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愛と鞭  作者: まくろ
第四話 子爵家下暗し
24/120

24:大切なもの

 タンスに籠ること十数分。早速アイリーンは眠気と戦っていた。タンスの中は狭く、縮こまることでしか場所を確保できない。しかしそれによってちょうどいい体勢を作り出すことに成功してしまい、結果、強い眠気を引き起こしていた。分厚い扉とタンスを隔てているおかげで、騒がしい男たちの酒盛りの声も遠い。こくり、こくりとついにアイリーンは舟を漕ぎ出した。


 一方で呑んだくれの男たちは、ようやく自分たちの使命を思い出していた。


「おい、もうすっかり日も沈んだ。そろそろ動くか」

「へ……? ああ、もうそんな時間すか……」

「おい、寝てんじゃねえよ。もう一仕事だろうが」

「はあ……」


 叩かれた男が寝ぼけ眼で頷きながら立ち上がった。


「お前、人質の様子見て来い」

「へーい」


 件の人質たちが拘束から抜け出し、とうの昔に逃げ出したとも知らず、下っ端の彼は呑気に閂付きの扉を開けた。暗闇に光が差すが、明るい部屋にいた男たちにの目が慣れるには、もう少し時間がかかる。


 欠伸をしながら男は部屋に踏み入る。そして改めて見渡してみて、固まった。

 パチパチ、と瞬きを繰り返す。もう一度パチパチ、パチパチ。しかし何度やってもその光景は変わることなく、彼の目前に鎮座している。


「ダレルさん……!」

 茫然としながら口を開く。


「何だ」

「奴ら、いません……」

「はあ!?」


 ダレルは荒々しく部屋の中に入る。隣室から漏れる光に床が照らされ、そこに縄が落ちているのが目に入った。解いたのではない。完全に短刀か何かで切られている。


「お前ら! まさか拘束する時奴らの体調べなかったのか!?」

「すす、すいやせん! でもまさかナイフ持ってるなんて思いもしなくて……!」

「言い訳は聞きたくねえ!」

「ダレルさん……今はとりあえず探しに行きましょう。まだそう遠くには行ってないはずで――」

「俺に命令すんじゃねえ! おい行くぞ!」

「へい!」


 バタバタと騒がしい足音がする。それらはやがて遠のいてき、消えた。しばらく待ってみても、戻ってくる気配はない。


「行ったみたいね」

 タンスの中のアイリーンが呟く。先ほどまで呑気に眠りこけていたので、彼らの騒々しさに起こされて助かった。眠りこけたまま、男たちに見つかったり、騎士たちに助け出されるなんてまっぴら御免だ。


「どう……すればいいのかしら」

 このままここに隠れて助けを待つのか、それとも逃げ出した方が良いのか。


 閉鎖されたこの空間は息苦しく、アイリーンはそっと扉を開けた。隣の部屋から明るい光が漏れている。それに誘われるようにそろそろと近づいた。


 つい先ほどまで酒盛りをしていたらしいその場所には、様々なものが乱雑していた。空になった空き瓶に食べ散らかされたおつまみ、脱ぎっ放しの上衣に紙の束。それにオズウェルが奪い取られていた騎士の剣も放り出されている。剣は常に身につけなきゃ意味が無いでしょうとアイリーンは呆れたが、すぐにハッとする。


 この剣がここに置いてあるのならば、私の扇子もここにあるかもしれない。


 その考えはすぐに行動に移した。スカートの裾が汚れるのも気にせずにその場に膝立ちになる。部屋の中には小さな戸棚や引き出しがあるが、追われ身の男たちがこんな所に物を収納するとは考えにくい。


 いつ男たちが戻ってくるとも分からないこの状況において、無駄に時間を浪費するのは得策ではない。そんなことは百も承知だが、それでもアイリーンは諦めきれなかった。今ここで見失ってしまったら、もう一生この手に戻って来ない気がした。


