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愛と鞭  作者: まくろ
第十七話 一難去ってまた一労
115/120

115:賑やかな食卓

 ウィルドはふんふん鼻歌を歌いながら屋敷の扉を開けた。今までの胸のつかえが全てとれ、気分が良かった。


 もう兄には、家族には会えないと思っていた。帰ろうと思えば、帰ることもできる。が、何を話せばいい。ずっと、ウィルドの胸にはつかえがあった。父に売られたことはもちろん、帰ったらすぐにまた売られるのではないか、自分が逃げ出したせいで、家族はひどい目にあっているんじゃないかと、考えれば考えるほど怖くなっていった。自分だけ子爵家で楽しい思いをしていて、家族は、みんな必死に畑を耕している。


 村での生活は、楽なものではなかった。朝から晩まで畑を耕し、月に一度、作物を街へ売りに出る。そんな生活が、当たり前だった。学校に通って勉強したり、街へやって来た大道芸を見学したり。村にいた時は、そんなことをする時間も余裕もなかった。そのことが、ひどく後ろめたく思えた。


 ……でも、そうじゃなかった。皆、そんな風には思ってなかった。


 それどころか、子爵家の存在も認めてくれた。ひょっとしたら、すぐにでも家に帰って来いと言われるかもと思っていたが、兄は物わかりが良かった。あの頃の様に、優しげな笑みで、頷いてくれた。自分が騎士になることも、応援してくれた。


「ただいまー!」

 いつもよりも彼の声は明るかった。いつの日か、兄や母を、この家に連れてくることができたら、いや、連れて行きたいと、ウィルドは心の底から思っていた。


「お帰りー」

 そうにこやかに出迎えてくれたのはフィリップだった。思わず満面の笑みで彼の頭を撫でる。


「どうしたの、ウィルド。何か変よ」

 鍋敷きを持って現れるのはエミリア。眉間に皺が寄っている。


「失礼なことを言うなよ。俺だって偶には機嫌がいい時があるんだ」

「ウィルドはいつも機嫌いいじゃない。さ、フィリップ行きましょう。もうご飯できたからね」

「うん」


 仲良く手を繋いで二人は居間へ入っていく。その様が、何だか懐かしい。


「俺も食べるからおいてくなよ! もちろんたくさん用意してるよね!」

「さあ、どうでしょうねー」


 間延びした返事をしながら、エミリアは居間へ消えていった。


*****


 唸り声のような音を立てるお腹を押さえながら、アイリーンはようやく屋敷に辿り着いた。どんどん早足になるのを抑えきれず、道中足の遅いステファンは置いて行った。どれだけ待ちきれないんですか……と呆れた様に弟に言われたが、構いやしない。ウィルドではないが、早く家に帰って、エミリアのおいしいご飯が食べたい。その一心だった。


 ……しかし、彼女を迎え入れてくれた妹は、どうも顔色が悪い。アイリーンは嫌な予感がした。


「どうか、したの?」

「ええ……はい」


 目を逸らし、言葉を濁す妹に、アイリーンは更に不信感を募らせる。


「……ウィルドは?」

 きょろきょろと辺りを見回してみる。フィリップはソファでお昼寝をしているようだが、ウィルドの姿は見えなかった。


「もうとっくに帰っていると思ったんだけれど。まだなの?」

「いえ……家にいます。自室に」

「……そうなの?」


 ウィルドにしては少々珍しい。自室で静かに過ごすよりも、居間で誰彼かまわずちょっかいを掛ける方が性に合っているようだったから、なおのことだ。


「お腹空いたわ。お昼ご飯を頂いてもいいかしら?」

「……それが」


 エミリアが言い難そうに口を開く。


「ウィルドが、食べてしまったんです」

 キッチンへ向かおうとしていたアイリーンの動きが、止まる。


「……全部?」

「はい」


 彼女は即答する。アイリーンは苦しそうに唸り声を上げた。


「一体どうして……。あの子、何か私に恨みでもあるのかしら」

「恨みはないけど食欲はあったみたいです」

「誰が上手いことを言えと……」


 もはや呆れてものも言えない、ウィルドの食欲には。


「だから今、あの子自室に隠れてるのね。私に怒られないよう、ほとぼりが冷めるよう」

「ウィルド、用意していたお昼御飯だけじゃ足りなかったみたいです。わたしがちょっと目を離した隙に、姉御達用にって隠しておいたものまで食べてしまって……。恐るべし、ウィルドの嗅覚ですわ」

