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愛と鞭  作者: まくろ
第四話 子爵家下暗し
23/120

23:脱出作戦

 分厚い扉越し、こちらと向こうでは天と地の差だ。


「さあ、一仕事終わったことだし、早速酒にありつきますか!」

「ああ……安っぽい酒だがな、一夜を越すには丁度いいだろ。どうせ向こうに行ったらもっといい酒が手に入る」

「さっすがダレルさん! じゃあ俺準備しますぜ」


 扉一枚隔てていても、男たちの騒がしい声がする。未だ縛られたままとはいえ、威圧感のする男たちの監視からようやく離れることができ、三人はホッと息をつく。


 アイリーンは疲れた様に壁に背を預けた。そんな彼女におずおずとウィルドが声をかける。


「……あの扇子、そんなに大事なものだったの?」

 アイリーンは小さく笑みを浮かべた。


「別に……そんなに大したものじゃないの。その……いつも手元にあったから不安になっただけ」

「でも――」

「それよりもこれからどうしましょうか。私としてもこのまま売られる気はないわ」


 ウィルドの言葉を遮り、アイリーンは辺りを見回す。

 始めは真っ暗で何も見えなかったが次第に目が慣れた。扉は先ほど入って来たもの一つだけ。窓はあるにはあるが、高い位置に配置されているので脱出は不可能に見える。その他、周囲に樽や古ぼけたタンスが置かれているだけだった。本当に物置のようだ。


「助けは当てにできないでしょうね。何しろあの人木に縛られてるんだもの」

「いや、きっと助けは来るだろう」

「……何を根拠に?」

「仮にも国から叙任された騎士。あれくらいの拘束、抜けられなくてはこちらが困る」


 やけに自信満々だ。今なら彼が王子だと言われてもすんなり受け入れられる。


「でも……もしあの人が縄から抜け出せたとしても、こんなに遠く離れた場所、見つけられるわけないじゃない。もう辺りも暗いし」

「ここへ来る途中、目印を落としてきた。抜かりはない」

「すっげーカイン。よくそんなこと思いついたな。俺なんかどうやったら尻の痛みを軽減できるかってことしか頭に無かったぜ」


 ……同じく。

 しかしアイリーンは決して口には出さず、涼しい顔で言ってのける。


「さ、さすがねカイン。で、何を目印にしたの?」

「ボタンだ。しかも、暗い所でも発光してくれる」


 そう言って服を見せつける。確かにところどころ糸がほつれていた。容赦なくブチッともぎ取ったのだろう。


「ようやくその無駄に多いボタンも役に立ったのね……」

「失礼な。いざという時のための偽装に決まってる」

「ただ見せびらかしたいのかと思ってたわ」

「失礼な!」


 しかりアイリーンがそう思うのも当然と言えば当然。カインの上衣には、濁ったような色のボタンが通常の二倍ほど袖やら裾やらに縫い付けられているのである。カインと初めて会った時は、正直趣味の悪い服だと思ったものだ。そのおかげで助かった今となっては、口が裂けても言えないが。


