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愛と鞭  作者: まくろ
第四話 子爵家下暗し
21/120

21:クリフ、恐怖再び

 逃げるわけがないと分かっていながら、それでもオズウェルは騎士団長として、アイリーンをみすみす野放しにすることはできなかった。ウィルドの友人とやらの家へ行く道中、拘束はしないまでも、彼女が逃げない様にぴったりと張り付いて歩くこととなった。それも昼下がりの大通りを。


 いつの世も、人は他人の色恋沙汰が好きなものだ。人の噂も七十五日というが、いつぞやの社交界からは未だ一か月ほどしかたっていない今日、子爵令嬢アイリーンと騎士団長オズウェルは、大変目立っていた。傍から見て大通りを仲良く歩いているかに見える二人の距離は、紛れなく恋人のそれだった。騎士が罪人を連行しているだけだと誰が想像するというのだろうか。そんなこととは露知らず、二人の親密そうな雰囲気をただ呆気にとられて眺めていた。


 しかも彼らの姿は人ごみに紛れることなく、通常よりかなり目立ち気味に往来を闊歩することとなった。それもそのはず、継ぎはぎだらけの一風変わったドレスの女性に、騎士団の制服を纏った男性。おまけに彼らは二人そろって背が高く、人柄が表れているかのように堂々としていた。そんな二人が、のんびりとした昼下がりの露店通りで目立たないわけがない。二人がアイリーンとオズウェルだと知らない人も、思わず彼らに道を譲ってしまう。彼らには、それだけの存在感があった。


「まだつかないのか」

 しかしさすがは騎士団長。先ほどからの周囲の奇妙な視線を敏感に感じ取り、些か居心地が悪くなってアイリーンにそう尋ねた。


「もうすぐよ。ったく、これだからせっかちな人は……」

 アイリーンの方は鈍感で、隣で急かす団長に向かってぶつぶつと独り言を言う。注目を浴びるのが当然だと思っているのかただの鈍感なのか、はたまたいつも周囲の呆れ切った視線に慣れてしまったのかは分からないが、とにかく彼女は我が道を進んでいた。


「ここよ」

 大通りを抜け、くねくねと入り組んだ路地裏を歩き回ること数分、二人はようやく目的地にたどり着いた。


「クリフ、いるといいんだけど」

「いなかったら牢屋へ出戻りだ」

「……うるさいわね」


 しかめっ面で咳払いをし、アイリーンはそっと傍らのベルを鳴らした。短く高い音が響く。とたとたと軽い足音が響くと同時に木製のドアが開けられた。。


「はいはい、どなたでしょう」

「こんにちは。いつも弟が世話になっております。ウィルドの姉のアイリーンと申します」


 軽やかにアイリーンが礼をする。彼女の後ろでも、そっと頭を下げる気配がした。


「まあまあ、ご丁寧にどうも。息子からウィルド君の話は聞いてますわ」

「クリフ君はいらっしゃいますか?」

「ええ、いますわ。少し待っていてくださいね」

「よろしくお願いします」


 パタンと扉が閉められる。何とかここまで上手くいったことにオズウェルは小さく息を吐いた。


「……それにしても、よく弟の友達の家なんて知っていたな」

「ああ、そのこと。あの子ね、遊びに夢中になっているとよく時間を忘れるのよ。でもあんまり遅くまで友達の家にいたら迷惑も掛かるし、時々交代でウィルドを迎えに行くの。……まさかこんなところでその手間が役立つなんてね」

「まだ役立つと決まったわけじゃないがな」

「うるさいわね。いつもいつも後ろ向きなことばっかり言わないでくれる?」


 しばらく待っていると、目の前の扉がそーっと開いた。中からちょこんとクリフが顔を出す。懐かしい顔に、アイリーンはにこりと笑みを浮かべた。


「久しぶりね、クリフ。最近遊びに来てくれないから寂しかったわ」

 いかにも友好的な挨拶。しかしクリフはビクッと肩を揺らすと、そっと視線を逸らした。


「す、すみません。近ごろ忙しいもので、お伺いする時間がなくてですね……」

「忙しいのならいいのよ。またいつでも遊びに来てね。みんな野イチゴ楽しみにしてるから」

「はっ、はい!! また次の機会にでも、喜んでお伺いします……が、あの、その……お姉さん。何かご用でしょうか」


 クリフは恐怖に顔を引き攣らせている。しかしアイリーンの方だって必死だ。これでお気に入りの場所とやらが分からなければ、自分は再び牢屋送りにされるかもしれないのだから。


 そうなると、彼女の顔が自然と強張るのも当然かもしれなかった。しかし目の前には、元からアイリーンに苦手意識を持つ少年。彼女が次第に怖い顔になっていく様は、彼を恐怖に陥らせるには十分だった。