「本当に末恐ろしいわよ……。あの子の食欲は本当に底というものを知らないのね」


 成長期だから仕方がない、といえば仕方がないのだろうか。

 無理矢理そう思うことにして、アイリーンは首を振って頭を切り替えた。


「そうだ、すっかり忘れていたわ。夕食の時に一人増える……のだけど、大丈夫かしら?」

「それは構いませんけど。でも一体どなたが?」

「……叔父様」


 それだけ言うと、アイリーンはさっさと椅子に腰かける。姉の表情がよく見えなかったので、エミリアは戸惑いを浮かべる。


「仲直り……したんですか?」

 ひどく遠慮がちだった。それはそうだろう。あれほど静かに怒りを堪えている姉は、初めて見たのだから。


「別にもともと喧嘩しているつもりはなかったわ」

 素っ気なくそう答える姉に、怒りの感情は見られない。そもそも、怒っていたら夕食の席に呼ばないだろう。てっきり、エミリアはアイリーンがラッセルを招待したのかと思っていた。


「……良かったですね。仲直りができて」

 自然とエミリアも笑顔になる。アイリーンは苦虫を噛み潰したような顔になった。


「だから喧嘩していないって……」

「いつごろいらっしゃるんでしょう?」

「仕事が終わったらすぐ来るって言ってたわ。先に食べていてもいいって」

「でも……折角ですから、一緒に食べたいです」

「……そうね」


 俯く姉の顔は、どこか物憂げだった。それはそうだろう。いくら仲直りをしたとはいえ、昨日今日でそんなに容易に頭を切り替えることなんてできない。数年も空白の時があったのならば、それこそどう接しようか迷うものだ。


 エミリアは良いことを思いついたとばかり、にんまり笑った。


「姉御も……手伝いますか。夕食の準備」

「ど、どうしてよ! 私が手伝ったら作業が遅れるっていつもいうの、エミリアの方じゃない!」

「こういう時くらいは、いいかなって思いまして。それに、姉御だって練習しないと料理上手くなりませんものね」


 ふふふと不気味に笑うエミリア。


 こういう時だけ口上手なんだから……。

 アイリーンは潔く諦め、遠い目をした。


*****


「…………」

 暗い部屋で一人。ウィルドはむっつりとしたまま、お腹を押さえる。


 日もすっかり沈んだ。自身の腹の音も、本人がうるさく感じるほど鳴っている。もう限界だった。そろり、そろりとウィルドは足音を忍ばせながら階段を下りた。


 居間はやけに騒がしかった。もちろん、自分の顔を見れば姉と兄が怒るだろうことは分かっている。だが、やけに騒がしい。いつもの子爵家ではないようで、非常に気になった。ウィルドに我慢というものは無い。ついには堪え切れなくなって、こそり、と居間のドアを開けた。


「おじ様、念願の就職が適って良かったですね!」

「おめでとう……!」

「……あ、ありがとう。本当に、そう言ってもらえるとすごく嬉しい」

「おじ様のために心を込めて料理を作ったんです。姉御もちゃんと手伝ったんですよ」

「といっても、私がしたのは盛り付けくらい――」

「まあまあとにかく早く食べましょう。もうお腹べこべこです」


 ステファンの声に、各々流れるように席に着いた。ラッセルはしばし戸惑っていたようだが、ステファンがすぐにウィルドの席を引いたので、有り難くそこに腰を下ろした。ウィルドは堪らなくなって居間に飛び込んだ。


