猫、旅立ちの日。
アーネスのいつもの衝動的な何かとカナコの誘いを受け、私は旅に出ることにした。あくまで二人のハドモントへの旅に随伴するだけで、いずれ戻ってはくるつもりだけど。
「ふむ、そうか。代わりの者に関しては気にするな。どうにかするさ」
「すみません。私の勝手で」
「アーネスのいつものだろう? カナコのためにもなるなら、お前がついていく意味もあるだろう。面倒をみてやってくれ」
「はい」
衛長。父のような人だ。あの一件から随分お世話になっている。できる限り恩は返してきたつもりだけど。
「責任感も大事だが、私も年長者として後先を考え、準備を怠ってはいない。お前の少しのワガママくらい聞いてやれるさ」
「ありがとうございます。でも、また帰ってきますから」
「ついでに向こうで好いやつでも見つけてくるといい」
「衛長!」
まったく。誰かと恋愛なんて。フェイはよく声をかけてくるけど。後は、彼も。
「ああ、そういえば息子どのはなんと言うかな?」
「言わずに行きます。お姉さんによろしく伝えておいていただけませんか?」
「ふっふ、わかった」
不義理とは思うが、あの領主さまの息子さんは私のことを気に入っているらしく。私も嫌っているわけではないけれど、いささかがっつきすぎなところがある。普段はお姉さんが手綱を握ってくれているから、あの人には挨拶してから行きたいけれど。
「カナコはどうしている? 準備を手伝わなくて大丈夫か?」
「あれで意外と旅慣れているようです。私のほうが見落としがあるくらいで」
「ほう、意外だな」
出会った当初は守ってあげなきゃと思わせるくらいおどおどしていたけど、話を聞くに遠方に足を運ぶことは何度もあったらしい。
「私のほうが旅先で足を引っ張らないか心配ですよ」
「そうかそうか」
「……行っちゃうんですね」
「ネアさん。ちゃんと戻ってきますよ」
長い耳をへたりと垂らすネアさん。私の三つ上とは思えない愛らしさ。
「ネアさんにもお世話になりました」
「とんでもないです。私なんてそそっかしくてどんくさくて」
「もう」
一所懸命なのは知っている。皆ネアさんのそういうところを慕っている。一部におかしな輩もいるが。そういえば、カナコがたまにネアさんの太もも辺りを凝視していたような。気のせいよね。
「何かお土産買ってきますね」
「無事に戻ってきてくれれば、それが、いちばんでぅ、ぐすっ」
「おお、よしよし。しかし、旅か。私のこの姿では叶わんことだ。土産話を期待しているよ」
「ええ。そういえば、衛長」
土産話ではないが、カナコから聞いた『あちら』の獣人の話を聞いてもらう。ラズラに住まう者には少々信じがたい話だが。
「衛長さんが料理…」
「ふむ、あの時のカナコの反応は本当にただ取り乱していただけということか。しかし、そのような在り方も許されるのか。面白い土地から来たのだな、あの娘は」
できればあの子を故郷に帰してあげたい。私に何ができるのかはわからないけど、あの人のよい少女が寂しさに暮れているのを見るのは忍びないから。目指すは南、ロードラント。そこで、私にとっても、新しい出会いがあるのだろうか。
─ ─ ─
翌日、夜が明けて少しばかり。早起きは慣れているという頼もしい発言のカナコと一緒に、恐らく眠りこけているであろうアーネスを起こしにあの子の家へ。
案の定起きている気配はない。合鍵もあるので鍵を開けて中へ。寝室を目指す。
「思ったより普通ですよね」
「何が?」
「……内装とか」
「いちおう借家だから。流石にあの子でも無許可で弄ったりしないわよ」
「なるほど」
この借家に案内したとき、堂々と改造の可否を訊いてきたのは本人の名誉のために黙っておく。
「アーネス。アーネス、起きてる? 入るわよ?」
「失礼しま……ぅわ」
言わないであげて。私も私室までは口を出さなかったけど、これは。腐るものはなさそうだからかろうじて許せる。本やら書類やらよくわからない道具やらが山と積まれ、数日前に用意した荷物の上に昨日脱いだものとおぼしき衣服が引っかかっている。
「まっ……たく、もぅ」
「身軽ですね。さすが猫」
カナコはこの惨状が気になったのか目についた服を畳んでいく。マメね。
「ごめんなさいね」
「いえ。誰かさんで慣れてますので」
「そ、そう」
彼女もいろいろ大変なようね。
「……生きてる?」
寝台に突っ伏しているアーネスを裏返す。静かな寝顔。念のため呼吸を確認。よし、生きてる。
「なんじゃあこりゃあ」
カナコ。奇妙なものがついてるような言い方はやめてあげて。気持ちはわかるけど。内面は置いておくとして、なかなか立派な大きさよね。この子もどうしてこんな薄着で。
「アーネス、起きなさい。旅に出るんじゃなかったの?」
「んぅう」
「しょうがないわね……」
「でゅくし」
平然と胸の頂点を突くカナコ。
「んにぁあああ!」
「わわ、やりすぎた!? ごめんなさいっ」
何この子、怖い。
「ふぇえ!? なに、なんなの?」
「おはよう、アーネス。朝よ。早めに出るって言ってたでしょ? 今の苛烈な起こし方については、私は一切関与してないからね」
「違うんですっ。その、ちょっとしたイタズラ心というか」
私には絶対にやらないでよ?