「探し物はこれか?」


 低い声。


 ハッとしてアイリーンは振り返った。いつの間に戻って来たのだろう、ギィッと揺れる扉に凭れかかる様にしてダレルが立っていた。


「すっかり出し抜かれちまったな。よくよく考えてみりゃ、あの小さな隙間からみんながみんな出られるわけねえ」

 後ろ手に扉を閉め、こちらに近寄ってくる。


「馬鹿だな、さっさと逃げねえとは。そんなにこれが大事か?」

 ひらひらと振るその手にはアイリーンの扇子が握られている。


「大人しくこっちに来るってんなら、こいつ、返してやってもいいけどな」

 優位に立っているつもりなのか、ダレルはニヤニヤ笑った。しかしアイリーンはそんな彼を一蹴する。


「馬鹿はあなたよ」

「はあ……?」

「言っておきますけど私、王族でも何でもないから。人質の価値の価値があるとでも思っているのなら大間違いよ」


 虚を突かれたようにダレルは目を丸くする。と思ったら、弾かれたように笑い出した。嘲るような笑いだ。


「価値が無いのなら殺すまでだ」

 一気に距離を縮められ、壁際まで追いつめられる。ダレルは短刀を構え、アイリーンの頬にあてがった。


「お前らのせいで計画が全部おじゃんだ。ったく、どうしてくれようかなあ……」

 言いながらダレルは拳をアイリーンの鳩尾に入れる。ゴホッと苦しげに咳を繰り返しながらアイリーンは蹲った。生理的な涙が目尻に浮かび、短く浅い呼吸を繰り返す。


「こんなもんじゃねえぜ? 急所をずらして嬲り殺しにしてやろうか。一息に殺してはやんねえよ。面白くねえからな」

 男の声が近い。髪を乱暴に捕まれ、そのまま持ち上げられる。


「生意気な女は嫌いじゃねえが、限度ってもんを――」

 声が、途切れた。と思ったら、ぐうっと低いうめき声が側で聞こえる。アイリーンはハッとして目を開けるとすぐに床に放り出された。男の手が髪から離れたせいだ。急いで彼から距離を取る。


「て……めえ!」

 苦悶の表情を浮かべるダレルの前に立っていたのはオズウェルだった。しかし味方の登場にアイリーンが安堵する暇もなく、彼らは同時に動き出す。しかしアイリーンから見ても、ダレルは圧倒されているように見えた。


 ダレルは短刀を手に持ち、対するオズウェルは丸腰であるにもかかわらず、彼は軽やかな身のこなしの相手に翻弄されていた。終いには腕を蹴られ、短刀が放り出された。男はぎらつく目でそれを追いかけようとしたが、オズウェルがそれを見逃すわけがない。重い蹴りをダレルの鳩尾に放ち、幕が下ろされた。男はもうピクリともしなかった。


