姉さん。もし良かったらこの後僕らお宅に――」

「姉上、一体どうしたんですか?」


 更に軽口を叩こうとするジェイを押しのけ、ステファンは険しい表情で尋ねた。近ごろ何かと問題の多い姉のことだ。また今回も何かやらかしたのではないかと、苦労性の弟は気が気でない。


「まさか、また何か事件に巻き込まれたとか――」

「人聞きの悪いことを言わないで。ちょっと用事があっただけよ」


 アイリーンはすっかり頬を膨らませた。こちらもこちらでなかなかご立腹だ。確かに近ごろは特に騎士団に世話になっていることが多い。しかしそれのほとんどは不可抗力というもので、私自身が悪い訳ではないのに。


「じゃあどうしてここに?」

「まあいろいろとね。――ちょっとステファンを借りて行ってもいいかしら?」

「ええ、どうぞどうぞ」

「お姉さん、また今度そちらにお伺いさせていただきますー」


 少年二人は一様に手を振って二人を見送った。ジェイはどこか名残惜しそうだ。おそらく、ステファンに対してではなく、その姉、アイリーンに対してだろうとニールは見切りをつけ、こっそりため息をついた。


「あ、忘れてた。ジェイ!」

 二人の姿が見えなくなりそうなそんな時、ステファンがくるっと後ろを振り返った。


「何だよー?」

「明日、昼食楽しみにしてる!」

「結局俺が奢るのかよー!!」


 ガクッとジェイは項垂れる。向こうの方では、昼食代が浮いたわね、よくやったわステファン!と仲の良い姉弟が頭上で手を打ち合う姿が見て取れた。

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