「じゃあ私達は騎士さんたちを信用して大人しく待てばいいってこと? ……何となく柄じゃないわね」

「放っておいたら師匠なら平気で殴り込みに行きそう」

「さすがにそんなことはしないわよ」


 ウィルドの軽口に、平然とした顔でアイリーンは返すが、完全に冗談に思えないのが怖い所だ。


「いや、僕たちはできることをやろう」

「できること?」

「助けに来てくれたとしても僕たちは未だ拘束された身。またさっきの二の舞になるのがおちだ」

「じゃあどうすんのさ」

「取りあえず監視の目は無いから、先に拘束を外しておく」


 そう言ってカインはのそのそとアイリーンに近づく。


「腰の所に短刀があるから取ってくれないか?」

「短刀ね……」


 言いながらアイリーンはカインの腰をまさぐる。丁度ベルトに挟まるように短刀が差し込まれていた。


「子供だと思って油断してたんだろうな。助かった」

 淡々と言うカインに、半ばアイリーンは呆れる。


「物騒ね」

「こういう状況は今までに何度もあった。自然とそうなる」

「へえ、あなたもいろいろと苦労してるのね」


 対するアイリーンもなかなか淡泊だった。もともと、彼が王子などと言われてあまり実感が湧かなかったのだから仕方がない。


「……悪いと思ってる」

「え?」

「僕のせいで二人をこんなことに……巻き込んでしまって」

「あの……それなんだけどさ」


 暗い表情のカイン。

 何と答えれば良いのか分からないアイリーン。


 そんな時、思い詰めたような表情でウィルドが顔を上げた。


「カインって……王子なの?」

「え、今頃?」


 思わずアイリーンが素で聞き返した。これまでの会話でもうすっかりそのことを理解しているのかとばかり思っていたが、残念ながら我が弟は、それほど頭の回転は良くなかったようである。


「ああ、そうだ。今まで黙っていて悪かった」

「…………」

「ま、まあ言いづらいものね。自分が王子だなんて。そもそも二人はどうやって知り合ったのか、こちらが聞きたいくらいだわ」


 ウィルドが静かなので、気まずくなってアイリーンはうんうんと頷く。珍しい。何でも自分本位な彼女にしては大変珍しい光景だ。


 しかしウィルドは別に落ち込んでいるわけではなかった。ただ、頭がカインの言葉に追いつかなかっただけで――。


「すごいじゃん、カイン!」

 すぐに目を光らせた。


「は……?」

「え、王子!? え、すごい、王子様か!」


 誘拐されている子供の状況とは思えない。


「ちょ、静かにしろ! 今縄を切ってる途中なんだ」

 この中で唯一、脱出方法について必死に頭を張り巡らせていたカインが慌てて叱りつける。途端に今の状況を思い出したのか、ウィルドは大人しくなった。しかし未だなお、瞳の輝きは薄れない。