「大丈夫か」

 オズウェルが近寄り、アイリーンを助け起こした。茫然としながら彼女は頷く。しかしすぐにハッとした。


「あ……あの子たちは?」

「二人とも無事だ。追っ手に追われる前に俺たちが保護した」

「そう、ありがとう」


 まだお腹が鈍く痛む。壁に背中を預けながらアイリーンは目を閉じる。


「その、私の方も……助かったわ。ありがとう」

「勘違いするなよ。俺はこれを取り戻しに来ただけだ」


 素っ気なく言い、オズウェルは放り出されている剣を拾った。ムッとしたアイリーンだったが、すぐに視線を和らげる。


「よっぽど大切なのね」

「叙任される時に国王から正式に賜ったものだからな」


 優しげな瞳でオズウェルは剣を見つめる。その視線がふいっとアイリーンへと向いた。


「ほら」

「あ……」


 差し出されたそれを反射的に受け取る。


「大事なんだろ」

「え……ええ」


 戸惑ったようにアイリーンは頷いた。


「母の形見なのよ」

 優しい手つきで扇子を撫でる。


「でも……だとしても、馬鹿な行動だって思ってるわ。大人しく逃げればよかった」

「全くだ。俺たちが捕らえてから取りに戻ればいいものを」

「……その間にこれを持ったまま逃げられるかもしれないでしょう」

「そんなヘマはしないさ」


 ふっと笑うと、オズウェルは倒れこんでいるダレルを拘束した。そのまま重そうに持ち上げ、肩に乗せる。


「行こう。雨が降りそうだ」

 見上げる空には暗雲が立ち込めていた。アイリーンはそっと頷き、後に続く。


 道中、いよいよ雨が降り出した。しかし不思議と不快な気持ちはしない。これで全部終わったような、今日この身に起こった出来事全て洗い流してくれるような、そんな不思議な感覚だった。


「皆はどこにいるの?」

「そんなに離れてはいないな。殿下の目印のおかげで大した苦労もなく合流できた」


 オズウェルは地面を顎で示す。釣られてアイリーンもそちらへ顔を向ける。と、すぐにほんのりと発光している物体が目に入った。泥に塗れたカインのボタンだ。それは点々と暗い夜道を照らし、確かな道を作っていた。


 その目印を頼りに、二人は黙々と合流地を目指した。そうかからないうちに、ぽつぽつと松明の明かりが見えた。ざわめきも聞こえる。


「あの……その」

 もうすぐ合流するという所で、アイリーンは言いづらそうに口ごもった。オズウェルは歩きながら、視線だけをそちらに向ける。


「皆には……内緒にして欲しいの。私が扇子を取りに戻ったこと。褒められた行動じゃないことは自分でも分かってるし、特にステファンにこの事が伝われば小言どころじゃ――」

 ハッとしたようにアイリーンは言葉を呑む。そして宙を見上げた。


「……今、もうすっかり夜よね?」

「見れば分かるだろ」

「忘れてた! ステファン!」


 先ほどまでの殊勝な空気はどこへやら、アイリーンはすっかり慌てふためいていた。


「ちょ――あなたからも説明してよね、私は悪くないって。不可抗力で事件に巻き込まれただけだって!」

 彼女の脳裏にはありありと我が弟の幻影が映し出されていた。ニコニコと笑ってはいるものの、瞳の奥は笑っていない。怒れば怒るほど彼は笑うのだ――。


「不可抗力?」


 そう、まさしくこんな風に。


 アイリーンは固まった。サーっと雨が降り続く中、額に髪が張り付くのを払おうともせずに彼は立っていた。脳内と同じくニコニコと笑っている少年だ。瞳の奥は、もちろん笑っていない。


「アマリスさんから全て聞きましたよ、姉上」

 彼の後ろには、件のアマリスが必死でこちらに手を合わせている姿が見て取れた。何となく想像できる。今のアイリーンと同じように蛇に睨まれた蛙状態で彼に全てを聞き出されたのだろう。


「たとえ不可抗力だったとしても、僕には納得できませんね。一人で勝手に解決しようとなさるところが」

 彼の後ろにはウィルドとカインがいた。二人の姿を見、アイリーンはようやく安堵の息を漏らしたが、すぐに顔が引きつる。……二人とも、一様に顔が暗い。おそらく子爵家影の支配者にこってりと搾られたのだろう。


「姉上はどうやら先日の一件から懲りてないようですね」

 今回は……今回こそは本当に不可抗力よ!とアイリーンは隣の証言者を見上げてみるが、いつの間にやら、先ほどまで隣にいたはずのオズウェルはすっかり姿を消していた。巻き添えは食らうまいとさっさと逃げたのかもしれない。


「姉上? 先ほどから何の返事も聞こえませんが、ちゃんと聞いてるんですよね? 別に僕はもう一度最初から説教してもいいんですよ?」

「ちゃ……ちゃんと聞いてる、聞いてるわよ」


 一度捕まったら二度と逃げられないステファンのお説教。

 どうやら今夜も眠れなさそうだ、とアイリーンはこっそりため息をついた。

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