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愛と鞭  作者: まくろ
第十六話 団結は源なり
104/120

104:乱闘

 両者一歩も譲らず、ただ相手を鋭く睨み付けるだけだった。どちらが動くか、とアイリーンが逡巡していると、騎士たちの方が一斉に動き出した。彼らの動きは素早かった。途端に子供たちに飛びかかると、腕をひねり上げ――。


「ああっ!」

 しかし弱弱しい声を上げたのは、騎士の方だった。ウィルドを抑えようと躍起になっていた騎士だ。手を抑えている。


「こいつ……俺の手を噛みやがった!」

「まだ俺は修行中の身だからね、正攻法じゃ勝てないんだ!」

「得意げに言うな!」


 真っ赤になって騎士が叫んだ。ウィルドは更に嬉しそうに笑うと、今度はエミリアの方を向いた。隙があれば、彼女の方の騎士にも噛み付くつもりだった。しかし。


「触らないで……汚らわしい」

「うっ……」


 エミリアは容赦なく言い切った。騎士は怯む。子供とはいえ、まるで汚物を見るかのようなこの少女の目つきは、何か心にくるものがあった。精神的に打撃を受けた騎士は、思わずよろよろと後ずさる。

 そんな無様な騎士たちの姿を見て、激高するのはウォーレンだ。


「子供相手に手間取るな、さっさとやれ! 一人一人確実に捕まえろ。こうなったら一度、全員に牢での生活を味あわせてやる」

 この言葉に、騎士たちは少しは頭を使う様になったのか、標的をフィリップ一人に絞ることにするようだ。じりじりと距離を詰めると、一気にフィリップに飛びかかった。四人がかりで腕を、足を掴まれたフィリップの顔は痛みに歪む。しかしそれに対抗しない子爵家ではない!


「いたっ……痛いから! 扇子はそんな風に使うものじゃないから!」

「ああっ、手を噛むな手を! しかもさっきと同じところ!」

「俺を……俺をそんな目で見るなあ! 俺は汚物ではない!」


 大乱闘はなかなか拮抗しているかに見えた。しかしそれでもただの一般市民である子爵家は、一人の騎士に、一人しか対抗することができない。気が付いた時には、もうフィリップはこの乱闘を抜けていた。……一人の騎士に、拘束されたまま。


「フィリップ!」

 思わすアイリーンは叫ぶ。後ろで騎士が彼女を羽交い絞めにしようと躍起になっていたが、構いはしない。


「こんなことをして、ただでは済まさないわよ! どこに行ってもフィリップを追っていくんだから!」

「そうだそうだ! それにこっちには人質もいるんだぜ……? 早くフィリップを離さないと、この人の手が大変なことに――」

「うっ……うわあああ! たっ、隊長、助けてください! 俺の右手が食いちぎられる!」

「誰もそこまでしないよ……」


 叫びという叫びが、部屋中に響き渡った。しかしそれもまもなく収束を迎える。何と言ったって、もうフィリップ殿下はこちらの手にあるのだから。


 ウォーレンはほくそ笑んだ。突然の乱入者に、唐突の乱闘騒ぎ。今回は予想外の出来事が多かったが、それももう終わりだ。面倒だから、子爵家は見逃してやろう。私達は、フィリップ殿下さえ手に入ればいいのだから。


 くっ、と最後に再び笑みを浮かべると、ウォーレンは背を向けた。もう彼らに用はなかった。もう彼らのことなどどうでも良かった。しかしここでまた一つ、ウォーレンの予想外のことが起きる。


「――静まれ!」

 突然響き渡る怒声。縺れ合っていた子爵家と騎士たち、そしてウォーレンの動きでさえ止まった。


「……その手を、離してもらおうか」

「――は?」


 声の主は、クラーク公爵だった。彼の目は、真っ直ぐ――フィリップを拘束している騎士に向いていた。始めは困惑していた彼だが、やがて居たたまれなくなって、そっと手を離した。