「え、王子かー。知らなかった。だってそんな素振り全くなかったもんね!」

「本当に……悪かったな。巻き込んでしまって」

「え、別にいいよ! カインが悪いんじゃないし、それにカイン一人だけで誘拐されなくてよかったよ。一人じゃ心細いだろ?」

「……ああ」


 とはいっても、足手まといが増えただけのような気がする。正直なところ、自分たちがいなかった方が、このしっかりした王子は案外一人で脱出できたかもしれない。

 アイリーンは複雑な思いで子供たちのやり取りを見ていた。


「よし、取れたぞ」

 黙々と短刀で縄を切りつけていたカインが呟く。アイリーンは手首を擦りながら頷いた。


「ありがとう。じゃあ今度は私ね」

「頼む」


 再び縄を切る作業に映った。隣からは酒に酔ったらしい男たちが騒ぐ声がする。

 ウィルドはすっかり手持無沙汰になって立ち上がった。両手は縛られたままだが、足は動く。物珍しげにきょろきょろと歩き回った。


「どうして……護衛もなしに外に出たりしたの?」

 小さな声でアイリーンはカインに尋ねた。後ろからでは彼の表情は窺えない。


「何となく……だろうか。魔が差したのかもしれない」

「そんなに王宮暮らしはきついものなの?」

「そう、だな。あの時の僕は……少なくともそう思っていた。一日中城に籠りっきりで護衛は片時も離れない。だから何か……いつもと違うことをしたかった」


 居心地が悪いのか、カインは顔を俯かせた。


「護衛の一人に知り合いがいるんだ。彼に頼んで……時々外に出させてもらった。まさか、それがこんなことを引き起こすことになるなんて……思いもしなくて」

 カインは一旦言葉を切り、考え込んでいるかのように目をきつく閉じた。次に開いた時には、自嘲するような笑みを浮かべていた。


「僕の今回の誘拐の件で……一体何人が処罰されるんだろうな」

 しばらく無言が続く。いつの間にか、ウィルドが徘徊する足音も消えている。


「無事に……帰らないとね」

 ぽつりとアイリーンが呟いた。


「無事に帰って、全部自分のせいでしたって謝らなくちゃね。浅はかな僕のせいでのこのこ誘拐されたんです、全部考えなしのお間抜けな僕が悪いんですって」

「……何だろう、遠回しに侮辱されたような――」

「遠回しじゃないわ、どう聞いても直接じゃない」

「やっぱりか……」


 がっくりと肩を落とす。慰める……というよりは気合いを入れるためにアイリーンはカインの肩をポンと叩いた。


「今度は護衛つきでいらっしゃい。いつでも大歓迎だわ」

「そう、だな。……しかし、許してもらえるだろうか」

「外に出してもらえるかって? もし許可されないのなら、ウィルドを王宮に呼べばいいじゃない。友人として」


 ふっと笑みを浮かべる。


「ウィルドで飽きたんなら私を呼んだっていいわ。その時はきちんとお菓子でもてなして欲しいけれど」

「飽きたって何だよ!」


 憤慨したような口調でウィルドが横槍を入れてきた。


「聞いてたの?」

「俺は絶対に飽きさせない自信があるぞ!」

「その熱血ぶりに飽き飽きしそうなの」


 ふう、とため息をつくアイリーンにムスッと頬を膨らませるウィルド。

 いつもと変わらない日常に、思わずカインは笑みを浮かべた。


「あ、それでさ、二人とも」

「なに?」

「ちょっと気になるとこ見つけたんだけど、これって――」


 ウィルドが何やらガサゴソ動く。すると途端にどこからかギィーという音が空気を切り裂いた。アイリーンたちの表情が固まる。


「ウィルド!」

 アイリーンとカインの小さな声が重なる。慌てて息を凝らして隣室の気配を窺った。……危機一髪、たまたま笑い声が重なり、向こうの部屋までは届かなかったようだ。


「ご、ごめん、つい……」

「もう何やってるの?」

「いや、なんかどこからか風が来るからさ。どうなってるのかなーってタンス退けてみたら……」


 照れっとした表情でウィルドは指さす。


「見つけちゃった、穴」

「は……?」


 釣られて二人がその方向を向くと、なるほど、確かに穴としか形容のできない隙間が空いていた。丁度それはタンスに隠れる様に存在している。あらかた前の主が何らかの失態で穴を開けてしまい、それを隠すためにタンスで塞いだのかもしれない。……たとえ掘立小屋とはいえ、どうやって壁に穴を開けたのか気になるところだが。


「ここから逃げ出せるんじゃない?」

 ウィルドがぽつりと言った。


「は……?」

「ほら、その穴、結構ぎりぎり入れるくらいの大きさだよ。抜け出せるんじゃない?」

「え……そんな簡単に」


 何だか馬鹿みたいだ。あれだけ時間を食ってここまで連れてこられたというのに、こんなにあっさり脱出できるのだろうか。


「あ……でもやっぱりこのまま騎士団の到着を待った方が――」

「いや、脱出した方がいいかもしれない」


 考え込んだままカインはぽつりと言った。


「いくら僕たちが拘束を抜け出したと言っても、奴らに籠城されたら騎士たちは手も足も出ない」

「それもそうね」

「それに僕たちはれっきとした人質だ。もしまた捕まっても殺されはしない。なら一か八か逃げてみるのも手かもしれない」

「……ちょっと待って。確かにカインは王子だから殺されないだろうけど、私達はただの一般人だし、助けてもらえる保証は――」

「よし、やろう!」

「人の話聞いてくれる?」


 ウィルドの元気いっぱいの声にアイリーンはげんなりとした声を返した。


「でもあの高さは届かないよね」

「何か踏み台にできるものは……」


 そう言って辺りを見回すカインの瞳に、アイリーンが映った。


「……肩車できるか?」

 ひくっと彼女の頬が引き攣った。


「……肩車?」

「ああ、子供同士だとあの高さに届きそうにない」

「ふ……ふふ……」


 アイリーンは不敵な笑い声をあげる。


「私の上に乗るだなんていい度胸ね……。覚えておきなさいよ」

「師匠、いいから早く」

「分かってるわよ!」


 ぶつぶつ文句を言いながらアイリーンはしゃがみ、その肩にカインが乗り込んだ。

 声にならないうめき声をあげながらアイリーンは立ち上がる。まだ幼いとはいえ、立派な男の子。なかなかの重さだった。ぎっくり腰にでもなってしまいそうだ。


「早くしてよね……。重いんだから」

「分かってる」


 穴と言っても、きちんと整備された穴というわけではない。何かが突き破ったようにぽっかり空いたその穴は、飛び出たささくれが目立ち、いちいち服が引っかかってなかなか抜け出すのも難しい作業だった。おまけに気を付けなければ手を痛めてしまう。


