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愛と鞭  作者: まくろ
第十六話 団結は源なり
103/120

103:家族の形

 普通、自分の子供が危険な場所へ連れ去られようとしている時、親という者は平然としていられるものだろうか。


 ……フィリップの気持ちを考えると。

 自分が危険な場に連れ去られようとしているのに、自分の父は興味関心が無い。それどころか、早く行けとけしかける始末。


 アイリーンは何だか腹が立ってきた。


「……クラーク公爵」

 珍しく声が低くなる。


「クラーク公爵はこのままでよろしいんですか。フィリップが王宮へ行っても。もしかしたら、命を狙われることもあるかもしれない」

 しかし返ってくるのは、期待していたものとは違っていた。


「私には関係ない。その子は私の息子ではないからな」

 彼はこちらを見ようともしなかった。アイリーンの目の端に、顔を俯かせるフィリップが入る。ゆっくりと彼女の口が開いた。


「そんなの……悲しいわ」

 自分でも、何を言おうとしているのかよく分からなかった。


「血が繋がっていないからって、家族じゃないの? 私は……違うと思うわ」

 もしそうなら、自分達は家族ごっこをしていることになる。いや、実際他人の目から見ればそう思われても仕方がない。後ろ盾のない貴族の令嬢が、気まぐれで身寄りのない子供を育てている、と。


 でも……そうではないと、アイリーンは思っている。確かに、子爵家の面々は、血が繋がっていないから、子供たちは誰一人として似ていない。ウィルドはやんちゃだし、エミリアはなぜか子爵家の中で一番貴族然とした振る舞いだし、フィリップは見ているだけで癒される子だ。……うん、誰一人似ていない。


 でも、それでも家族だと言える――言いたい。

 そんなのは家族でないと他人が言うのなら、何か他の言葉で表してもいい。呼称にこだわりはない。けれど、彼らのためならきっと何でもできてしまう。こんな気持ちを持てる相手を言葉で表すなら、家族以外の何物でもない――。


 混乱する頭で、なおもアイリーンが言い募ろうとした時、野太い一つの声が、部屋に響いた。


「待て――!」

 その声は、どこか切羽詰まっている様にも聞こえる。


 オズウェルだ。

 咄嗟にアイリーンはそう思った。きっと、屋敷を逃げ回るうちに、騎士団に捕まったのだろう。


「ごめんってー!」

 しかし騒がしく部屋に乱入してきたのは、オズウェルと似ても似つかないウィルドだった。動物的勘だとでもいうのか、彼は数ある部屋のうち、まるで狙いすましたかのようにこの部屋に入って来た。ウォーレンやクラーク公爵は唖然としているが、アイリーンやフィリップからして見れば、このようなこと日常茶飯事だ。慌ててウィルドに駆け寄った。