「ちょっ、俺の席! 俺のご飯!」

「あ……すまないね、すぐに退くから――

「退かなくて大丈夫です。もちろん心当たりあるわよね、ウィルド?」


 それはもう、爽やかなほどの笑み。

 ウィルドは冷や汗を流しながら、料理へと伸ばしていた手をひっこめた。もはや座るところがないので、床に正座する。


「すまないね……僕が来てしまったから」

「いえ、叔父上が気にすることではありません。このままでいきましょう。僕らが食べ終わった後、ウィルドが食べればいいんですから。といっても、その頃までに食事が残っているかどうか……ですけど」

「全部食べたら恨むから、俺の分残さないと呪うからー!」


 ウィルドの恨めしげな視線を背中にひしひしと感じながら、皆は食事を開始した。テーブルには所狭しと料理が広がっている。エミリアの力作だった。もちろんアイリーンの好物……とされているシチューもある。ほくほくと湯気を上らせるその鍋は、ステファンによって素知らぬ顔でアイリーンと叔父の方へと追いやられていた。エミリアがにこにこと姉を見上げるので、アイリーンも顔を引き攣らせて先にそれを頂いた。


「どうですか?」

「ええ……いつも以上においしいわ」

「良かったです。今度一緒に作りましょうね」

「ええ……よろしくお願いするわ」

「でも……もごっ」


 アイリーンの注意がシチューに追いやられている間に、比較的安全なフィリップとエミリアの間から料理をつまみ食いしているウィルド。口にいっぱい詰め込んでいる癖に、なおも話そうとするので、料理が口から零れそうだった。


「ああ、もう行儀が悪いわね……。今回だけよ? いつもならこんなはしたないこと、許さないんですからね――」

「仕方ないよ……お腹空いてるんだから。皆が食べてる間、俺だけ床でお預けなんてひどいよ」


 すっかり開き直って、ウィルドは両手いっぱい料理を抱え込みながら床に座った。


「でも、良かったね。二人……仲直りしたんでしょ? ここで一緒に夕食食べてるってことは」

「…………」


 何となく、アイリーンとラッセルは顔を見合わせた。先に目を逸らしたのはアイリーンの方だった。


「まだ私は怒っているんですけれどね。この人、いつもはぐらかすばかりで、大切なことは何も教えてくれないんだもの」

「それは……すまないと思ってる」

「ほら、また謝って! そんな風に謝られると、私だってどんな風に言えばいいか――」

「姉上だっていつまでも怒ってるからこんな風になるんですよ! いい加減いつまでも拗ねるのは止めたらどうですか」

「すっ……拗ねっ……!?」


 あんまりな言い様にアイリーンが絶句していると、ステファンの顔は、今度はウィルドの方に向く。


「そういえば、残るはウィルドだけだね。エミリアも何とか落ち着いたし、叔父上の件も上手くいった。後は届け出を出していないウィルドだけど……」

「あ、それについては」


 ウィルドが肩手を上げた。口にはもごもごと大量の食べ物が詰められているままだ。


「もう大丈夫だよ。俺が解決した」

「解決? どうやって」

「俺の兄ちゃんがこの街に来てたんだよ。騎士団の通報を受けて、俺の様子を見に来たみたい」

「兄……!?」


 ステファンは驚愕の声を上げた。他の皆もそうだ。


「うん、俺んち、兄ちゃんが三人いるんだ」

「そうなんだ……。でもまあ、ウィルドに弟がいるところは想像できないから、想定内ではあるんだけど」

「……何それ、貶してるの?」

「さあ、どうかな」


 普段やり込められてばかりのステファン。ここぞというばかりに素知らぬ顔になった。


「でもウィルド、どうしてお兄様がこの街に来てること、早く言ってくれなかったのよ。挨拶もしたいし、それに――」

「兄ちゃん、もう街を出たから無理だよ」

「へ?」

「また今度会いに来るって言ってた」

「そ、そう……」


 出鼻を挫かれた形でアイリーンはへなへなと椅子に座った。少しくらい、相談してほしいと言うのがアイリーンの純粋な心境だった。せめて、挨拶くらいはしたかった。向こうも心配だろう。長い間、弟がどこの馬の骨とも分からない女性と共に暮らしていたというのだから。その辺りの弁解もしたかったのに。