「わ、わかった。起きるぅ」
手酷い目覚ましに混乱しつつ、着替えを始めたアーネス。
「本当にすみません。本当にすみません」
「い、いいのよ。私が寝坊したんだし。でも今は近寄らないで!」
「あうう」
大丈夫だろうか。この面子で。
いつもの長杖と荷物を担ぎ、ローブを纏ったいつものアーネス。カナコに対する警戒心が上がったのか、必ず間に私を挟もうとする。私だってあんなのされたくないわよ!
「本当に出来心だったんです。何でしたら後で私にも…」
「ソッチの趣味はないから!」
「私だってありませんから!」
私だってないわよ。
「落ち着いて。とりあえず辻馬車を捕まえて南下ね。ハロルに向かうのが妥当かしら」
「……そうね。こっち側は地味に村とか少ないから、補給も余裕を見ておきたいわね」
地図をなぞりながら行程の確認をする。港町ハロル。大陸の端に位置する小さな町で、田舎の印象は拭えない。それを言うとラズラは秘境扱いなんだけど。大洋からの漁獲量は安定していて、裾野から広がる平原にも大型の獣が出ることは滅多になく、魚中心の生活に苦がなければ暮らしよい町である……とはごくたまに訪れる旅人や、アーネスの談。
「ふーん、港町か。異世界モノで港町というとなぜか荒くれたちに誘拐されるという展開が思い出されるような」
「ちょっとカナコ。たまにだけどあるんだから、やめてよね」
「え、あるんですか」
「法国方面の都市とかだと貴族の子どもとかもいるしね。その子たちが運悪く、とか」
「警察……じゃないや。騎士団とか居ますよね?」
「いるけど、場所によっては自己責任よ。貴族の私兵なんか信用しないほうがいいわよ。給料分の仕事は『してやる』って居丈高のクソもいたしね」
「またクソって…」
この子はたまに口が悪い。私は旅初心者なんだから、お手柔らかにお願いしたい。
「ま、いいわ。全員、準備はいいかしら。最終目的地はロードラント地方の街、ハドモント。アーネスの知り合いなのよね?」
「ええ。久しぶりに会うけど話くらいは聞いてもらえると思う。門前払いってことはないはずよ」
「そう。カナコ、いい結果が出るといいわね」
「はい、そうですね」
通りで軽食を調達し、馬車に乗るため街の入り口を目指す。
「そういえばあんまり街を見れなかったな…」
「あ、そうね。ごめんなさい、気が回らなかったわ」
そんな暇もなくアーネスの思いつきに巻き込まれたわけではあるんだけど。
「いえいえ。どのみち買い物もできませんし。この荷物もすみません。お金出してもらっちゃって」
「仕方ないわよ。何だったらアーネスにタカりましょう」
「えー!」
「いちばん金銭的に余裕があるでしょう。旅に出るって言い始めたのは貴女だし」
「……そうだけど」
阿漕な商売はしていないと思うけど、ラズラで彼女の作った魔法の道具は評判だ。獣人が先天的に魔法を使える例は少なく、修練を重ねても使えるようになりにくい。
「今さらだけど、旅に出て良かったの? 貴女の作った道具が壊れたら直せる人がいないのに」
「何年もあっちにいるつもりはないし、乱暴に扱わなければ案外長くもつのよ」
「あの、アーネスさん。そういえば私、自衛の手段って無くて。ちょっとだけ、小さな火の玉を撃てたりする道具ってあります?」
「魔法くらい使えるでしょう? いい反応出してたし」
「もしかしたらとは思いますが、今は何とも…」
言うとカナコは地面に手のひらを向け、何やら力んでいる。魔法を使おうとしているのだろうか。いざとなれば私は剣をそれなり使えるし、アーネスもひとりでラズラまで来るくらいだし、自衛の手段はある。
「いくつか持ち出して来たから、後で試してみる?」
「はい、ありがとうございます」
正門に着いた。いよいよか。私は初めて、この街を出ることになる。いざその時になってみると…胸を過るこの感情は、寂しさだろうか。
「大丈夫よ、ミッタ。いざとなれば私が何とかするから。いつもお世話になってるしね」
「……ありがとう。頼りにしてる」
出入りの記録を残さないといけないので、詰め所に顔を出す。今日はフェイとノエインが担当。珍しく外からの客人がいるようだ。サラサラと綺麗な金髪の、しかし変わった耳をした少女。
「これでいいかしら」
「あいよ、確かに」
「ああ、みなさんお揃いで。お出掛けですか?」
ノエインがいつもののんびりした調子で返す。これでも腕っぷしはかなりのものなのだが。
「熊ァ! アンド、エルフぅ!」
カナコはどうしたの。ノエインと客人を交互に見る。凄い形相。
「おお、本物だぁ。長い……」
