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愛と鞭  作者: まくろ
第十七話 一難去ってまた一労
109/120

109:緊急招集

 コトリと目の前にティーカップが置かれた。近くにはお菓子もある。朝餉を食べていないからって、それにすぐ手を伸ばすアイリーンではない。どこかの野生児とは違って、その辺りの常識は弁えているのである。


 しかしこのティーカップ、気を使われたのか、それとも侮るべからずとでも言いたいのか、一見して上等と分かるものだった。紅茶自体も、食欲を誘う香りと深みのある色だ。


 アイリーンは申し訳程度にそれに口をつけると、愛想笑いを浮かべた。……例によって、子爵家特有の紅茶――味が薄くなりすぎたただの白湯――に慣れきっていたので、あまり美味には感じられなかった。が、それをこの院長に悟られるわけにはいかない。何せ、彼女は権力を見せつけることによってこちらを圧倒しようという考えのようだから。彼女の身には、相変わらず指輪やらネックレスやら、いくつもの装身具が光り輝いていた。


「――で、今回のことですが」

 口火を切るのはアイリーンだ。一気に捲し立て、早いうちに決着をつけようという考えだった。


「――院長先生、先日王立騎士団の方がこちらにいらっしゃった時、私のことを知らないと仰ったそうですね。そのせいで、私はエミリアを誘拐したということになりました。……どうして私のことを知らないと?」

 そっと院長の様子を窺う。彼女の表情に変化がみられないので、アイリーンは流れるように続けた。


「私は数年前、叔父に連れられてここへやってきました。そのことは院長先生も覚えてらっしゃいますよね? エミリアを引き取る際、挨拶こそしませんでしたが、私たち、何か通じるものがありましたものね」

 ふふふ、と不気味な笑い声を上げる。何だか楽しくなってきた。隣のエミリアは若干呆れ気味だ。


「私には分からないことが二つあります。まず一つは、二度も面識があるにもかかわらず、どうして私のことを知らない、とおっしゃったのか。もう一つは、どうしてエミリアの逃走は責めて、私とステファンの逃走は責めなかったのか」

 一つ、息をつく。院長は未だ肯定も否定もしない。


「以上のことについて、何か仰りたいことは?」

 アイリーンは悠然と彼女を見据える。


 しらを切るのか、はたまた開き直るのか。

 どちらに転んでも、徹底的に抗戦するつもりだった、しかし。


「少し、失礼させてもらいますわ。少し体調が優れなくて」

 院長は言葉少なに立ち上がった。アイリーンは一瞬呆気にとられた。どこの誰が、ここで退出すると言うのか。


「まだ話は終わって――」

「姉御」


 くい、と袖を引っ張られた。見ると、エミリアが首を小さく横に振っていた。


「いいんです、これで」

「な……」


 その隙に、院長はそそくさと出て行った。拍子抜けして、アイリーンはソファに倒れこんだ。


「姉御、お疲れ様です。さすがでしたわ、本当に口を挟む暇もないくらいの弁舌でした」

「それはどうもありがとう。でもどういうこと? あの人に時間を与えないことが作戦のはずじゃなくって?」

「院長先生は、よくああやって他の職員たちをに招集をかけるんです。自分一人では何も決められないから。わたしは院長先生に緊急招集をして欲しかったんです。他の職員をみんな集める、この時間が欲しかったんです」

「よく……知っていたわね、そんなこと」

「でもそうは言っても、招集するのは古参の職員たちだけですけどね。この時間だけが唯一ゆっくりできる時間だって、若い職員の方が言っていました」

「なるほどね。その人たちがエミリアの味方の職員の人たちなのね?」

「味方は大袈裟ですわ。まさにわたしが懐柔したんです、料理を作って」


 エミリアが照れたように言った。


「ここの方たち、甘いものを食べたいとか、美味しいものを食べたいとかよく愚痴を言っていたんです。ですから、わたしが食事の雑用係の時に、少しだけ作らせてもらったんです。それが好評だったみたいで」