「どうしたの? 何かあったの?」

「いや、どうもこうも……って、師匠!? あれ、フィリップもいる!」

「うん、大丈夫?」

「うん……大丈夫は大丈夫なんだけど――」

「ようやく見つけたぞこの小童めが!」


 次に騒々しく乱入してきたのは、頭にコック帽を乗せた料理長だ。彼の様相だけで、この騒ぎの原因が分かってしまうのが何だか悲しい所だ。


「わ……悪かったってば……」

 ウィルドは弱弱しくアイリーンの後ろに隠れる。アイリーンはため息をついた。


「盗み食いをしたのね?」

「だから悪かったってば……。ちょっとお腹空いただけじゃん、ちょっとつまみ食いしただけじゃん」

「あれがちょっとどころの量かー! 折角フィリップ坊ちゃんがお好きな料理を作ったにもかかわらず貴様――!」

「ん? ああ、あれフィリップのために作ったのか。ならそうだなー、もうちょっと薄い味付けの方がいいんじゃない? あと、香辛料がもっと効いてるとなお良し」

「何様だ貴様ー!」


 コックは天高く叫ぶ。


 ごもっともで。

 返す言葉もない。アイリーンは頭を抱え、フィリップは苦笑いだ。つい先ほどまで深刻な話をしていたの言うのに、ウィルドの登場一つでここまで場が乱れるとは。


 しかしそう思っていたのもつかの間。


「待てー!」

 新たな叫びが一つ轟いた。アイリーンは思わずしかめっ面で唸る。これは予感だった。こんな時の子爵家の一致団結ぶりと空気の読めなさぶりは、群を抜いている、と――。


「何で追いかけてくるのよー!」

 そう可愛らしい叫びをあげて乱入してきたのは、エミリアだった。この部屋に入った瞬間、思わず先人たちに戸惑ったようだが、見慣れた顔に気付くと、アイリーンたちに向かって走り寄った。


「どうしてみんなここに? フィリップもちゃんといる!」

「うん、心配かけてごめん」

「こらー、小娘ー!」


 しかしそうゆっくりとしてもいられない。部屋に飛び込んできたのは、騎士だった。大方、オズウェルを捜索中に、屋敷をうろついている不審者――エミリアを発見したのかもしれない。


「何事だ」

「……っ、た、隊長!? あ、いえ、屋敷に不審な者がいたので、声をかけたところ、逃げ出したので――」

「ねえっ、聞いてくださいよ姉御! あの人血も涙もないんですよ? わたしが泣いていても、理由すら聞かずにひっ捕らえようとしたんですから!」

「どうせ泣き真似だっただろうが! そんなものに誰が引っかかるか!」

「何よ、そんなんじゃあなた、この先結婚だって恋人すらできないわよ!」

「何だと!?」

「エミリア……」


 アイリーンは再びため息をつく。

 何となく想像はつく。騎士に見つかって、どうしようもなくなった彼女が泣き真似を始めたのが。そして当の騎士には全く相手にされないものだから、『慰めもしないなんて、人として失格だわ』とか何とか言って、彼を怒らせて追い回される結果となったのだろう。何となく想像できるのが悲しい所だ。


「……おい」

 低い声が乱入してくる。てっきりウォーレンだと思っていたアイリーンは振り返って固まった。底冷えのするような視線で、クラーク公爵がこちらを睨み付けている。すっかり忘れていたが、話の途中だった――。


「いい加減にしてくれないか。私の邸に侵入者がごろごろと。不法侵入で騎士団につき出すぞ」

「ご……ごめんなさい。この人たちは僕の、家族で――」


 フィリップが慌てて言い募るが、クラーク公爵はみなまで聞かず、首を振った。


「家族ごっこか。執事からあらましは聞いた。そんなものはまやかしだろう。血の繋がらない者同士、どうして家族なんてものになれる。その人はただ気まぐれでお前を引き取ったのみ。それ以外の何物でもない」

「どうして私の気持ちをあなたが代弁することができるのかしら? 勝手なことを言わないでくださる?」


 アイリーンはいつだって臨戦態勢だ。しかしそれを引き留めたのは、あろうことかウィルドだった。


「おじさんは……家族にこだわりがあるの?」

「…………」


 しかしクラーク公爵は答えない。ウィルドは構わず続けた。


「俺は……血が繋がってるとか繋がってないとか、どうでもいい。家族ってのも結局よく分からない」

 シン、と部屋が静まり返った。普段と違うウィルドの様子に、思わすアイリーンは見入る。


「だって、家族だったとしても、離れたらもう家族じゃなくなるのかもしれないし、誰かと一緒に暮らし始めたら、前の家族なんて忘れて、今暮らしている人が家族になるのかもしれない」

 ウィルドは、何を思っているのだろう。彼だからこそ言えることがあるのかもしれない。


「でもその境界って、すごく曖昧だと思う。人によって。でも、そんなの正直めんどくさい。いちいち考えてられない」

 ウィルドは視線をアイリーンに向ける。エミリアに、フィリップに。


「でっかい家族……って、思えばいいんじゃないかな。離れていても、一緒に暮らしていても、みんな、自分にとったらでっかい家族なんだよ。……父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも、そして師匠もステファンもエミリアもフィリップも、皆でっかい家族。もちろん、それにはおじさんも入ってるよ」