「長いって感想やめてくれる?」
確かに長い。ネアさんほどではないけど。
「カナコ、ちょっと失礼じゃない?」
「あ…す、すいません! ちょっと興奮して」
「いいけど。ベルといいユウリといい、どうして『チキュウ』とやらから来た人は」
「うぉおぃ、地球ぅ! ちょっと、ちょっと!」
「なに! なんなのもう!」
騒がしいなあ、もう。
「知ってるんですか、『地球』のこと! そこから来た人を知ってるんですか!?」
「貴女……!」
にわかに表情が厳しくなり、近寄るカナコの手を振り払う。
「悪いけど、『チキュウ』人には良い印象と悪い印象があるの。貴女はどちらかしら?」
腰の剣に手をかけるまではしていないが、こちらが事を起こせば即座に剣を抜いてくるだろう。
「何かしら、この不思議な感覚。ミッタ、注意して。何か隠し種があると見たほうがいいわ」
彼女がそんなことを言うからには、魔法がらみか。私には魔法の知識は無いから彼女の言うことを信じるしかない。
「さあ、貴女はいったい…?」
ノエインが『エルフ』とやらの少女の後ろから、肩に手を置く。ノエインには悪いけど、この二人の体格差は危うい想像しかできないわね。
「どうか落ち着いてください、旅人さん。何か事情があるようですが、彼女はまだ何もしていませんよ? それに、先ほどの貴女の話からすると、騒ぎになるのは避けるべきでは?」
「……そうね、ごめんなさい。少し過敏になってしまったわ」
「あ、いえ、こちらこそ。掴みかかっちゃって」
冷静に話せる余地はあったようだ。握手をして、自己紹介が始まる。
「私はハルーンという一族の出身でクランというの。ラズラヘは……一族の代表としての顔見せ、かしらね」
「お若いのに、族長さんなんですか?」
「そういうんじゃないわ。あくまで使いにすぎないもの」
「なるほど。じゃ私も。武田佳那子です。あっ、カナコって呼んでもらえれば。こちらはミッタさんと、アーネスさんです」
「よろしく」
「んぁっ…よ、よろしく」
アーネスもこのクランという少女の魔法の知識あたりが気になっているのだろうか。でも挨拶はきちんとしなさい?
「カナコ、少し話を聞いてみたら? アーネス、時間は大丈夫かしら?」
「『チキュウ』とやらはたぶん『異世界』とやらに関わりがあるんでしょうから、望むところよ。ほら、カナコ」
「ありがとうございます」
彼女が語る内容。この街しか知らない私にはわからないが、ふたりからすると驚き満載の内容だそうだ。いちいち大声で聞き返す。
「ハドモントでそんなことが…」
「そのベルさんとユウリさんって今から行って会うことができますかね?」
「特別な身分なんていらないわ。ただ舟もできてないでしょうし…森に踏み込むなら私が案内したほうがいいかしらね」
こちらで森に住むなんて考えられないことだ。絶対ではないが『スオース』にも出会すことがあるし、そもそも街から遠くて不便だろうし。偏屈な性格ではないとのことだけど。
「帰ることは考えてないのか…」
カナコにとっては吉報とも言いがたいか。同じ境遇でありながらこの世界で生きていくと決めた人たち。でも無駄な出会いにはならないはず。生活基盤が整っているようだから、話を聞けば生活の糧を得る参考にはなるだろう。
「気を落とさないで。話を聞く限り悪人ではなさそうじゃない。会ってみる価値はあるんじゃないかしら」
「…そうですね」
「ねえねえクラン。鉱物操作が得意な人なら、レダって人に心当たりはないかしら?」
「……私は知らないわね。それも本人に聞いてみたらいいんじゃない?」
「わかったわ。じゃそろそろ行きましょうか」
「……どうする? 私の顔合わせを待ってもらえれば帰り道に一緒に動けるし、運びが良ければ舟を使えるかもしれないわよ?」
「舟が、空を飛ぶねぇ…」
突飛な話だ。空を飛ぶのは鳥くらいだと思っている私には。
「…待って。じゃあ領主さまのところに行くの?」
「そうよ。何か問題が?」
「わ、私は待ってるわ。アーネスが、場所わかるわよね?」
何よアーネス。そのいやらしい笑みは。
「そういえば領主さまにご挨拶がまだだったわ。顔をだしておくのが筋ですわよね?」
「ちょっと引っ張らないでっ」
面白がってるわねっ。せっかく彼に見つからないうちに出てこれたのにっ!
「不都合でもあるのかしら。私の足なら後からでも追い付けると思うけど…」
「いいのいいの。こっちの事情ですから。楽ができるならそのほうがよいですわぁ」
「アーネスぅうう」
「まーがんばれや、ミッタ」
ううう。