「クリフ」

「ひっ」


 クリフは声にならない悲鳴を上げる。その様にオズウェルは、一体何をやらかしたんだとアイリーンに問いたくなった。彼のこの怯え様は尋常ではない。そういえば、先日も似たような状況に遭遇したばかりだと既視感を感じる。その時も、確か目の前のこの少年はやたらとアイリーンに怯えていた。本当に彼女は一体なにをやらかしたのだろうか。


「あのね、少し聞きたいことがあるんだけど――」

「はっ、はい!! 何なりとお申し付けくださいませ!」

「ウィルドがお気に入りの場所に行くって言って出かけたっきり、まだ戻って来ていないの。お気に入りの場所とやらがどこにあるのか、教えてくれる?」

「ももも、もちろんでございます!」


 ぎくしゃくとした動きでクリフは家の中から出てきた。オズウェルがいろいろと突っ込む間もなく、二人は両手両足が一緒に出ている少年、クリフの後ろについていくことになった。


 途中、沈黙に耐えきれなくなったクリフが天気やら学校やらの話題を提供するが、自分の行く先が心配なアイリーンと、周りの生温かい視線が気になるオズウェルがその話に乗ることは無かった。気まずい沈黙が三人の中を漂う。クリフは早速胃がキリキリ痛んできた。


(な……何か喋れよー!! 何で誰も喋んないんだよ、何で俺の話に乗ってくれないんだよ、何でみんなちょっと不機嫌そうなんだよ!!)


 怒りを心の中で爆発させるが、決してそれを外には出さない。いや、出せるわけがない。


(そもそもあの男は誰なんだ! 一言も喋らないくせに何で俺のすぐ後ろについて来てるんだよ! 警備団の制服着てるし、不機嫌そうだし威圧感すごいしもうついて来ないでいいよ!! 不機嫌なのはお姉さんだけでご馳走様です!)


 チラッと横を見る。――やはりムスッとした表情のアイリーンが目に入る。後ろは振り返れられない。何も悪いことなどしていないのに、怖い表情のこの人を目にすると更に萎縮してしまいそうな気がした。


(あ……はは。もういっそのこと秘密基地、ウィルドの家の隣に作ろうか)


 もはや彼の思考回路は停止寸前。秘密と名がつくのだから、秘密基地を人里離れた場所に作るのは当然のことだ。しかし彼はアイリーンを秘密基地へと案内するくらいなら、いっそのこと彼女の家の隣に作ってしまえと身も蓋もない考えを編み出してしまっていた。


(……あ、でもそれだと秘密基地に行くたびにお姉さんと顔を合わせることになるのか)


 ガクッとクリフは項垂れる。もうどうあっても彼女とは顔を合わせるしか手はないのか。もうこの緊張感は嫌だ。早く家に帰ってぬくぬく毛布にくるまれながらお菓子に齧りつきたい――。


 そうぼんやりと思った時、クリフの耳に、聞き覚えのある友人の声が入って来た。そうだ、呑気そうなあの声はウィルドに違いない。


 気づけば、秘密基地はもうすぐそこだった。クリフが心中でグチグチ呟いていた間に、いつの間にか林を抜けきれてたようだ。思わず心の中で万歳をした。


「あっ、あの、お姉さん! ウィルド、この向こうにいるみたいです。秘密基地ももうすぐだし……俺、役目終えたみたいだからもう行きますね!」

「一緒に行かないの?」

「す、すみません……。俺――僕、母から用事を申付けられておりまして……。申し訳ありません!!」


 言い終えたその顔はどこか爽やか。くるっと踵を返すと、何かに追われるかの様に彼は足早に去って行った。


「クリフもついて来てくれれば良かったのに。彼がいたら心強いもの」

「いや……止めてやれ。よっぽど母親が怖いんだろう」


 別れ際、彼はもはや涙目だった。その原因が自分やアイリーンの沈黙のせいだとは思いもよらず、オズウェルはうんうんと頷いた。


「でもこれでカインの居場所が分かったわね。良かったわ、疑いが晴れて」

「まだ完全に晴れたわけじゃないがな。殿下のご無事をこの目で確認するまでは――」

「うるさいわね。もう肉眼で元気な姿が見えるじゃない」


 掘立小屋のようなところでうろちょろしている小さな影二つに、アイリーンは大きく手を振った。大きく手を振った。


「ウィルドー! カインー!」

「敬称くらいつけたらどうだ」

「うるさいわね」


 茶々を入れてくる後ろに文句を垂れながら、アイリーンは二人に近づく。


「探したのよ。まさか秘密基地――」

「来るな!!」


 いきりたってカインが叫ぶ。彼の瞳はアイリーンの後ろ、オズウェルを睨んでいる……ように見える。


「嫌われてるわね」

「お前が嫌われてるんじゃないか?」

「失礼ね! 私に擦り付けないでくれる? 絶対嫌われてるのはあなたよ。ほら見て、あの今にも射殺しそうな目」


 これほど離れていれば、その視線はアイリーンとオズウェル、どちらに向いているのか分かったものではないが、それでもどこかアイリーンは自信ありげだ。オズウェルは小さく息を吐き出した。