 しかし何とか上半身が抜けると、カインはアイリーンの肩に立ち、一気に穴から飛び出した。受け身を取ったまま地面に転がる。下が芝生だったので、音も気にならないだろうと勢いよく飛び出せた。


 ポンポンと体を叩くとカインは穴を見上げた。意外と簡単に抜け出せ、何だか拍子抜けした気分だった。

 穴の向こうでは、何やらアイリーンの情けない声が上がる。


「ちょ……よくも私の肩に足を乗せてくれたわね……? この服お気に入りなのに泥だらけじゃないのよ」

「いいじゃん服くらい。命の方が大事だよ」

「そっ、そうだけど……」

「ほら、早く俺の縄も切ってよ。早い所ここから抜け出そうぜ」

「分かってるわよ」


 二人目となるともう慣れたものだ。アイリーンは手早くウィルドの縄を切ると、再び穴へと目を向ける。


「じゃあウィルドも……」

 と言いかけたところでアイリーンははたと気づく。


「ちょっと待って。そう言えば私はどうなるの? まさか置いてくつもり!?」

 この部屋に他に踏み台となるものは無い。唯一大きな樽もあるが、何が入っているのか、動かせたものじゃなかった。かといって肝心の窓は、いくら女性の割には背が高い方だと言っても、アイリーンの身長では届きそうもない。


「師匠はそのタンスの中に隠れてればいいよ。入って来た奴らはもぬけの殻になった部屋と開いてる穴を見て驚く。きっと慌てて外へ探しに行くはずだよ」

 ウィルドにしてはなかなかの思い付きだ。反論の余地もなくアイリーンはため息をついた。


「もう……仕方ないわね」

「おい、どうした、早くしろ!」


 顔の見えないカインのささやき声だけが聞こえる。ムスッとしながらアイリーンはしゃがんだ。対するウィルドは満面の笑みだ。アイリーンの肩に足をかけ、頭に手を置く。下の人間が立ち上がることで、いつもの数倍の景色が拝めるのだ。


「……肩車なんて、久しぶりだな……」

 ウィルドが小さく呟く。しかしそれはアイリーンの耳には届かなかった。


「え、何か言った?」

「ううん、何でもない」


 運動神経が良いウィルドもそれほど苦労することなく芝生に降り立った。ささくれに服が引っかかり、多少ほつれてはいるが、それ以外に目立った外傷もない。


「僕たちが騎士と合流したら合図を送る。だから物音をたててすぐにタンスの中に隠れるんだ。奴らは誰もいない部屋を見てきっと慌てて外に出る。そこを取り囲んだ騎士が捕らえるんだ。だから大人しくタンスの中で待ってるんだぞ、いいな?」


「はいはい」


 どっちが年上だが分かったもんじゃない。


むくれながらアイリーンは頷いた。走り去っていく二つの背を見ながら、アイリーンは床に座り込む。

 隣の部屋からは未だ何かに盛り上がっているような声がする。一気に今の独りぼっちの状況を思い出し、彼女は身震いした。よくよく考えてみれば、扉一枚隔てた向こう側に三人もの男たちがいるのだ。いつこちらに人質の様子を見に行こうかと提案する男がいても不思議はない。縄を切ってる時や脱出の最中に入って来なくてよかったと心から思う。と同時に、一度そう考えてしまうと居てもいられなくなってきて、アイリーンはそっとタンスの中に身を滑り込ませた。何事も備えあれば患いなし。


 随分使ってないのか、タンスの中は大分埃臭かった。小さなくしゃみを繰り返す。おまけに何だかかび臭い。とんだ貧乏くじを引いてしまったと、今更ながら後悔中のアイリーンであった。

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