少女、慟哭。
朝早くに目が覚めた。何か約束でもあっただろうか。たぶん無かったはず。とりあえず顔でも洗って─
外から、金属を打ち合う音が聞こえる。おばさまが朝から稽古にでも来てるんだろうか。
に、しては。漠然とした不安が胸をよぎった。稽古にしては、朗らかさも、朝の清澄さも感じない。父さまが叫んでいるのは怒号ではないのか。闘志ではなく、殺…意?
手がピクリと動く。ナイフ…あった。精錬鉄製の白い刃身。抜き身で持ち、握り込む。魔力は、充分。鼓動が、激しい。
落ち着け。大丈夫だ。そう、ちょっとおばさまが父さまを怒らせただけ。ちょっと、稽古に身が入りすぎているだけ。
言い聞かせ、玄関まで歩く。
そういえばこの家は窓が少ない。防犯上は良かろうが、今は音しか拾えず不安が増す。父さまが母さまを呼んでいる。返事がない。いや、父さまの声が大きいだけだ。母さまも返事を、返しているはず。
階段を下りると台所があって、横を向けば、玄関で、母さまが倒れてて。
『は?』
風邪引くぞって。なぁ。
『冗談、止せよ』
返事がない。さっきから血の匂いがして、そう。だから。
『きゅう、きゅうしゃ』
呼ばなきゃ。電話…どこだよ。ケータイ。なんで、持ってない?警察は、いない、この世界には。
『父、さま』
そう、父さん、大変だよ。母さんが、悠里。危ないから、まだ、部屋に居ろ。俺は、外に様子を見に行くから─
「来るな、ベルっ……がっ!」
ベル……俺か。いや、まず、あの人は誰だっけ…そう、父さま。俺の父さまが、胸を、剣で貫かれて─
『は?』
…俺の、せいか?俺が出てきて気を取られて、俺のせいで…おい、止めろ。今抜いたら傷が。でも、抜かないと。
父さまが倒れる。血が。刺した女がこちらを向く。白い髪。若い。無表情、いや少し驚いてるか。その首には鎖のような刺青が。
目撃者たる俺を消すつもりか、こちらへゆっくりと歩いてくる。
俺の手がピクリと動く。手には精錬鉄の白いナイフ。ゆっくりと、空気を抜いていくように握り込む。
魔力は充分。頭は冷えた。
「死ね」
身体強化を発動し、ひと息に飛び込む。遅い。いや、ギリギリで防がれた。
─クソが
距離は置かない。女のくせに父さまに見劣りしない身長。向こうの方がリーチが長い。女の、剣の柄を持つ手に意識を置きつつ回り込む。相手も無理に攻めず距離を置こうとしている。
こちらは魔法も発動し、火柱、水圧、突風、土壁。思いつく限り叩き込むが─
(コイツ、魔法を)
服は焦げるがすぐに鎮火し、水はアイツを濡らすだけ。初見で目眩ましにはなるが被害の少ないものはほぼ無視だ。
(父さまに付けられた傷も浅くはない。失血を狙って…)
─温いこといってんじゃねーぞ
温い。そう。魔法が駄目なら物理で殴れ。打ち込め。打ち込め。打ち込め。もう一本欲しい。父さまの剣を土魔法でトス。キャッチ。この一帯の魔法自体は阻害されてない。
逃げようとするな。進行方向を泥にする。見事に滑る。首を狙うが転がり回避する。身体に付いたあの泥を、やはり干渉できない。打ち込む。
なんなんだコイツは。死ね。どこから来た。待て、そういやふたりの止血を。父さまの身体から血が。母さまは。魔法を、治癒魔法を。
─あ
そんなものは、無くて。なんでもできるようで回復魔法だけは無くて。あるかもしれないが母さまは知らなくて。化け物じみた回復力の薬なんか無くて。死んだら、蘇生魔法なんて夢のまた夢で。
─ふたりが、死んだ?