 しかしウィルドとしても、珍しく彼なりに気を使ってのことだった。牢での生活に、クラーク邸宅での乱闘、孤児院への出撃、そして叔父との和解……。この数日間、子爵家はてんてこ舞いだった。それに加えて、自分の家族との対面もしなければならないことになったら、きっと皆卒倒してしまう。


 師匠も疲れてるみたいだし。そういう挨拶は、また今度でいいでしょ。

 本当に珍しく、ウィルドが気を利かせてのことだった。続けてウィルドは黙って一人頷く。


 それに、今回ばかりは俺も結構疲れたしな! 二人の仲介なんて、面倒くさくってしばらくやりたくないし!

 ……正直なところ、ウィルドとしてはこちらの方が本音なのかもしれなかったが。


「何か……言ってた? その、どうしてそんな所で暮らしてるんだ、とか。そんな訳の分からない所で暮らすんじゃない、とか」

 実質、現在ウィルドは子爵家では暮らしていないのだが、向こうからして見れば、未だにこうして繋がりがあることを快く思っていないかもしれない。それだけが気がかりだった。


「大丈夫だって。俺の兄ちゃん、結構物わかりいいんだ。時々俺にご飯分けてくれたりして、優しいし」

 それとこれとは話が別では……とは思ったものの、アイリーン達はもう何も言わなかった。ウィルドの照れた顔など、そうそう見る機会など無い。


「ていうか、俺のことはもういいよ。折角フィリップの件もエミリアの件もおじさんの件もうまくいったんだし、全て忘れて今日は楽しもうよ」

 ウィルドはゆっくり皆の顔を見渡して言う。何だかアイリーンは拍子抜けした気分だった。


「……ウィルドにそう言われるなんてね……」

 やれやれと首を振る。


「でも……そうね、そうよね」

 ふっと笑うと、アイリーンは料理に向き直る。折角のエミリアの力作ではあるが、話に夢中でまだ全然食べていなかった。


「あっ、おじ様、お料理の味、どうですか? お口に合いますか?」

「ええっ」


 唐突に矛先が自分に向いたので、ラッセルは動揺した。


「う、うん……そりゃあもちろん美味しい」

 皆に見つめられ、何だか照れくさかった。


「最近仕事が忙しくってね、ご飯を食べる暇もないんだ。この前なんか、旅をしていた頃を思い出して、思わずその辺にあった雑草を口にしちゃって――」

「そんなものと比べられては、わたしの料理の品が落ちます」


 先ほどまで微笑ましく見守っていたのに、唐突なこの手のひら返し。ラッセルはしゅんとなった。しかしすぐに慌てて首を振る。いやいや、確かに僕の言い方も悪かった。僕が言いたいのは、こんなことではない――。


「また……こんな日が来るなんて、思ってもみなかったんだ。こんなに賑やかな食卓で……。みんな、僕の娘息子みたいなものだし――」

「調子に乗らないでください。誰があなたの娘ですか」

「父……はちょっと。叔父のままでいいんじゃないですか」

「俺もおじさんのことは父ちゃんに思えないなー。だって何だか頼りないし」

「そうね。せいぜい親戚のおじ様……くらいでしょうか」

「……僕もそう思う」

「何て連携の取れた一家なんだ……」


 呆れたようにラッセルは呟いた。その様に、ある者は肩をすくめ、ある者は吹き出し、ある者は微笑を浮かべ。


 賑やかなその日の夕食は、あっという間に終わった。

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