「なっ……」

「フィリップの父ちゃんなら、俺にとっても父ちゃんだ」


 何たる単純思考。それじゃあ無作為すぎる。一体何人父親ができると思って。

 クラーク公爵は言葉を無くした。ウィルドはそれを見てにっこり笑い、更なる追撃を行う。


「おじさん、俺たちにフィリップを取られるかもしれないって、そう思って心配なんだよね?」

「はあっ……!」


 安定の空気の読めない発言だ。この場の状況が分からなければ黙っていればいいものを。でも……少しだけ嬉しいと思うのは、おかしいことだろうか。……子爵家に慣れ過ぎて、感覚が麻痺しているのかもしれない。でも不思議とアイリーンはそれを嫌だとは思わなかった。


 今まで、ウィルドの口から家族という言葉を明言して聞いたことがなかった。ウィルドは……きっと、家族というよりも、ただ一緒に暮らしているだけ、そんな認識しかないのだろう、そう思っていた。


 でも、ウィルドが心のうちでは家族――故郷にいる家族に加えて、子爵家のことも家族と思ってくれている、ただそれだけが心の底から嬉しかった。


「わたしも……わたしは、ウィルドとはちょっと違うのかもしれない」

 ウィルドの発言を受けて、エミリアも口を開いた。


「何だよ急に。折角俺がいい感じにまとめたのに」

「違うわよ、話を聞いて」


 彼女はおずおずと話し出す。その様は、まるでずっと昔――エミリアが、子爵家にやって来たばかりの頃を彷彿とさせた。


「わたし……わたし、ずっと罪悪感があった。お父さんとお母さんに対して。二人は……死んじゃったのに、わたしは時々二人のことを忘れて、子爵家で楽しくしてる。……それって、二人に対して、すごく罪深いことなんじゃないかって、ずっとそう思ってた」

「エミリア……」

「皆のことは……家族だと思ってる。大切な……わたしの居場所。でも、同時にお父さんとお母さんのことが頭に浮かぶ。お父さんとお母さんだってわたしの家族なのに、何で新しく家族ができてるんだろうって。勝手に一人でがんじがらめになってた」


 小さな妹が、こんなに思い悩んでいただなんて、アイリーンは思いもしていなかった。と同時に、気づかなかったことに腹立たしくなってくる。


 そんな思いに気付いたわけではないだろうが、不意にエミリアはアイリーンの方を向いた。彼女に宣言するように。


「でも最近……こう思う様になった。家族がいくつあってもいいんじゃないかって。大切に思う分、いつくあってもいいんじゃないかって」


 もう何も悩んでいないのだろう、迷っていないのだろう。その顔は、非常に朗らかだった。


「お父さんとお母さんとわたし、これは絶対に変わらないわたし達家族の形。でも、わたしにはもう一つ家族がある……姉御と兄様とウィルドとフィリップ。そう考えるだけで、何もかもが楽しくなった。わたしにも帰る場所があるんだって思えるようになった」


 アイリーンはしっかり頷いた。

 ウィルドのように、家族の境界が分からなくてもいい、エミリアのように、家族の存在がたくさんあってもいい。それでも、子爵家はいつまでも彼らの帰る場所になりたい。アイリーンは改めてそう決心した。


「僕は」

 フィリップも一歩前に出た。ウィルド、エミリアに背中を押されたようだ。その声は震えている。


「僕は、二人みたいに、家族のことについて……今まで深く考えたことは無かった。今幸せならそれでいいって、そうずっと思ってきたんだ」


 それは仕方のないことだ。フィリップはまだ幼いのだから。しかし彼はそうは思わなかったようで、自分を恥じるかのように、その手はぎゅっと握りしめられていた。


「だから、母様のことも……いつまでも、この呼び方だった。僕を拾ってくれた母様の手が温かくて、思わず母様って呼んじゃった。その後も、母と呼べる人がいる心地よさに、ずっと甘えてた。お母様が無くなって、僕はずっと寂しかったから」

