12:相見える
密室に異性と二人きり。
これでも貴族令嬢の端くれであるアイリーンは、それについては少し危機感を持たなければならなかった。たとえ相手が警備騎士団長であったとしても、あらぬ噂を立てられては敵わない。
しかし目の前に敵がいる状態では、冷静な頭になれるわけもなく、今に至るわけだが。
「話とは何でしょうか」
アイリーンは背筋を伸ばし、真っ向から勝負を挑む。
「あの子たちは君の家族なのか?」
「……はい?」
だが彼にはその気がないのか、思わず拍子抜けする質問だったので、彼女自身もポカンとする。しかしすぐに咳払いをし、誤魔化す。
「はい、そうですね。妹と弟です」
「全然似てないんだな」
「そうですね。私に似ず、やんちゃな子ばかりですわ」
「どの口が言う……」
「何か仰いました?」
にっこり笑って伺う。黙って首を振られた。何だかのらりくらりと躱されているような気になった。
「それとこれ、昨日忘れていっただろう」
オズウェルは机にぽんと何かを置いた。
「…………」
「……お前のじゃないのか?」
「……私のです」
渋々といった様子でそれだけ言うと、アイリーンは靴を手に取ろうとした。しかし寸前でひょいと退けられた。
「礼は?」
「は?」
「持ってきてやったんだから礼くらい言ってもいいんじゃないか?」
そうのたまうオズウェルの表情は何とも楽しそうで――。ぐぬぬ、とアイリーンが唇を噛むのも仕方がないだろう。
そっと彼女は見やる。彼の手にあるボロボロの靴を。それは、家庭教師の初任給で買った靴だった。別に高くとも何ともないが、何度も何度も修繕して履き続けたせいか、やはり思い入れがあった。いや、というかあの靴が無くなってしまえば新しいのを買わなければならないので、やはりそこは節約したい。それに随分履きつぶしたせいか、逆に履きやすく感じるあの靴。このまま諦めるのも何だか癪だし、かといってあの男に向かって礼の言葉を述べるのも腹が立つ。しかしこのまま諦めるのも――。
「あら? 私としては逆に感謝して欲しいくらいですけど」
気づくと、アイリーンはそう口にしていた。
「ステファンに聞きましたけどあなた、マリウスさんと噂になっているそうですね」
「なっ……!」
オズウェルは顔を硬直させて黙り込む。してやったり、とアイリーンは笑む。
「でも私のおかげで、あなたは女にも興味がある、と噂されるようになったんですよ? 全く感謝して欲しいわ。と言っても、私の方はあなたとなんて噂されたくないから迷惑としか思えないのだけれど」
「…………」
「あら? 負けを認めたんですか?」
「違う……。疲れただけだ」
目頭を押さえながらオズウェルは椅子に深く座り込む。
たぶん、目の前のこの女は相当な負けず嫌いだ。しかしどちらかが引かなければこの不毛な口喧嘩は永遠に止むことないだろう。そうなれば、自分が引くしかあるまい。
そうだ、自分が大人になるんだ。
そう言い聞かせ、オズウェルは必死に怒りを宥める。その様を見、アイリーンはため息をつく。
「と言っても、完全にその噂が消えたわけじゃないみたいですけど」
「……どういう意味だ」
「いえ、ここへ来る途中、やたら街の若い娘さんがこそこそ話していたな……と思って」
「…………」
「詳しく聞いたわけじゃないのだけど、三角関係って言葉が聞こえたわ。きっと彼女たちの頭には、私とマリウスさんがあなたを取り合ってる図が浮かんだんじゃないかしら」
「……何でこんなことに」
更にオズウェルは椅子に沈む。それを見、アイリーンは少しだけ彼のことが不憫になった。街を守るために男だらけの警備騎士団に所属し、そして団長にまで上り詰めたというのに、人々には噂をたてられ、街の娘たちにはあらぬ疑いをかけられ……。何とも哀れな身の上だ。
「おーい、話終わった?」
そんな時、扉が再びノックされ、マリウスが顔を出した。……噂の渦中の三人が揃ってしまった。
「何その嫌そうな顔?」
「いや……何でもない」
「何かさーあの子たちやたら元気だね。食欲もあるし。二人に出そうと思ってたお菓子も全部平らげちゃったよ」
「出されたものは全てお腹に収めよ、が子爵家の格言なので」
「……そうなんだ」
深く突っ込むことはせず、マリウスはただ黙って微笑んだ。
「エミリアとフィリップははどこにいるんですか?」
「ああ、庭にいるよ。珍しい蝶がいたって騒いでた」
その絵面は簡単に思い浮かぶ。ウィルドもいたら更に大はしゃぎしてそうだ。
「じゃ、これ」
さっさとお暇しようとしていたアイリーンの前に、オズウェルが片手を突きだした。その手には、アイリーンのボロボロの靴がある。
「……ありがとう」
「最初から素直にそう言えば良いものを」
「誰だってあんな風に言われたら言いたくなくなるに決まってるじゃない」
再び発火しそうな口論をマリウスが宥めながら、三人は庭へ出た。走り回っていたエミリアはすぐに彼女らに気付き、駆け寄ってきた。
「お話は終わったんですか?」
「ええ、とりあえず終わったわ」
まだ若干言い足りないような気もするが、今日の所は団長殿の哀れな噂に免じて引き上げるとしよう。
「エミリア、フィリップはどこに?」
「あっちで居眠りしてますわ」
「あらあら……気持ち良さそうね」
微笑みながらアイリーンたちは彼に近づく。
「でも困ったわ。やっと落ち着いて眠っているのに、起こすのは可哀想だし」
「かといって姉御が長時間背負うのも無理ですわ」
「本当困ったわ……。でもやっぱり起こすしかないわね。可哀想だけど」
「仕方ないですね。可哀想ですけど」
さめざめと言ってのける姉妹たち。彼女らの視線は、ちらちらとオズウェルの方を向いている。期待に満ちた輝きを隠す気もないようだ。彼はため息をついた。
「……俺が背負って行こう」
「まあ、本当ですか? 助かります」
「良かったですね、姉御!!」
「ええ、優しい方もいるのね」
何とも息の合った姉妹に、オズウェルはもはや文句を言う気力もない。
先ほどはオズウェルに対して敵意に満ちていたくせに、よくもまあこれだけ手のひら返しができるもんだ。彼らには矜持はないのだろうか。
先ほどまではアイリーンたちが本当に姉弟なのか疑っていたが、今やもうその気持ちは微塵もない。彼らほど、中身が似ている者たちはそういないだろう。




