117:相談相手は
感情の赴くままに子爵家を飛び出したステファンには、行く当てなど無かった。元より学校と屋敷との往復ばかりの毎日であるし、偶に寄るとしても買い物を目的とした大通り含む露店街の散策だけだ。
ふと、ステファンの頭に、友人のジェイやニールのことが浮かんだが、すぐにその案は掻き消えた。元来、彼は人に胸の内を打ち明けることが苦手だった。そもそも、今回のことは、ステファン自身の中でも未だに整理することができずにいた。自分はどうしたいのか、なぜ怒ったのか。
もちろん姉が一人で勝手に決めようとしていたことが腹立たしかったし、自分自身のことなんか二の次、という風に考えていることも頭に来た。
でも何より……そんな彼女の言い分に、自分は自信を持って言い返すことができなかった、そのことに苛立っていた。
確かに、珍しく自分の言い分は論理的ではなかった。しかしそれよりも……今まで子爵家を率いてきた姉こそが、当主になるに相応しい、と。どこか……そこに、自分の甘えのようなものがあって、そしてそれを姉に見透かされたようで、ステファンはひどく戸惑っていた。恥ずかしかった。子爵家が今のままでいられないこと、そんなことを恐れている自分が情けなかった。国立学校に行くために、自分が率先して家を出たくせに、矛盾しているにも程がある。
むしゃくしゃした気分のまま、ステファンは往来をドシドシと歩く。小柄ではあるが、気迫に満ちている彼の歩く様は、すれ違う人々に道を開けさせるには十分だった。
「ステファン」
そんな時、果敢にも彼に声をかける者があった。
「はい?」
声が低くなるのは仕方がない。機嫌が悪いのだから仕方がない。
そう開き直るほどには、ステファンは荒れていた。
振り返った先には、戸惑ったようなオズウェル。見た目よりもステファンの機嫌が悪そうなので、気後れしているようだ。とはいっても、幸か不幸か、オズウェルは近ごろステファンに八つ当たりを受けることが多かったので、耐性がついていた。これくらいで躊躇う彼ではない。
「何か文句でも?」
「…………」
文句、ときたか。ただ声をかけただけでは駄目なのだろうか。
「どうしたんだ?」
「どう、とは?」
「随分思い詰めているようだな。何か……悩み事でも?」
ステファンは押し黙る。その際に、ぐっと睨まれたので、余計なお節介だったかもしれないと、早々に後悔し始めた矢先。
「姉上が」
「…………」
また姉か、との言葉は、自身の胸のうちに秘めるだけにした。ステファンは何やら本気で悩んでいるようで、茶化すのも無粋だ。
「姉上が僕に、家を継げと言うんです」
「――良かったじゃないか」
少々オズウェルは脱力した。あまりにも深刻そうな顔をしていたので、どんな悩みを打ち明けられるかと思えば。
「…………」
話しが長くなりそうなので、二人は往来から外れ、裏道を歩くことにした。しばしの沈黙の後、ステファンが口を開く。
「……良くないです。僕に相談もせずにそんな大切なことを決めるだなんて、やっぱり姉上は僕のことを子ども扱いしている」
「それは……そうとも限らないだろう。もともとそんな性格じゃないんじゃないか? 俺だって人に相談するのは得意じゃない」
「それとこれとは話が別だと思います。だって、これは子爵家の将来に関わることですよ? 相談するのか得意、得意じゃないの問題ではありません」
ステファンはいきり立つ。
「家を誰が継ぐか、そのことを姉から相談されなかったから怒っているのか?」
「それだけじゃありません。……僕は、姉が家を継ぐべきだと思っているんです」
「なぜ? 一般に爵位は男児が継ぐのが普通だろう。そんなことをしたら――」
「……それは一般的な家の場合でしょう。僕たちの家とはわけが違う」
ステファンは言い切った。
リーヴィス子爵家は、当主たる父もいなければ、母もいない。本来父親が指揮を執り、母が守る役割を、アイリーンが全てになってきていた。時々はステファン自身も支援してきたとはいえ、彼女には到底及ばない。
子供だけでの生活は、数年に及んだ。その間、子爵家は姉を中心に成り立っていた。そのことに、女児であるとか男児であるとかは関係ないのである。
「それに……姉上が爵位を継げば、彼女についての噂もなくなるんじゃないかと思ったんです。随分改善されたとはいえ、まだこの国の女性の立場は低いです、特に未婚の女性は。女性たちは、結婚して社会的地位を確立してようやく、発言を認められる印象があります。姉上の場合……結婚には少々時間がかかりそうなので、代わりに爵位を、と。爵位を継げば、今まで軽んじられていた姉上の立場も確立しますし、結婚にも有利になるでしょう」
「は、はあ……」
何だか、ものすごく深く考えている。
口を挟む隙が無いので、オズウェルは黙ったままだ。
「僕は……姉上が嫁入りする姿なんて想像できないんです。あの性格ですから。でも逆に僕たちとしても、婿入りという形の方が安心できますから、爵位を継いでもらった方が全てうまくいきます」
「……でもその場合、爵位目当ての輩が結婚を申し込みに来るかもしれないぞ」
「それは……そうですけど」
ステファンは口ごもった。考えてない訳ではなかった。しかし、確かにそう言う考えもある。何だか喉が渇いて来て、ステファンはつばを飲み込んだ。
「僕もいろいろ考えたんですけど、まず姉上にお見合いをさせようと思うんです。もちろん、前もって僕が相手の素性、性格等を調べたうえで、ですけどね。姉上には見合いの間、少し大人しくするように言いくるめて……その場さえ凌げれば後は完璧です!」
瞳をキラキラさせて、ステファンは拳を作る。
「……そうだろうか」
つい、オズウェルの口からそんな言葉が漏れた。ステファンは怪訝そうな顔をする。
「むしろ、あいつの素を見たうえで態度を変えない……そんな男を見つけた方がいいんじゃないか?」
ステファンは固まった。その顔は、次第になぜだが赤くなっていく……と思ったら、そっぽを向いた。
「……分かってますよ、それくらい」
一気にステファンは不機嫌そうになる。分かっている、ただの言葉の綾じゃないか。
ステファンの方も、そう上手くいくとは思っていなかった。むしろ、先にアイリーンの方が根を上げて、やっぱり結婚止めるわと言い出すかもしれない。そうなった時のためにも、ステファンは当主という形で逃げ場を用意しておきたかった。いざ、独り身になる時でも、彼女が生きていけるように――。
でもそれは、単なるステファンのエゴなのかもしれない。
そもそも、彼女に当主になってほしいのは、自分よがりの希望だった。姉が当主になれば、今のままの子爵家で暮らすことができる。彼女がいつまでもあの屋敷にいてくれれば、子爵家は変わることは無い。そう、思ってのことだった。
「自由に、してやった方がいいんじゃないか?」
「――え?」
どこかで聞いたことのある言葉だった。思わずステファンはオズウェルを仰ぎ見る。
「当主や結婚なんかに縛り付けず、今まで通り自由に。その方が、あいつは幸せそうに見える」
「…………」
ステファンは黙りこくって下を向いた。想像もしていないことだった。
彼女が当主になることは、彼女を縛り付けることになるのだろうか。
この国は、弱者に厳しい。だからこそ、姉が不自由な思いをしないためにも、力を付けさせようとの考えだった。でもそれが、逆に姉を縛り付けようとするものだったら――。
「……もう少し、考えてみます」
それだけ言うと、ステファンは再び歩き出した。その後ろ姿は、先ほどよりも、ほんの少し力強く見えた。