「はあ……さすがはエミリアね」


 そうとしか言いようがない。一分の隙も見逃さない少女エミリア。つくづく彼女のことは敵に回したくないと思うアイリーンだった。


「でもあの人が緊急招集をして、私たちにはどんな利点があるの?」

「この時間がわたしたちにとっての好機になるんです」


 その表情はどこか確信を得ているようで。

 アイリーンもしばらくはきょとんとしていたが、彼女のそんな表情を見て、すぐにハッとした。


「分かったわ! この隙に、何か院長先生の弱みでも握るのね? 院長先生の部屋を漁ったり――」

「違います」

「…………」


 冷静な瞳で足蹴にされた。


「多分この部屋、鍵がかけられていますから」

「か……鍵?」


 どうして私達にそんなこと、と訝しげにアイリーンは部屋の扉に向かった。ドアノブに手をかけて、動きが止まる。――確かに、鍵がかかっていた。


「あの院長先生に、抜け目はありませんよ」

「でも……だからってどうして鍵なんか。私達を閉じ込めてどんな利点が……」

「部外者に孤児院の中をうろうろされたくないんでしょう。ここはいつもそうですよ。国からの視察が来た時を除いて、子供たちは職員に虐げられる。ここはそんな所です」

「エミリア……あなた」


 アイリーンは茫然としたように呟いた。何か言おうと口を開くが、エミリアが首を振ってそれを制止した。


「……もう少し待っていてください。好機は必ずやってきますから」


*****


「~~っ!」

 ギリッと唇を噛みしめながら、院長は厳しい顔で廊下を歩いていた。同じく前から歩いていた若い職員たちは、思わずぎょっとして彼女に道を開けた。


「ちょっと! あなたたち!」

「は、はい!」


 アリッサとべリンダは、その金切り声に瞬時に背筋を伸ばした。


「一体何用で……?」

「すぐに他の職員を呼びなさい、緊急招集よ!」

「は、はあ……」

「分かったらすぐに行きなさい!」

「はいっ!」


 慌てて身を翻し、二人はそれぞれ走っていく。この時間、職員たちは皆バラバラの所で思い思いに過ごしている。そんな彼女たちを見つけるだけでも一苦労だと言うのに、緊急招集?


 職員たちの間で、緊急招集はひどく評判が悪かった。何しろ、普段は温厚な院長が、この時ばかりは顔を真っ赤にしてキンキン金切り声をあげるのだから無理もない。彼女は自分一人では決めることはできず、かと言って他人の意見に難色ばかり示すので、職員たちに嫌がられてもいた。


「あ、あの……院長先生」

 いきり立つ院長に次に声をかけたのは、若い職員の一人、キャロルだ。眉を下げ、びくびくと院長の前に立つ。


「新しく子供が来たんですけど……どうしましょう」

「子供?」


 院長が眉を吊り上げる。


「はい……。新しくこの孤児院に入ることになったって言ってますけど」

「…………」


 熟考するように院長が立ち止まった後。


「そんなの聞いてないわよ! 誰よ、連絡を怠ったのは!」

 真っ赤になって怒鳴り始めた。ますますキャロルはビクつく。訳も分からないままに、取りあえず頭を下げた。


「す、すみません」

「いいわ、取りあえず私の私室にぶち込んでおいて。いい? 絶対に外に逃がすんじゃないわよ。あの小娘みたいに、この孤児院を嗅ぎ回らせるわけにはいかないんだから!」

「は、はい……」


 バタン、と大きな音を立てて扉は閉まった。キャロルは大きく息を吐き出し、溜息をついた。院長の癇癪は今に始まったことではないが、何度経験しても慣れるものではない。


「おー、こわ」

 遠くで様子を見ていたアリッサ、べリンダが近寄ってきた。キャロルも思わず安堵の笑みを浮かべる。


「ようやく招集がかかったわね。この時が私達の心安らぐ時間だわ」

「本当にねえ。それに今日はあの人、いつにも増して怒ってるね」

「本当本当。私達にまで当たり散らさないでほしいわ」


 ぶらぶらと歩きながら若い職員たちは一列になる。孤児院の子供たちはそれぞれ昼の仕事を行っており、彼女たちは手持無沙汰だった。そんな時に緊急招集が行われたこの時は、数少ない安寧の時でもあった。


「……エミリアちゃん、来てるんだって?」

 誰とはなしに、ぽつりと呟いた。各々ゆっくりと頷く。


「聞いた。はあ……あの子のせいで私達も随分な目に遭ったわよ

ねえ」

「本当だよ。減給されるし、他の人たちには冷たい目で見られるし。堪ったもんじゃない」

「……でも、あの子の作るお菓子、美味しかったわよね」


 一時、静かになる。再び、誰かがゆっくりと頷いた。


「……まあね。あの子、料理もおいしかったし」

「結構、気の利いたことも言えるよね」

「――この孤児院で腐らせるには、ちょっと勿体ないかなあ」


 間延びした口調だ。ぼんやりと皆が視線を上にあげた。薄汚く、所々蜘蛛が張っている天井が目に入った。


「ま、どちらにせよ、あの蛇みたいな院長に捕まったら、もう二度とここから出られないわよ」

「ちょっとアリッサ……っ、止めてよ、蛇って……!」

「お腹痛い……! 院長先生に聞かれたらどうするのよ、減給どころじゃないわよ?」

「いいじゃない、どうせ今皆引き払ってるんだし。誰も聞きやしないわよ」

「……それもそうね」


 一瞬の沈黙の後、カラカラと笑い声がはじけた。それはそれは楽しそうな笑い声だった。

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