「……護衛なんだからな。嫌われて当然だ」

「あらあら、負け犬の遠吠えかしら」


 アイリーンが偉そうに愛用の扇子を構える。


「私が行っても?」

「説得できるのか?」

「やってみないと分からないわ」

「よし、行け」

「何だか腹立つわね。犬じゃないんだから」


 しかし行かないわけにもいかない。何と言ったって、王子を無事にオズウェルに送り届けるまでは自分も家に帰れないのだから。


「師匠、どうしてここに?」

 掘立小屋に近づくと、ウィルドは不思議そうに首をかしげた。カインの方はというと、こちらを見ようともしなかった。


「それにあの人……」

「ちょっといろいろあってね」


 これまでの経緯を話すのが面倒で、アイリーンは慌てて言葉を濁した。誰に似たのか何にでも興味津々なウィルドのことだ、アイリーンが拘束されただとか取調室に入れられただとかを耳にしたら、喜んで話を聞きたがるに決まっている。


「そうだ、これ……どうしたの?」

 何か話題の転換を、とアイリーンが狙いを定めたのは秘密基地だった。


「俺たちが作ったんだよ」

「作ったって、一から全部?」

「もちろん」

「すごいじゃない!」

「だろ!?」


 ウィルドの瞳が得意げに輝く。それに釣られたのか、どことなくカインも嬉しそうだ。


「でも道具は? この板とかはどうしたの? 設計は誰が考えたの?」

「ちょ、ちょっと師匠、いきなりたくさん聞き過ぎだよ」


 困った様に手を振るが、しかしその顔はやはり得意げ。


「ふふん、道具は友達が持って来てくれたんだよ。家が大工さんだからトンカチとかのこぎりとかいろいろ持ってたんだ」

「でも怪我とかは大丈夫だったの? トンカチで指を打ったりとか」

「そんなヘマはしないよー」

「……一日目から指を叩いてたやつがよく言う」

「あっ、カイン! それは言わない約束だろー!?」

「悪いな、口が滑った」

「くっ……! あ、でも師匠!! カインだって足にトンカチ落としたんだぜ? 馬鹿だよなー、台に置いたはずが、手が滑って足に落としちゃったんだよ!」

「いや、だってあれはお前が急に台を動かして――」

「あーあー、何も聞こえなーい」

「餓鬼か!!」


 目の前で繰り広げられる子供らしい口喧嘩に、アイリーンの方はというと呆気にとられていた。どちらかというと子供っぽいのはウィルドだけなのだが、しかしカインの方だってそれに釣られているのは間違いない。


 あの時カインが王子、と言われても腑に落ちなかった。確かに初めて会った時はどこか大人びた雰囲気の子供だと思ったが、その印象は共に過ごすうちに消えていた。何より、子爵家で一番子供っぽいウィルドといるせいか、段々無邪気な笑顔を見せる様になってきて、普通の子供とそう変わらないように思えてきたのである。


「おーい!」

 遠くからの呼び声がアイリーンをハッとさせた。それは子供たちも同じだったようで、ウィルドはきょろきょろとオズウェルの方を向き、カインは再びそっぽを向いた。


「おい、俺の存在忘れてないか?」

「……忘れてないわ」

「説得はどうなってる」

「今からやろうと思ってたのよ」

「言い訳はいい」

「うるさいわね」


 コホン、と咳払いをしてカインと向き直る。説得と言っても、何をどう言えばいいのか全く分からない。城に帰ろうと言ってもそうほいほいと頷いてくれるだろうか、この頑固そうな王子が。


 うーん……としばらく考え込む。そんな彼女の耳に、再びオズウェルの呼び声が入ってきた。だが、今度は緊迫したそれだ。


「動くな!!」

 意味が分からなかった。


「はい? ちょっと、今度はいったい何なのよ――」

「何者だ!?」


 オズウェルの鋭い声に、今度こそアイリーンはきょろきょろと辺りを見渡した。しかしもう既に遅かった。


「うっせえなー。吠えることしかできねえのか、この国の騎士さんはよー」


 気づいた時には囲まれていた。遠く離れていたオズウェルにはなす術もなく黙って見ていることしかできなかった。

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