─死
『はっ、あ、は、はぁっ』
鼓動が加速していく。目に映る風景はひどくゆっくりで、アイツの首、そこにある刺青が目に入る。そのまま目線を上げると、薄ら笑いの視線とかち合う。
その首、切り落としてやるからな。
「……」
女はこっちが怒鳴りたくなるほど冷静で、冷静な構えを崩さず、少し懐が遠い。
(ごめんよ、父さま)
身体の陰に隠した、左手の、父さまの剣に魔力を通す。なんだこれ。ただ肉厚なわけじゃなかったんだな。いわゆる『ダマスカス』か。その層構造を押し開き、歪ませ、伸長させていく。
アイツも何か悟ったようだ。しかし逃げずにこっちに向かってくる。上等だ。この武器を食らって楽に死ねると思うなよ。
『ぐるぁああああああ!』
長い舌を出し挑発する。思ったより動揺したな。身体強化。靭性に重きを置いて踏ん張り、左手を振るう。細く、カマキリの腕のように伸びた、金属の牙を持つ奇禍なる剣で。
「─っ」
足を止め、迎え撃つ女。しかし─空振り。
「っ!?」
風を食い破るその刃で、急停止、風圧で剣の腹を蹴りあげ、今度は逆側から引き切る。しかし相手もさるもの。なお剣先で追いすがり、辛くも切り結ぶ。が。
『悪手だ、ダボが!』
切り結んだ剣にありったけの魔力を総動員。両手で剣を握り、風を注ぎ、圧縮、着火。爆発。原理が正しいかは知らん。じわじわと切っ先を押し込み、柔らかい感触。あと、少し。
ふと、視界が切り替わる。
誰かの背中。そんなに背は高くない。即座に思いつかないが、知っている気がする。その背中を、押す。嘘みたいに『少年』が吹っ飛び『何か』にぶち当たって飛んでいく。自分では見えないのに口の端には微かな笑みが浮かんでいるのがわかる─
─お
『…ま、え、かぁあああ!』
あのときのアイツが。父さまを。母さまを。俺を。
それに、俺が。アイツと、関わりのある俺がいたから、ふたりが。
『ああああああああ!』
剣が、砕け散る。女の首は繋がったまま。力が抜ける。まて、よ、まだだろ、が。まて。
─寝るな、俺。寝る、な─
─ ─ ─
「ん…」
目が覚めると、傍らで赤毛の女性が泣いていた。誰……ああ、おばさまか。手を伸ばして頬に触れようとしたところで、おばさまは俺が起きたことに気づいた。
「ベル……すまないっ、私は。私は!」
何でおばさまは謝ってるんだ…その理由を探そうとして、すぐに思い当たる。
「…ベル?」
立ち上がって、寝かされている両親に歩み寄る。布が掛けられ、寝ているようにしか見えない。
「…おばさま。悠里は、どこですか?」
「ユーリ?友達か?他に誰か居たのか?」
違う。妹はこっちにはいない。ある意味安全だ。落ち着け、今はふたりのことだ。
「いえ、違うんです。すいません、混乱してて」
傷のない顔は今にも目を覚ましそうで。昨日まで笑顔だったじゃないか。今日も明日も、明後日も。もっと先まで。
まだ、早ぇよ。
「すまない…っ、わた、しが、もっと早く」
「何言ってるんですか!おばさまは悪くないですよ!」
場違いに明るい声が出た。おばさまはうつむいて何も言わない。
「私が、私のせいで」
「…っ、やめろ!」
おばさまが私を抱きすくめる。母さまが使ってる香と同じ匂いがして、涙が滲む。
「そんなこと言うな。お前は戦った。生きてる。良かった。でも、私は、何もしてやれなかった。必要な時に、そばに、居てやれなかった」
おばさまを責めるつもりなんてない。巻き込みたくはない。相手は『俺』を殺した奴かも知れない。一般人かも知れないが、転生者というだけで警戒度は上がる。自分は違ったが相手は『チート』持ちかも知れないし、裏から糸で操るタイプかもしれない。もしかしたら、あの女も犠牲者か。
だからって。
「…おばさまが、無事で良かったです。とりあえず、こういうときは、なんだろ。どうすれば…」
思い出してしまう。自分を誉めてくれたときの、ふたりの嬉しそうな顔を。自分がやらかした時の呆れた顔を。ふたりにとっては一人娘を可愛がるのは当然で。でも自分は、まだふたりに何も返せていないのに。
守れず、仇も取れなかった自分が不甲斐なくて、泣いた。