 縋るようにフィリップはアイリーンを見た。彼女は元気づけるように無理矢理笑って見せたが、それを見て、更にフィリップは顔を歪ませた。


「でも、心の中では、おかしいって思ってた。だって、僕にとってはお母様は一人しかいないのに」

「フィリップ……?」

「違う、違うんだ。別に、母様のことが嫌いとか、そんなんじゃくて……でも、僕にとってのお母様は一人しかいないんだ」


 フィリップの辛そうな声に、アイリーンは何度も首を振った。彼が言いたいことはよく分かる、こちらのことは気にせずに、最後まで頑張ってほしかった。

 やがて落ち着いたのか、フィリップはぽつりと言った。


「……それは、お父様にとっても同じだった」

 波紋のように、その言葉が広がっていく。


「僕の父が国王陛下だって、そう言われても、正直僕にはよく分からない。会ったことも無いし、会ったとしても、血が繋がっているだけの他人だ。……それは、もう覆らない。だって、僕にはもう父はいるから」

「…………」

「嫌われていてもいい。僕が父と思うのは、この先もずっとただ一人だから」


 フィリップの目は真っ直クラーク公爵公爵を見つめている。彼は、応えない。ここからでは、彼の表情は読めなかった。ただ、余韻のような、どこか心地よくも感じられる沈黙が漂って――。


「はははは! ついに捕まえました、オズウェル団長殿を! どうです、ウォーレン隊長! 俺、やりましたよ!」


 この場にそぐわない笑い声。誰もがこう思っただろう――お前、空気読めなさ過ぎ。


 バーンと扉を大きく開けて入って来たのは、数人の騎士だ。オズウェルを拘束したまま引き連れている。その顔は、非常に得意げだった。


「確かに十人がかりで包囲したのは事実ですが……いや、しかしそこからが俺の腕の見せ所でしたね。我々が徐に剣を抜くと、団長も同じく剣を抜いたので、私はそこを――」

「うるさい」


 半目になって、ウォーレンは一刀両断した。

 彼もいい加減うんざりなのだろう、たびたびの乱入者に。対応がもう適当だ。


「へ?」

 当然、先ほどまで意気揚々としていた騎士は、ポカンと口を開けていた。自分の耳が信じられないようだ。そんな彼に、ウォーレンは更なる追い打ちをかけた。


「今はいいから。そいつを持って引っ込んでろ」

「え……っと。引っ込む、とは」

「向こうに行けと言ってるんだ。今私達は大事な話の最中だ。オズウェルごときで話しかけてくるな」

「は……はあ」


 しゅんとした様子で、騎士はしぶしぶ部屋を出て行った。哀れ、連れられているオズウェルの方も、何だか複雑そうな表情だ。ごとき、という言葉が胸に刺さっている様に見える。


「ああ、やはり待て」

「はっ、はい!? 何でしょうか?」


 喜色を露わにして、先ほどの騎士が振り返った。お褒めの言葉を貰えると、そう思ったのだろう。


「ああ、お前じゃない。その後ろの騎士だ。お前たちはここに残っていてくれ。彼らを連行したい」

 くいっと指だけでウォーレンは子爵家を指す。アイリーンたちは思わず身構えた。


「は……で、では、俺は……?」

「だから引っ込んでいろと言っただろう」

「はい……」


 すごすごと彼とオズウェルは退出した。後に残るは、こちらにじりじりと歩みを進めている騎士四人のみ。


「あまり手荒に扱うなよ。一応はフィリップ殿下のご家族でいらっしゃる。だが手早くやれ」

「はっ」


 ウォーレンの言葉に嫌味に似たものを感じたのは、何もアイリーンだけではないはずだ。

 ウィルドもエミリアも、厳しい顔で騎士たちを睨み付けた。

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