 彼は今まで、この光景を、いや、フィリップ殿下を連れていくことすら静観していたはず。それがなぜ、今になって――。


「どういうことです、クラーク公爵」

 ウォーレンが進み出た。しかしなおもクラーク公爵は毅然としていた。


「それはこちらの台詞だ。その子はクラーク家の跡取り息子だ。何をもってして、連れて行こうとしているのか」

「……は?」


 ウォーレンは固まった。思う様に言葉が出てこなかったが、無理矢理口を開く。


「……ご冗談を。彼をお連れすること、推奨なさったのは貴殿からではありませんか」

「そうだっただろうか」

「――っ」


 ウォーレンは顔色を変えた。こうなることは、さすがの彼も微塵も予想していなかった。


「私は覚えていない。私もそろそろ歳だからな」

「ご……ご冗談を」


 再び同じ文句だ。頭が働いていない証拠だった。


「それはこちらの台詞だ」

 こちらも同じ文句。しかしウォーレンと違って、口元には余裕の笑みを浮かべている。


「何を証拠に、その子が国王の子であるとほざいているんだ? 場合によっては、国王に対する侮辱罪にも値する」

「…………」


 まさに、ウォーレンにしてみれば、開いた口が塞がらないという状況だっただろう。しかも彼にとって悪いことに、この状況は全く好転する気配を見せなかった。


「それでもなお、フィリップ様を無理にお連れしようというのなら、こちらにも考えがあります」

 ずいっと歩みを詰めるのは執事だった。いつの間に、彼はこの部屋に入って来たのだろうか。


「……そうよ、私達も相手になるわ」

 状況は何が何だか分からないが、好機と見たのか、アイリーンたちもずずいっと近寄る。八方塞がりだった。


 戦力は圧倒的にこちらの方が有利だろうが、しかしなんだこの威圧感は。

 ウォーレンはギリッと唇を噛みしめると、必死に言葉を紡ぎ出した。


「……また出直そう」

 もうそれしか言えなかった。怨念のこもった瞳でアイリーンたちを一瞥すると、ドシドシと部屋から出て行った。その後に続き、慌てた様に騎士たちも出て行く。解放されたフィリップは、へなへなとその場にしゃがみこんだ。慌ててアイリーンが駆け寄る。


「大丈夫?」

「うん……」


 そう答えるフィリップはどこか上の空のようだ。しばしの沈黙の後。


「――ありがとうございます」

 クラーク公爵に向かって頭を下げていた。


「ありがとう、ございます」

 もう一度繰り返す。皆が皆、我に返った。

 この場で一番心変わりしないかに見えた彼が、突然手のひらを返した。その心境は、いかに。


「もう行け」

 クラーク公爵はこちらに背を向けた。


「クラーク家には今跡取りがいない。お前のことは利用するだけ利用してやる」

 彼の表情は読めない。相変わらずの低い声だ。感情の機微さえ感じ取ることができない。


「お前はクラーク家の跡取りであって、決して私の息子などではない」

「――それでも。ありがとうございます」


 もう一度フィリップは深々と頭を下げる。釣られて、アイリーンも礼をした。ウィルドもエミリアも、静かに頭を下げた。


「……お前はお前の家族とやらと一緒に暮らすがいい。時が来たら呼び戻す。この家には跡取りが必要だ」

「はい」

「分かったらもう行け」

「――はい」


 フィリップは俯く。

 もうどうあっても、彼は振り返らない気がした。アイリーンはそっとフィリップの背を押した。彼は小さく頷いた。

 そして子爵家が静かに出て行った後の部屋。そこには、クラーク公爵と執事だけが取り残されていた。


「……今日は疲れた。もう休む」

 クラーク公爵はそれだけ言うと、重苦しそうに首を振った。


「今日は大変な一日でしたね」

「ああ……屋敷中が騒がしかった」

「弟を取り返そうと、あの子爵家の子供たちが奮闘していたそうですから」

「家族……とやらか」

「はい、そのようです」


 クラーク公爵ものろのろとした足取りで部屋を出た。執事はにこにことその後を追う。


「……いつまでついてくるつもりだ。私はもう休むと言っただろう」

「はい。ですが一つだけ、よろしいでしょうか」

「何だ」

「彼女――エミリア様から窺ったのですが、フィリップ様、香辛料がお好きなようです」

「は……?」


 私室のドアに手をかけた当主の手が止まる。執事は一層笑みを深くした。


「どなたかのことをよく見ていらっしゃったせいかもしれませんが、フィリップ様は昔から香辛料には目が無いですよね。しかし、私は身体に悪いからとお止めしていました。料理にやたらに香辛料をおかけするのを」

「…………」

「その反動でしょうか。あの子爵家では、辛い物が大好物になられたようで。いやはや、本当にどなかに似ていらっしゃったのか――」

「話はそれだけか」


 短く言う。執事はにこやかに頷いた。


「はい、それだけです。長年の私の苦労が水の泡になってしまったと、ただそれだけです」

「……お前は昔から口うるさいな。香辛料は身体に悪くはないぞ」

「しかし人から聞いた話では、香辛料をたくさん摂りすぎると馬鹿になってしまうという――」

「私が馬鹿だと言いたいのか!」

「誰もそんなことは申し上げておりません」


 そう言う執事の顔は、飄々としている。はあ、と重いため息をついたのち、クラーク公爵は勢いよく扉を開いた。


「本当に疲れた。もう休む」

「はい、お休みなさいませ」


 執事は優雅に一礼すると、そっと扉を閉めた。

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